9―30 怪盗の手口
商人の荷馬車が、アルベルダ侯爵館の勝手口にやってきた。
「ちわっす、アルコルタ商会です。ご注文の品を届けに来ました」
鳥打帽を脱いだ若い男が、やや前かがみになって館の使用人に声をかけた。
「あ、ご苦労様、何時ものように食材倉庫にお願いね」
「了解っす。それにしても普段と違う注文だったんで慌てましたよ」
「ああ、館に滞在しているお客様用なのよ」
「へえ、そうなんですか」
丁稚に化けた白猫がそう返事を返すと、同じく人間に化けた黒犬と赤熊が木箱やら木樽を運んで行った。
通路を往復する白猫達を何度も見た館の使用人達は、彼らが居なくなっても注文した品物がキチンと納品されているので、作業が終わって帰ったとしか思わなかった。
+++++
人々が寝静まったアルベルダ侯爵館は、静寂に包まれていた。
そんな中俺達夜更かし組は、待機部屋の中で覚醒作用のあるお茶を飲みながら睡魔と戦っていた。
待機部屋のテーブルの上には、侯爵が用意してくれた夜食と飲み物が所狭しと載せられていた。
この世界に来てから普段規則正しい生活を送っていた俺は、そろそろ眠くなってきていた。
「こんな静かな夜だと、知らないうちに眠ってしまいそうね」
俺がそう零すと、隣に座っていたガスバルが笑い声をあげた。
「ははは、規則正しい生活をしているガーネット卿はそうでしょうが、冒険者である私は野営に慣れていますからな。もし、眠ってしまわれても紳士的に起こして差し上げますぞ」
「ありがとう。そろそろ見回りをお願いしても?」
「おお、そうですな。ベルグランド殿」
ガスバルに声をかけられたベルグランドは、飲みかけのお茶を飲み干して席を立った。
「了解です。それでは女ボス、行ってまいります」
「ええ、お願いね」
ガスバル達が部屋を出て行って1人きりになると、より一層周囲の静寂が子守歌に思えてきて大きくあくびをしていた。
すると、どこかで「ドン」という鈍い音が聞こえてきた。
どうやら怪盗三色が現れたようだ。
魔力感知で外から入ってきた形跡がまったく無かったが、これが怪盗と言われる所以なのだろうな。
俺は隣の部屋で仮眠しているジゼルとオーバンを起こしていると、ガスバルとベルグランドが息せき切って戻ってきた。
「はぁ、はぁ、女ボス、別館で火事です」
混乱を起こしてその隙を突こうというのか。
だが、俺の都合で犠牲者を出すわけにはいかないのだ。
「分かったわ。2人はティアラの護衛として扉の前で待機してね。ジゼル、オーバン行くわよ」
本館の裏口から外に出ると、誰かが「火事だー」と叫んでいた。
本館から見える別館の入り口からは煙が猛烈な勢いで噴出していて、そこから使用人達が大慌てで逃げ出していた。
逃げ遅れた人を探そうと魔力感知を発動すると、既に全員逃げたようで反応が無かった。
怪盗三色もそこまで鬼畜ではないという事か。
なら、後は火を消せばいいだけだな。
「ジゼル、オーバン、私は火を消してくるから、貴方達は逃げ出した使用人の中に怪盗が紛れ込んでいたら足止めしておいてね」
「分かったわ」
「承知しました」
そして飛行魔法で上空に舞い上がると、別館の窓に向けてスリングショットを構えた。
そこで違和感を覚えた。
煙の量が多いわりに、火がまったく見えないのだ。
スリングショットをしまうと魔力障壁の魔法をかけて、別館の窓から中に突入した。
そこで一瞬魔力障壁の魔法を解除したが、火事による熱を感じなかった。
この火事は偽装という事か。
