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第一章 壱・殺人遊戯

嘘を吐いたことがありますか。


 そんな至極一般的かつ一方で常識を嘲笑うかのような問いに、本来なら普通に常識を備えた一般人であるはずの僕はしかし、即座に答えることができない。


 何故なら、僕にとって嘘とは意識的に吐くものではなく、改めてそう問われなければ、常として自分が嘘を吐いたことを忘れがちだからだ。



『噂とは人を騙すものであり、混乱させるものであってはいけない』。


 いつだったか聞いたそんな言葉。大いに納得だった。賛同はできないけれど、少なくとも事実と思えるくらいには受け入れられる。


 そんな信条のような空言も相まって、僕はなるべく人を混乱させるような嘘は吐かないと、常々心に注意を呼び掛けているのだが、流石に今から話す出来事に関しては、それは約束できない。


 それほどまでにあの春に起きた出来事は荒唐無稽で、それでいて混乱無しでは聞けないくらい滅茶苦茶な真実――紛れもない現実だからだ。



 冬の曇り空のように濁りきったあの春あの日、僕はとある殺人現場に遭遇した。それが始まり。始まる前から終わっていた、物語の続きが再び始まった瞬間。



 嘘を吐くように笑い、偽るように怒り、虚言を並べるように哀しみ、空言を紡ぐように楽しむ少年と。


 本音を出さないように笑わず、実意を洩らさないように怒らず、内心を読まれないように哀しまず、真実を悟られないように楽しまない少女。


 そんな喜怒哀楽が歪み切った二人が出会った物語。


 苦しみと痛みと狂いと、ほんの少しの体温を伴った救いのない物語。


 その二人はきっと出逢い方を間違えたのだ。出逢い方を間違えなければそもそも出逢わない、そんな星の元に生まれたはずだった。


 けれど二人は出逢ってしまった。


 だからそこに歪みが生じた。


 結局のところ、たったそれだけのことだったのだろうと、僕は今になって思う。


 もっとも。


 それが後悔とは限らないけれども。



――――




 いつもの帰り道だった。繁華街から住宅街に抜ける途中にある公園。一つ離れた道沿いに大型の共同住宅と新しい公園が出来たせいで、すっかり寂れたその場所は、通り抜けると少しだけ家への近道になる。


 毎回早く帰りたい用事があるわけではなかったが、そこを通って帰ることが僕の習慣になっていた。何というかそう、桜が綺麗なのだ。たぶんそんな感じ。


 変に近代化が進むこの街には希少な土の地面を踏みしめ、両脇を桜に挟まれた遊歩道を行く。途中、今はもうただの水溜めと化した噴水のある広場を通り抜け、進路を南へ。公園で一番大きな桜がある遊び場に差し掛かった――はずだった。


 一瞬。目を疑うと共に自分を疑う。頭を、疑う。そして現実を疑い、僕の脳はようやく視覚を受け入れた。


 ――赤。



 そこには僕が知らない光景が広がっていた。



 無惨に破壊された遊具。破壊に次ぐ破壊を繰り返したような、まるで蹂躙。原型が無い。無惨に無残。生臭い匂いが鼻に突き刺さった。けれどそれは嗅いだことのある匂い。一瞬、視界が単色に塗り潰される。――赤。電灯に照らされる地面が赤い。水溜まりだ。水溜まりが、真っ赤だった。大雨が降ったように。地面一杯に広がる水溜まり。赤い。あかい。アカイ。


 そして。



 その中心には――少女が立っていた。



 長い黒髪を風になびかせながら。頬を血で赤く染めて。何を着ているか分からないくらい全身が真っ赤で。直立不動。威風堂々。だらりと下げられた両の手の先には、赤色に光るナイフが二本。ぽたぽたと。何かが(したた)り落ちている。


 僕は。


 肝心の僕は――状況も忘れてその少女に魅入ってしまっていた。


 それはもしかしたら現実逃避かもしれないし、その少女がとても美しかったからかもしれない。けれどそのどれよりも、何故か懐かしい感じがした。


 望郷のような心地。僕が今までいた場所はどうしようもなく偽物で嘘っぱちでまやかしで紛い物で贋作で、今目の前に広がる場所こそがどうする気にもならないくらい問答無用で本来いるべき場所――“本物”を前にしたような感慨。


 途端、血の匂いが、血の光景がとてもクリアに感じられた。血は鮮やかに。匂いは華やかに。


 冷静に見渡す余裕が出てくる。大きな桜。血を吸って咲き誇るかのように満開で、電灯に彩られた花びらが宙を舞う。夜桜。幻想的な血と桜の共演。もちろん有無を言わさず主役は少女だった。圧倒的なまでの神秘さをたたえて、絶対的に絶大な存在感を身にまといたたずむ。


 息を呑む。そんな時、何かが視界に入った。


 少女の足元に赤黒い塊が横たわっていた。


 人間だ。かろうじて、そう認識できる。それは距離が遠いからではなく、僕が知っている人間の形とは掛け離れていたから。まるで墓標のように、全身に突き立てられたナイフ。深々と。これでもかと。身体からナイフが生えているかのような錯覚と共に、人間とナイフ、どちらが無機物なのか忘れそうになってしまう。


 そして、その人間には首から上がなかった。これ以上ないくらい分かりやすい死。骨と肉。肉と骨。生々しい断面が見える。不自然とそこには血が無かった。


 視線を移す。捜し物はすぐに見付かった。


 死体から少し離れた場所に、頭が転がっている。若い男だった。表情は暗くて読み取れない。


 僕は、もう一度少女に視線を戻し――そこでようやく気付く。



 少女が、こちらを見ていた。



 視線が合う。綺麗な、空色の瞳。けれどその眼光は、全てを見透かすように鋭く、底が見えないくらい深く――暗い。


「…………っ!」


 気が付くと、僕は駆け出していた。今来た道を、全力で戻る。遠ざかっていく異常の気配。近付いてくる日常の匂い。公園を抜けて自宅への進路を遠回りに変えるまで、僕は一度も振り返ることはなかった。


 そして家へたどり着いて初めて、身体の震えに気付いたのだった。

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