9―29 細工は流々
ジゼルはツンとしびれる鼻の痛みとあふれ出す涙に必死に耐え、逃げていく賊の背中を睨んでいた。
「オーバン、後を追える?」
「無理だ。目も鼻もまるで利かない」
「こんな事なら、ガスバルさん達にも居てもらった方が良かったわね」
「仕方ないさ。こんなに早くやって来るなんて、ユニス様も想定していないだろう」
ジゼルはオーバンのその指摘に、ベッドの上でぐったりしているユニスの姿を思い浮かべた。
「くすっ、確かにそうね」
ジゼルはそれから何とか起き上がれるようになると、賊の仕事が未遂に終わったと確信していたので追いかける事を諦め、報告のためユニスの元に戻ることにした。
+++++
意識が戻ってくるとそこは物音もしない静かな空間だった。
そして目の隅に映る調度品や窓の形から、侯爵に用意してもらった部屋の中だと気が付いた。
重たい体をなんとか起こして周りを見ると、そこには心配そうな顔をしたインジウムの姿があった。
「お姉さまぁ。あまり顔色が良くありませんよぅ」
大丈夫だと言おうとして、喉がカラカラになっていて声が出ないのに気が付いた。
するとどこからともなく現れたグラファイトが、手に水が入ったコップを差し出してきた。
「大姐様、水をお持ちしました」
「ありがとう。気が利くわね」
俺がグラファイトに礼を言うと、グラファイトはにんまりと笑みを浮かべ、それを見たインジウムが睨みつけていた。
カラカラになった喉に飲む冷たい水は、風呂上がりのビールと同じように格別だった。
ここにあおいちゃんが居たら「旨い、もう一杯」と叫んで、きっと冷たい視線を向けられただろう。
水を飲みようやく声が出せるようになったところで、自分がどのくらい寝ていたのか気になってきた。
「今、何時?」
「えっとぉ、もうすぐ日が落ちますねぇ」
なんだって、すると丸1日無駄にしたという事か。
既にガスバル達が酒場で噂を振りまいているので、準備する前に怪盗三色がやってくると非常に拙い。
「2人とも此処に居て、ティアラは大丈夫なの?」
「大姐様、ジゼル殿が見回りをすると言っておられました」
まあ、ジゼルが見てくれているなら心配ないか。
そう思ったところで、部屋の外が何やら騒がしくなっていた。
そして扉が開き、ジゼルとオーバンが入ってきた。
2人の目と鼻は赤くなっていて、服は誰かと揉み合ったのかヨレヨレだった。
2人の奮闘の後を見て、嫌な予感がしてきた。
「ちょっと、2人とも大丈夫なの?」
「ええ、問題ないわ」
ジゼルはそう言ったが、念のため2人に「軽傷治癒」の魔法をかけておいた。
「怪盗三色が現れたわ」
「ユニス様、申し訳ありません。取り逃がしました」
やばい、やられたと思って頭を抱えたが、直ぐにジゼルが訂正してくれた。
「あ、盗られてないから、大丈夫よ」
「ユニス様、ご安心下さい。盗られる前に阻止しました」
どうやら最悪の事態は避けられたようだ。
「ジゼル、ありがとう。それで怪盗三色ってどんな感じだったの?」
「相手は1人よ。館のメイドに化けていて、とてもすばしっこい女だったわ」
うん、1人?
確か王女様に教えてもらった怪盗三色は3人組のはず。
怪盗三色がどうして1人だったのか考えてみた。
罠かもしれない場所に、たった1人で来るものなのか?
いや、待て、その1人は囮で、ジゼルとオーバンの注意を引いているうちに、他の2人によって既に盗まれていたら。
「1人というのは変ね。確か怪盗三色は3人組よ。グラファイト大急ぎでティアラが無事か確かめてきて」
「了解しました」
既に盗まれていたら、もう捕まえるのは無理じゃないか?
