にワン!
突然だが、仕事が出来る人間はどんな人間だ?
と聞かれた事は無いだろうか。ちなみに私はある。
その時私はこう答えた。
「集中力がある人です」
間違ってはいないだろう。
だが私に尋ねた人物は、首を振りながらこう答えた。
「視野が広い人間だよ」
なんだそれは、と当時の私は首を傾げた。
視野の広さが何なのだ。
他の人間に気を使いながら仕事をしろという事か?
そんなの、私には無理だ。
散歩から帰還した私とピスタチオ。
いつもなら玄関に上げる前に、蒸しタオルで体と足を拭いてから家の中に入れている。
だが今日はピスタチオを抱き上げ、電子レンジの中に濡れたタオルを放り込む。
そのまま蒸しタオルにし、キッチンで椅子に座りながらピスタチオの体を丹念に拭いていった。
「今日は特別だぞ……」
なんせ素敵な好青年との出会いを演出して頂いたのだから。
まずは頭から、腹、背中、尻尾、足、と拭いて行く。本当ならシャワーに入れたほうがいいのだろうか。
しかし犬の知識に乏しい私は、子犬をいきなり濡れ犬にしてしまっていいのだろうか、と躊躇っていた。
今はネットである程度の事は調べられる。
しかしパソコンを起動すると仕事モードになってしまい、すでにピスタチオの事は忘れてしまっている。
「クーン……ワフッ……」
何やら訴えるように見つめて来るピスタチオ。
どこか痒い所があるのか? ここか? ここがええのんか?
「クゥーン……フーン……」
しかし変わらず不満そうな顔で見つめて来る。
なんだ、どうしたんだ。今日は抱っこしながら拭いているんだぞ。大サービスだぞ。
いつもは玄関に上がる前に足を体を軽く拭くだけだし……。
「ぁ、お腹空いた……のか?」
「キャン!」
どうやら当たりのようだ。
そういえばオヤツも与えようと思っていたんだ。
何かあるだろうか、犬のオヤツになりそうな物……。
冷蔵庫の中身を見ながら考える私。
ビール 当然却下
キムチ ダメ……だよな
きゅうり うーん、いいのか?
ピスタチオ(おつまみ) ある意味却下
焼き鳥 これは私のエサだ
牛乳(消費期限切れ) もう少しでヨーグルトになりそうだ
冷凍餃子 たしか犬って……ニラとかダメなんだよな
タマネギ 悪の○典を読んだ私に抜かりはない。これは勿論ダメ
アロエ 火傷用……冷蔵庫に入れておいていいのだろうか
ガスライター 無くしたと思ってたら! ここにあったのか!
さて……どうしよう、マトモな物が無い。
唯一行けそうな物はキュウリくらいか。しかしタマネギやニラがダメなのだ。キュウリもダメかもしれない。
「クゥーン……」
ピスタチオがお腹空いた! という眼差しで見つめて来る。
仕方ない……とりあえず今日はいつものドックフードで我慢して頂こう。
後日ちゃんとオヤツあげるからな、と皿に《わふわふドックフード》を盛り付ける私。
会社からパクってきている物だが、残り少ないな。
これを機にちゃんとしたのを選び直そうか……。
その後、ピスタチオが食事してる間にシャワーを浴びる。
ちなみに私は朝食は食べない派。朝から食べようとしても食欲が沸かない。
そのまま化粧をしつつスーツに着替え、髪をポニーに。
一種のルーチンだ。髪型をポニーにして眼鏡をする事で私は仕事モードに切り替わる。
私は何か一つの事にしか集中できない。
決して悪い事では無いだろうが、今の私に課せられた役職は支店営業責任者。
とても私のような人間が就いていい役職では無いような気がする。
以前のように黙々とソフトウェア開発をしていた方が性に合ってる、と思っていた。
「キャン!」
ピスタチオが何やら再びアピールしながら近づいてくる。
次は何だ、と思いつつ頭を撫でようとすると指を甘噛みしてきた。
そのまま私の指を吸い出すピスタチオ。
私の指からはミルクは出んぞ……と、その時気が付いた。
「お前……喉乾いてる?」
そうだ、今まで私はピスタチオに水を与えた事が無い。
以前、風呂場の洗面器に溜まっていた水を飲んでいたのを叱った事がある。
馬鹿だ、その時に気が付くべきだった。
「犬……犬って……水道水飲んでいいのか?」
急いでスマホで調べる。《犬 飲み物》で検索をかけ、トップに出てきたサイトにアクセス。
それによると水道水は問題ない様だ。あとは子犬用のミルク、タンポポ茶、麦茶、など。
人間用の牛乳はダメらしい。濃すぎてダメと書いてある。
