8―19 王女の憂鬱
王都フェラトーネにある王城トリシューラの執務室では、第一王女のリリアーヌ・マノン・ルフラントが机の上に積みあがった未決済の書類の山を脇に押しやり、椅子の背にもたれて背筋を伸ばすと、天井を見上げながら「ふぅ」と息を漏らした。
ルフラント王家にはリリアーヌの上に3人の王子が居て、本来であればリリアーヌは他国の王家や国内有力貴族家との婚姻要員であるはずだった。
それが魔女の呪いを発症して兄王子達が次々と亡くなってしまい、気が付けば自分が王位継承第1位に繰り上がっていたのだ。
王子達の死は病死とされたが葬儀が王族のみの密葬で行われた事から、口さがない貴族からは私が毒殺したのではないかと噂を立てられていた。
王家の呪いを事前に聞かされていなかった王妃は、最初の王子が獣人化の呪いを発症した時点で、ショックのあまり亡くなってしまったのだ。
王国では、初代様の時代から最悪の魔女に協力した獣人を人間の敵として討伐してきた歴史があるため、魔女の呪いで王族が突然獣人の姿に変貌してしまうのは、とんだ皮肉でもあった。
リリアーヌの父親であるルフラント国王も、王子達の悲報が続いてすっかり気力を失い、今では寝床から起き上がる事も出来ないくらい衰弱していた。
看病をしているメイド長の話では、食が細くなり日に日に衰えているというのだ。
人間種は食べ物から魔素を摂取しているので、食が細くなるとその影響が体調悪化となって表れた。
残された王族である私は、好むと好まざるとに関わらずこうして政務を押し付けられているのだ。
「殿下、そのようにため息をつかれても、仕事は無くなりませんよ」
リリアーヌは、後ろに控えている護衛騎士を振り向いた。
彼女は私の護衛騎士兼相談相手のベレン・アンブリスだ。
彼女とはもう10年来の知り合いで、気心が知れた間柄だったので、こうして誰も居ない時は素の自分で居られる貴重な存在だった。
「なんで私がこんな責任の重い決断をしなければならないの? 何もかも放り投げて逃げ出したい気分だわ」
「大概の事は宰相閣下が処理してくださりますが、どうしても王族の判断が必要な案件は殿下が決済なされなければなりません」
「分かっていますが、ちょっとくらい休憩してもいいでしょう」
「分かりました」
そう言うとベレンは、当番兵に連絡してお茶を用意してくれた。
執務机の前にあるテーブルに移動してお茶を手に取ると、カップから立ち昇る香りを楽しみながらお茶を頂いた。
「ベレンも一緒にどう?」
「殿下、それよりも宰相閣下から言われている縁談の話は、如何なさるのですか?」
「うぐっ」
3人の王子が居なくなり国王も政務が取れない状況になると、それを待っていたかのようにアラゴン公爵が勢力を広げ、今では次期王は自分だと言って憚らなくなっていた。
そんな国内事情を慮ってか宰相からは、王女派閥の権力強化のためにも、有力貴族の中から夫を迎えるようにと事あるごとに言われているのだ。
そんな事を考えてまた「はぁ」とため息をつくと、今一番の関心事を聞いてみる事にした。
「父上を元気にする薬や食べ物を探しに行った者達は、成果を上げているのかしら?」
ベレンは一瞬考えてから、状況を知らせてくれた。
「海国、教国それにドワーフの国の珍しい食べ物や飲み物を試しましたが駄目でした。エルフの隠里は見つかりません。帝国は皇帝の寿命を延ばす秘薬を見つけたようですが、ルーセンビリカが秘薬の情報を厳重に秘匿しているので、どのような薬なのか皆目見当がつきません」
「帝国との関係が良かったら、聞けたかもしれないわね」
初代様の時代では、生き残った4騎士と言うことも有り4ヶ国の関係は友好的だったが、代を重ねるごとにその関係は冷え込み今では殆ど接触が無い状態だった。
「公国はどうなのです?」
リリアーヌがそう尋ねると、ベレンは少し困った顔になっていた。
「公国と領地を接するリバデネイラ辺境伯が、度々公国領側に侵入しては問題を起こしているので、潜入にかなり苦労しているようです」
「はぁ、公国なら魔素を補給する魔法なんかもありそうなのにねぇ。公国には誰が向かったの?」
「ええっと、確かエラディオです。彼は意外に適応能力が高いので、公国内でも案外うまく立ち回っているかもしれません」
それは希望的観測じゃないの? はぁ、公国は期待薄ね。
今発生している国内問題の大半は、現国王が政務に復帰すれば解消されるはずなのだ。
それには何としても、父上に気力を取り戻してもらわなければならなかった。
そのための妙薬や魔法があるのなら、是が非でも手に入れたかった。
リリアーヌがカップの中のお茶を飲み干したところで、執務室の扉をノックして入って来た当番兵が声を上げた。
「失礼します。王女殿下、アルベルダ侯爵が至急ご報告したい件があるとのことで、面会を求められております」
また新たな問題でしょうか? もうお腹一杯ですよ。
「分かりました。許可します」
そしてやって来た侯爵はかなり慌てたのか、髪が乱れ息も絶え絶えだった。
開祖以来の忠臣であるアルベルダ侯爵のそんな姿を見て、リリアーヌは嫌な予感がして思わず耳を塞ぎたくなっていた。
「はぁ、はぁ、王女殿下、大変です。先程、マランカから急ぎの報告がありました。王家から預かっておりました大切なアイテムが賊に盗まれたようです」
はあ? なんですって。
「それはドーピングのブレスレットの事かしら?」
「はい、左様でございます」
あのマジック・アイテムの呪いの効果が知れ渡ったら、大変な事になるわ。
王家の呪いが知られた時のショックを少しでも緩和しようと、国内の獣人に対する扱いを改善しようとしたのだが、アラゴン公爵とその派閥はそ知らぬふりで、なかなかうまくいっていなかった。
「誰に奪われたのか、分かっているのですか?」
「はぁ、はぁ、今王国を騒がせている怪盗三色と名乗る盗賊です」
怪盗三色?
