道無き道を
──────目が覚めると、草の味がした。
こう、苦くて、舌触りの悪い。端的に言って、不味い。
「……って、これ雑草だ。ぺっ」
口の中に入っていた草を吐き出し、あたりを見渡す。
丈が長いせいで、口の中に入ったようで、上半身を起こす。
「うわ、ここ…………」
草が土を覆い隠し見えないほど生い茂り、見える範囲にある木々は蔦に取り付かれ、苔が生えている。
─────目が覚めたら、人の手の入っていないような大自然に放り出されていました。
「いや、どういうことやねん……」
己の服装をみる。僕が来ているのはメイド服のまま。
荷物は一切無い。
仕方ない、状況と場所を把握するために僕は立ち上がる。
「…………」
視界の悪い森。肌に触れる風は柔らかに吹き抜けていく。
ジメジメしているとか不快感を受けることはない。……足元の草が肌に当たってちくちくするから、何だかんだ不快ではあるが。
「あー、例のごとくちゃんとあるのか」
少し離れた木、その枝にぶら下がるリュックを見て、少しばかり安心する。
「…よ……っと」
木に上ってリュックを回収する。
ついでにと、枝に座り込む。
「……はー…、全く。なんでこんなところに寝てたんだろうかなぁ」
木の枝の上によじ登った事でやっと、 遥か遠く下方に、大きな町が見える。それによって、ここがオルカリエから見えた山なのではないだろうかと言うことに気付いた。
町の先の空に赤い柱。方角にも利用されるあの柱は、間違いなく自分が町から『蒼』の方角に居ることがわかった。
「って、何だろ。あれ」
遠くに見える町に近付く集団。十人とか百人ではない。何らかの旗を持って大挙して押し寄せている。
しかも大体の人が光をキラッキラと跳ね返すような物を着用している。鎧だろう。
「…………まさか…!!?」
敵国が攻めにきたのか。どうしようか慌てた頭で考えながら、リュックを持って枝から飛び降りた。
「うわっ!?」
しかし慌てていたからか、リュックを枝にひっかけてひっくり返してしまう。
内容物をばらまきながら。
本、服、本、棒、本、ナイフ、本、髪留め用布、本、ぼろ布etc………
様々な物が地面に落ちていく。幸いにも草で満ちていて、露もない。
リュックに入っていた物品は汚れることなく、全て落ちた。
「う……わぁ…」
こんなに本があったっけ? と、落ちた物を見て少し考える。
まあ、どうせ気にしたってしょうがない。そう考える事にした僕は取り敢えず拾い始める。
「ん………? リュックにこんなポケット無かったよな………」
そのためにリュックを抱え直すと、見覚えのないポケットが存在していた。縫い目を見ても、違和感が存在していない。まるで元からあったかのように。
気になって、中を見る。
「…………………」
──────紙が入っていた。
「まあ、取り敢えず何があるか分からないから、物を先に回収しちゃおう」
そしてその、手紙の体をなしていない、くしゃくしゃになった紙切れにはこう書かれていた。
『山を越えて、隣の国へ行け』
『オルカリエも私達も大丈夫だ』
『元気で』
フィの筆跡なのかは分からないが、兎に角書かれたとおりに山を越えよう。
多分、町は。オルカリエは大丈夫だろう。
手紙を見た僕はただ、それだけを考えて、改めて蒼の方角を見据えた。
ひたすら山の、道無き道を歩く。
出来るだけ、山を登らないように心掛けてはいるが、どう移動しているのか、全くわからない。
僕には今方角を間違えないように歩く、と言うこと以外に出来ることはないのだ。
──────ガサリ
物音。草を掻き分け、何か大きな生物が動く音。
僕は足を止め、息を止め周りを見渡す。
すると、すぐに見つかった。
「ガ!! グルォォォォ!!!! オオオォォ!!」
──────咆哮。
僕は、ただそれをポカンと見ていることしかできなかった。
余りにも大きく、偉大。見る者に畏怖の念を抱かせるようなその容貌。
それ────緑の鱗をした大きな蜥蜴と言うには武骨でまるで鎧を着込んでいるように見えるその姿はまさしく。
「………ドラゴン……!?」
僕の口からはそんな言葉が自然と出る。
前足は非常に小さく、羽は見当たらない。体の高さはそうでもないが、随分と大きな体。
ドラゴンはドラゴンでも、地竜とかそう言ったところだろう。
ドラゴンは、目の前のほとんど動かない僕を不審に思い、顔をどんどん近づけてくる。
……近づかれてしまった僕は、動くに動けない。
「──グロォォォォオオオアアアアアアア!!!!」
鼻先が触れ合うのではないかという距離での咆哮。
竜の大きな体から放たれる咆哮は音だけではない。
《吐息》
僕の体は竜の口から放たれる吐息の風圧に紙切れのように吹き飛ばされる。
「ぐっ!?」
大きく空を舞う僕の体は数瞬後に地面にうつ伏せに叩きつけられる。
白む視界に、大きく響く足音。頭が地面に接しているせいか、より大きく聞こえ着実に近寄る足音に恐怖を感じる。
「かっ、はは…」
体が、恐怖のせいで動かない。口から漏れるのは、吐息に伴う声ならぬ音だけ。
目を瞑り、聞いていた足音が止まる時までも、体は動かなかった。
目前で止まった竜。しかしなにも起こらない。
そのことに疑問を持ち、ゆっくりと目を開き、上を見上げれば
竜の顎が大きく開き僕の頭を丸飲みにせんとしている竜の口の中がよぉく見えた。
絶望が、そこにいた。
ああ、死にたくないなぁ……まだ、するべきことは、したいことは腐るほどあったのに…!!
