一人欠けた文芸部
私は見ていた。
あの男が私に向けてその銃口を向けてくるのを、ただぼんやりと。
ただしかし、私に銃口を向けた男がそのまま引き金を引くことは無かった。
一人、前へと駆けだした。
男はそちらに気を取られ、私への警戒が弱まる。
一気に私の体から力が抜けて、ただその人の行く末を眺めるだけしか出来ない。
元より備わっていた力も使えない、使い方を忘れたような感覚。
私はぼんやりと眺めて居ることしか出来なかった。
人が殴り打たれ撃たれ倒れ生き死にゆく様を。
彼女は目覚めるとまず、真っ先に眼鏡をかける。
こうすれば、目が覚めるようになっている。
………しかし目をぱっちり覚まして、後悔する。
「………はぁ…」
心地の良い眠気に包まれたままなら余計なことを考えなくて済んだのに、と。
「おねーちゃん! はよう起きてよ!」
「……分かってる。うん」
部屋の扉は完全に閉められている。夏の夜は寝苦しく、冷房を軽めに付けたまま、冷気を逃がさぬように寝ているのだ。
しかし、非常にクリアに聞こえる、妹の声。
つまりは、妹は。
「前に。入らないでと言った気がするんだけれど」
「そうやっけ? なはは」
また無断で部屋に入っていたというわけだ。
……妹を部屋に入れると、大切な本達が汚れたりよれたり曲がったり折り目つけられたりと、良かった試しがない。
本は、雑に扱うべきじゃない。
「…………何」
妹は、眼鏡をかけてから上体を起こした私をじっと見ていた。
「…何か、寝不足? 目つき悪いよ? 眼鏡かけてる癖に」
「どうでもいいこと言ってないで。私着替えるから」
「さいですか、んじゃ。もうご飯出来てるからねー」
妹はそそくさと部屋を出ていった。
…………………着替えようか。
夏の日差しが肌を刺す。
太陽は、常に全力だ。私はどうか。
すでに高校三年生だと言うのに、電車通学の間は一切の勉強もせず、読書に明け暮れる。
別に勉強出来ないとかで困ったことはないし、今のレベルを維持できれば進学も余裕だから。気にはしないが。
時はもうじき夏休みである。きっと既に夏休み入っている高校も、あるのではないだろうか。
「………」
自己紹介が遅れた。
───私は鍋川 雪幸。高校三年生。趣味は読書、特技は速読、将来は好きなだけ本が読める環境に居たい。そんな女の子です。
「へーい、雪! 元気してる?」
「……元気」
「無いよね、そりゃそうか」
いや………元気なつもりなのだけれど。
今話しかけてきた特徴的な赤髪の人は茜屋 智。友人であり、私の所属する部の部長だ。
「………何で最近来てないのかねぇ」
所属する部、と言うのは『文芸部』のことである。在り来たりな名前の部活であり、内容も大部分の文化部よろしく余り活動的とは呼べない。
まあ、部室に行けば大抵私と………
「おーい? 雪? 聞いてるか?」
「…………何?」
完っっ全に聞いてなかった!!
そんな事をおくびにも出さず、迷惑そうに聞き返す。
「んー。いやいや、優のことだよ。最近学校にも来てないらしいじゃんか? 連絡もないし、何か知らないの? 仮にも彼女なんだし………ってこれはなんか嫌な言い方な気がする、ごめんね」
………謝る必要は無い。すでに一週間以上も音沙汰が無いのだから、実際、気にならないほうがおかしいと言うほどだろう。
「………多分。そのうち。ひょっこり現れるんじゃない?」
私の発言には随分と、自信がなかった。
確信していないながらも、浅葱優の消息の手掛かりを掴んでいるから。
とても信じたい出来事では無いが、そのときの話を私は思いだしていた。
そう、それは今月──7月頭のことだった。
その日妹は一人で眼鏡を買いに行っていた。
妹は目は悪くないが、ファッションだとか言ってやたらと着用したがるのだ。
もちろん伊達眼鏡だし、はっきり言って眼鏡のどこが良いのか本当に目の悪い私には全くわからないのだけど、妹が眼鏡をつければ私と見分けがつかないほどに似る。
……表情豊かすぎて、余り表情に出ない私と似ると言うのは失礼かもしれないけれど
兎に角、その日その妹が眼鏡を買いに行ったその場所で、運が悪くも事件が起きた。
「お姉ちゃん……怖かった…よ……!!」
テロリスト───話だと自暴自棄になったなんかの宗教徒らしいけれど。その人たちがショッピングモールを占拠して中に居た人を恐喝、殺人したという。
当時事件の犯行グループの要求は一切無く、警察はよく分からない内情に突入をいつでも出来るようにしつつ、実行はしなかったようだ。
ただ、一カ所捕らわれているはずの人達の逆襲を喰らい、一部の人が逃走したのを見計らい、警察が突入。