火の気が無いので煙を外に出すため窓を開けながら捜索していると、やがて廊下に何かをぶつけたへこみとその時に広がった何かの破片が散らばっていた。
確認作業を終えて別館の外に出ると、そこではジゼルとオーバンが地面に倒れていた。
「ちょっと、2人とも何があったの?」
「別館から逃げ出した使用人の中に、例の白髪とその仲間が居たのよ」
「ジゼル殿がそいつらを見つけたので捕らえようとしたのですが、あの刺激臭のする薬品を投げつけられてしまったのです。分かっていながら申し訳ありません」
怪盗三色は、いつの間にか別館に潜んでいたようだ。
悶絶する2人に「軽傷治癒」の魔法をかけていると、今度はティアラが保管してある方角から物凄い破壊音が聞こえてきた。
「2人は少し休んでいてね」
「ユニス、気を付けて」
「回復しましたら直ぐに応援に参ります」
急いで本館に戻ってくるとガスバルとベルグランドが守る扉に向かった。
廊下の角を曲がりその先に進むと、そこには扉を守っているはずのガスバルとベルグランドが倒れていた。
急いで抱き起して状態を確かめると、眠らされていた。
扉にはこじ開けられた痕跡が無い事から、誰も中には入っていないようだった。
だが、こちらから破壊音が聞こえてきたのは事実なので、念の為中を確かめることにした。
侯爵から預かっている鍵をポケットから取り出すと、正面の扉の鍵穴に差し込んだ。
そして扉を開ける前に扉に耳を当ててそっと中の様子を窺うと、保護外装の高性能な耳に風が吹き込んでいるような音が微かに聞こえてきた。
ゴクリと唾を飲み込むと、扉を押し開けた。
そこには信じられない光景が広がっていた。
壁には大穴が開き、板張りの床はボコボコにへこんでいて、中央にあった台座は原型をとどめていなかった。
そして破壊された部屋の中で、グラファイトとインジウムが床に両手をついて項垂れていた。
まさか、あの2人が任務をしくじる相手だったのか?
「グラファイト、インジウム、何があったの?」
俺に質問に答えたのはグラファイトだった。
「大姐様、部屋の中で突然魔法陣が発動したのです」
グラファイトが指さした当たりを調べてみると、そこには手のひらサイズの丸みのある石のようなものが転がっていた。
「そしてそこから何かが出てきたんですぅ」
インジウムがグラファイトの後を継いでそう答えた。
「何かって、何?」
俺がそう聞き返すと、インジウムは困ったような顔になって俯いてしまった。
仕方が無いのでグラファイトの方を見ると、何かを思い出すように返答した。
「僅かに魔力を感じるのですが、姿が見えないのです。そしてその何かはケースの中からティアラを、その、食べたようなのです」
「食べたぁ?」
俺が驚くと、直ぐに言い方を変えてきた。
「はい、正確には体の中に取り込んだといった方が良いでしょうか」
「それで、その後はどうなったの?」
すると今度はインジウムが口を挟んできた。
「えっとですね。逃がさないように魔力を感じた場所に攻撃を叩き込んだのですが、失敗しちゃいましたぁ」
「それで逃げられたと?」
破壊された窓を見ながらそういうと、グラファイトは俺の言葉に打ちのめされたようにガックリとうなだれた。
「申し訳ございません。まさか、あんな奇怪な奴が相手とは思いませんでした」
僅かな魔力を感じるのに目に見えない相手だって?
それは周囲の環境に擬態できる能力でも持っているのか?
いや、待て、擬態なら動いたら、グラファイトやインジウムが見逃すはずがないのだ。
ひょっとしてスタンドアロンなお姉様が使う、ほにゃらら迷彩みたいなやつか?
