6―10 アドゥーグ入城
アドゥーグの料理長は、役人からの通達を恭しく拝聴していた。
それによると陛下が待ち望んでいるあのエルフが、3日後に公城に到着するというのだ。
門閥貴族の間で「大公のペット」と公然と陰口を叩かれているエルフを、公都滞在中この城で受け入れる事になったそうだ。
そして俺は、そのエルフに食事を用意する責任者となったのだ。
「料理長、エルフの好みなんて分かるのですか?」
「俺が知る訳ないだろうが」
「エルフって妖精種ですよね。魔素を吸収出来れば食べなくても生きていけるんですかねぇ?」
「だから俺は知らん」
「妖精は美人だって聞きましたが、本当ですかねえ?」
「ああ、噂じゃあ、妖精種は男も女も美しいそうだ」
「楽しみですねえ。俺、ちょっと期待しているんです」
妖精種というのは顔だけで体付きはさっぱりだという事を知っていたが、若者の楽しみを奪う事もないだろうと黙っていた。
それにエルフがいかに美人でも、俺はジャンパオロが描いたアニスの方が好みなのだ。
最初にアニスに出会ったのは、とある露店で姿見を見た時だ。
その余りの美しさに衝撃を受け暫くその絵をじっと見つめていると、店主がそっと耳打ちして来たのだ。
「旦那、気に入ったんですかい? それならもっといい物がありますぜ」
「もっといい物?」
「春画でさ、旦那」
それを聞いた途端、思わず店主に肩を掴んでいた。
「是非、見せてくれ」
そしてこっそり見せて貰った春画を見た途端、俺は言い値で金を払っていた。
唯一残念だったのは、そこに描かれているアニスが空想上の人物だという事だ。
あの春画を見た男は、裏のサインを見て必ず公都中の娼館を訪ね歩きアニスを探すのだ。
そして公都の娼館を全て周り、アニスが何処にも居ないという残酷な事実を知り、皆天を仰いで慟哭するのだ。
それはそうだろう、容姿も体形も完璧な女性なんて女神様位なもんだ。
俺も給金を使い果たした代償にその事実を知ったのだ。
そして楽しそうに妄想している見習いの頭を軽く小突くと、今晩の仕込みに取り掛かった。
エルフが何を食うか知らないが、なに、到着した所を一目見ればいいのだ。
なんたって俺は長年の経験で、客の顔を見ただけでだいたいの味の好みが分かるのだから。
結局、エルフの好みが分からなかった俺は、料理長として食事を提供する相手を見るため城の入口で出迎える事にした。
そこにはエルメリンダ侍女長とその配下の女性達の他に、珍獣を一目見ようと野次馬が沢山集まっていて皆興奮気味に噂話をしていた。
「おい、エルフってのは、どんな外見をしてるんだ?」
「なんでも見た目は若いって誰かが言っていたぞ」
「見た目はそうらしいが、貴族家出身のメイドの話だと、物凄く冷酷で、性格最悪らしいぞ」
「うへぇ、という事は、ちょっとでも気に障るような事をしたら罵られるのか?」
「いや、足で踏まれるんじゃないのか?」
「お前達、間違っても試そうとするんじゃないぞ」
俺は野次馬の噂話を聞きながら、陛下がそんな最低なエルフを気に掛ける訳無いだろうと思っていた。
やがて正門の方から騎馬の足音と、その他に何だか重たい物が路面を叩くような音が聞えてきた。
俺は仕事柄、見栄っ張りな貴族達が乗る豪華な馬車を何度も見ていた。
それは8頭馬車だったり、贅を尽くした豪華な装飾だったりしたのだが、見えてきた馬車は全く趣が違うのだ。
装飾等無駄と言わんばかりの無骨な箱形をしており、大きさは普通の馬車の倍もあった。
それを恐ろしい形相をした2頭のゴーレム馬が引いているのだ。
馬車が止まり、馭者台から降りてきた黄色髪のメイドが扉を開けると、そこから金色の髪を靡かせた女性が降りてきた。
そこにはあの追い求めても手が届かなかった、あのアニスが居たのだ。
確かに瞳の色が紫ではなく黄色で耳が長いという違いはあるのだが、それ以外はアニスそっくりだった。
体の線がはっきりと分かる薄い布の服に足がモロ出しになった姿を見て、俺は春画のあられもない姿をしたアニスを思い出してしまい、股間を押さえて前屈みになっていた。
同じ反応をした男が数名居たので、そいつらもアニスの春画を見た事があるのが直ぐに分かった。
そんな情けない姿になった俺達に、エルメリンダ侍女長の冷たい視線が突き刺さった。
