第94話 やうやう
春はあけぼのとはよく言ったものだ。だんだん白くなっていく山際が、少し明るくなり紫がかった雲が細くたなびいている。今日から剣術稽古のランクが一つあがってしまい、今までのお遊びのようにはいかなくなってしう。先輩の元につき指導を受けないといけないのだ。そうすることで、先輩は後輩への指導というものを学び、後輩は次年度からの騎士団から派遣されてきた騎士からの指導をうける予備段階となるらしい。そんな制度もいとをかし。ではない。もうずっと今までのお遊びのような訓練でいいじゃあないか。
だが、しかし、俺はまだ慌てる時間ではないのである。俺は青髪のリーズさんと約束をしていたのである。彼女の下に入れば、お兄様の好物を教えたりするだけで訓練は優しいものにしてくれるとのこと。また一年お気楽に剣術稽古に臨むことがでできるということである。
「それでは、誰の元で学ぶかを決めろ」
騎士団から派遣された教官の合図とともに2年目の俺たちは各々が師事する先輩の元へと向かう。
先輩の数と俺達2年目の数は同数ではあるが、俺たちは先輩1人に対して何人でも師事していいみたいである。余った先輩は、後輩が多く集まった先輩のサブにつくということらしい。
基本的にみんな向上心が高いのでリーズさんの元には集まらなそうである。仮にリーズさんの元に集まったとしても俺を特別扱いして、簡単な練習メニューにしてくれることだろう。
俺は迷わずリーズさんの元へと向かった。
「リーズさん、よろしくお願いしますね」
たしかに言いましたよね。楽な訓練メニューでお願いしますよ。俺は無言の圧を放った。
「ジークフリート様もよろしくお願いします」
ヨハネス様の情報、よろしくお願いします。そんな声がどこからか聞こえてくるような気がした。
俺は差し出された手を握り、硬い握手をした。
「エドガエル君も私のもとで習いたいんですか?」
横を見るとエドガエル君が頷いている。
『いいの?』
エドガエル君の剣術のレベルは高いので、もっと己を高められる先輩の下へ行ってもいい気がする。俺に付き合わせていいのだろうか。
『ジークと一緒がいい』
嬉しいことを言ってくれる。王族であるミカエルを見ると、取り巻きの二人と一緒に先輩の下へと行っている。1人につき1人というわけでもないのだろう。みんな仲のいいもので固まっている。
それに、エドガエル君ほどの腕があれば、誰の先輩の下で変わらないのではないだろうか。俺は1人で納得する。
「それでは、これから1年は、下級生は来年の本格的な稽古へむけて訓練に取り組むように。上級生は、将来の幹部候補であるという自覚をもって指導にあたるように頑張りなさい。そして、指導生がいない上級生は、他のもののサポートにまわるように!!」
教官はそれだけ伝えると、遠い場所で稽古している3年目以降の生徒のところへと向かっていく。
「やれやれ、私の下へは誰も来なかったか。リーズ、お前の補佐をしてやるよ」
しれっとリーズさんの横に赤髪のクインさんが現れた。
「えっ!! いや、リーズさんだけで大丈夫なんで、他の先輩をサポートしてあげてください」
俺は抗議の声をあげる。見るからに脳筋そうなかんじのするクインさんは、よく分からない稽古とかさせられそうで嫌すぎるんだが。【スライムスレイヤー】と子供たちから恐れられているのだ。サイコパスなトレーニングを強いてくるのではないだろうか。
「なんだ私を除け者にしようとしているのか?」
指の骨を鳴らしながら威嚇してくる。
「リーズさん、約束が違うんじゃあないんですか?」
「大丈夫です。ジークフリート様。訓練メニューはメインで選ばれた私が考案します。あくまで、クインはそのサポートをするだけですので」
「本当ですか? まぁ、それならいいですけど………それで、今日から何をするのですか?」
「そうですね。お二人は魔法の素養があるみたいなので、身体強化の魔法を鍛えることから始めるというのは如何でしょうか? もう、身体強化の魔法は扱えたりしますか?」
「いや、使ったことはないですね」
エドガエル君も首を横に振る。
