7―15 化粧品セールス
俺は今、グラファイトが走らせている荷馬車の荷台にジゼルと一緒に座っていた。
コルネーリア嬢からの手紙に魔法学校での舞踏会前に戦化粧を持ってきてほしいと書いてあったので、人数分の顔料を大きな樽に入れてきたのだ。
そして令嬢達に渡す時は小分けしないといけないと気付き、そのための容器を準備するのをすっかり忘れていたのだ。
錬成術で作ってしまおうかとも思ったが、作業場所や原料の当てが無かったので、せっかくだから公都で調達してみる事にしたのだ。
そんな訳でダメ元であおいちゃんに連絡蝶で相談したら、大公時代贔屓にしていた商会があるという事だったので、そこに向けて荷馬車を走らせているのだ。
だが、贔屓にしていた商会と言ってもあおいちゃんが演じていた大公は既に死んでいるので、紹介状を書いてもらう訳にもいかなかった。
相手から見たら、こちらはいきなりやって来たうさん臭い客に見えるはずだから、相談に乗ってくれるかは未知数だった。
そんな相手に期待しているのは、あおいちゃんの贔屓先があのロザート商会だったからだ。
確かあの商会のお嬢さんが見学旅行でパルラに来ていたので、顔を見れば分かるだろうとの期待があったからだ。
まあ後はジゼルに見てもらって、腹黒商人だったら直ぐに帰るつもりだけどね。
そしてあおいちゃんに教えてもらった場所にその店はあった。
ただ、商店としてはあまり活気がないというか、入口も閉まっているし、これ本当に営業しているのだろうかと不安になってきた。
それでもグラファイトに入口を開けてもらい中に入ると、そこは薄暗い売り場で商品を置く台にはどれも埃除けの布が掛けられていた。
誰も居ないのかと思ったが、店の奥から何やら言い争っている声が聞こえてきたので、声が聞こえる方に歩いて行くと、次第にその声が鮮明になった。
「お父さん、こんなに沢山仕入れちゃって一体どうするのよ」
「ダラム商業組合の入札に参加するためには、どうしても必要だったんだ。それに魔素水や甘味大根の粉末を売るには、丁度良い大きさだろう」
「でも、負けたじゃない。こんな売れない在庫を抱えて、一体どうするのよ」
ああ予測を外して発注品が大量に売れ残るというのは、俺もやった事があるな。
あの時のやっちまった感や不良在庫の山を前にしてこれどうすんだ感は、半端ないんだよなぁ。
すると何かが壁に当たる音が聞こえると、その何かが足元に転がって来た。
それは手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさの容器だった。
そしてその大きさは、顔料を入れるのに丁度良さそうだった。
俺はその容器を手に持ったまま、店の人が居ると思われる部屋の前まで来ていた。
「仕方がないだろう。情報屋に聞いたら落札は間違いないと言われたんだ」
「その情報屋だって、バリゴッツィ商会からの差し金だって噂があるじゃない。それに借りたお金だってどうやって返すのよ」
「それは、もう少し商売を拡大すれば」
「先代様がお亡くなりになってから、売り上げは落ちる一方じゃない。使用人だって給金を払えずに殆ど辞めてもらったのよ」
なんだか不味い時に来てしまったような気がするが、いや、むしろ好都合か。
グラファイトに軽く頷くと、一歩前に出て扉を開けてくれた。
すると中で言い争っていた2人の姿が露になり、娘の顔もはっきり分かった。
そして突然の闖入者に驚いた父親は、それまで娘に詰られていた気弱そうな男から豹変して威嚇するように声を荒げた。
「誰だ、お前は?」
すると今度は驚きの表情のまま固まっていた娘の方が再起動した。
「へ、辺境伯様」
どうやら相手も俺の事を覚えていたようだ。
「アレッシアさん、久ぶりね」
するとそれまで怒りの表情を浮かべていた父親は、娘の言葉に今度は真っ青になり、不味い事態になったと慌てて頭を下げてきた。
「し、しし、失礼しました。辺境伯様、こんな所に一体何用でございますか?」
突然の闖入者に困惑している2人に来訪の目的を告げた。
「商談に来ました」
「え、商談ですか?」
2人は言われた意味が分からなかったらしく呆けた顔をしていたので、俺は手に持った先ほど拾った容器を掲げて見せた。
「ええ、この容器の件で」
2人はますます訳が分からないといった顔になっていたので、戦化粧の小分け作業について説明していった。
俺の説明を聞いた2人は真剣な表情で何か考え込んでいたので、その隙にジゼルに魔眼で見てもらった。
ジゼルは魔眼で見た結果を頷きで返してくれた。
どうやら合格らしい。
これなら話を進めても問題はなさそうだ。
「えっと、その顔料を入れた樽はどれくらいあるのですか?」
「1バレル用の樽で12本あります」
それを聞いた2人が大きく目を見開いた。
