9―18 仕込まれた罠
ルフラント王国騎士団長エリザルデは、王都各門からやって来る連絡兵の報告を聞くにつれ、次第に渋い顔になっていった。
そのどれもが、王都民が脱出するため押し寄せているという内容だったからだ。
「やれやれ、民は我々が全滅覚悟で立て籠もると、本気で思っているようですね」
エリザルデは、呑気そうな口調でそう言った副団長のテラダスに鋭い視線を送った。
「我々に信用が無いのは、魔女を襲撃したのが騎士団だと思われているからだ」
副団長は「はあ」とため息をつくと、ぽつりと呟いた。
「それで団長、どうしますか?」
エリザルデはそう質問してきたテラダス副団長を睨み付けた。
「お前だって、魔女のあの理不尽な要求を聞いただろう?」
「はい、魔女を怒らせた愚か者というのは、我々の事ですよね? あの日、夕食に一服盛られている事に誰も気づかないとは、痛恨の極みです」
悔しそうに語る副団長の顔を見ながら、エリザルデも無念を口にした。
「それだけじゃない。ルジャに行かれた殿下を守りきれなかったのは、騎士団の失態だ」
「しかし、殿下から団長も私も王都から出るなと厳命されてしまいましたし」
「その結果、守るべきお方を失ったのだぞ。これでは何のための騎士団なのだ?」
それを聞いた副団長は、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「まさか、抵抗されるのですか? あれだけ強大だった大帝国も、帝都を焼かれて崩壊したのですよ」
エリザルデはテラダスの言葉に首を横に振った。
「殿下は、王都の民を守るため自ら犠牲になられたのだぞ。我々がその思いを無下にして民を殺したら、冥府に行った時合わせる顔が無いだろう」
「まあ、確かにそうですな。それでは降伏ですか?」
副団長が真剣な顔で尋ねてきたので、エリザルデは自分の首に手刀を当てる仕草をした。
「そうだ。そして魔女が愚か者の首を欲しがっているのだから、この首を差し出すつもりだ」
副団長はエリザルデのその決意を聞き、真面目な顔になった。
「団長、その首1つじゃ魔女が満足しないかもしれません。私も差し出しますよ」
「テラダス、すまないな」
「いえ、冥府に行った時、王都民を守ったと笑顔で殿下に報告しましょうや」
エリザルデはそっと頷いて、テラダスに感謝を示した。
そんな時、当番兵がやって来た。
「団長、アラゴン公爵から呼び出しです」
「そうか、分かった」
「公爵はどうされるのでしょうね?」
テラダスは眉間にしわを寄せて、そっと耳打ちしてきた。
そうなのだ。
魔女が愚か者と思っている中にアラゴン公爵も含まれていると想定すると、素直に降伏するとは思えないのだ。
この呼び出しは、自分が助かるために何かろくでもない事を騎士団にやらせようとしているのではないかと懸念されるのだ。
「問題はそこなんだよな。だが、少しでも分別があれば、降伏を選んでくれると思うんだがなあ」
「やれやれ、面倒な御仁ですね。我々に突撃を命じて、その隙に逃げるんじゃないですか?」
副団長はそう言って肩をすくめた。
「テラダス、陰口は控えろ。いつ何時、公爵の耳に入るとも限らないぞ」
「はい、了解しております」
エリザルデが部屋に入って行くとそこにはアラゴン公爵ではなく、オルネラス子爵が待っていた。
「アラゴン公爵はどちらに?」
エリザルデがそういって周りを見回すと、目の前のオルネラス子爵がムッとした顔になった。
「公爵は居ない。これが公爵からの委任状だ。これから私が話す事は、公爵様の言葉として聞くのだ」
そう言って帯封を解いた書類を広げると、そこには公爵の家紋が押してあった。
「・・・確かに確認させてもらいました」
エリザルデはオルネラス子爵の人を見下したような顔を見て、これから何を言われるのか何となく分かったような気がしてきた。
「俺達が脱出する時、お前達は外に居る魔女とその手下に攻撃を仕掛けるのだ」
どうやらテラダスの言っていた事が当たったようだ。
魔女を襲えなんて、そんな事をしたら怒った魔女が王都を焼いてしまうではないか。
「そのような事は出来ません」
「公爵の命令に従えないというのか?」
「陛下と王都に災いが起こる命令に、従える訳無いでしょう。アラゴン公爵がそのような事を考えているのなら、是非止めさせて頂きます」
エリザルデがそう言うと、オルネラス子爵は眉間にしわを寄せた。
「お前にその権限は無い」
まあ確かに我々には貴族の行動を制限する権限は無いが、今回はそんな事をしなくても丸く収める手立てがあるのだ。
「魔女が罰を下す対象は、我々騎士団でしょう。降伏したとしても関係の無い高貴な方々に類が及ぶ事は無いと考えますが?」
「では、どうしても魔女を攻撃しないというのだな?」
「はい」
エリザルデがはっきりと意思を伝えると、オルネラス子爵は態と聞こえるように舌打ちした。
「まあ、お前が魔女に降伏するのを止めはしないが、我々は出ていくぞ」
「しかし、それでは」
「お前には、我々を止める権限は無いと何度言わせるのだ」
「はい、申し訳ありません」
くそっ、こいつらが魔女を怒らせたら、陛下や王都民にどれだけの被害をもたらす事か。
「それと、我々が外に出る時、王都を出たいという者も外に出すのだ。良いな?」
「しかしそれでは」
「魔女のメッセージは知っている。外に出るなとは言われていないだろう?」
確かにその点のついては言及されていないが、それを見た魔女がどう思うかは分からないだろう。
もし、万が一にも魔女がその行為に不満を抱いたら、残された陛下や王都民に危害が及ぶのだ。
「確かにそうですが、各門の先に魔女達が居るのは、我々を外に出さないためではないでしょうか?」
「それはお前の推測だろう。我々は出ていく、そして出たいという平民も外に出すのだ。良いな?」
「・・・分かりました」
これで会談は終わりだろうと思ったが、オルネラス子爵からは退出を命じられていなかった。
まだ何かあるのかとオルネラス子爵を見ると、そこには何か悪巧みを考えているような顔があった。
「そうそう騎士団長、ルフラント王家の仇敵が誰なのか言ってもらえるかな?」
「それは・・・」
あまりにも予想外の事を言われて一瞬言葉が詰まった。
「なんだ、言えなのか?」
「いえ、最悪の魔女です」
「お前は、その魔女に全面降伏するのだな?」
こいつは何が言いたいのだ?