「マジか……いいと思ってた……」
冷蔵庫にある牛乳が期限切れでなかったらあげていただろう。危ない所だった。
そして現在、我が家には水道水しかない。だが水道水が一番いいらしい。
「えーっと……一日の摂取量は……500mlか……」
ちょうどペットボトル一本分。
先程までピスタチオがドックフードを食べていた皿に水を注ぐ。
そのまま目の前に置いてやると、勢いよく飲みだした。
相当喉が渇いていたんだろう。
今の今まで気づかないなんて……ハッキリ言って動物虐待だ、有り得ない。
「ごめん……」
謝りながら水を飲んでいるピスタチオの頭を撫でる。
「キャン!」
遅えんだよ! と怒られているようだ。
しかしすぐに水を飲むのを止め、蝶の玩具で遊びだした。
なんだ、もういらないのか? あまり飲んでいないが……。
再びネットで調べてみる。《犬 水 飲まない》で検索。
ふむふむ、犬によっては飲まない子と飲む子が居るようだ。
飲まない子にはドックフードにスープを足して与えるといいらしい。
ちなみに子犬用スープも市販されている。
「今日……買ってくるか」
そろそろ時間だ、と会社に行こうと鞄を持つと、ピスタチオが会社に送り出そうとしてくれていた。
なんだろう……胸の底から湧き上がってくる、この感情は……。
今までもピスタチオは毎日私を見送り、帰ってくると出迎えてくれた。
この献身的な態度の子犬に、私は今まで冷たい態度を取って来たのだ。
それが何だ、男との出会いを演出してもらって初めて子犬について調べた。
我ながらフザけた飼い主だ。
「ピスタチオ……」
無条件の愛を注いでくれる子犬に申し訳ない、と思ってしまう。
「クゥーン」と首を傾げるピスタチオ。なんだか「どうした、元気だせよ!」と言われているようだ。
どうしよう、なんかそう思ったら……途端に会社に行きたく無くなった。
ネットで子犬の事について調べ尽くしたい。ピスタチオに尽くしたい。
しかし仕事を休む訳にも行かない。今日は支店の見回りもあるのだ。
「ピスタチオ……」
そのフサフサの頭を撫でる。
これから私は出社する。
寂しい。なんか無条件の愛を注いでくれている子犬が……途端に可愛く思えてならない。
「うぅ……ピスタチオ……!」
と、抱きしめようとした瞬間、尻尾を向けてリビングに疾走する子犬。
そのまま再び蝶々の玩具で遊びだした。
「…………いってきまふ……」
「キャン!」
電車に揺られる事十五分。
会社近くの駅に到着。そこから更に十分程歩いた所に私の勤める「株式会社レクセクォーツ」のビルが建っている。
「おはようござまーす」
受付嬢に挨拶すると、何か異様な目で見られる。
なんだ、私なんか変な事言ったか?
「ねえ、今の人……如月さんだよね……私初めて挨拶されたんだけど……」
そんな囁きが聞こえてきた。
あれ?! 私いつも挨拶してなかったっけ……。そ、そういえば完全に仕事の事しか頭に無かったから……無視してたような気もしないでもない。
そのまま自分のオフィスに入ると、小走りで近づいてくる後輩が一人。
神上だ。何やら資料を持って近づいてきた。
「お、おはようございます、先輩……。あの、昨日の……」
なんだろう。なんか……神上がピスタチオに似てる。
私が家に帰ると、ピスタチオは毎日出迎えてくれるのだ。
なんか途端に寂しくなってきた。
「せ、先輩?!」
自然と、いつのまにか神上の頭を撫でまわす私。
あぁ、この柔らかい髪の毛が……ピスタチオのようで……。
「せ、先輩?! ぁ、ぁの! き、昨日の資料の確認お願い致す!」
「へ? ぁ、あぁ、畏まった……」
変な言葉使いで資料を受け取りつつ、自分のデスクへと向かう。
神上が作成した資料は、全部で五つあるペットショップの営業成績をまとめた物。
そのタイトルが「営業戦績」になっていた。
思わず笑ってしまう。ある意味間違っていない所が可愛い。
「神上、早速誤字が……誤字だよね?」
いいつつ確認を取る私。コクコク頷く神上に安心しながら、円グラフも確認。
間違ってはいなさそうだ。昨日よりも見やすい色分けもしてある。
ちゃんと私が貸した本を読んでくれたようだ。
「いいんじゃない? 誤字だけ修正して課長に提出しといて」
「は、はい! ありがとうございます……。ぁ、ぁの先輩、何か良い事ありました?」
