6―21 女男爵
建国祭初日、列の末席に座っているアージア・スクウィッツアートは、男ばかりの会場に圧倒されて椅子の中で小さくなっていた。
長い公国の歴史の中で女が貴族家当主になったのは、今回のアージアが初めてだったのだ。
それでも男ばかりの社会でそれ程注目を集めなかったのは、私よりももっと目立つ人物が居たためだ。
スクウィッツアート男爵領には、人々に害を及ぼす瘴気を発する悪魔の山が存在している。
そしてその危険地帯に人々が立ち入らないように監視する任務を初代陛下に命じられ、代々その命令を守って来たのだ。
それが先のロヴァル騒動において王家に命に従い、父親や兄弟が出陣して行ったのだが、誰も帰って来なかった。
生き残った兵の話では、バルバリ丘陵でアイテール軍と戦闘となり、不利な状況の中奮戦したが最後は敵軍に飲み込まれてしまったそうだ。
そこで発生した問題が、スクウィッツアート男爵家の血を引く者が私だけになってしまった事だ。
次代の男爵家を継ぐべき男子が居ないのだ。
するとそれを待っていたかのように、隣領のアリッキ伯爵から私に妾になれと言ってきたのだ。
これは体のいい我が男爵領の併呑だ。
伯爵の日頃の言動から、男爵家のお役目に興味は無いのは明白だった。
初代様に命じられた大切なお役目を守るためにも、男爵家の存続が必要だった。
そこで少しでも男爵家と血の繋がりがある他の貴族家に、養子の申し入れをしたのだが感触が良くなかったのだ。
それはアリッキ伯爵が、裏から手を回していたためだと後で分かった。
このままでは本当に併呑されてしまうと思い、最後の手段として私が女男爵となる申請を公国に行ったのだ。
普通に考えれば私の申請は却下されるのだが、不思議な事にそれが通ったのだ。
その通知を行ってきた貴族局の役人が漏らした話では、女辺境伯という前例が出来てしまった以上、女男爵を認めるしかないだろうとの事だった。
陛下による祭事が終わった後、他の貴族が談話室で親睦を深める中、殆ど知り合いがいない私は居心地が悪く直ぐに出てきてしまった。
そして公都の男爵館に戻ろうとしたところで、たまたまその辺境伯様の姿を見かけたのだ。
思わず馬車を止めると感謝の意を伝えようと挨拶をしたのだが、どうしてもお礼がしたくて晩餐に招待してしまったのだ。
突然の招待に面食らった辺境伯様は、ちょっと困った顔で「考えておきます」と言ってきた。
まあ、それはそうだろう。いきなり初対面の相手に誘われたのだから。
建国祭2日目の恩賞授与式が始まり、最後に最大の功労者である辺境伯様の順番になった。
儀典官がまるで吟遊詩人が物語を紡ぐように読み上げた内容は、とても信じられないものだった。
それと同時に、辺境伯様が悪魔の山の瘴気を払う事が出来る高位魔法使いなのではないか、という期待を持ったのだ。
前に瘴気を払う力があると思われた31代様に、その事をお願いしようと祖父が宰相に申し入れたが、「陛下がそのような場所に足を運ぶ事は無い」とけんもほろろだったと聞いていた。
昨日はあまり気の良い返事はもらえなかったが、それでもはっきりと断られた訳ではなかったので、招待状を出すことにしたのだ。
辺境伯様は公都に館が無く陛下の恩情で公城に滞在しているというので、そちらに手紙を持った使用人を向かわせた。
貴族達が大公のペットと蔑むのも、陛下のこのような厚遇が原因なのかもしれなかった。
そして建国祭3日目の舞踏会で、陛下が会場に来られた事が告げられると、齢17歳という若い陛下とその後ろにはあの辺境伯様が居た。
陛下はその瞼と眉毛の間がほんのりと朱を帯び、唇も鮮やかな赤色をしていて、それが赤色のドレスに合っていた。
そして陛下に付き従っている辺境伯様の方は、淡い青色だった。
公国の女性達に求められる美しさとは、より白くだ。
