「北からの小包」<エンドリア物語外伝65>
「郵便だ」
扉が開く音と同時に、渋い声が桃海亭の店内に響いた。
二ダウの郵便配達人アンカーソンさんが入ってきた。
入口の側にいたシュデルが、手紙の束を受け取った。
「ありがとうございます」
「お疲れさまです」
そう声を掛けたオレの前に、小包が差し出された。
「ほい、ウィル。お前さん宛だ」
「オレ?桃海亭宛でなくてですか?」
「そうだ。珍しいよな」
受け取った小包は30センチ四方の大きさで、麻布でくるんだ箱の上から紐がかけられている。その紐についた紙の荷札がヒラヒラしている。
「こいつにサインしてくれ」
台帳が差し出された。オレは荷物をシュデルに預け、サインをしようとした。
シュデルが嬉しそうな声で叫んだ。
「ハニマンさんです!」
オレは手をとめた。
「いま、なんて言った?」
「荷札に書いてあります。この小包、ハニマンさんから送られてきたんです」
シュデルが満面の笑顔で荷札を指した。
『差出人 ナディム・ハニマン』
オレは小包をシュデルから取り上げると、アンカーソンさんに押しつけた。
「持って帰ってくれ」
「何を言っているんだ?」
「爺さんからの荷物なんて、怖くて受け取れるか!」
がっしりとした手がオレの頭をつかんだ。
アンカーソンさんの迫力ある笑顔が、オレの顔に近づいてくる。
「ハニマンさんがこの国に初めて来たとき、お前が命を助けたんだってな?ハニマンさん、いつも『ウィルには感謝しておる』と言っているんだぞ。そのハニマンさんからのプレゼントを、お前は受け取れない、って言うのか?」
オレの頭蓋骨にアンカーソンさんの指がギリギリと食い込いこんでくる。
痛みをこらえ、オレは反論した。
「その命の恩人を、鉱山に投げ込むか!海のド真ん中に捨てるか!」
怪訝そうな顔をしたアンカーソンさんに、シュデルが素早く言った。
「店長はプレゼントに感激して、混乱しているんだと思います」
「何を言っていやが……」
シュデルがオレの手にペンを押しつけると、そのうえから自分でつかんだ。
「お、おい」
「お願います」
シュデルの意図をくんだアンカーソンさんが、台帳を手の前に差し出した。
「やめろ!」
オレがシュデルの手を振り払うより早く、シュデルがオレの手でサインした。
流れるような字で”ウィル・バーカー”と書かれる。
「どうですか?」
「ウィルの字には見えないな」
「当たり前だ!」
「だが、書いたのはウィルだ。オレが見た」
「違うだろ!書いたのはシュデルだ!」
「それでは」
シュデルが笑顔だ。
「この荷物はウィル・バーカーのものだ」
オレに腕に小包が置かれる。
「受け取りを拒否する」
「何か言ったか?」
「言っていません。店長は何も言っていません」
「よし、渡したからな」
返そうとしたオレを無視して、アンカーソンさんは店を出ていった。
「ハニマンさんからだ」
笑顔のシュデルが小包を凝視している。
「ほれ、やるよ」
「これは店長宛です。店長のものです」
シュデルが自分の腕を後に回した。
オレは小包を、店内に置かれている魔法のテーブルに置いた。
コロン。
床に落ちた。
「落ちたな」
「置き方が悪かったのではないでしょうか」
オレは小包を拾い、テーブルに乗せた。
コロン。
「テーブルの奴、嫌がっているな」
「き、気のせいです」
床に落ちた小包を、シュデルが拾ってテーブルに乗せた。
「ほら、大丈夫です」
テーブルが微妙に振動している。
「嫌がっているよな?」
「違います」
断言したシュデルだが、オレの目を見ようとしない。
「中身は何だ?」
「わかりません」
オレの目を真っ直ぐに見た。
「本当か?」
「本当です。透視の力を持つ道具もわからないと言っています」