ん? なんだ突然……良い事なんて……あったか。好青年との出会いが。
もしかして顔がニヤついていただろうか。寂しさの余り、神上の頭撫でまわしちゃったし……。
その数分後、課長もオフィスに入って来て朝礼が始まる。
と言ってもラジオ体操して課長のありがたい話を聞くだけだが。
朝礼が終わると、神上が早速課長に資料を提出しに行く。
なんとなく気になり、そっと様子を伺ってみる。
「なんだ、やれば出来るじゃないか」と課長が神上を褒めたたえていた。
今日は機嫌が良さそうだな。
時刻は九時十五分。そろそろ支店見回りに行かねば。
しかし一人で回るのもつまらんな。誰かに着いてきてもらうか……。
「神上、これから支店見回り行くけど……着いてきてくれる?」
「え?! い、いいんですか?!」
なんだ、いいんですかって……私が着いて来てって言ってるのに……。
「せ、先輩、いつもは一人で行っちゃうから……今日はどうしたんですか? 腐った牛乳でも飲んだんじゃ……」
確かに冷蔵庫の中に入ってるが……飲んでないぞ。ヨーグルトになるのを待ってるから。
そのまま会社の車に乗って、まずは一番遠いであろうペットショップへ。
大型ショッピングモールに入っており、一番人気の支店だ。人が集まるのだから当然かもしれないが。
私が運転する車の中、神上がタブレットで点検項目を確認しつつ
「先輩、支店の見回りって……色々点検するんですね……。なんか業者みたい」
「いや、私達業者だから。変な所あったら迷わず指摘してね。私じゃ気づかない事もあるだろうし」
ふむふむ、と頷く神上。なんだろう、初めてマトモに後輩を指導している気がする。
今まで自分の仕事しか頭に無かったからな……。
「そういえば……先輩もワンちゃん飼ってるんですよね、可愛いですか?」
「……はぁ……」
思わず大きく溜息を吐いてしまう。
どうしたんだ、と神上が顔を覗き込んで来るが……
「ねえ、このまま家に帰ってもいいかな……あの子に会いたい……」
「せ、先輩……意外と溺愛してるんですね……」
昨日まではそこまで思ってなかった。
でも何なんだ。今更か、今までずっとピスタチオは私に無条件の愛をくれてたのに……。
本当にフザけた飼い主だ。
ペットショップに到着。
店長に挨拶しつつ、中を見回る私と神上。
すると子犬の柴犬が私を見つめてきた。
「ピスタチオ……」
思わず見入ってしまう。
あぁ、会いたい……寂しい……今すぐ帰ってモフモフの頭に顔を擦りつけたい。
「先輩……? ピスタチオって……もしかして飼ってるワンちゃんの名前ですか?」
神上が柴犬に夢中になってる私に尋ねて来る。
うむ、その通りよ、と頷く私。
「ピスタチオ……へ、へぇ……斬新なネーミングですね……」
なんだろう、凄いデジャブ。
そのまま一時間程見回り、特に問題ないと店長に告げて店を出る。
次のペットショップに向かうべく、車に乗り込む私と神上。時刻は午前十一時前。
「神上、お昼何食べたい?」
今日はド平日だ。しかし昼時はどうしても飲食店は混んでしまう。
早めに昼食を取ろうと提案する私。
「んー……まあ、私は軽くでいいんですけど……」
「じゃあ、牛丼にしようか」
「え、結構ガッツリっすね……」
そのまま最寄りの牛丼屋に車を走らせる私。
しかしその途中で本屋を見つけた。比較的大き目な本屋の「カタコル」
チェーン店だが、こんなところにもあったのか。
「神上、ちょっと本屋寄っても良い?」
「ぁ、はい。構わないッス」
神上に許可を取りつつ本屋へと駐車する私。
さて、目的はただ一つだ。それは犬の育成本……みたいな奴。
あとついでに新しいBL本も……。
本屋の中に入り、神上に「適当に時間潰してて」と言いつつ私はペット関連のコーナーに。
「えーっと……犬……犬……」
……無い。犬関連の本が一冊も無い。なんてこった。
猫とかカピパラとかフェレットとかワニとかヴェロキラプトルは有るのに……犬が無い……。
「なんで犬だけ……」
困惑する私。すると何やらゴッツイおっさんがエプロンを付けて本の整理をしていた。
察するに店員か。なんか妙にデカい人だけど……。
例えるならブルドック……いや、クマ、ツキノワグマ、もしくはデカい牛。
「あのー、すみません。ちょっといいですか?」
「あぁ、はい。何かお探しですか?」
うむ、お探しよ。
犬本が無いのよ! 犬関連の本どこにあるのよ!
