9―10 王女の驚愕
館の扉を抜け父と母、それに3人に兄達が待つ庭に出ると、私の顔に心地良いそよ風が当たり、花の香が鼻腔をくすぐった。
綺麗に手入れされた庭の中央には、テーブルクロスを掛けたテーブルと人数分の椅子が置かれていて、その周りに使用人達が料理や飲み物を入れたワゴンを用意していた。
私達はカトラリーが置かれた席に着くと、早速給仕達が飲み物を用意してくれた。
私の正面には父と母が並び、私の隣にはカリスト兄さまが座っていた。
そして始まった食事は、とても楽しいひと時になった。
私も、目の前に運ばれた料理を一生懸命食べていたが、食が細い私にはその量は多かった。
一向に減らない料理に苦闘していると、隣に座るカリスト兄さまが「リリは、そんなに食べられないだろう」と言って、横合いからフォークを突き刺して奪っていった。
それはまだ家族全員が存命だった頃に、一家で遊びに行った別荘地での光景だった。
リリアーヌがゆっくりと覚醒すると、目尻から涙がこぼれた。
「カリスト兄さま、駄目な私を叱ってくださいませ。そして、俺に任せろと言ってください」
手の甲で涙を拭うと、次第に昨日の光景が脳裏に蘇ってきた。
そうだわ。
私はエラディオからの報告を読んで、気絶してしまったのだ。
そこには最悪の魔女が公式の使者に扮して、陛下への謁見を求めてやってきたと書かれてあったのだ。
最悪の魔女が父上である陛下を殺しに来たと分かっているのに、他国の正式な使者に扮しているため、その行動を拒否することが出来ないのだ。
もし拒否をしたら、王国は他国を尊重しない野蛮国と認定されてしまうだろう。
そんな失態を犯せば、政敵であるアラゴン公爵派が喜び勇んで私が次期王にふさわしくないと、中立派の貴族達に吹聴して回るのは目に見えていた。
このにっちもさっちもいかない状況に追い込まれて、私は気絶してしまったのだ。
最悪の魔女がこんなに狡猾でずる賢い悪女だと分かっていたら、エラディオの動きを事前に止めていたのにと、悔やんでも悔やみきれなかった。
このまま寝たふりをして現実逃避したかったが、扉をノックする音がそれを許してはくれなかった。
私のささやかな願いも聞いてくれないのねとため息をつくと、静かにベッドから起き上がった。
開いた扉からは、ベレンが入ってきた。
「殿下、お目覚めですか」
「ええ、おはよう。ベレン」
ベッドから起き上がると、ベレンの後ろから部屋に入ってきた侍女達が慣れた手付きで朝の身支度を整えていった。
「殿下に急ぎで報告する事がございますが、まずは朝食を先に済ませて下さい」
ベレンのその言いように一抹の不安を感じた。
「その報告は、食欲を無くすような事なのね」
「はい」
「はぁ、分かったわ」
正直食欲は無かったが、ベレンの顔色を見てきっと魔女から催促の連絡でも来たのだろうと察した。
何か言い逃れる案を考える為にも、朝食を食べて少しでも頭の回転を上げようと思い直した。
朝食を終えて執務室に来ると、ベレンが執務机ではなくその前のソファに座るように誘ってきた。
ふかふかのソファに座ると、当番兵がお茶を用意してくれた。
そのお茶を一口飲むと、報告を聞く前にベレンに話しかけた。
「ねえベレン、魔女の訪問を拒否するうまい言い訳ってないかしら?」
「それはこれから報告することを聞いてから、考えて下さい」
普段と違う固い声に驚いてベレンの顔を見ると、そこには真剣な表情が浮かんでいた。
私はごくりと生唾を飲み込むと、ベレンを促すように頷いた。
「殿下、昨夜未明、最悪の魔女が宿泊している元タラバンテ伯爵館が、焼き討ちされました」
リリアーヌは驚愕のあまり、手に持っていたカップを取り落とした。
「え? ええぇぇぇぇ、い、一体誰がそんな暴挙に及んだの?」
思わず怒鳴ってしまった事に気付くと、恥ずかしくなって手を振って謝罪の意を示した。
ベレンは一つ頷くと、報告の続きを始めた。
「現場周辺では、銀鎧を着た騎士風の軍勢が館を取り囲んでいたそうです。そして、その軍勢は紫蝶の旗を持っていたとの事です」
紫蝶は王家の紋章だ。
それを使っているのは、王国騎士団だけなのだ。
そして・・・
「い、一体誰がそんな命令を出したのですか?」
「分かりません」
「え、どういう意味なの?」
王国騎士団に私以外で命令できる人物など居ないのだ。
まさか、父上が?