あああ、歴史書がぁぁ。
ううっ、あおいちゃんの冷たい視線が見えるようだぁ。
「ねえ、ジゼル。そのメイドに化けた盗賊を魔眼で見たの?」
「ええ、勿論よ」
「それでどんな見た目だった?」
「確か、猫獣人で髪の色が白かったわ」
その特徴にあてはまりそうなのは、あだ名からして「変装の白猫」じゃないのか?
変装が得意な相手なら、もしかしたら下見という可能性はないか?
そう考えたところでグラファイトが戻ってきた。
「大姐様、ティアラは無事でした」
た、助かった。
どうやら下見で間違いないらしい。
俺は連絡蝶の魔法を発動すると、酒場で噂を振りまいているガスバル達に直ぐ戻ってくるように連絡した。
「ジゼル、オーバン、早ければ今夜にでも怪盗三色がやってくるわ。今から交代で警戒に当たるわよ」
「「はい」」
2人への指示を終えると、今度はインジウムとグラファイト連れてティアラが置いてある部屋に入った。
そして中央の台座にちゃんとティアラが設置されているのを自分の目で確かめてから、グラファイトを格子が嵌めてある窓脇に、唯一の扉の横にインジウムを立たせた。
「これからスリープ状態にするけど、部屋の中に何か動きがあったら直ぐに起動して取り押さえるのよ。それから出来るだけ無傷で捕まえてね」
「はあぃ」
「了解しました」
2人が指示を了解したのを確かめてからスリープ状態にした。
だが石像が服を着ているのは不自然に見えたので、灰色のローブを着せてごまかしておいた。
夕食の席で顔を合わせた侯爵は、とても顔色が悪かった。
何か言いたそうな顔をしているが、俺が冷たい視線を投げると黙り込んだ。
まったく、こいつのお陰で危うく怪盗三色に取り逃がすところだったのだ。
少しは反省してもらわないとな。
誰も喋らず時折カトラリーと食器が当たる音だけが聞こえる夕食の席に、流石に拙いと思った侯爵が口を開いた。
「ガーネット卿、昨晩の記憶が無いのだが、その・・・」
とても言いにくそうにしていたので、はっきり分かるように何があったのか教えてやることにした。
「ええ、とても紳士的で無い行動をしておられましたね。さぞかし若い頃は、ブイブイ言わせていたのでしょうね」
「うっ」
侯爵はそれを聞いて、自分が何をしたのか理解したようだった。
「すまない。きっとガーネット卿があまりにも魅力的だったので、その、我慢できなかったのだと思う」
まあ、素直に謝罪しているようだし、細事にかまけて怪盗三色を取り逃がすような事態は絶対避けないといけないからな。
これで勘弁してやるか。
「それで侯爵、今晩から警戒態勢を取りますので、夜食の用意をお願いしますね」
「うむ、任せてもらおう。特別な食事を用意するから、楽しみにしていてくれ」
侯爵は話題が昨晩の事から移ったのを、これ幸いとばかりに飛びついてきた。
「それでガーネット卿怪盗三色が捕まったら、私共も盗られた物を取り返せますかな?」
ああそういえば詳細は聞いていないが、王家から預かっていたとかいうマジック・アイテムを盗まれたらしいな。
転売されてなければいいがな。
「相手が処分していなければ問題ないでしょう」
「うむ、そう願いたいですな」
夕食後作戦本部となる控室に入ると、酒場で夕食を済ませてきたガスバル達も戻ってきていた。
「快気祝いの日まで、警戒態勢を取るわよ」
俺がそういうと、ガスバルがすぐに質問してきた。
「それは、夜も警戒を怠らないという意味ですね?」
「ええ、部屋の中にはインジウムとグラファイトをスリープ状態にしてあるから、万が一は無いと思うけど、こちらが警戒していないと怪しまれるでしょう」
「確かにそうですね」
すると今度はベルグランドが口を開いた。
「女ボス、罠は仕掛けないのですか?」
その目は期待に輝いていた。
無碍に断ってふてくされても困るな。
「ベルグランドが気合を入れて罠を張ったら、怪盗達が諦めて逃げるかもしれないでしょう? ここはオートマタに任せた方が確実よ」
「そうですか」
ベルグランドはちょっと不満そうだったが、俺が褒めた事にはまんざらでもない顔をしていた。
「それじゃあ、ペアはジゼルとオーバンの組とガスバルとベルグランドの組でお願いね」
「あれ、女ボスは?」
「当然、作戦指揮兼遊撃担当よ」
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追っ手を撒いてようやく一安心した白猫は屋根の上で座り込むと、そこで手に持ったアイテムを眺めていた。
獣人用のこのアイテムにあれだけ反応したという事は、王女さんが用意した捕縛人は獣人ではないのかしら?