「犬の本だけ無いんですけど……置いてないんですか?」
「……あぁ、それなら……」
と、かなり奥の方にあると教えられる。
なぜに犬だけ隔離されているのだ。不公平だ。私に喧嘩売ってるのか?!
「ッチ……」
思わず舌打ちしつつ、その場を去って犬関連コーナーへと向かう私。
しまった、店員さんに舌打ちしてどうするんだ。
犬は大人気だから……別のコーナーが設けてあるってだけかもしれない。
悪い事したかな……と思いつつデカデカとPOPが立っている犬コーナーに。
うん、誰一人としていない。
何故だ、結構人入ってるよな、この店……。
犬の形をした動物風船にデコピンしつつ、犬の育成本を探す私。
ふむ、色々あるな。一番人気ありそうなのはどれだ、と一冊の本を手にとった。
《わんわんサバイバル! 君はモフモフする事が出来るか?》という意味不なタイトル。
しかし表紙が柴犬だと理由で読んでみる。
「ふむ……」
非常に色々なグッツやら豆知識やらが乗っていた。
散歩の仕方、お風呂の入れ方や頻度。
そしてご褒美デザートは果物でもOKらしい。
リンゴなどを小さく切って与えるといいみたいだ。これならピスタチオも食べるだろうし、リンゴの水分も取れて一石二鳥かもしれない。ピスタチオはあまり水を飲まない子みたいだし……。
「お、子犬用スープ……」
ペットショップなどにも売っているようだ。
ついでにこれから見回りに行く店で買ってみよう。
そうなるとドックフードも合うのにしたいな……。しかし急にドックフードを変えると食べない場合あり……。
「難しいな……とりあえず会社からパクってくるか……徐々に変えるのが吉……ふむふむ」
そのまま犬コーナーで読みふけっていると、神上が近づいてきた。
なにやら不思議そうな顔で私を見つめて来る。
「先輩って……ワンちゃん大好きなんですね。そうやって色々調べて……」
「ま、まあ……」
今の今まで水すら与えていなかったなんて言えない。
神上も何やら面白そうな本を見つけた、と読みだした。
その本は「でまかせ太郎の口だけ人生アドバイス百選」という訳の分からない本だった。
なんだ、その本……。
そのままついでにBL本を買いつつ、レジへ。
二台あるレジの一台しか稼働しておらず、素直に待っていると
「お待ちのお客様、どうぞ」
と新しい店員が……って
(か、神無月君……)
何てことだ……今朝の好青年がそこに居た。
ゴクっと生唾を飲みこみつつ、咄嗟にBL本を犬系雑誌の下に隠しつつレジへ。
「二点お預かりします、こちらの商品カバー掛けられますか?」
あぁ! アッサリBL本見つかった! 当たり前なんだけど……うぅ、私ってバレてないよな……。
コクン、と頷きつつ目を反らす。
「二点で1550円になります。ポイントカードは宜しいですか?」
財布から二千円を出しつつ……ぽ、ポイントカード……? 持ってない……。
フルフルと首を振る私。
「え、えっと……お作りしますね」
ポイントカードにハンコを三個押していく神無月君。
そのまま丁寧に二つに折りつつ……丁寧にカバーを掛けられたBL本と、犬系雑誌を紙袋に入れ……
「二千円お預かりします。450円お返しします」
と、お釣りを手渡される。だが、手を包み込むように添えられ、一瞬ドキっとしてしまう!
う、うぅ……コンビニのお姉さんとは違うドキドキ感が……
「またのご来店をお待ちしております」
「は、はぃ……また来ますっ」
ってー! 何言ってんだ私! 周りからはクスクスと笑い声が……うぅ、やってもうた……。
そのまま商品を持って逃げるように店の外へ。
既に神上が車の中で待っており、謝りつつ運転席へと座った。
「……先輩? なんか顔赤いですけど……」
「な、ななんでもない……」
そのままエンジンを掛け、次のペットショップへと向かう。
神無月君……ここで働いてるのか……。
また……来ます……。
この作品は如月視点になります。犬好きな神無月君視点と合わせてご覧ください。