確か貴族達をからかう愉快犯だと聞きましたが、そんな連中にあれが盗まれたのですか?
まさか今度は王家の秘密が、白日の下に晒されるのですか?
「あれは厳重に保管されていたのではないのですか?」
「相手はマリカ・サンティという条約商人に化けて館に侵入し、油断した館の者達を次々と無力化していったそうです。我が館は、連中によって壁や扉を破壊されました」
「それはお気の毒様」
警備兵に守られた貴族の館に押し入って館を破壊し、警備の者達を無力化するような乱暴な連中を盗賊とは呼びませんよ。
「侯爵、それはアラゴン公爵派の仕業ではないのですか?」
「いえ門の所でも調べましたが、その可能性はなさそうです」
「ドーピングのブレスレットが公爵派の手に渡る危険と、それにより王家の秘密が明るみになる可能性はあるのですか?」
リリアーヌの質問に侯爵は口をへの字に結んでいたが、やがてぽつりと呟いた。
「何事にも絶対という事はありえません」
それを聞いたリリアーヌは深いため息をついた。
とんでもなく拙い問題が発生したからだ。
+++++
俺達の馬車は、街道から少し外れた森の縁で停車していた。
そして俺は切り株の上に腰かけのんびり空を流れる雲を眺めていた。
すると、オーバンがやって来て目の前で跪いた。
「ユニス様、何時まで此処で、こうしているおつもりですか?」
オーバンに指摘されるとおり、俺たちはここに停車したまましばらく動いていなかった。
それというのもマランカの町を脱出した後、他の町に入ろうとすると、決まって門の所で追い返されたからだ。
強引に中に入っても情報収集等出来るはずも無いので、大人しく引き下がっていた。
「ねえ、オーバン。マランカの侯爵館を破壊した事が知れ渡って、もうどこの町にも入れて貰えないようね」
「そのようですね。これでは奴隷商人に関する情報を集めることが出来ません。どうしたら良いのか分かりませんが、何時までもこうしていても埒が明かないのも確かです」
オーバンは困り顔になっているが、俺はここで何も考えず暇つぶしをしている訳ではないのだ。
街道を走っている時に、周囲を魔力感知で調べていたのだ。
そしてこの傍で街道を見張る人物を探知したのだ。
そこは丘の上で、丁度良く街道を見下ろせる場所だった。
一緒に野営した王都の商人セブリアン・アルコルタの話では、この街道には良く獣人の盗賊団が出るらしい。
俺はその盗賊団が獲物を見つけるのに、斥候が街道を見張っていると踏んだのだ。
そして自らが囮になるため、ここで停車しているのだ。
丘の上の反応が2つに分かれると、1つはその場に留まり、もう1つはその場から離れて行った。
よし、仲間を呼びに行ったな。
「オーバン、今日はここで野営をしますよ。それからベルグランドを呼んでくれる」
「はい、分かりました」
やがて口笛を吹いて、のんびりベルグランドがやってきた。
「女ボス、お呼びで?」
「ええ、今晩、盗賊の襲撃があります。連中を捕獲するための罠を、野営地の周囲に作っておいてね」
「え、なんで、そんな事が分かっちゃうので?」
俺はベルグランドの耳元で囁いた。
「いい、絶対視線を向けては駄目よ。あの丘の上に盗賊団の斥候が居るのよ」
「へえ、それじゃ今晩の襲撃は、かなりの規模と言う事ですか?」
「分かっているとは思うけど、情報を聞き出すんだから生け捕りにするのよ」
「分かりました。女ボス、それなら、あの弾を貰えますかい?」
「ええ、いいわよ」
そしてその効果を思い浮かべて、俺とベルグランドは悪い顔で笑いあった。
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