確かにあれなら仕方がないな。
妙に納得した俺は、魔力感知を発動してこの場所から逃げていく者を探った。
すると高速で離れていく3つの輝点を見つけた。
「グラファイト、インジウム、怪盗三色を見つけたわ。捕まえに行くわよ」
「はあぃ」
「承知しました」
俺に言葉に直ぐに元気になった2人に重力制御と飛行の魔法をかけると、一気に上空に舞い上がった。
+++++
白猫は街中の屋根の上を、軽快な足取りで走っていた。
その両側には、同じように軽い足取りで付いてくる黒犬と赤熊がいた。
今回も仕事がうまくいった事に満足していた。
「うふふふ、これであの王女さんの鼻を明かしてやれたわね。それにしても黒犬の召喚アイテムは効果抜群ね」
「ふふん、まあね」
「なんだ黒犬、白猫が下見の時に召喚のマジック・アイテムを仕込んでくれたおかげだろう」
赤熊は今回出番がなかったので、相当拗ねていた。
まあ、別館から出た時に出会ったあの2人には妙薬が入った弾を投げつけて終わりだったし、部屋の前に居た2人も事前に仕込んでいたマジック・アイテムで眠りこけていたからね。
「まあ、そうとも言うわね。でも、あの石像が動いた時はちょっと驚いたわ」
白猫は部屋の中に罠があると確信していたので、あの女に呼び止められた時にマジック・アイテムを投げ込んでおいたのだ。
部屋の中で隠密モグラが獲物を体内の取り込むと、突然部屋の中の石像が動き出した。
2体のゴーレムは隠密モグラの正確な居場所が分からないらしく、適当に部屋中を破壊していた。
そのあまりにも強烈な攻撃に隠密モグラがやられたのではないかと心配になったが、こちらもあの攻撃の中近寄ることもできず、なんとか逃げだしてくれることを期待するしかなかったのだ。
ようやく戻ってきた隠密モグラは、黒犬に獲物を渡すと契約を終えて消えさった。
「これでまた、隠密モグラを捕まえて契約する必要が出たわね」
黒犬がため息交じりにそう言うと、出番のなかった赤熊が片腕を上げた。
「あははは、なら手伝ってやるぜ。なんたってあの大暴れするゴーレムの中から、無事お宝を盗んで来れるんだからな。もしもの時に大いに役立つ」
「ええ、その時はお願いするわ。それにしてもあんな物まで用意しているとは、あの王女様なかなかやるわね」
そうなのよね。
私の変装を見破る獣人に、赤熊でも簡単にやられそうなゴーレムを2体も用意しているなんて、あの王女さんとんでもないわ。
悔しいけど、本当に雲隠れすることを考えたようがよさそうだわ。
「ええ、あの王女にこれ以上注目されるのは良くないわ」
そう言ったところで、白猫の魔力感知にこちらに猛烈な速度で追いかけてくる輝点が現れた。
「ちょっと2人とも、追っ手が迫っているわ」
「なんだって?」
「信じられないわ。私達の走る速度よりも早いわよ。これじゃ、直ぐに追いつかれてしまうわ。どうする?」
黒犬も自身の魔力感知で確かめたようで、そう聞いてきた。
こんな速度で近づけるのは、相手が空を飛んでいるとしか考えられない。
そこで首を捩じり上空を見上げると、何かがこちらに向けて飛んでくるのが見えた。
「王国に魔法騎士なんて居たかしら?」
「聞いた事が無いぞ。それに魔法騎士といったらアイテールだろう」
赤熊のその指摘に、また白猫の脳裏に嫌な予感がよぎった。
まさか、アイテールまで私達の捕縛に協力しているの?
サン・ケノアノールの禁書庫に忍び込んだ時、書物が消えたら担当者が責任を取らされるだろうとメモを置いてきたのだが、それが大きな災いとなって降りかかってきたのだろうか?
だが、今はそんな事を考えている暇はなかった。
追っ手が既に近くまで迫っているのだ。
「3手に分かれて逃げましょう。落ち合う場所はいつものところで」
私の提案に2人も同意を示してくれた。
「ええ、分かったわ」
「2人とも無事逃げ伸びろよ」
いいねありがとうございます。