「そうですか。でも、身体強化の魔法は無属性魔法になりますので、属性魔法を扱うことができるのであればきっと使う事ができるようになると思いますよ。私がこの剣術稽古についていけているのも、この身体強化のおかげですからね」
「なるほど。魔法使いには必須の能力ということですか」
「いえ、そうでもないですね。身体強化を使いながら属性魔法を使うという、2種類の魔法を同時に発動するのは非常に難しいので、魔法使いを目指すなら自分に合った属性魔法を鍛えた方がいいと思いますね。しかし、剣士を目指すもので魔法の素養があるのであれば、必須の能力ともいえるのではないでしょうか」
なるほど。そういえば2種類の魔法を同時に使ったことがなかったが、どうなるのだろうか。普通は詠唱をしないといけないので、2種類を同時に発動するのは難しいし、リーズさんの話からすると1つの魔法を維持しながらもう1つの魔法を発動するのは難易度が高いということらしい。
「それで、どのようにすれば身体強化を使えるようになるんですか?」
「まずは魔力を体内で循環させるトレーニングですね。そのあと、強化したい部位に魔力を移動させます。私は腕の筋力と足の筋力に8割集中させながら、間接にも残りの魔力を纏わせます。それができれば、後は強化の詠唱を唱えます。【القوة التي تملأ جسدك】と、それでは魔力を循環させてみましょうか」
リーズさんは魔力の出し方やその魔力を体内に留めて循環する方法を教えてくれた。
俺は魔力の操作は上手にできるので、体内での魔力を循環させることなど造作もないことである。リーズさんの説明を聞かずとも、さらには、無属性魔法だけはわけの分からない妖精や精霊などの力を借りなくても使うことができるのだ。
「流石は王族です。魔力の循環がもうできているようですね。エドガエル君はまだ出来ていないようですけど、大丈夫!! エドガエル君もエルフの血が流れていますからね。トレーニングすればすぐに魔力の循環ができるようになりますよ」
しまった。魔力の循環ができないことにすれば、その訓練をずっとし続けることができたということか。ぐぬぬ、エドガエル君上手いことやったな。できないふりをすることによって、簡単なトレーニングからやっていくってことか。
「それではジークフリート様は次の訓練をしましょう。ついて来てください。エドガエル君はそのまま魔力の循環の訓練をしておいてください」
『一緒に行きたい!!』
エドガエル君は俺の耳にエルフの言葉で伝えて来る。人族の言葉は聞き取りはできても、話すことはまだままならないようである。俺と一緒に行きたいのであれば、魔力の循環をできないふりをしなければいいだけなのではと思ったが、たしかにエドガエル君は今まで魔法を使ったことがない。本当にまだ魔力を扱えないのかもしれない。
俺と一緒にいたいだなんて、疑ってすまない、エドガエル君。
「エドガエル君も一緒に行ってもいいですか? 魔力の循環はどこでもできますし、次の訓練メニューを一緒に説明してもらった方が手間が省けますし」
「……たしかにそうですね。では一緒について来てください」
俺達はリーズさんの後ろについて行く。その後ろにはしっかりとクインさんもついて来ている。向かった先は訓練場の外にある木の下であった。
「次は、自分に合った身体強化の配分を身につけてもらいます。こればっかりは、人によって違うので繰り返し配分を変えながら試していかなければなりません。どこに何割の魔力を込めるか、そして詠唱のタイミング……クイン、木に衝撃をあたえて」
クインさんが、木に掌底をあてると、葉っぱが十数枚はらりと落ちて来る。
そして、リーズさんの目線の高さまで落ちてきたところで、【القوة التي تملأ جسدك】と詠唱を口にすると、腰に差した木刀を重さを感じさせない速さで振り回して、再び腰に差し直した。
「すべての配分を自分に合うようにできれば、このようなことも可能になります」
リーズさんは地面に落ちた葉っぱを拾い集め俺に渡した。見るとすべての葉が2つに斬られていた。
なんかすごい華麗な剣であった。速さに特化させた剣という感じである。
「ジークフリート様もやってみますか?」
「まぁ、はい」
ここで成功させていくと、次へ、次へと訓練の難易度が上がっていき。しまいには岩を持って走れとか訳の分からない練習メニューになっていってしまうのではないだろうか。
