9―11 王女の決断
「どう、魔女の弱点とか分かった?」
リリアーヌの目の前のテーブルには、うず高く古い書籍が積み上げられており、反対側に居るはずのベレンの顔も見えない状態だった。
「殆どは、初代様が魔女を討伐して王国を興したという建国記ですね。初代様がいかに偉大だったかを記述したものが大半です。魔女に関する記述は、極悪非道な性格で誰も信用せず、最後は手下だった獣人王ブリアックまで見捨てたと書いてあります」
極悪非道で、誰も信用しないか。
すると狡猾でずる賢い悪女という私の評価は、全くの的外れでもなかったという事ね。
ちっとも嬉しくないけど。
「それで、魔女の弱点は分かったの?」
「あ、すみません。魔女についての記述は、赤い瞳で耳が長いと書いてあります」
それは弱点じゃなくて、特徴でしょう。
書籍の壁越しに聞こえてきたベレンの返事に肩をすくめると、再び目の前の書籍に目を落とした。
先程から読んでいる書物には、魔女が獣人を従えていた事とか騎士団が勇敢に戦った事等は書かれているのだが、魔女をどうやって倒したかというかという点がすっぽり抜け落ちているのだ。
そして強欲で大帝国の宝を求めてきたとの記述があるのだが、その求めてきた宝が具体的に何なのかは記されていないのだ。
これでは魔女と交渉するこちらの手札が、何もないという事になってしまう。
おかしくない?
百歩譲って魔女の好物が記載されていないのは分かるけど、武勇伝なら討伐した時の状況を大げさに書き記すものじゃないの?
例えば槍術士ルフラントが、魔女の心臓を伝説の槍で貫いたとか。
それなら、こちらにも魔女が恐れる武器があると言えたのに、そんな記述は何処にもないのだ。
「う~ん、武器庫にでも、行ってみようかしら?」
「王家の宝物庫ですか?」
私の独り言にベレンが返事をしていた。
「初代様が使っていた武器や防具が無いかなと思ってね」
「え、でも、殿下には使えないと思いますが?」
「当たり前でしょう。使うのはベレンよ」
私の発言の意味を理解したのか、立ち上がったベレンの顔が引きつっていた。
「えっと殿下、相手があの魔女だとしたら、槍が届く距離まで近づけないと思いますが?」
「そうよね。本当に初代様達は、どうやって魔女を倒したのかしら?」
そしてページをめくると、そこで手が止まった。
そこには高い城壁を持った大きな町の上空に赤色の魔法陣が描かれ、そこから火の玉が町に降り注ぎ、民が逃げ惑っている絵が描かれていた。
説明を読むと、要求を拒否した皇帝を殺害するため帝都ごと焼き滅ぼしたと書かれてあった。
そして魔女がいかに極悪非道であるかを書き立てていたが、リリアーヌはそれよりも1つの都市を消滅させるだけの実力を持っている事に戦慄を覚えていた。
誤解とはいえ、私もあの魔女を怒らせてしまっているのだ。
怒り狂った魔女が、私に報復するために王都ごと焼き滅ぼす光景が脳裏に浮かんでいた。
そんな事を考えていると、図書室に当番兵が入ってきた。
「殿下、王女派の貴族達が面会を求めてやってきました」
早速、昨晩の事件を聞きつけてやってきたようね。
「分かったわ。謁見の間で会うことにします」
+++++
謁見の間に集まった王女派の貴族達は、早朝飛び込んできた重大情報の真意を問うためここに集まっていた。
「それにしても殿下が、公国の賓客に手をかけたというのは本当なのですか?」
「館を焼き討ちにした連中は、銀鎧を纏い紫蝶の旗を掲げていたと聞きましたぞ」
「それは王国騎士団ではないか。では、本当に?」
そこで新参のガジョ男爵が爆弾発言をした。
「賓客の正体が、実はあの最悪の魔女だという噂がありますぞ」
「最悪の魔女だと? それは御伽噺だ。世迷言を言ってどうする?」
「いや、私もその噂を聞いたぞ」
貴族達の何人かが頷くと、噂を聞いたという貴族は話を続けた。
「ロヴァルの女狐が死んだ時、教国と帝国が公国に攻め込んだが、その理由は大公が最悪の魔女だとの疑いがあったからだと聞きましたぞ」
「ほう、それではあの戦狂いのリバデネイラ卿の世迷言が正しかったと言う事ですかな?」
「攻め込んだ大軍があっさり負けたのが魔女のせいなら、確かに納得できますな」
その発言に集まった貴族達が、みな納得したように頷いた。
そこでまたガジョ男爵が、大きな声で懸念を口にした。
「誰か魔女の亡骸を確認しましたか? 御伽噺になる程の魔女がそう簡単に倒されるとは思われません。むしろ、魔女を怒らせただけじゃないのかと思うのですが?」
その発言に貴族達が動揺すると、ガジョ男爵が更に追い打ちをかけた。
「最悪の魔女は、バンダールシア大帝国の皇帝ザカライア・ニール・アラスティア様を殺すためだけに、帝都キュレーネを壊滅させたのですよ。今回の件で魔女が怒っているのだとしたら、この王都も無事で済むとは思えません」
それを聞いた貴族達が我が身に降りかかるかもしれない災難を想像して、会場がざわつき始めた。
「た、確かに、相手が最悪の魔女だったら、この王都も帝都キュレーネの二の舞になる可能性がありますな」
「そうですぞ。赤色魔法には、高い石壁も堅固な城も何の役にも立たないと聞きた事がある」
貴族達が浮足立ったところで、冷静な声がそれを制した。
「だが、その話が真実だという確証はあるのですかな?」