いや、もはやベッドから起き上がることも出来ない人が、そんな命令を出せるはずがない。
「信頼出来る者を騎士団の宿舎に向かわせましたが、騎士団員は全員死んだように眠っていて、昨晩の記憶が無いそうです」
リリアーヌは、ベレンのその無責任な報告に思わず立ち上がっていた。
「意味が分からないわ」
「殿下、こう考えては如何でしょうか。何者かが騎士団に一服盛り、罪を擦り付けようとしていると」
「そんな・・・」
冷静になるのよ。
リリアーヌは、突然の事態に頭が許容量を超えて混乱していた。
それはこんな状況の中最初に思ったのが、これなら魔女は陛下のお見舞いに来ないだろうという事だったからだ。
私は頭を振ってその考えを振り払ったところで、ようやく最も恐ろしい事実に思い至り、体が震え出した。
「ね、ねえベレン、最悪の魔女はどうなったと思う?」
「それならエンシナルに現場を調査させています。もうそろそろ戻ってくる頃だと思います」
エンシナルは近習の1人だ。
普段は気の良い若者といった感じなのだが、細かい所まで気が付く男なのでこういう時は重宝するのだ。
すると執務室の扉をノックする音が聞こえると、当番兵が入ってきた。
「殿下、エンシナルが戻ってきました」
「直ぐに通して」
執務室に入ってきたエンシナルは、私の姿を認めると一礼してきた。
エンシナルの服が少し煤で汚れているのは、焼け跡を調べていたからだろう。
「殿下、最悪の魔女が宿泊していた元タラバンテ伯爵館を調べてまいりました」
「それで、どうだったの?」
リリアーヌが促すと、エンシナルは手に持ったメモに目を落としてから報告を始めた。
「館は完全に焼け落ちていて、そこに魔女やその随員の痕跡は何一つありませんでした」
タラバンテ伯爵館と言えば、敷地も広く建物も立派で大きかったはずだ。
それが完全に焼け落ちるって、一体何をしたのよ。
そこで、いつも呑気そうな顔でとぼけた事を言う、あの男の顔が思い浮かんだ。
「エラディオはどうなったの?」
リリアーヌのその質問に、エンシナルは視線を落とした。
「何もありませんでした」
それはどういう意味なの?
あまりの大火で骨まで残らなかったとでも言うの?
いや、待つのよ。私。
魔女とその随員の痕跡も無いと言う事は、逃げ出した可能性もあると言う事よね。
そして魔女達はどこに行ったのだろうと考えていると、エンシナルが爆弾発言をした。
「それと殿下がリバデネイラ辺境伯と手を組んで公国に戦を仕掛けるため、公国の賓客を殺害したと噂が広まっております」
「は、はぁぁぁぁ?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、直ぐにベレンが口を挟んできた。
「馬鹿な。噂の元は確かめたのですか?」
エンシナルは報告を邪魔したベレンに一瞬視線を移したが、直ぐに私に視線を戻すと、報告の続きを行った。
「噂は、現場付近の他、酒場や市場等でも広まっており、残念ながら誰が広めているかまでは分かりませんでした」
それにしても昨日今日でもうそんな噂が広がっているなんて、誰かの悪意を感じるわね。
そこで頭の中に、1人の男の顔が浮かんだ。
だが、そこまでやるのかという疑念も同時に覚えた。
仮にも王国の最上位貴族なのだ。
兄達と違い詳しい事は聞かされていないが、最悪の魔女はバンダールシア大帝国を滅ぼした張本人なのだ。
そんな危険な相手を挑発するような愚かな真似をするとは、とても思えなかった。
だが、そんな事はどうでもいい。
今は魔女だ。
「ねえベレン、魔女は滅びたと思う?」
私が僅かな期待を込めてそう質問してみたが、返ってきた答えはそれを否定するものだった。
「痕跡もありませんし御伽噺が本当なら、あの程度で魔女が滅んだとは思えません」
「やっぱり、そうよね。魔女は、あれが私の仕業だと思うわよね?」
私のその指摘に、ベレンの目が見開かれた。
「ねえベレン、エラディオに仲介してもらって、あれは私が命じたものではないと分かってもらえるかしら?」
ベレンはその案に、とても悲しそうな顔で首を横に振った。
「焼き討ちされた館にエラディオの痕跡が無いと言う事は、魔女はエラディオを既に眷属にしていたのでしょう。仮にそうでなかったとしても、殿下に見捨てられたと思って恨んでいるかもしれません。殿下の為に働いてくれるとは、とても思えません」
「やっぱりそうよね」
リリアーヌが深いため息をつくと、ベレンは悲しそうな顔をしていた。
「王城の警備を強化しましょう」
ベレンのその提案は誰でも考え付く対応なのだが、私は最悪の魔女の事をよく知らなかった。
王都にやってきた時の経緯から、狡猾でずる賢い悪女と勝手に思い込んでいるだけかもしれないのだ。
それによって、こちらの対応も変わるだろう。
まずは、魔女の事をもう少し知る必要があった。
「図書室に行きます」
最悪の魔女に関してリリアーヌが教えられたのは、7百年前に王国の前身であるバンダールシア大帝国を滅ぼした張本人という事や、その魔女を初代様達4人が討伐し、新しく4つの国を興したという事くらいだ。
そして事実として知っているのは、魔女討伐の戦利品として持ち帰ったアイテムが呪われていて、王家の人間がその呪いで獣人化してしまうと言う事だけだった。
7百年前に一度倒している相手なら、魔女の弱点とかが書き残されているかもしれない。
それはこちらにとって有利な点になるだろう。
ベレンを後ろに従えて急ぎ足で図書室に向かう私を、城の使用人達は不思議そうな顔をしながら見送っていた。
それはそうよね。
城の使用人達は、私が優雅にそしておしとやかに歩く姿しか見ていないのだ。
王城の使用人は貴族家出身なので、昨晩の事件も直ぐに貴族達の知るところとなりそうね。
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