ここは適度にしておかねばなるまい。
俺は言われたように、腕と足に8割の魔力を纏わせて、関節部分に2割の魔力を纏わせる。
俺が魔力を身体に纏わせたのを見て、リーズさんが号令をかける。そしてそれに呼応して、クインさんが木に衝撃を与える。
葉っぱがひらりひらりと数十枚と落ちて来る。
俺は腰に差した木刀を抜いて葉っぱを切ろうとすると、手から木刀がすっぽ抜けて遠くに木刀が飛んでいってしまった。
皆が俺の飛ばした木刀の方を見ている。
「魔力の配分を間違っているようですね。手にも魔力を配分しないといけないですよ」
「いやいや、リーズよ。今、ジークフリート様は詠唱も忘れていたぞ」
「………まぁ、詠唱をしていたとしても、今の配分では同じような結果にはなっていたでしょう」
詠唱は大丈夫なはずである。俺は無属性魔法を詠唱なく使うことができたことがある。しかし、この身体強化はなかなかに難しいのではないだろうか。今までは物を浮かすことくらいにしか無属性魔法を使ったことがなかった気がする。
適度に成功しておこうと思っていた自分が恥ずかしくなってしまう。これは魔力の配分を見つけるのに結構苦労してしまう予感がする。
俺が呆然と立っていると、クインさんが飛んでいった木刀を拾ってきてくれた。
「ちなみに私は身体強化が使えない。が、さっきリーズがやったことを私もできる。リーズ、頼む!」
「……はいはい」
リーズさんが木を揺らす。すると、さっきと同じように葉が十数枚落ちて来る。
それを手に持った木刀で豪快に3振りする。
地面に落ちた葉っぱを見れば、全て切られている。中には葉脈に沿ってばらばらになっている葉もあった。
「ふふ、どうだ……私に教わればこのようなことも魔力なしで可能になるぞ」
くっ、なんでこんなにどや顔がいらいらするんだ。
すぐにでもこの訓練を達成させたいと思わせられてしまうが、俺は首をふる。
危ない。そんなことをすれば、次のメニューに移行してしまう。当分はこのメニューで訓練しておきたいところである。結構楽そうなメニューではあるからな。最低でも2か月はこの訓練をしていきたいところである。
そんなことを思っているとエドガエル君が木の前に立つ。
「エドガエル君もやってみますか? 身体強化なしでは、まだ難しいと思いますけど」
「ふっ、私も全て切れるようになったのは最近だからな、でも、その心意気やよしだ。魔力が扱えなくて困ったなら、私の弟子にしてやるぞ」
クインさん、誰も弟子に来なかったからって、エドガエル君を弟子にする木満々だな。
リーズさんはクインさんの時と同じように木を揺らす。
ひらり、ひらりと葉っぱが落ちて来る。
その時、エドガエル君の身体がぶるっと震えた。
あれは、まさか。脳内麻薬【エンドルフィン】をきめているじゃあないか。
腰に差した木刀をリーズさん以上の速さと華麗さで振りまわす。
「………」
「………」
「………」
落ちた葉っぱはリーズさんと同じようにすべて真っ二つに斬られている。
な、なんて恐ろしい剣技。
「えっ? 魔力が見えなかったんだけど…… 詠唱もしていなかったような…… えっ? 身体強化なしで、この速さを……」
リーズさんが驚きの声を上げる。
魔力でなく脳内麻薬をキメちゃってるんですよね。エドガエル君は。
あれ、てことは身体強化を覚えたらさらに、その先へいっちゃうってこと?まさしく『スピードの向こう側』ってやつへ!!
「待て!! リーズの葉っぱと、今の葉っぱ、この切れ込みの違いが分かるか?………そうだ!! どうやら気付いたようだな。リーズの切った葉っぱは全て葉脈に沿って縦に真っ二つになっているのに対して、エドガエルの葉っぱは不規則に真っ二つになっている。まだまだ精進が足りないということだな。はっはっはっはっは」
そんなことまでリーズさんはやっていたのか。身体強化恐るべし。………しかしですよ。果たしてエドガエル君はそれができなかったのだろうか。ただ単純にそんなことを言われていなかったのでしなかっただけではないだろうか。
少しまだ冷える晴天にクインさんの笑い声がぎこちなく響くのもまたをかしである。




