第75話 待遇
奴隷の名前はニコルといい、年齢は21歳だということが、シーガーさんからもらった契約書を読むと分かる。奴隷身分は自分で自分を購入することによって、市民の身分へと戻すこともできるらしい。その金額は俺の購入金額の1,5倍の金貨6枚ということだ。金貨6枚で証文と引き換えに自分自身を買い戻すことができるらしい。
やる気を出させるために奴隷に給金を与えるのも、けちって与えないのも所有者次第らしい。
それだと、給金を与えない所有者の場合、一生奴隷ということになってしまうんじゃあないだろうか。
奴隷にとって自分の所有者はガチャみたいなものか。まぁ、俺の場合、長く漫画の字を書いていってもらわねばならないので、なんとかして奴隷じゃなくなっても、辞めずに続けて貰わなければならない。
諸々の手続きを済ませて、ニコルを連れてトキワ亭へと戻ってくる。
「今日はついて来てくれて、ありがとうございました」
「今日は暇だったからな。良いってことよ。俺を使うとなると本来は高ぇんだがな。坊主には借りがあるからな、このくらいのことならいつでも声をかけてくれ」
今日はっていうか、いつも暇そうだがな。
「助かります。あ、そうだ。1階の部屋にはベッドがないから、2階の部屋の1つから、ベッドを運ぶのを手伝ってもらえますか? 食事1回分御馳走しますよ」
「おいおい、いきなり、おっぱじめようっていうのか?」
「………? ち、違いますよ。そんなことはしませんよ」
いきなりのことで何を言ってるのかすぐに理解できなかったが、本人がいる前で、このおっさんはなんてデリカシーのない発言をするのだろうか。
「まあいい。ベッドくらい運んでやろう。食事3回分はどうだ?」
「それなら、2階にいるオーボエ君やオスカーさん達に頼みますよ」
「ちっ、仕方がない。食事一回分で手をうってやろう」
「今日ついて来てもらったし、美味しいデザートもつけますよ」
「デザートねぇ」
俺は誰も使っていない部屋の場所を教えると、俺の手伝いはいらないと言って、一人で2階へと上がっていき、ベッドを一人で軽々と担いで降りてきた。
何という膂力。腐っても名のある冒険者ということか。
「どこに置けばいいんだ?」
俺は1階にある老夫婦が住んでいた部屋へと運んでもらう。設置が完了した後、ガードナーさんは自分の部屋へと戻っていった。
「それじゃあ、ひとまず自己紹介からで。僕の名前はグリフィス。ここの【トキワ亭】のオーナーだ」
ニコルは吃驚した表情を見せる。多分ガードナーさんが自分の所有者だと思っていた可能性がある。
「君には主に文字を書くという仕事をしてもらうことになる」
ニコルの顔は困惑している。宿屋のような場所に連れてこられて、その業務が文字を書くというものであることに理解が及ばないのかもしれない。
「あとはこのトキワ亭の掃除と、上に住んでいる者達への料理の提供などをしてくれればありがたい。ただこの2つは出来ればでいいので、主な仕事は先ほどいった文字を書くというものになる。そして給金の方だが………1カ月で銀貨10枚とする。住む場所は、この部屋を自由に使ってくれていいし、皆に提供した料理を多めに作った分を自分で食べても大丈夫だ。頑張りによっては給金を増やすこともあると思うので、この条件で頑張ってもらいたい」
貰ったお金を全部貯めても、自分を買い戻すのに6年近くかかってしまう計算である。とんでもないブラック企業といえるが、そこは奴隷なので仕方がないというしかない。
ニコルはいまいち理解していないのか、首をかしげている。口もパクパクと動いているが、喉がやられているのか、掠れた呼吸音しか聞こえてこない。必死に書くものを求めているかのように手を動かしている。喋る事ができないとのことなので、理解したかどうかを尋ねるにはペンと紙を渡さなくてはならないのだけれど、いちいち面倒くさい。
そこで俺は駄目もとで治せるかどうか試してみることにした。
「ここに座ってください」
俺はベッドを指さす。俺よりニコルは身長が高いから、座ってもらわなければ、喉に魔法をかけることができない。
ニコルはびくりと体を強張らせたが、恐る恐るベッドへと歩を進める。
ガードナーさんが余計なことを言ったから警戒されているな。まだ子供だというのに悲しいかぎりである。
ニコルがベッドに座ったので、喉の近くに手を翳そうとする。
少しニコルは後ろに避けようとしたので「そのままでお願いします」と動きを制止する。
何か諦めたようにニコルは両目を閉じる。
【聖なる癒し】
俺が魔法を発動させると手から光が発せられる。
「ふう。久しぶりに使ったな。それでさっきの条件で大丈夫ですか?」
俺はニコルに尋ねる。
ニコルは両目を開けて、ペンを走らせるジェスチャーをする。
「もう喉は治っていると思いますので、喋ってみてもらってもいいですか?」
「…えっ? あっ!! えっ! 声が……出てる……えっ!! 何で?!」
「喉はさっき治療しましたので、これからは筆談をする必要はありません。それで、さっきの条件で大丈夫ですか?」
納得いかなくて、脱走とか自害されたら大損だからな。ある程度は納得してもらわないといけない。
「えっ、あっ、はい………大丈夫……です……」
呆然としている様子ではあるが、どうやら条件に不平不満はないようである。これで漫画の文字に関しては大丈夫だな。
その後に、俺はニコルに具体的にどこにどのような字を書けばいいのかを説明して自宅へと戻ることにした。
「どちらに、行かれるのですか?」
「今日はもう自宅に帰るよ。あっ、当面の生活費が必要ですね。前払いで給金をお渡ししておきます。これで少しの間は食べ物を購入しておいてください。2階にいる人達への料理等は当分気にしないでいいです。まだ、皆には伝えていませんので」
俺は銀貨10枚ほどを渡す。
「料理をしていただける場合は食材費を支給しますので、言ってください。では、また明日来ますので。ニコルさんも環境が変わって戸惑っていることでしょう。今日はゆっくり休んでください」
「はぁ」
俺は自宅へと戻り、残されたニコルさんは呆然と立ち尽くしていた。




