9―21 王家の呪い1
青空が見えていた。
雲の流れをぼんやり眺めながら何が起こったのかを思い出そうとしたところで、後頭部を持ちあげられた。
そして頬に柔らかい物が当たると、そのまま押し付けられた。
頭上からはまるで呪文のように俺の名を呼ばれていた。
俺を抱きしめている腕をポンポンと軽く叩くと、それに気が付いて視界が開けた。
そこにはジゼルの泣き顔があった。
「ユニス、ごめんなさい。私が見誤ったばかりに」
そう言うと、ジゼルのオッドアイの瞳から大粒の涙が零れ落ちると、俺の頬に当たった。
そうか俺はあの騎士に切り付けられたんだな。
ジゼルは生れてからずっと奴隷だったせいか自分の感情を表に出すことは殆どなかったので、こんなに取り乱す光景というのはとても珍しかった。
だからしばらく見ていたかったが、流石にこれ以上引き延ばすと後で怒られそうだ。
「ジゼル、私は大丈夫よ」
「本当に?」
そう言って目を擦っていた。
「ええ、切られたところを見たいから、ちょっと手伝ってくれる?」
「うん、分かった」
そしてジゼルに助け起こされると、騎士に切られた胸の部分を確かめてみた。
保護外装が切られていたら、環境に適応できない俺は1時間しか持たないはずだ。
「うん?」
胸の部分には傷跡もなく服も切られた痕跡が無く、それは手で触れてみても明らかだった。
これは常時発動している魔力障壁の効果なのか、金属糸の丈夫さなのかは良く分からないが、どうやら助かったようだ。
あれ、ひょっとして避ける必要も無かったと言う事か?
例えば、剣をそのまま受けて余裕の表情を浮かべながら上から目線で「ぐふふふ、効かんなあ」とか「今、何かしたか?」とか言った方が、良かったのか?
そんな事を考えて居ると、俺が起き上がったのを見たオーバンとガスバルから声を掛けられた。
「ユニス様、ご無事で何よりです」
「おお、やはり無事でしたかガーネット卿、ギルドの討伐難易度がドラゴンより上なのは伊達ではありませんな」
「・・・」
おい、今なんて言った?
この状況で上から目線で高笑いなんかしたら、完全にラスボスだと思われたな。
ガスバルはベルグランドと仲が良いから悪い影響でも受けたか、いや、ガスバルはギルドの基準を言っただけか。
ま、まあ、ジゼルの焦った顔が見られた事だし、これはこれで良かったとしておこう。
目の前では、ガスバルとオーバンが地面に倒れた騎士達を見下ろしながら剣先を突き付けていて、グラファイトは俺に切り付けた団長と副団長の後頭部を掴んで地面に押し付けていた。
その傍ではインジウムが不満そうな顔で佇んでいたが、直ぐに俺の方にやって来た。
「お姉さまぁ、不届き者はやっつけておきましたぁ」
「ああ、ありがとうね」
「はあぃ」
するとジゼルがそっと耳打ちしてきた。
「ユニスが切られた後、黒いオートマタが騎士団を制圧したの」
ああ、成程ね。
それで手柄を取られたインジウムが不満そうな顔をしていたのか。
状況が分かったところで、場の空気に異変を感じたリリアーヌ殿下が馬車から降りてこちらに駆けつけてきた。
「ガーネット卿、何があったのですか?」
俺が口を開こうとすると、グラファイトが押さえつけている男が叫び声を上げた。
「殿下、何故生きておられるのですか?」
王女様が声に反応して騎士団長の方を見ると、手を口元に当てて「あっ」と声を漏らした。
その場で目を見開いて固まっている王女様にベルグランドが近づいて行くと、何やら耳打ちしていた。
こうなった事情を聞かされたのだろう、王女様の顔色がみるみるうちに青ざめていくと体も震えていた。
「エ、エリザルデ、何てことをしたのです。これは国家に対する重大な犯罪行為ですよ」
王女様は慌てて俺の前で跪くと、頭を下げていた。
「ガーネット卿、も、申し訳ございません。この度のご無礼、いかようにお詫びをすればいいのか見当もつきません」
なんか大事になってきたな。
いや、他国要人の暗殺未遂だから大事か。
いや、いや、ある意味戦闘中ともいえるので、それは無いのか?