貴族の疑問に、ガジョ男爵は質問で返した。
「焼き討ちにあった現場を見られましたかな?」
「いや、見ておらん」
「焼き討ちされた元タラバンテ伯爵館は、周囲を騎士団に完全包囲され、火をかけられたのです。そんな所から、逃げられる人間がいるでしょうか?」
貴族達は、皆口々にそんな所から逃げられるわけがないと言っていた。
「それなら魔女は焼け死んで、王都が焼かれるという最悪の事態は免れたのではないのか?」
その発言にガジョ男爵はニヤリと口角を上げた。
「そのとおり。そこで殿下に死体を確認なされましたかと伺ってみればよいのです。もし殿下が言い淀まれたら、魔女を取り逃がした事が分かるのではないですかな?」
ガジョ男爵のその発言に、多くの貴族が頷いた。
「その場合、王都に残っていたら殿下の巻き添えですな」
「「「・・・」」」
集まった貴族達は黙って頷いた。
「私は、殿下が今の話を否定なされたら、その足で領地に逃げ帰ろうと思っております。きっと、目ざとい方は既に逃げるための準備を進めていると思いますぞ」
ガジョ男爵がそう言ったところで、当番兵が踵を打ち鳴らした。
「王女殿下の入場です」
その声にざわついていた謁見の間が静かになった。
+++++
謁見の間には、私を支持する王女派の貴族達が集まっていた。
皆の視線を浴びながら謁見の間の玉座に座ると、集まった貴族達を代表して年長のビスカイーノ侯爵が発言の許可を求めてきた。
「殿下、発言の許可を頂きたい」
「許可します」
「殿下が公国の使者を焼き討ちなされたというのは、本当なのでしょうか?」
ビスカイーノ侯爵のその質問は皆が聞きたかった事のようで、皆の視線が一斉に私の口元に集まっていた。
「違います」
私の一言に、貴族達がざわついていた。
「しかし殿下、世間での噂では」
「違います」
こういう時は、多少強引でも余計な事は言わない方が良いのだ。
しんと静まり返った謁見の間で、1人の貴族が発言の許可を得て声を上げた。
「焼き討ちされた賓客の死体は、確かめられたのでしょうか?」
魔女は逃げおおせているのは確実よね。
事実を伝えれば、貴族達は疑念を抱くわよね。
でも、死体を検分したと言えば、公国に死体を返還するとかいう話になりそうね。
私が言い淀んでいると、謁見の間に男が入ってきた。
「大変だ。アルベルタ侯爵が領地に逃げ帰ったぞ」
「な、なんだと」
すると謁見の間に集まった貴族達が浮足立っていた。
「殿下、実は父親の容態が悪いのです。一度領地に戻らせていただきます」
「あ、こら、ずるいぞ。殿下、実は、母親が病に臥せっておりまして。お見舞いに戻らないといけないのです」
集まった貴族達は見え透いた嘘をついて、そそくさと玉座の間から出て行ってしまった。
その行動は、沈みゆく船から逃げ出す鼠のようだ。
何があったのか分からず内心動揺していると、謁見の間に居た当番兵が恐る恐るという形で貴族達の会話を私に教えてくれた。
全く貴族という連中は、生き残るための嗅覚だけは鋭いわね。
そんな私の姿を、心配そうにベレンが見ていた。
「殿下、私は最後まで殿下の傍を離れません」
静かになった玉座の間で玉座から立ち上がると、先程事情を教えてくれた当番兵に命令を伝えた。
「メイド長に、私が陛下のお見舞いに行くと連絡しておいて」
「はっ、畏まりました」
「殿下?」
当番兵が出ていくと、疑問顔のベレンの方を見た。
「大丈夫。私に考えがあるわ」
リリアーヌは心配するベレンを置いて、王城トリシューラの中にある王族専用スペースにある父上の部屋に向かった。
この区画は王族専用のため世話をする使用人以外立ち入り禁止で、ベレンも入ることが出来ずリリアーヌ1人だけだった。
専用区の廊下では、代々の国王の肖像画が出迎えてくれた。
そして父上が眠っている部屋に入り、そこで待っていたメイド長に軽く手を振った。
「陛下の具合はどう?」
メイド長は、目を閉じると首を横に振った。
「お変わりありません」
リリアーヌがベッド傍に置いてある椅子に座ると、父親の顔を見た。
そこには頬がこけ、顔色が悪い老人の顔があった。
体や腕もやせ細り、とても動かせる状態ではなかった。
「お父様、覚えておいでですか? まだ、母上と兄達が健在だった頃、王家の別荘地であるルジャの館に行った時の事を」
そしてしばらくの間思い出話を語りながら、図書室で見つけた帝都キュレーネの最後を考えていた。
魔女の性格が、最悪の魔女という名前にぴったりの極悪非道であることに加え、町を焼き払った前科がある事を加味すると、自分が焼き討ちにあった腹いせに私諸共王都を焼き払う可能性が非常に高かった。
無垢の王都民を、私のせいで犠牲にする訳にはいかないのだ。
そして覚悟が決まった。
私は、父上の細くて折れそうな手を握った。
「お父様、私はこれからルジャの館に参ります。これが最後のお別れになるでしょう。長生きなさってくださいませ」
父上の瞼が微かに動いたような気がした。
椅子から立ち上がると、メイド長がじっと私の事を見つめてきた。
その瞳からは、悲しみの感情が読み取れた。
「陛下をお願いね」
「はい、お任せください」
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