「我々に選択肢を与えるという、魔女の言葉を信じたいと思います」
「あの魔女がお前の首1つで満足すると思っているのか? もしかしたら陛下の首も求めてくるかもしれないのだぞ?」
「魔女がその気なら、問答無用で王都を焼いたでしょう。私は無関係の者は見逃してくれると確信しています」
エリザルデがそう意見すると、オルネラス子爵の顔にあった薄笑いが濃くなったような気がした。
「そうかもしれんが、確実ではないだろう?」
「はあ」
やけに粘るな。何を考えている?
「良いか、王国の仇敵が態々来てくれるというのだ。目の前に魔女が現れたら、討ち取るチャンスではないのか?」
まさか、俺に暗殺をさせようとしているのか?
「魔女が無防備で、我々の前に現れるとは思えませんが?」
「お前が降伏したのなら、油断して近づいてくるかもしれないぞ」
「しかし」
エリザルデが睨み付けると、オルネラスはふっと頬を緩めた。
「何、絶対にやれと言っている訳ではない。そのチャンスがあればためらうなと言っているだけだ。王家が、王都や王城に侵入者防止の為様々な対策を施したのは、何のためだ?」
「それは、復活した魔女に備えるためです」
オルネラスは、その答えに大いに満足したように口角を上げた。
「お前達騎士団は、何の為に存在しているのだ?」
「王族をお守りする為です」
「なら、王家が枕を高くして眠れるようにするのは、お前の仕事ではないのか?」
確かにそうだが、既にお守りする王族は明日おもしれぬ陛下しかいないのだ。
「それに、リリアーヌ殿下の敵討ちをしたいとは思わないのか?」
その悪魔のような囁きを耳にしたエリザルデは、体に電気が走ったようにビクリと硬直していた。
エリザルデの反応を見て満足したオルネラス子爵は、ようやく退出の許可を出した。
エリザルデは、騎士団に戻る廊下を歩きながら、殿下の事を考えていた。
3人の王子がこの世を去りそれを悲観した陛下も病の床に臥されてしまわれた後、残されたリリアーヌ殿下がたった1人で王国を支えておられた。
王国を揺るがす諸問題にも、政敵であるアラゴン公爵派からの嫌がらせ等にもその小さな体で懸命に耐えておられた。
そんなお姿をお傍近くで目撃していたエリザルデは、殿下のお命は自分が守るのだと固く誓ったのだ。
それなのに自分は何も出来ないまま、殿下は王家の仇敵である魔女に殺されてしまわれた。
そこでオルネラス子爵の、「殿下の仇をとれ」という囁き越えが脳裏に蘇ってきた。
殿下のお姿を思い出す度に、何故殿下は自分を頼ってはくれなかったのかという悔しさと、そんな殿下を無残にも殺害した魔女への怒りが込み上げてきた。
そしてチャンスがあればためらうなという甘い囁きが、どうしても脳裏から離れなかった。
エリザルデはその考えを振り払うように頭を左右に振ると、騎士団に続く扉を開けた。
中では、会談の結果をいち早く聞きたいらしいテラダス副団長が待っていた。
「団長、公爵は何と?」
「ああ、公爵達は脱出するらしい。各門に通達だ」
「はい」
「外に出たい王都民は、貴族達が出る時に一緒に出すようにと」
騎士団への命令を発したというのに、テラダスはまだ部屋を出て行こうとしなかった。
何か問題でもあるのかと顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめるテラダスの顔があった。
「何だ?」
「団長、大丈夫ですかい?」
「どういう意味だ?」
「顔色があまり良くないように見えましたので」
テラダスのその指摘で顔に出ていたのかと不安になったが、態と怒る事で有耶無耶にした。
「馬鹿者、私は問題ない」
「失礼しました」
そう言うとテラダスは、命令実行のため部屋を出て行った。
誰も居なくなった部屋でエリザルデは、腰に帯びた帯剣を引き抜いてその刀身に映る自分の顔を見た。
そこには狂気じみた顔が映っていた。
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