地方領主がやった事なら王家は勝手にやった事だととぼけられるが、王国騎士団長だとそういう訳にもいかないか。
俺は表向きロヴァル公国の貴族だから、今回の事態は最悪の場合国家間の戦争にまで燃え広がる可能性もあるか。
ジュビエーヌに迷惑はかけられないから、ここは穏便に事を納めないといけないよな。
「リリアーヌ殿下、幸いにも怪我をしておりませんので、事を荒げるつもりはありません」
「え、そ、そうなのですか。それは私共としてもうれしい限りです」
王女様はそう言って立ち上がると、騎士団に命令を発した。
「テラダス副団長、エリザルデ団長を武装解除の上身柄を拘束しなさい」
「はっ」
「それから副団長と数名の騎士には、ガーネット卿の護衛を命じます」
グラファイトからの拘束から解かれた副団長が指示に従い、団長の拘束と俺の護衛をしようと動いたのでそれを手で制した。
「リリアーヌ殿下、私は大丈夫です」
「いえ、ですが、またガーネット卿のお命を狙う不貞の輩が現れるかもしれませんので」
不貞の輩・・・そうか、俺は帝国の冒険者ギルドに討伐難易度が載っているそうだから、この国の冒険者ギルドにも載っている可能性もあるのか。
王都に入った後で襲撃でもされたら、大勢の目もあるし有耶無耶にすることは無理だろうな。
「では、こうしましょう」
そう言って俺とジゼルに擬態魔法を掛けて、人間種に化けた。
化けたのは王都に来た時と同じで俺がリーズ服飾店のルーチェ・ミナーリ、ジゼルがカフェ「プレミアム」のベルタ店長だ。
この流れだとオーバンはビアッジョ・アマディだな。
「これなら人間にしか見えませし、襲撃される事も無いと思います。魔女は目的を果たして帰って行った。私達は公国から王様の見舞いにやって来た使者、という扱いでお願いします」
俺がそう言ってにっこり微笑むと、王女様は目を丸くしていた。
「ガーネット卿が、それでよろしいのでしたら」
「ええ、問題ありません」
そして後ろに控えている運搬用ゴーレムを指さした。
「それよりも騎士団には、捕まえたアラゴン公爵派の軟禁と監視を命令してもらえませんか? 後で、事情聴取をしたいので」
「え、ええ、それは構いません。テラダス副団長、そのように対応なさい」
「はい、畏まりました。それで、殿下の護衛はどう致しますか?」
テラダスのその質問に、ちょっと考えてから王女様は答えた。
「そうね、それでは、王城までの護衛役として数名手配してもらえますか?」
「はい、それでは私が殿下の護衛役を務めさせて頂きます」
護衛の手配とアラゴン公爵派の貴族達の移送準備が整うと、ようやく南門をくぐる事になった。
俺達の隊列は、護衛の騎馬を先頭に王女様の馬車、俺達の乗る馬車そして荷物を積んだ荷馬車の順に王都に入ると、王城までの道筋をのんびり進んでいた。
その間も先頭を進むテラダス副団長が、集まった民衆に「魔女は帰った」「王女様は無事だ」、「王都に平和が戻った」と大声で告げていた。
民衆は副団長の声でほっと胸をなでおろすと、王女様が乗る馬車を見てそれが本当なのか確かめようとしていた。
そして王女様は、馬車の窓から手を振って民衆に応えていた。
王都民は王女様が死んだと知らされていたので、王女様が生きている姿を見て嬉しそうだった。
馬車隊が王城トリシューラの正面までやって来ると、噂を聞きつけた城の使用人達が王女様を出迎える為正面入り口に並んでいた。
王女様はうれし泣きをしている使用人達に、手を振って挨拶していた。
「ガーネット卿、私の後に付いてきてくださいませ」