それなのに今の陛下や辺境伯は真逆だった。
だが、よく見るとそれは顔の形をより一層引き立てていて、とても美しく見えた。
それは周りの若い令嬢達も目ざとく理解したようで、令嬢同士で盛んにそのことを話し合っていた。
舞踏会が始まると辺境伯様にダンスを申し込もうとする男達が一斉に動き出していたが、シュレンドルフ侯爵がそんな男達から辺境伯様を守っていた。
その中には私が避けているアリッキ伯爵も居た。
それでもダンスに誘おうとする男達が諦めないと分かると、侯爵が辺境伯様を誘ってダンスホールに出て行った。
人間でも厳しい訓練をしないと踊れないのだが、エルフである辺境伯が踊れるのかと思ってみていると、意外と言っては失礼だがまあまあの踊りだった。
すると周囲で踊っていた人達が次々と踊りを止め、辺境伯様達に場所を譲り始めていた。
そして周りの夫人達が皆一斉にエルフが踊るという珍しい光景を目にして、それを話題に盛り上がっていた。
私もそれに見とれていたので、アリッキ伯爵が近づいてくるのに気が付かなかった。
「これは、これは、スクウィッツアート女男爵じゃないですか。まさか、私が男爵家の行く末を心配してこれ以上無いという好条件の提案をしたというのに、それを蹴って私の顔に泥を塗るとは思いませんでしたな」
「そ、それは・・・」
「いや、いや、私も別に鬼ではないのですよ。私の援助が不要というのなら、ご自分の力だけで領地を運営してみればいいのです。まあ、他の領主達がどのような態度に出るかは知りませんがね」
そう言って顔は笑っているが、目は笑っていなかった。
自分で近領の領主に圧力をかけておきながら、それをいいますか。
伯爵からの提案を蹴って私自らが当主になったので、何らかの嫌がらせをしてくるだろうとは思っていた。
そして隣接する領地でアリッキ伯爵家が一番大きいため、地域におけるアリッキ伯爵の発言力は強い。
そして比較的交流のある隣領の当主に挨拶すると、ちょっと困った顔付きになりながら、私の領との交流を断つようにとアリッキ伯爵から圧力を受けていると教えてくれた。
スクウィッツアート男爵家は土地が痩せているので、作物の育ちが悪く、隣領から不足分を購入しているのだが、それが出来なくなりそうだった。
新しく購入先を探そうにも、交流が殆ど無い相手だと足元を見られてしまう。
何とか工夫してやりくりしながら、アリッキ伯爵の圧力に屈しない領主や商人を見つけて交渉するしかなかったが、そんな相手はいるのだろうか?
私がアリッキ伯爵の圧力に俯いていると、後ろから明るい女性の声が聞こえてきた。
「見つけましたよ。スクウィッツアート女男爵様、先日申し出があった件で少しお話があります。えっと、アリッキ伯爵でしたか、ちょっと男爵をお借りしますね」
振り向くとそこには辺境伯様が立っていた。
そしてアリッキ伯爵を軽くいなすと、私を窮地から救ってくれた。
私がお礼を言うと、ちょっと心配そうな顔になり、相談に乗りますよと言ってくれたのだ。
その一言でどれだけ救われたか、私は泣きそうになったが、当主が泣いてはいけないのでぐっと我慢すると、それでも領民の事を思い窮状を吐露していた。
辺境伯様は私の話に驚いたようだが、それでも黙って聞いてくれた。
遠い領地の当主にこんな話をしても仕方がないのだが、話始めると止まらなかった。
今までの苦労とアリッキ伯爵への不満をぶちまけてしまったのだ。
すると辺境伯様はにっこり微笑み、何とかなると思いますよと答えてくれたのだ。
そして辺境伯様は、私の招待にも応じてくれた。
この辺境伯様を自身の社交に招こうと、貴族達が躍起になっているのは聞いていた。
だから私の誘いなんか軽く流されてしまうと思っていたのに、こんな幸運があるのかと頬を抓りたい衝動に駆られていた。