──────だが、妖精から貰った加護《不幸悪運の加護》はこの時の為に貰ったのだろうか、僕からすれば奇跡が起きた───
───死への恐怖を感じていると言う時。竜の上顎を何かが天から降ってきて、上から下顎すら纏めて貫いた。
「よっしゃ、グリーンドラグリー捕った! 今日の飯は豪華だぜ!!」
緊張感の全く無い声と共に。
僕は突然目前で粉砕された竜の頭を見て、呆然とする。
────なんかさっきから殆ど頭が働いていないな………。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、臥した竜の背に乗るその人は僕に今気付いたと言わんばかりに
「ん? 何か居るな………今日の飯の足しにするか…」
とんでもないことを言い出したその人をよく見る。
「んー、人か? 何か普通じゃねえな………」
僕からすればその人の方が普通じゃなかった。
その人は竜の体躯から降り、僕に近寄る。
「おーい、大丈夫か? んー?」
「さっきは死にかけましたが、大丈夫です………」
起きて、座り込むような姿勢になる僕。
「大丈夫なのか。んー……じゃ、山下りてくんね? ここ、危険だからな」
「……そうなんですか? 僕としては今、取って食われないか心配なんですが」
「んー? そんな事しねえよ………ってああ。そゆこと」
その人、頭を触る。
頭にある『角』を。
「噂程度に聞いてないか? 俺は鬼だが、それでもいい方だって」
「いえ、鬼見るのも初めてですし。聞いたこともないですよ…」
「…………マジ? んー、あー……今までちょいちょい人救ってきたつもりなんだが……そっか、鬼の風評被害はなくなってねえか……」
『鬼』と自らを称したその人は、見た目は至って普通の好青年である。男だ。
服は、アレ。うん。和装? そんな感じ。よく見ないとあれだけど。うん。アレだよアレ。
というように鬼さんの容姿に関して少し考えていると
「───よし、決めた!」
「なにをですかっ!?」
「なにをって………決まってんだろ?」
そう言ってこちらに手を差し伸べる鬼。
いや、決まってないし、分かりませんよ。
しかし、鬼は自信満々な様子。大した問題じゃないと僕は口を挟まなかった。
「お前をこの山で生きれるような戦闘能力を手に入れさせてから下山まで手厚くサポートする。これをしたということを山の外にお前が広めてくれれば、鬼達。ひいては魔族の風評被害も無くなるだろう。俺ってば、天才!」
「えっ………!?」
下山をサポートしてくれる…!? これは願ってもない話だ。
「了承するか? ならこの手を」
「お願いします」
言うが早いか、僕は迷わずに手を取った。
「はええな…んー。じゃ、よろしくな?」
「はい! よろしく!」
─────しかしすぐにこの手を取ったことを後悔することになるのだが。
僕は、これで無事に山を渡れそうだ。と心中で呟いた。
「おっしゃ、じゃ、ついて来い! 俺の住処に案内したる!」
「は、はい!!」
鬼が木々の深みへ行ってしまうのを見失わぬように、僕はその背中を追いかけた。
── 一章 完 ──




