9-2 帰還報告
人払いをした公城アドゥーグの大公執務室では、ジュビエーヌが弟のクレメントと深刻な表情で見つめ合っていた。
「姉さま、本当にやるのですか?」
「ええ、そのつもりよ」
「危険です。どうして大公である姉さまが、そんな些事を自らの手で行わなければならないのです? そんな事は、近習の者にでも任せておけば良いのです」
「それは駄目よ」
そういうと、ジュビエーヌは弟の顔の前に指を突き出した。
「いい、よく聞きなさい。これは私達の命の関わる重要な案件なのよ。私達の弱みを他人に知られる事は決してあってはならないのです」
「それは分かりますが、それならあの女にやってもらえばいいじゃないですか。そうですよ、それが最も良い方法です。是非そうしましょう」
それを聞いたジュビエーヌは、「はぁ」とため息をついた。
ユニスは今頃ルフラント王国に潜入して、必死になって友人の足取りを探っている事だろう。
そんな相手をこんな些細な事で呼びつけるなんて、出来る訳ないじゃない。
「ユニスは今手が離せないのよ。そんな相手にこのような細事、頼めないでしょう」
「え、でも」
ジュビエーヌはそんな渋るクレメントをスルーして、テーブルの上に木箱を置くと蓋を開けた。
その中には、2つの綺麗な魔宝石が入っていた。
ジュビエーヌはごくりとつばを飲み込むと、その1つに手を伸ばした。
そして手に持った魔宝石を光に当てて眺めた。
魔宝石は美しく輝いていて、これが高級品であることを示していた。
「クレメント、覚悟はいいわね」
そう言ったジュビエーヌの心臓は早鐘を打っていて、魔宝石を持つ手も震えていた。
覚悟を決めて振り返ると、そこには2体のオートマタが直立不動で立っていた。
「それじゃあセレン、口を開けて舌を出して」
「ああ、分かった」
そういうと赤髪のオートマタが舌を出すと、そこにはジュビエーヌの手の中にある魔宝石と同じものが付いていた。
ジュビエーヌは空いている方の手でその魔宝石を取り外すと、直ぐにオートマタの口からあの警告メッセージが流れだした。
それは30分以内に魔宝石を取り付けないと自爆するという警告だ。
「だ、大丈夫よ。30分あるんだから」
クレメントにそう言ったが、実際は自分に言い聞かせた言葉だった。
そして魔宝石を新しい物と持ち替えようとしたが、手が震えて2つとも落としてしまった。
「あ」
「あ、姉さま」
ジュビエーヌは慌てて拾おうとしたが、同じく拾おうとしたクレメントとぶつかって頭を打ってしまった。
頭の中に星が光り目を瞑ってしまったので、床に転がった魔宝石のどちらが新品なのか分からなくなっていた。
「ね、ねえ、クレメント、どっちが新品か分かる?」
「え、姉さま、そんな事分かる訳ないじゃないですか」
「そうよね。どうしましょう」
床に落ちた2つの魔宝石を拾ったが魔女の呪いの影響で、ジュビエーヌにはどちらが新品なのか判別が付かなかった。
そうしている間にもセレンの口から聞こえてくる、タイムアップまでの時間が刻々と近づいていた。
「ね、姉さま、時間がありません」
「わ、分かっているわよ。でも、空の方をセットしたら自爆してしまうわ」
ジュビエーヌがオロオロしていると、クレメントが解決策を思い出してくれた。
「姉さま、そういえばもう1つ新品があったのでは?」
「あ、そうね。すっかり忘れていたわ」
そして急に立ち上がると足が痺れていたため、態勢を崩してテーブルの方に倒れ込んだ。
何とかぶつからないように両手を突き出してテーブルを押さえると、その拍子に魔宝石が入った木箱がテーブルの上から落ちてしまった。
「ね、姉さま、落ち着いてください」
「分かっているわよ」
そうは言ってみたが、自分のドジな行動に腹が立っていた。
そして床に落ちて裏返った木箱を拾うと、そこに魔宝石は無かった。
「あれ、魔宝石が無いわ」
「え?」
「ま、拙いわ。クレメント、そこら辺に魔宝石が転がってないか探して」
「は、はい。分かりました」
そんな2人にセレンの口から容赦なく残り時間が無くなっていることが告げられると、ますます焦りだして正常な判断が出来なくなってきていた。
「ね、姉さま、逃げましょう」
「だ、駄目よ。あと5分じゃ、とても逃げられないわ」
ジュビエーヌは気休めにしかならないが、重厚な机の下にクレメントと一緒に潜り込んだ。
その間もセレンの口からは、あの容赦ない警告メッセージが続いていた。
怖くなったジュビエーヌは、心の中で「ユニス助けて」と叫んでいた。
そんな時、突然執務室の扉が開いた。
何も知らない使用人が入ってきたのなら、巻き込んでしまう。
「誰だか知らないけど、早く逃げて」
思わずそう叫んだが、扉を開けた人物は私の警告を無視して部屋の中に入ってきた。
どうして従ってくれないのよ。
爆発に巻き込まれても知らないわよ。
「警告、あと4分以内に魔法石を取り付けて下さい。時間が経過すると機密保持のため自爆します。繰り返し」