その瞳は「その情けない姿を今すぐ止めなさい」といっているのが分かるのだが、姿勢を正すと股間が膨らんでいるのがばれてしまうので、更に非難されそうだった。
畜生、どうすればいいんだよ。
その恥ずかしい姿を見た若いメイド達が声を出さずに笑っていたが、直ぐに侍女長に一睨みされていた。
そんな怖いもの知らずな侍女長は、目の前の冷酷と言われるエルフにも苦言を呈したのだ。
「ガーネット様、そのような恰好で公城に入るのはお控え下さい」
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公城の正面に停車した馬車から降りて行くと、そこでは沢山の人達が出迎えてくれていた。
その中心で背筋をピンと伸ばした威厳たっぷりの老齢の女性が、俺が現れた途端、前屈みになった数名の男性に鋭い視線を投げていた。
確か地下牢で見かけたその女性は、侍女長と名乗っていたはずだ。
その侍女長の視線が次第にこちらに向けられると、まるでレーザービームで射抜かれたような気がしてきた。
「ガーネット様、そのような恰好で公城に入るのはお控え下さい」
うっ、そう言えば、あおいちゃんから城に入るときは服装に気を付けるようにと言われていたんだっけ。
今の俺の姿は馬車内で楽をするためTシャツに短パンだった。
慌てて馬車に戻ると踝まであるローブを頭から被った。
これで体の線も見えないし、俺がエルフだというのも分からないだろう。
そしてジゼルにおかしなところを直して貰ってから馬車をでると、先程の老齢の女性がペコリと一礼してきた。
「ご無沙汰いたしております、ガーネット様。場内のご案内は私がさせて頂きます」
「ええ、よろしくお願いしますね。エルメリンダ侍女長」
侍女長に案内されて城の中に入って行こうとすると、出迎えてくれていた人達の視線が追ってきたが、その視線にはどことなく落胆が含まれているようだった。
そして出迎えの列の中から「言葉攻めにして」とか「その脚で踏んで」とか言うおかしな声が聞えてくるが、その度に侍女長の鋭い視線を浴びて沈黙していた。
頭からローブを被り胡散臭い恰好となった俺とジゼルが公城内を歩いているというのに、侍女長が先頭を歩いているせいか、公城内ですれ違う人達は俺達の胡散臭い恰好にも眉を顰める事もなく一旦立ち止まると、こちらに軽く会釈してくれた。
公城1階は政務を行うフロアになっており、あちこちの部屋で政務を執り行う役人たちが忙しそうに働いていた。
侍女長はそんな喧噪等意に返さず真っ直ぐ奥まで進んでいくと、上階に上がる階段が見えてきた。
侍女長は階段の前で一旦立ち止まると、俺がついて来ている事を確かめるためこちらを振り返ってから2階に上がっていった。
公城の2階は大公、つまりジュビエーヌの執務室と他に来客用の部屋もあるようだ。
エルメリンダの歩みが止まると、そこには扉があった。
「ガーネット様、こちらの部屋をお使い下さい。御付きの方達は」
「あ、ジゼルと私は同じベッドを使うので一緒でいいですよ」
俺が何気なくそう言うと、侍女長はとても怪訝そうな顔をしていた。
女同士で同衾しているのかと誤解されているようだが、気にしない事にしよう。
部屋は続き部屋になっていて、手前が居間で奥が寝室のようだ。
ジュビエーヌに持って来たお土産は侍女長に渡して、インジウム達にチェスト類を運び込んでもらった。
居間で寛いでいると扉をノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
そう言って入って来たのは見覚えがあるメイドだった。
「陛下付きメイドのマーラです。地下牢では助けて頂きましてありがとうございました。陛下が夕食をご一緒したいと申しております」
「マーラさんもお元気そうでなによりです。それじゃあ、ちょっと着替えるから待ってもらえますか、あ、それと招待されたのは私だけですか?」
「いえ、ジゼルさんもご一緒にどうぞ」
俺はマーラさんのその回答に笑みで返すと、インジウム達が持って来たチェストの中から晩餐に着ていく服を選ぶことにした。
「ジゼル、ドレスを買っていて良かったでしょう?」
「そうね」
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