包みをもう一度見た。
テーブルはまだ振動している。
「嫌がって………」
「いません。不安なだけです。包んでいる麻布にかけられている魔法がわからないのです」
「こいつに魔法がかけられているのか」
見た目は梱包に使われる安い麻布だ。
模様も文字も書かれていない。
「店長、さあ開けましょう!」
「こんな得体の知れないもの、開けられるか!」
「ハニマンさんの小包ですよ」
シュデルがキラキラ星で瞳を埋め尽くしている。
「爺さんの小包だから、危ないだろうが!」
「大丈夫です」
「その根拠は何だよ!」
「ハニマンさんですから」
「『ハニマンさん』は説明文じゃないだろうが!」
「はい、『ハニマンさん』は固有名詞です」
「だから」
「店長、早く開けましょう」
期待をビームにして目から飛ばしてくる。
もう一度見た。
見た目は何の変哲もない小包だ。
「シュデル、荷札に魔法はかかっているか?」
「いいえ、かかっていません」
オレは荷札を丁寧に外した。カウンターの下にしまう。
店の奥の扉を開き、2階に続いている階段の下に立った。息を吸い込んで、上に向かって大声で怒鳴った。
「すげぇーー!シュデルの道具でもわからない魔法があるのか!へぇー、初めてみた魔法なんだ!」
バンと音がして、ショッキングピンクが部屋から飛び出してきた。
飛び跳ねている白い髪、眠そうに目をこすりながら、階段下のオレに聞いてきた。
「な、なんだしゅ!」
「店にすごいものがあるぞ」
「ほよしゅ!」
短い足で階段を駆け下りてきた。
「あれだ」
オレが指した小包に、ムーが駆け寄った。
テーブルの周りの歩きながら、丹念に観察している。
「どういうことしゅ……」
ムーの額に縦じわが寄った。
「魔法陣、書くしゅ」
ポケットから取り出した木炭をテーブルの表面に近づけた。
「ダメです!」
血相を変えたシュデルが木炭を取り上げた。
「書くなら、別のところにしてください!」
シュデルの剣幕にも動じることなく、ムーはポケットから別の木炭を取り出すと床に魔法陣を書き出した。
「どういうことしゅ、なんでしゅ、わからないしゅ」
つぶやきながら奇妙な文様が描かれていく。
「何の魔法陣だ?」
「わかりません。ムーさんの魔法陣はオリジナルの部分が多いので」
魔法陣が完成するとシュデルに言った。
「置くしゅ」
「僕がですか?」
「そうしゅ」
不思議そうな顔をしながらもシュデルが魔法陣の中心に小包を置いた。
「ヒッ!」
小包が動いた。
数回、ガタガタと動いて、停止した。
「な、なんですか?」
「失敗しゅ」
ムーが眉を寄せた。
「何が失敗なんだ?」
オレが聞くとムーは難しそうな顔をしながら、場所を移動した。少し離れた床に別の魔法陣を書き始める。
「掛けられた魔法を浮かび上がらせようとしたしゅ」
時間を掛けて、さらに複雑な模様の魔法陣を描いた。
「置くしゅ」
「また、僕ですか?」
「置くしゅ」
ムーの目が据わっている。
シュデルが魔法陣の中心に置かれている小包をとりあげると、新しい魔法陣の中心にソッと置いた。
小包からモワァとした黒いものが浮かび上がった。
「はうしゅ!」
ムーがいきなり魔法を放ち、店の壁に穴があいた。直径1メートル。生ぬるい風が吹き込んでくる。
「なんてことするんですか!」
シュデルがムーに詰め寄った。
「リチョチに傷がついたじゃありませんか!」
シュデルが指したのは壁際に置かれた巨大な石臼。縁に2ミリほどのかすり傷がある。
「危なかったしゅ」
ムーが額をぬぐった。
「トラップがあったしゅ」
「トラップですか?」
ムーの様子にシュデルの態度が軟化した。
「そうしゅ。解析魔法を反応するトラップしゅ。あの煙に触れると特殊魔法にかかるしゅ」
