泥酔客1
寝ている僕の額に何かが落ちてきた。
何故こんな夜中に……。
ガタゴトと物音が聞こえる。目が覚めたのはこれのせいかな?
「では、厄介な家主が帰ってくる前にお暇しますか。」
羽ばたきの音が聞こえる。
……何があったんだ?
漸く僕は目を開き、上体を起こす。
額からはらりと落ちたそれは純白の羽根。
窓は開いていて、部屋には元々無かった一つの物が置いてあった。
「透明な……剣?」
のそのそと這いながら窓際に立て掛けてあったそれを手に取る。
目の前がぼやけるので、数回目をこするも、その剣はそこにあった。
透けているだけで、別に目視できない訳ではない。よく見てみれば白くも見える。
白く濁ったどことなく十字架を彷彿とさせる剣。刃のところが一番短い所に相当しているが、どこもそれ程長さは変わらない。………正直この剣見覚えがない。
─────もしかして不法侵入者いた??
白い羽根と、十字架の剣を見て、それから開きっぱなしの窓を見る。
………鍵は閉めたはずなんだけどなぁ……。
「─────って、いう夢を見たんだ」
「単純に寝坊しただけでしょ言い訳やめて」
……エリシアさん、辛辣…。
「……うん、夢じゃないと思うし。あれは」
だがしかし、気が付いたら布団で寝ていた僕は、そうして目覚めた後にあの部屋であの十字架のような剣を見ていない。
夢だったのではと疑うのも、おかしい話ではないだろう。
「とにかく、早くしてね?」
「分かってる」
僕は、あの剣のことを考えるのを止め、仕事の準備に取りかかった。
平和だ。
少し前に、あれほど大きな騒ぎがあったにも関わらず、店内はいつも通りの賑わいを見せている。
何故客が減ったりしないのか。疑問に思ったので、一番近くにいたフーデラさんに聞いてみた。
「忙しいですよね」
「そうだにゃー……、少しくらい減ってくれても良いくらいだけど、みんななれてるからにゃぁ……」
細かく聞く前に、回答が得られた。にしても、馴れてるって、なにがあったんだ。
しかし忙しいに変わりはない。
「おい、アサギ! 喋ってないで仕事しろ!」
ほら、すぐにディエさんの怒号が。
僕はそれまで辛うじて動かしていた手を止めてから、気を取り直して真剣に仕事に取り組むのだった。
……うん、ちょっと休みの気分が抜けてないのかもしれない。アレは休みと呼んでいいのか分からないけどもさ。
「ちょっと……やめてください」
「いいだろぉ~少しくらいなぁ~」
酒瓶片手に泥酔した客が、エリシアさんに絡んでいた。
別に珍しい光景じゃない。
……けれどエリシアさんの態度が気にかかった。
なんというか、過剰に怯えているような気がした。
「ディエさんにまた怒られそうだけどね」
エリシアさんには休みの前に一回こんな感じになったとき助けてもらっているし。
「え、えと……困ります……」
「良いじゃねえの~」
酒でも注げと言ってるのかもしれないけど嫌がってるように見えるだろ。
こんな昼間から酒呑んで、泥酔とか。見てて情けないなぁ。
「お客様何をしてるのでしょうか?」
営業スマイル営業スマイル。
「あぁ? んなもん、酒注いでくれっていってんろ! さっきからなんろもなんどもら!」
おっさん……呂律回ってない。
これ、店に置いておくとかなり迷惑じゃない?
「エリシアさん、下がってて良いよ」
「うぅ……分かった」
取り敢えず、エリシアさんを避難させて。と
「ひっく……なんでぇ、シアたんどっかいちまってだでぇ?」
「シアたん……!?」
「まあええわ。ヒック……あんだが注……ヒック」
「……分かりましたよ」
泥酔した客が震える手で持ち上げた酒瓶を受け取り、コップに注ぐ。
「あー違う違うもっとゆっくりゆっくりヒック」
「……」
注ぎ終わったのでその場を離れる。
「あんだよしっかり注ヒック……」
……あの泥酔客、結構騒ぐなぁ……。
ひとまず、泥酔客はこのあとひとしきり騒ぎたて、疲れて寝ていた。
「んで、エリシア。少し見ていたらなんだアレは。あの手の野郎に絡まれてももう少しマシだったろ?」
ディエさんはエリシアさんの様子を見ていて、違和感を感じていた。
それで少し問おうとしてみれば
「はい…そうでしたよね……」
これだ。明らかにおかしい。
ディエさんは特に怒っていない。確かに威圧感はあるが、エリシアさんの俯き具合が明らかに怯えを含んでいた。
「ああ言うのは無視で良い、最悪俺に言え。何とかするからな」
「……はい」
見てて、おかしいと思うのだが、どうすることもない。
まあ、時間が解決するだろうなー…なんて放置する気全開だった。
「アサギ~? 何エリシアの事ジロジロ見てるのにゃー?」
「えと、見てませんよ? そんなジロジロとか。ましてやおかしいなぁとか思ってないですよ」
「……それ、思ってるだろ」
……全く持ってその通り。
ギーツさんは、そういえば、と言い話し出す。
「お前、そろそろ馴れてきたか?」
「ええ、まぁ」
「それなら良いけどな」