ジュビエーヌの耳に警告メッセージが止まったのが分かったので、そっと机の下から這い出すと、そこには懐かしい姿があった。
「ユニス」
ジュビエーヌが声を掛けると、ユニスはにっこり微笑んでくれた。
+++++
パルラでビアッジョ・アマディの詰問から逃げた俺は、ジゼルを連れてエリアルに向けて飛行していた。
今回のジゼルの救出劇では色々な人に協力してもらったので、こうやって本人を連れてお礼をするのは当然の行為だった。
エリアル上空に到着すると、そのまま公城アドゥーグに向かった。
警備兵は俺の姿を見ると笑顔で行って良いと合図してきたので、俺も笑顔で挨拶を返して城の中に入った。
顔パスで公城に入ったことに、ジゼルが疑問を口にした。
「ねえ、あっさり入っちゃったけど、良かったの?」
「入れたんだから、別にいいんじゃないの」
俺の呑気な返事に、ジゼルは呆れていた。
「全く、ユニスと一緒に居ると、常識とかが分からなくなってくるわね」
「あはは、気にしない、気にしない」
そしてジュビエーヌの執務室までやって来ると、いつもは立っている当番兵が居なかったので不在なのかと思ったが、性能の良い耳にオートマタの警告メッセージが聞こえてきた。
慌てて扉を開けると誰も居ない部屋にセレンとテルルが立っていて、セレンの舌から魔宝石が外されていた。
しかも警告メッセージのタイムリミットが近づいていた。
何でこうなっているのか疑問だったが、今はそれよりもセレンに魔宝石を取り付けることが先決だった。
そんな時、机の向こう側からジュビエーヌの叫び声が聞こえてきたので、なんとなく状況を理解した。
魔力感知で魔宝石を見つけると、それを拾ってセレンの舌に装着した。
直ぐにセレンの瞳に意思が戻った。
「ああ姉貴、魔宝石の交換、感謝します」
すると今度は、セレンを押しのけてテルルが俺の前にやってきた。
「次は私です。お姉様」
テルルがそう言った時、背後からジュビエーヌが俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ユニス」
俺は安心させようと笑顔で返事を返した。
「ジュビエーヌ、もう大丈夫よ」
ジュビエーヌが立ち上がると、その後ろから弟のクレメントが現れた。
「全く、戻っているんなら、さっさと来て交換作業をすればいいじゃないか」
そう不満を言っているクレメントの顔は蒼白で、声も震えていた。
魔宝石の交換作業で、相当怖い目に遭ったようだ。
するとテルルが、じれたような声で催促してきた。
「姉様ぁ、私の魔宝石も早く交換してくださぁい」
「あー、はいはい。ちょっと待ってね」
テルルの交換作業が完了すると、エリアルに来た用事を済ませることにした。
「まあ、それは大変でしたね。ジゼルさんも無事でなによりでした」
「ありがとうございます」
ジゼルはそういって俺の腕を掴んできた。
あの後、廊下に待機していたジゼルを招き入れると、ジュビエーヌが気を利かせて場所を用意してくれたのだ。
目の前のテーブルの上には軽食と飲み物が用意され、報告というよりもちょっとしたお茶会になっていた。
ジュビエーヌは大公に就任してから気軽な旅が出来なくなったようで、俺達の話を「大変ねえ」と言いながらも、何だかうらやましそうな顔で聞いていた。
「実はジゼル救出の件でオルランディ公爵にも借りがあって、公爵からパルラ観光をせがまれているの。ジュビエーヌも良かったら歓迎するわよ」
「え、本当」
ジュビエーヌが嬉しそうな顔でそう言ったが、直ぐに隣に座っていたクレメントが反対してきた。
「姉さま、街道が整備されているとはいえ、パルラは遠いのです。道中何かあるかもしれませんし、だいたい大公が長い間玉座を開ける訳にはいきませんよ」
クレメントのその指摘に、ジュビエーヌが口をとがらせて怒っていた。
「ちょっと、バスラー宰相みたいな事言わないでよ。私だって毎日忙しい思いをしているのだから、ちょっとくらい息抜きしてもいいじゃない」
「そんな事言われましても、そ、それにエルメリンダ侍女長も許してくれないと思いますよ」
何やら不穏な空気が流れてきたので、ここは訂正しておいた方がよさそうだな。
エリアルからパルラまでは132リーグの距離なのだ。
俺の飛行速度は時間当たり40リーグなので、3時間ちょっとで到着だ。
「飛行魔法を使えば1泊2日で遊べるわよ」
俺がそう言うとジュビエーヌとクレメントは、同時に振り返ると口をぽかんと開けて俺を見つめてきた。
その2人の行動があまりにも息ぴったりだったので、思わず笑ってしまった。
それはジゼルも同じだったようで、相手の身分を考えてそれを必死に隠そうと俯いて笑いをかみ殺しているのだが、その肩が震えているのでバレバレだった。
俺はそんなジゼルと、楽しく笑っていられる事に大いに満足していた。
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