「はい、分かりました。それとそこのお料理人の方、荷馬車に積んである物は王家への献上品ですから運び込んでおいてくださいね」
それを聞いた王女様が、目を見張った。
「ガーネット卿、そんなに沢山の品を頂いてもよろしいのでしょうか?」
「ええ、元からそのつもりでしたので、受け取っていただけると嬉しいです」
王女様はお礼を言うと、集まっていた使用人に城内への運び込みを命じた。
王女様が生活する王城は、ジュビエーヌが住まう公城とほぼ同じ大きさに見えた。
先頭を歩く王女様はこれぞ王族と言った所作で優雅に歩いているので、せっかくなので俺もその姿を真似て歩くことにした。
そうしないと他人の目には、お上りさんに見えてしまうからな。
通路の両側には、使用人が並び頭を下げてこちらを見ないようにしていた。
先頭を歩く王女様が階段の前で立ち止まると、護衛として付き添っていた騎士達が王女様に一礼していた。
なんだろうと観察していると、王女様が声を掛けてきた。
「ここから先は王族専用区画になるので、此処で護衛騎士とは別れます。あ、ガーネット卿の供回りの方達は同行してもらって構いませんよ」
王族しか入れない場所に、大人数で行くのは遠慮した方が良いかもしれないな。
「皆は、ここで待っていてくれる?」
「私は構わないわ」
ジゼルがそう言うと他のメンバーも同意するように頷くと、グラファイトが持っていた袋の口を開けてこちらに差し出してきた。
俺はその中からダイビンググローブを取り出すと、左手に嵌めた。
「リリアーヌ殿下、此処から先は私だけ同行します」
俺の気遣いに王女様は軽く頭を下げて、感謝の意を示していた。
「それでは供回りの方は、このサロンでお待ちください」
王族専用区画の廊下を歩いて目的の部屋までやって来ると、そこにはメイド長という肩書の中年の女性が待っていた。
先触れが出ていたので慌てた様子もなく、真っすぐ俺の事を見つめてきた。
「お待ちしておりました。陛下は御覧のとおり、もはや生きているのが不思議な状況でございます」
そう言って目頭を押さえると、俺が見えるように脇に寄ってくれた。
ベッドに横たわっていたのはミイラのようにやせ細った老人で、生きているのかどうかも分からない状態に見えた。
これでは、霊木の実を渡しても食べるのは無理だと分かった。
王女様が俺の隣に来ると、不安そうにこちらを見てきた。
「ガーネット卿、このような状態なのですが、大丈夫でしょうか?」
「ええ、試してみます」
王様が眠るベッドの傍に来ると、メイド長が用意してくれた椅子に座った。
王女様やチュイそれにメイド長がこれから起こる事をじっと見守る中、俺はダイビンググローブを嵌めた左手で王様の手首を掴んだ。
そしてゆっくりと魔力を流していく。
魔力を流し込まれた王様の顔は、こけた頬が膨らみ、窪んだ眼窩も元に戻っていった。
禿げあがった頭部に王女様と同じ金色の髪が生えてくると、骨と皮だけだった腕も肉付きが戻ってきた。
ミイラの様だった顔が壮年男性のそれに戻ると、頬にも赤みが差してきた。
その変化におもわず声を上げたのはメイド長だった。
涙声になりながら、久しぶりに見た陛下の顔に喜びの声を上げたのだ。
場の空気が和んできたところで、それは突然現れた。
すっかり元に戻った王様の顔が、突然獣人化したのだ。
それを見た王女様やチュイそれにメイド長は、そのままの状態で固まった。
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