何故そのタイミングだったかは、誰に聞いたって分かることはないけど結果的に、死傷者は皆無だったそうで。
妹はその逆襲をした捕らわれていたはずの人達の中の一人だそうで、相当怖い思いをしたのだろう。
「……人が撃たれて死んじゃうし、みんなそれを恐れもせずに殴りに行くなんて正気じゃないっ!!」
「…………うん。そうだね」
「それにあの人! 傘で銃を持ってる人に攻撃するとか……どうしてそんなことができたの……」
「まぁ…怖かったのは分かったから、早く帰ろう?」
因みにここは家の前。妹は警察の車でわざわざ送り届けて貰ったのだ。
「でも、あの人がいなかったら、私が死んでたんだろうなと思うと、あの人の名前を警察の人に聞いておけば良かったなぁ……って…」
「………命の恩人?」
「うん。きっとそう。……って、私のための行動じゃなかったかもしれないし、その行動で命を落としてたんじゃ………ね…」
「それは………」
「何より、その人の死体は見つからないし、警察の人に聞いても『死者はいない』って………だとすれば生きてるのかもしれないけど…」
「けど?」
「見た人がいるのよ……その……彼? 彼女? の姿の輪郭がぼやけて消えるところを……!!」
恐怖体験をした後だからか、相槌すら意に介さず変なテンションで話す妹。
しかも、突然にオカルトだ。語り手が雰囲気を出せばホラーになりかねない。
「………男女、どっち」
私の無愛想な無口さが、消えたとは何か聞くことを省いて、そちらを聞いた。
男か女か分からない人に1人とても心当たりがあったのだ。彼は男だが。
「こんくらいのね、髪をした人なんだけど、背は私と同じくらいでね、うん」
妹は首の高さで、水平に手のひらを振る。
「………うん…」
知っている彼の髪は背中まである。うん。きっと人違いだろう。
「………今度会えたらお礼を言いたいな…」
私はその後、浅葱優君の友人の話から彼が髪を切りに行った事を知る。そしてこの妹が巻き込まれた事件の後から彼は登校していない。
時既に放課後。
我が愛すべき文芸部の部室に既に私は来ていた。
因みに愛すべき理由は、常に開いている部屋だと言うことと、部員数が少ない事。それと余りこの場所を知るものがいないことだ。
元々、茜屋智から『人の来ない所』を設けて貰うために入部したようなものだから、そうあるべきだと思うけど。
「よし、文集全ページ仕上げた!!」
そうやって大声を上げて紙を切り貼りしていた茜屋智は、既に出来上がっていたページ群に最後の1ページを積み重ねる。
因みに紙に、文書の書かれた紙を貼り付けるという作業である。絵とか追加したいという部長(茜屋智)と副部長きっての願いだが、コンピューターに強くない彼女らではコンピューターからは出来ないのでこうなった。
「智…まだ四分の一残ってるわよ?」
そう言って、ペラペラと紙を見せつけるようにしている彼女は、垣原葵。副部長だ。
彼女の青みかかった黒髪を纏めたポニーテールがやれやれと言った風に波打つ。
「あっはっはー……それ、優の分だろ、私がやるのは筋違いじゃない?」
「やらないと間に合わないのですけど?」
ページを追加されることをどうにかして回避したい茜屋智はどうしてか、私を見る。
「な、雪? これさ、届けに行かない?」
まあ、茜屋智の提案に、私は揺れた。
狙ってやった行動なのか、分からないけれど。
「………行こう」
「ええっ、雪!?」
垣原葵は予想外のように驚いているが、私としてはそろそろ行きたかった所なのだ。
浅葱優。彼が今どうなっているのかがずっと引っかかっていた。妹の話からでは確証がない癖に、喉に魚の小骨が引っかかったかのようなもどかしさを感じていた。
本人の携帯電話への連絡は通じなかった。家に直接行くのは気が引ける。というか正直浅葱優のお姉さんが怖い……。
そんな所に茜屋智の提案。渡りに船。乗るしかないこのビック(?)ウェーブに。
と、言うわけだ。
「でもさぁ、優のお姉さんとは少し……あった…からなぁ……」
その事には、同意する…。
と、言うことで本日の活動はそこそこに、浅葱優宅に突撃することと相成った。
「圭佑引っ張ってくっての、どうよ? 葵」
「あのねぇ……私まだ行くとは言ってないのに……」
呆れ気味に、垣原葵は言ったが拒否する気は無いようだ。
「そんなこと言ってもなぁ、雪が行く気になってる以上さ? 心配だろ?」
「そ、そうですけど……」
「じゃ、行こうか?」
………元々拒否権が無かったから。かもしれない。