「どんな魔法ですか?」
「そこまで見極めていたら、トラップにかかっていたしゅ。計算しつくされた悪魔のようなトラップしゅ」
「すごいトラップですね」
「どんなにすごくても、ボクしゃんには通じないしゅ」
ムーが魔法陣の隣に、また魔法陣を書き始めた。
「あの……」
「どうかしましたか、店長」
「壁に穴が……」
生ぬるい風がビュービューと吹き込んでくる。
「魔法陣を書く前に、こっちを直さないと………」
「店長、あと2つか3つ開く可能性が高いです。その後でどうでしょうか?」
「オレとしては、開けない方向で………」
「気になるのなら、2階の納戸に一昨日壁食堂の壁が壊れた時の木材が残っています。それでも当てておいたらどうでしょうか?」
「いま、一昨日と言ったか?」
「はい」
「一昨日は、オレは店にいたよな?」
「ロイドさんのところに1時間ほどいかれました」
「あの短い間に何があったんだ?」
「ムーさんがスープを温めようとして爆発させ、食堂の壁にヒビが入りました。僕はとめたのですが、ムーさんは『楽勝しゅ』と魔法で直そうとしたら、ヒビの入った壁から板が生えてきて………」
「もういい。結果だけ教えてくれ」
「食堂の壁はふさがっています。余った板が3枚、納戸に置いてあります」
「わかった」
オレは納戸に行った。板と釘とトンカチを持って店に帰ってくると、壁の穴がひとつ増えていて、ムーが鎖のモルデにしばられていた。
「しゃしゃ……しゅぅー……」
顔がリンゴのように真っ赤で、鼻から血が滴っている。
「どうしたんだ?」
「別の魔法トラップが仕掛けられていたみたいで」
「そいつに引っかかったのか?」
「いえ、そちらはムーさんが放った魔法で対抗できたのですが、その後、勢い余って足を滑らせて床に鼻から激突しました」
「こんにぇ……しゅぅー……」
「ぶつかっただけにしては、様子が変だぞ」
「ムーさんはぶつかる直前、次のトラップに備え、身体に魔力を浮かび上がらせていました。その魔力の影響ではないかと、簡易診断魔石は言っています」
「大丈夫なのか?」
「魔力酔いのようなもので、時間が経てば自然に治るのではないかと言っています」
「だぼ~しゅ……」
「念のためにコンティ先生のところに連れて行ってこい」
「わかりました」
「ぼ、てっ……しゅ……」
「モルデ、静かに運んでね」
モルデはゆっくりとムーを持ち上げると、揺らさないように慎重に運んで店を出ていった。
オレは穴を塞ぐために、板切れを壁にあてた。
何かを感じた。
振り向くと、テーブルに乗せてある小包が開いていた。紐がとけ、布が開き、木製の蓋がずれている。
「ムーが開けたのか?」
店内に戻ってきたとき、赤い顔のムーに気を取られて箱を見ていない。
放置するか迷ったが、開いた状態で何か出てきても困る。
オレは箱に近づいた。
箱の中が見えた。
何もない。空だ。
「爺さん、どういうつもりだよ」
悪態をついてから、箱の蓋を閉めようと更に近づいた。
目眩がして、室内が歪んだ。
「あれっ」
オレはテーブルに突っ伏した。
奇妙な夢を見た。
目を開くと書類が山と積まれたテーブルがあった。
その中心にメモと3つの書類の束が置かれていた。
『読んで気になることがあれば、書き込んでください。適切なアドバイスであれば、極上肉をプレゼントします』
”肉”という文字につられて、オレは書類の束を読んだ。3つの書類ともオレとムーが事件に巻き込まれた場所の近くの事案についてだった。思いだしながら気になったことを、書類に書き込んでいった。
時間にすれば1時間ほど。
なぜか、書き込む手がシワだらけだった。”ああ、夢なんだな”と、思いながら、書き終えると目が覚めた。
