豹変
「………なんだ、この痛い女」
「『イタイ』とは何だ、口が悪いのう。私としてはさっさと贄頂いて休みたいんじゃ」
………エリシアさん何言ってるの……?
僕は地面に座り込んだまま、様子のおかしいエリシアさんをぼけーっと見ていた。
するとエリシアさんは左手を刀から離し、苦しげに頭を押さえる。
「………うるさいのぅ…」
そう言って、他を睨むその目が一層赤く揺らめいた。
「っ!? お前ら離れろ!!」
背筋をおぞましい感覚が駆け抜けた。
突然焦った様子で〈戦場の死神〉は叫ぶ。この悪寒とも呼べる感覚を彼女も感じたということだろう。
「ふぬぅう………───『飢えしものに救済一突きを』《万象閃牙》」
右手に刀を持ったまま、身を捻り一瞬の溜め動作。
その捻りの溜めを解放し、独楽が回るような勢いでクルリと一太刀振るう。
放射状に刀が放つ何かが伸びる。
瞬間、僕の放った魔力の外側で何かがズレた。
「かふっ………」
吐血。
人が倒れる。
「えっ………」
見れば、それはSクラスと言われていた冒険者。〈戦場の死神〉
「身を守るための衣を、外部へと一撃を逃がさない結界としたのか。悪くない判断だ」
赤い目を冷徹に輝かせ、呟く。
僕はそこでようやく気付く。
彼女の首に巻かれていた布がそこにないこと。先ほどの一撃を、観客に届かせず防いだ黒い何かが僕達を囲うように存在していたことに。
黒い何かは地面に接していて、高さは三メートルもない。
空へは逃げられるが、黒い何かの向こう側がどうなっているか。それは分からない。
そして血溜まりを彼女は作り────
「痛っったいじゃないか…」
しかし、立ち上がった。出血は左手、腹部。横一線に裂かれているがその傷の深さはよく見えない。
「ほう、今の一撃を耐えるか……しかし、限界は近いのではないだろうか?」
「抜かせ…」
「はっ…」
赤目のエリシアさんは鼻で笑う。
僕から見ても、あの人に控えめに言ったとしても余力があるようには見えない。
……というか、何ぼけっとしてるんだ。僕。エリシアさんを止めないと。
様子がおかしいのだから尚更止めないと……!
「エリシアさんっ!」
「まだまだ闘える」
「まだそのような戯言を言えるか」
ダメだ、聞いていない。
彼女達は話しながら戦闘の準備を整えている。
〈戦場の死神〉はさり気なく腹の傷に回復魔法を使い、エリシアさんはその刀のオーラをその刀身に、より多く集めていた。
と、止めないと……。って剣はどこだ!?
────思い切り蹴り飛ばされた剣は、この時黒い何かの外側まで滑って行っていたのだが、そんな事は焦った僕には分からない。
分かったのは剣が一瞬では見つからないことだけ。見つからなければ剣を取ることは出来ない。
背負っていたリュックは投げ捨てる隙も余裕もなかった。だから背負ってはいる、が何も入っていないのだから役に立つとは思えなかった。
見れば極限まで集中を高めた2人が、攻撃をいつでも放てるように構えていた。
一つ、切っ掛けがあればすぐに動き出すだろう。
「行ける………いける。…やるしかないならやるしかない。いける……」
剣もない状態では、一触即発の二人を止めるには危険が伴う。剣があっても、安全ではないが。
「いける…いけるいける……だってそうだろ、僕はまだ………」
手が震える。気が付かず出ていた声も震えていた。
呼吸は置いていく。ただ空気に散った己の魔力を操る事以外には何も考えない。
引き寄せ手繰り寄せその身に纏う。
空気中に散らした魔力は、僕の最大容量の三分の一にも満たない。
魔力は僕の場合散らそうとすると戻ってくるのだ。それもものすごい勢いで。
鬼は、おかしいと言ったが、きっとこれも【MP】のランクがSSであることの影響なのかもしれない。
とにかく、そのような弊害故に、緻密な操作はほぼ不可能であり、《魔力操作》の補正がなかったらもはや《鬼剣》を扱うことも無理だろう。
──────でも、今無理とか言っている場合じゃない。そうだろう?
僕は石ころ1つ拾い上げ飛び出した。
目指すは二人の間。
石ころは適当に指で弾いた。ただ真っ直ぐ二人の間を飛ぶような弾き方をしたつもりであり、実際通ったはずだ。
しかし、〈戦場の死神〉はその高い動体視力からその石ころを目で、追ってしまった。
そんな小さな隙すらエリシアさんは見逃さなかった。
「そら、隙を晒した」
エリシアさんは呟くと手元がブレて消える。
しかし僕はその動きを見ていない。
────間に合えっっ!!
ただ必死に、間に入ったのだから。
「なっ!?」
「おおっ?」
見えないほどの速さで振られたその刀は完全に振り下ろされること無く宙で止まる。
「間に…………あった」
僕の左肩と頭の上で交差された両腕は纏っていた魔力ごと切り裂かれて、しかし辛うじて繋がっていた。
僕は、成功したのだ。魔力を圧縮して纏うことに───!!
「止めて……下さい」
「ふっ………ふはっ………」
エリシアさんは刀を手放し、笑い出す。
「何が、おかしい」
意味不明故の不気味さを感じたのは僕だけではなかったらしい。
いつの間にか黒いボロ布を回収して、鎌を下ろした〈戦場の死神〉はそう呟いた。
「くふっ、はははっ!! 死なずして贄の奉納を完了させるとはおぞましい程の魔力よのう!!」
邪笑、と呼ぶに相応しい邪悪な笑いを浮かべるエリシアさんの瞳の色が、今は蒼天のように澄み渡る青だった。
「巫女として活動するに同情は求めず、道連れを求める………さて宿主はいまのこの惨状を見てまた逃げるのだろうか、逃げるのだろうな!」
エリシアさんは浮かべた笑みの質を変えず、僕の腕を中途半端に切り裂いた刃のつぶれていたはずの刀を雑に引っこ抜く。
痛みの信号が全身を駆け巡り、のたうち回るように跳ね回るように、地面に倒れ伏した。
あ………これ、ヤバい…
本能的にそれを悟ったが、それを悟るのは行動を起こす前にして欲しかったなんて思うような思わないような気分だった。
今更気づいたのかと、痛みを感じながら自嘲するように笑みを浮かべる。
エリシアさんはそれを満足そうに笑いながら眺め、納刀した。
「さらばだ──────っ! 大丈夫!?」
カチンと鍔が鞘と当たり鳴れば、エリシアさんの表情が真っ青になる。
「と、とにかく!! 癒術師は、もしくは浄化高適性者は居ませんか!! 助けて─────」
人が変わったように泣き叫ぶ姿に、不自然さよりも申し訳無い気分になる。
しかし傷は深く、僕自身の意識もそう長くは保たないのだった。




