第2話 兄様がご乱心ですよ
「今日はいいところに連れて行ってあげるよ」
そう言って、兄のヨハンはゆりかごから俺を抱え上げて、俺を寝室から連れ出してくれた。もしかすると兄は以心伝心と言うやつで俺が外に出てみたいと思っているのを悟ってくれたのかもしれない。イケメンな上になんて優しい兄であろうか。
そして俺は兄に抱かれたまま辺りを注意深く観察した。寝室から出た廊下は長く、部屋数もかなりあるのが分かる。そして玄関はかなり大きなものだった。
そして玄関を出た時にチラリと見えた自分の住んでいる家は3階建のかなり大きな洋風の屋敷である事が分かった。そこには庭があり、少し間隔を空けて同じような建物がいくつかあった。
ここは高級住宅街か?
そんな疑問を抱きつつ、さらに辺りを見回すと近くには大きな宮殿のような造りの建物すらあったのだ。
「おんぎゃー?」
何だあれ? と言うつもりで喋ったが、俺の発声器官はまだ未発達なために喋る事はできない。
兄は俺が泣き出すと思ったのか、俺の体をゆっくり揺する。
俺が黙ると、兄は揺するのをやめて再び歩き出した。
そして少しすると兄は誰かと喋っているようだった。鎧を着た兵士のような恰好をした2人が兄の前に立っていた。そして、その向こうには門があった。
「ちょっと近くの森に行きたいんだ」
「いや、それはダメです」
「ヨハン様、危険すぎます。それにジーク様もなんてありえません」
「大丈夫だって。そんな深くは入らないから」
「せめて護衛をつけてください」
「それは、いいよ。ちょっと行って帰ってくるだけだから。それに何かあったら僕の魔法で対処できるから」
「いえ、それでも……」
「なんだい。僕には外に出る自由もないの? それに僕に護衛なんて必要ないでしょ」
「いや……そういうわけでは……ジーク様に万が一があれば……」
「大丈夫だって。もし何かあっても君達の責任にはしないから信用してよ。ここで僕を見逃してくれれば見返りは大きいと思うよ」
「はぁ……どうする?」
「ヨハン様がそうおっしゃるのなら……」
何やら兄は2人を説得して外出権を勝ち取ったようだ。会話からするとやはり俺と兄は高貴な身分で間違いないようである。さらに兄は8才という若さでありながら大人にかなり信頼?されているようだ。
そして、何より驚いたのは魔法というワードである。どうやらこの世界には魔法が存在しているようである。兄が使えるという事は自分にも使う事ができるのであろうか。今から楽しみで仕方がない。
門を出てさらに少し歩いたところに木々が乱立している場所があった。森であろうか。
兄はスタスタと躊躇なく森の中に入って行く。魔法があるという事はセットで魔物なんてものも存在するのであろうか。さっきの兵士が危険という事を言っていたので、何かしらの脅威があるのだろう。山賊か、盗賊か……
しかし、兄はそんな事はお構いなく平然と歩みを進める。
少し行くとすっぽりと丸く木々のない場所があった。
「この辺でいいか」
兄はそう呟くと、俺を地面へと下ろした。そしておもむろに地面に何かを描いているような音が聞こえてくる。しかし俺の視界は空だけを捉えており、兄が何をやっているか見る事はできなかった。
「よしっ」
満足気な声を発し、兄は俺を抱え上げて、少し移動した場所に俺を下ろし、少し離れる。
俺はここに取り残されてしまうのかという不安で叫び声をあげる。
「おん、おんぎゃー」
「泣かないで。どこにも行ったりしないから」
兄は俺に近づき、抱き上げて揺する。俺は安心して黙った。
「えらいね。流石は僕の弟だ」
このイケメンの兄にそんな事を言われれば落ち着いて黙っていようと決心する。兄上、もう泣き叫びませぬぞ。
俺は再びその場に下ろされ、兄は少し距離を取る。
「〇〇〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇〇〇〇 …………」
兄は何かを唱え始める。この世界の言葉だと思われるが、今までに聞いたことがない単語のオンパレードで何と言っているかさっぱり分からない。そして長い長い呪文のような言葉を唱え終えると、おもむろに腰から下げた袋から何かを取り出した。
俺は必死にそれが何か見るために首をおこそうとする。そしてちらっと見えたところによると、それはウサギだった。
ウサギなど取り出して何をしようと言うのか……
そして、兄はウサギの耳を左手で掴み、右手の人差し指をウサギに向けた。
「〇〇」
一言何かを呟きながら、人差し指を右から左に動かした。すると、ウサギの体がぼとりと地面に落ちて、兄の左手にはウサギの首だけが残っていた。その首からは溢れんばかりの血が滴り落ちていた。
「おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ。おぎゃぎゃぎゃ、おんぎゃー」
限界を超えろ!! 俺の発声器官!!
俺は一生懸命発声しようとするが、全く持って言葉にならねぇ。
「〇〇〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇〇〇〇 …………」
兄はまたも意味不明な何かを呟いている。
俺は泣き叫ぶ。
兄は一体何をやっているのか。何かに取り憑かれてしまったのだろうか。
それから俺は泣き疲れて眠りに落ちてしまう。
気付くと俺はいつもの家のゆりかごの中だった。あれは幻だったのだろうか……
「本当に可愛いわね。そう思わない? ヨハン」
「そうですね。お母様。ジークはどのくらいで喋れるようになるのかな?」
「そうね。あと半年もすれば少し話すことができるようになるんじゃないかしら」
「そうなんですか……なるほど。そういうものなんですね」
2人はにこやかに会話をしていた……