「それをこの容器に小分けすると、1樽あたり約千6百個になりますよ。そんな人手ありませんが?」
「とりあえず必要なのは、サンプルだから各種2、3個あれば良いのです」
するとアレッシアは俺が何をしたいのか分かったようで、パチンと指を鳴らした。
「成程、それを魔法学校儀礼科の令嬢達に配るのですね? それで好評なら公都で販売すると?」
「ええ、そのつもりです」
「分かりました。どのみち売れ残っているのでその程度なら提供しましょう」
「ありがとうございます」
そういうと早速サンプル用に小分けしていった。
そしてそのサンプルを持って魔法学校に向かう荷馬車の中には、アレッシアも同行していた。
荷馬車なので当然スプリング等の贅沢装備は無いので、路面からの衝撃がそのまま尻に伝わってきた。
「まさか辺境伯様が荷馬車に乗っているなんて、思ってもみませんでした」
「私用の馬車は大きいから、街中を走るには向いてないのよ。それに今回の目的はこれだしね」
そう言って荷馬車の中にある樽を顎で示した。
「そうでしたね」
しばらく荷馬車に揺られていると、ようやくエリアル魔法学校に到着した。
学校では剣技科の学生だと思われる集団が練習をしているので、今日は休校日ではなさそうだ。
「そういえば、今日学校を休んでいたのですか?」
「えっと商会に問題があったので」
そういうとアレッシアは「えへへ」と罰が悪そうに額の汗を拭っていた。
荷馬車をグラファイトに任せると、顔料のサンプルを持って儀礼科の生徒達がいるサロンに向かった。
幸いサロンにはコルネーリア嬢達が居て、俺を見かけると声をかけてくれた。
「ガーネット様、ジゼルさん、お久しぶりでございます」
俺はそんな令嬢達に手に持った品を掲げて見せた。
「ご注文の品を持ってきましたよ」
令嬢達は、テーブルの上に広げられた12種類の顔料をじっと見つめていた。
その瞳は期待でキラキラと輝いていた。
「これはサンプルです。皆さん、好きなように使ってください」
「「わあ」」
令嬢達は俺の合図で一斉にサンプルに手を伸ばすと、俺とジゼルの顔を見比べながら、どの色が自分には合いそうなのか比べているようだった。
そして好き勝手に顔料を掬い取り手鏡で顔を見ながらメイクしては、生活魔法の1つ「洗浄」で顔を元に戻すと再び別の色を試していた。
若い令嬢達がキャッキャウフフしながら化粧をしている姿は、とても微笑ましかった。
暫く試した後ようやく満足すると、今度は友人達との間で互いに品評し始めていた。
貴族令嬢達のその光景をじっと見つめていたアレッシア・ロザートも、これなら売れると確信しているようだった。
「ほっほっ、ここはいつ来ても華やかじゃのう」
その声に振り返ると、そこにはフェデリーコ・タスカ学校長がいた。
「学校が騒がしいと思ったらガーネット卿の仕業でしたか」
その言い方だと、俺が騒動を起こしているように聞こえるぞ。
「あら、以前来た時は、学校長に招かれたからですよ。それにあの箱の中からあんな化け物が出てきて、迷惑をかけられたのは私の方だと思いますが?」
「いや、これは失礼したの。別に嫌味を言ったわけではないのじゃ。彼女達から舞踏会の招待状が来たじゃろう。当日は恐れ多くも大公陛下も見学に来られるそうでの。ちと、警備が厳しくなるのじゃ」
ああ、VIPが来るとそうなるよな。
「そこでこれじゃ」
そういうと学校長は、俺に1つのブレスレットを手渡してきた。
「これは?」
「当日の通行証じゃ。警備担当者が携帯する警備用マジック・アイテムに反応するんじゃよ。ガーネット卿は何かと騒動に巻き込まれるからの。これで一安心じゃ」
だからその言い方だと、俺がトラブルメーカーに聞こえるだろう。
ちょっと睨んでみたが学校長は既に俺の事はスルーして、サロンの中で姦しくしている令嬢達を眺めていた。
「それにしてもこれだけ華やかな場所でも、ガーネット卿は目立ちますなぁ。大人の色香というか、あの雛達とは比べ物にならんのう」
「あら、そんな雛を遠くから眺めて喜んでいるのは知っているのですよ」
そう言ったのは、いつの間にか後ろに来ていたコルネーリア嬢達だった。
「そうですよ、学校長。私達が気が付いていないとでも思っていたのですか?」
そう令嬢達に指摘されると、流石の学校長も分が悪いと思ったようだ。
「それじゃガーネット卿、当日は楽しみにしておりますぞ」
そういうと令嬢達の視線から逃れるように出て行った。
「それでガーネット様、これはどうやったら手に入れられるのですか?」
コルネーリア嬢達はサンプル品に満足したようだが、俺は舞踏会で奥様方にこの顔料が不評だったのを思い出した。
「コルネーリア様、これが貴女の母親に見つかると不味い事になりませんか?」
「私のお茶会で使う分には問題ありませんわ」
そう言ったコルネーリア嬢は、とても良い笑顔をしていた。