これは帰って2人と相談した方がよさそうね。
白猫は立ち上がると、隠れ家に向けて走り去った。
「おかえり、白猫」
「白猫、首尾は? まさか、もう仕事が済んだなんて言わないよな?」
白猫はミニバーで白ビールを注ぐと、それを一気に飲み干した。
「ぷは~、ああ、疲れたわ」
「ぷふっ、まさかしくじったの?」
白猫は黒犬のその馬鹿にしたような言い方に、ちょっとカチンときた。
「ちょっと、私を誰だと思っているの? 私が今まで下見に出て失敗したことがある?」
「いや、一度もないな」
赤熊は私の指摘に同意を示してくれた。
「そう0回よ。そして王女が私達を捕まえる事ができると思った要因が分かったわ」
「ほう、それは何だ?」
赤熊が興味を示して尋ねてきた。
「私の変装を見破る女が居たわ。そしてその女と連れの男が獣人並みの動きをするのよ。そして黒犬から渡された妙薬に物凄く反応したから、あれは人間に化けた獣人で間違いないわね」
それを聞いた赤熊が、ものすごく嫌な顔をしていた。
「それは白猫と同じく、変装する能力があるという事なの?」
「世の中には擬態魔法というのがあるでしょう。多分あれね」
「ほう、面白いじゃないか」
黒犬は相手が手ごわい事を理解してくれたようだけど、赤熊はどうやらやる気をだしてしまったようね。
「でも、それならどうして獣人が王国の味方をするのかしら?」
「そうだよな。白猫、人間に協力するなんて、それは奴隷なのか?」
黒犬の疑問に赤熊も同意見のようだったので、あの時の事を思い出していた。
「隷属の首輪はつけていなかったわね」
「ああ、そういえば、獣人牧場が何者かに壊滅させられたという噂を聞いた事があるぞ」
黒犬が初めて聞く話をした。
「ちょっと、私は初めて聞いたわよ」
「当然でしょう。白猫に話したら、戦力差も考えないで突っ込んでいったでしょう」
「うっ」
そこで白猫は黒犬が言いたい事が分かった。
「あの王女が、獣人牧場を壊滅させたと言いたいの?」
「そう考えると辻褄が合うじゃない」
もしそうだとしたらあの2人は王女に恩を感じているはずだし、寝返りを期待するのは無理ね。
「残念だけど、今回は厄介な相手が居るという事になるわね」
「まさか、止めるなんて言わないよな?」
赤熊は私が怖気づいていなか確かめるように、そう聞いてきた。
「まさか、それは無いわ。既に黒犬に頼まれた仕込みは済ませてあるし、問題はないでしょう。私と赤熊で邪魔者を牽制している隙に、黒犬が仕事を済ませるという段取りで行きましょう」
白猫がにっこり微笑むと黒犬も笑みを返した。
「ああ、分かった。侯爵が用意したというティアラを奪ってやろう」
「ええ、お願いね。赤熊も敵のかく乱を頼んだわよ」
「ああ、任せな」
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