第72話 トキワ工房
「工房だって? そんな簡単に作れるものではないぞ。仕事だって実績がなければ取ることはできないんだぞ。子供の遊びじゃないんだ」
赤髪の青年はもっともなことを言って、他のものも頷く。
「たしかに、既存の壁画の仕事やインテリアなんかの仕事をとることは難しいでしょうが、僕の工房でする絵の仕事は全く新しいものなので、競合する工房がありません。それゆえに売れば必ず儲かるブルーオーシャンな市場が広がっているのです。その市場では皆さんの絵の才能があれば成功を掴むこと間違いなしです。特にアリトマさんの絵柄は僕の考える仕事と非常に相性がいいと思います」
「絵の仕事で、今までとは違うものって何なの? 私には想像がつかないわ」
「私の絵が売れる?! そんな市場があるんですか?」
「そうですね。説明するよりまずは実物を見てもらった方がいいでしょう」
俺は皆にそれぞれ同じ5枚の紙を手渡した。ラズエルデ先生を通じて手に入れた新しい紙である。そこには、俺の読んだことのある人気のバトル漫画の戦闘シーンを描いてある。それほど上手いわけではないが、漫画の概念が伝わる程度には下手な絵ではない。
1つは俺が描いたものだが、残りの4つは【転写魔法】で写し取ったものである。
「これは絵本……ではないわね」
「文字より絵の方が多いな………」
フローリアさんと赤髪の青年は、絵本のようなものと思ったのだろう。1枚目を読み終わると、2枚目、3枚目と紙をめくっていく。
「これは試験時に描いていた悪魔ですね。この指から出ているものは何ですか?」
オスカーさんが内容についての質問をする。
「それはエネルギー波のようなものですね。それで相手を攻撃しています」
「魔法とはまた別なんですか?」
そういえばこの世界には魔法が存在するから、エネルギー波というのは逆にわかりづらいのかもしれない。
「そうですね。架空の攻撃方法ですね。この話は本来終盤の一部を切り取ったバトルシーンですので、途中で攻撃方法などの説明もするところもあります。ですから、最初から読むともっと分かりやすくなると思います」
「この話を俺達が描くっていうのか? というか、これが本当に売れるのか?」
赤髪の青年は懐疑的な様子である。
「いえ、この話は誰かに描いてもらいますが、この話は1人に任せるつもりです。基本的に一人で一作品を描いてもらうことになります。そして、この5ページだけでは分からないとは思いますけど、僕は売れると確信しています」
漫画の面白さは全世界共通のものである。たとえそれが異世界であったとしても同じことだろう。
「だけど、こんな物語を作ることは私には難しそうだわ」
「そこは大丈夫です。僕が物語を考えますので、それに基づいて絵を描いていただければ報酬をお支払いします」
考えるといっても、前世の知識があるの、読んだことのある漫画を話せばいいだけである。ネタは無数に存在するのだ。これだと俺が楽しめないのだが、最初はそれで仕方がない。オリジナル作品は徐々に描いていってもらうしかない。
「ちなみに報酬はどのくらいを貰えるのですか?」
オスカーさんは眼鏡を光らせながら尋ねた。
「2週間に一度このようなものを25ページ描いてもらいます。月に50ページですね。ただ描けばいいというわけではありません。下絵段階で一度僕がチェックをして、その後修正箇所をちゃんと修正していただきます。それをこなしていただければ月に税引き後で銀貨30枚をお支払いします。そして、作品の売り上げの10%が銀貨30枚を超えれば、そちらが報酬になります」
「つまり最低でも銀貨30枚で、もし仮に自分の作品が売れればそれに応じて報酬がもらえるということですか?」
「そうですね」
「そんなに?!」
「おいおい、どこからそんなお金が出てくるんだ?」
銀貨30枚は、だいたい30万円くらいの価値だが、この王都で暮らしていくには十分なお金である。フローリアさんと赤髪の青年が驚くのも無理はない。
「こう見えてもお金にはそこそこ余裕がありますし、なにより、この漫画というものが売れることを確信していますから。言い忘れましたが、慣れてきて時間に余裕が出てくれば僕の言う物語以外に自分独自のオリジナル作品を描いてもらっても構いません。そちらも売り上げに応じて報酬を支払います。物語が考えつかないのであれば、誰か知り合いに物語を考えてもらって報酬を折半にするなど、いろいろと方法はありますので、チャレンジしてみるのもいいかもしれません」
フローリアさんのゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「しかし、全てはこれが売れたらの話だろう」
赤髪の青年はまだ半信半疑の顔をしている。
「大丈夫です。今は僕を信じてくださいとしか言うことはできませんが………早速ですが、この作品を描いてくれる人はいないでしょうか? 描いていただけるのであれば、トキワ工房で雇うことが決定します」
アリトマさん以外の3人はお互いに顔を見回す。
「あ、あの、この作品、私にやらせてもらってもいいですか?」
5枚の原稿を手渡してから、ずっと無言だったアリトマさんが最初に手を挙げる。
「もちろんです。是非お願いします」
「私の絵に価値があるって言ってくれたこと、この絵を見てずっと考えていたんです。たしかに、この空想のキャラクターならば、自分の絵柄にあっているんじゃないかって」
「そうですね。アリトマさんの絵はこの漫画というジャンルにおいて、適度にデフォルメされているのが功を奏すと思います。それに何より私の絵の価値を認めてくれた君にかけてみようと思います。よろしくお願いします」
俺は鞄の中から銀貨を30枚取り出す。
「先払いで銀貨を30枚お支払いします。仕事場も用意してあるので、後ほど案内します」
「何もしていないのに、先にお金をいただけるのですか?」
「そうですね。最初なので特別です」
「ありがとうございます。助かります」
「わ、私もするわ」
「お、俺も」
「私ももう一度あなたを信じることにしましょう」
俺が銀貨を即座に手渡したのを見て、他の3人も名乗りを上げる。オスカーさんの台詞だと一度俺が信頼を裏切ったみたいな感じだが、けっしてそんなことはない。濡れ衣である。
俺は3人にも銀貨30枚ずつ手渡していく。
「ちょうど料理が届いたようですね。食べながら3人にも描いて欲しい物語を話していきたいと思います。食べ終わった後は仕事場へと案内します」
俺は頼んでおいたフルーツジュースを手に取り、それぞれの元には先ほど頼んでおいた料理が届く。
「私は頼んでいないんですが………」
そういえばオスカーさんだけ、まだ頼んでいなかったな。