それだけですか? と僕はギーツさんに目を向けるも、本当にそれだけだったらしい。
視線を切り、離れていった。
とてとてとフーデラさんがその後を追う。そう言えば仲良いなあの二人。
「そうだ、アサギ?」
……今度はアルマさんですか。
「エリシアの様子が時折変だが、何だか見当は付いてるか?」
「いいえ。僕も気になってるところですよ」
私は、自分の部屋に置いてある、古めのパソコンの電子音で目を覚ます。
「………メール?」
私はのんびりした動きで体を起こす。
時計を見る、まだ辺りが暗い事からも分かりかけていたが、午前3時……。
エアコン付けていないからといって寝苦しいほどの暑さではないし、たかがメールが来た音だけで起きるなんておかしい。
……とも言い切れないが、私の勘が『何か起こる』と告げていた。
パソコンにのそりのそりと歩み寄り、画面を見る。
そこには私が趣味で運営している占いサイトに寄せられたメール群が画面一杯に存在していた。
「たまってるなぁ……どうするよ、これは」
有りすぎて、勘でメールの内重要度が低そうな物を削除することすらある。
「注意書きにも書いてあるし、所詮趣味だし?」
全て回答できない事に対しては少しだけ罪悪感はあるが、個人で答えるには無理がある。
っと、削除削除~。
一度それかけた思考と平行してメールの題だけを見て選別する作業をしているとおかしなメールがあることに気づく。
それはきっとさっきの着信で、来たのであろう。
……なんだろ……これ?
『黒河麻華様』
──────────………………‥‥‥。
「なん……で……?」
心臓が止まる思いがした。
何で? 何で何で何で!?
………落ち着くの、私。まずは整理しないと……。
まずこのメールコーナー。私の名前を知る手段はほとんどない。
友人用のメールアドレスは使ってないけど、柚っちには言ってるから……。
……あれ? じゃあ?
「なんだぁ、柚っちかぁ……」
安堵。しかし私の手は一向にメールの内容を見ることを拒んだ。
途轍もない、逆らえない何かがそこにあることを無意識にではあるが感じ取っていたのだ。
「…………えっと……あった」
一度マウスから手を離し、本来本をしまう棚だった、中がぐちゃぐちゃ散らかった棚を漁る。
雑に入れられていたカードの内ある程度を回収した。
ゴトリ、と何冊か一緒になって詰め込まれていた本が落ちるが、今の私に気にする余裕は無い。
──────占いはもう始まっているのだから。
全てを手元に寄せる必要はない。大体私は何処に何をしまったのか覚えていないし、意図的に覚えないようにしている。2度以上連続でやる場合は全てを手元に持ってくるが、1度目はそうでなくとも良いかと割り切っている。
……めんどくさいからじゃないよ?
とにかく、そのカード達を天井目掛けて一塊にして投げる。
バラバラと舞い上がったカード達が落ちてくる。
ベッドの上、机、パソコンの上などに落ちたカードには目もくれず、床に落ちたカードのみを見る。
その中でも“何か”を感じるカードはない。
────いつもだったら、輝いて見えるカードがあるんだけどなぁ……。
輝くといっても、光る訳ではない。何となく目を惹くカードがあるのだ。
「おっかしいなぁ……ん……?」
首辺りに何か挟まってる?
カードを適当に投げたのだから、そう言うこともあるのだろう。
多分、このカードだ。しかも二枚挟まっている。
「何のカードかなぁ……おお?」
『目』の掛かれたカード。それと……『丸』?
……見ろってことかなぁ。
そうして、その二枚のカードから目を離すと、部屋の中に先程までとは違う点が存在した。
「って、なんか増えてる」
輝きを放つカードが増えていたのだ。
床に一枚、パソコンの上に一枚、ベッドの上にも一枚である。
それぞれの絵柄がタロットカードとかとは違うのは、色々買い漁っていたからであり、占いするときに見覚えのないカードや、こんなのあったかな? みたいなカードもそこそこ存在する。
「これは……『異世界転移』? 何でこれ買ったんだっけ……」
多分文字が良かったからだろう。
達筆で書かれた文字を見てそう思った。
「これは……天使……」
天使。そう聞いて思い出すのは一つだけだ。
────虚無天使教。
思い出したくもない。教徒の獲得には一切手段を選ばない危ない宗教。数々の耳障りの良い言葉で洗脳して、結果様々な事件を巻き起こした無自覚な狂信者達。
その一つに高校襲撃事件があるが……あの事件は当事者たちの記憶に深く刻まれているのだ。
天使教は門を利用して、本物の天使に会おうとしたのだという。
────一歩間違えば、取り返しが付かなかった。
ああ、思い出しただけでも吐き気がしてくる。
見えた三枚のカードから、余計なことまで考察する黒河麻華。
夜遅くではあるが、着替えてしまおう。唐突にそう思った彼女は可愛らしいパジャマに手を掛けた。
そうして昏い瞳に一冊の本を映した。