「店長」
テーブルから顔を上げると、シュデルがオレを心配そうな顔でのぞきこんでいる。
「悪い。気が遠くなって……」
「いったい、どうしたんですか!店長らしくないです!」
「へっ?」
「ヒトデも激怒していました」
「ヒトデ?フローラル・ニダウのヒトデのことか?」
「他にヒトデはいません!」
「海にはたくさん………」
「ふざけないでください!店長がいきなりリコさんに声を掛けるから、リコさんが驚いて転んで、肘と膝をすりむいたじゃありませんか!」
「オレが声を掛けた?リコって、フローラル・ニダウの女の子だよな?」
「店長の不幸を呼ぶ体質を警戒して、近づかないようにしているリコさんに、なんで、いきなり話しかけたんですか!」
「ええと、オレが、リコに話しかけたのか?」
シュデルもオレがわかっていないのに気づいたらしい。
「店長、もしかして記憶がないのですか?」
「ずっとテーブルに突っ伏して寝ていたと思っていた。違うのか?」
「僕がコンティ先生のところから戻ってきたときには店長は、店にいませんでした。10分ほど前に戻ってこられたのですが、桃海亭に入る前にフローラル・ニダウの前で鉢植えの花の手入れをしたリコさんに話しかけたのです」
「そしたら、リコが驚いて転んだんだな?」
「はい」
「オレはどうした?」
「慌ててリコさんを助け起こしました。すぐに謝っている様子でした。僕は店の窓から見ていただけなので会話までは聞こえませんでした」
「リコは怒っていたか?」
「最初は怒っていたようでしたが、店長が謝ると不思議そうな顔をしていました。僕には怒っているようには見えませんでした」
「ヒトデは怒っているんだよな?」
「ポシェットから飛び出して、店長の足をバシバシたたいていました。僕には怒っているように見えました」
「そうか」
オレにはその時の記憶がない。困ったなと思いながら周りを見回して、奇妙なことに気がついた。
「シュデル。小包はどうした?」
「先ほど、リュンハの方が回収にきました。手違いで店長に送られたそうです。開封前だったので、そのまま持って行かれました」
「開封前だったと言ったな。蓋は開いていなかったのか?」
「はい、布に包まれて、紐がかかった状態でした」
たしかに包みは開いていた。
恐ろしい想像が頭をよぎった。
オレは指を組んで、祈った。
「極上肉が届きませんように」
「店長、本当に大丈夫ですか?」
シュデルが真顔で言った。
極上肉は3日後に届いた。
オレの記憶にない1時間。その間、オレはニダウの町をうろついていたらしい。色々な場所で、色々なことをやったらしいのだが、記憶がないので詳細は不明だ。ただ、そのときのオレは陽気で快活な好感を持てる若者だったらしい。恐れていた、苦情も文句もこなかった。
「1時間で終わって残念です」
噂を聞いたシュデルが言った。
「復讐しゅ!爺に、復讐しゅ!」
ムーが口から火を噴きそうな勢いで叫んだ。
そして、オレは、
届いた極上肉を、
売った。
「店長、何を考えているんです。あれほどの極上肉を食べる機会なんて、二度とありません」
「クソ爺から送られた肉なんて、怖くて食えるか!」
「ハニマンさんの手紙を読まなかったのですか!店長に命を救われたお礼だと書いてありました。そのお礼の品を売ってしまうなんて!」
「だから、あれはオレが………」
「『オレが』どうしたというのです!」
「とにかく、オレはあの肉を食いたくなかったんだ!」
「わかりました。店長がそういうなら仕方ありません」
それから一週間、桃海亭の食卓には肉が乗らなかった。
「爺、この恨みも忘れないしゅ!」
豆スープをすすりながら、ムーが頬を膨らませた。