富豪の館のメイド達
一章後編開始です!
その館には、一つだけ。
全く人の寄り付かない奇妙な部屋があった。
「旦那様…………一層元気がありませんね…」
館に住み込みで働くメイドの一人である彼女は呟きました。
そのメイドの瞳の先には、館の主が小さくなって溜め息を吐いているのが分かりました。
「それはそうでしょう。奥様に先立たれ、その後大事になさっていたお嬢様まで失踪。そんな事が起きて、普通だったら元気などあってもこちらが気を使いますよ。メイドですので」
「メイド長!? あわあわ……これは……」
彼女の手には、紅茶が並々と注がれていました。つまり、メイドの仕事をしながら、紅茶を呑もうなどと考えていたのです。
いえ、先言ったようなメイドの考えは自分のための考えではありませんでした。
「いえ、分かっていますよ。貴女は旦那様に、差し入れようと考えていたのでしょう?」
「はわっ……はい。そうです!」
彼女は怒られると思っていましたが、メイド長は怒ることなく笑顔でそう問いただしました。
彼女は安堵から全身……ではないですが肩と、重いものを持っている辺りの力が抜けました。
バリー……ン………
「あ、あはは………」
メイドの行いに感心しかけていたメイド長も、さすがにこれには怒ります。
「……………全く。破片と、零れた紅茶の清掃。ついでに館中の掃除をしなさい。素早く」
「はうっ! すいませぇぇん!!」
彼女は瞬間涙目になって掃除道具を持ってくるために走り出しました。
その場に残ったメイド長からは溜め息と共に
「あの子のドジ……治りませんかねぇ……。本当に。と言うか廊下は走らないでっ……て、はぁ。」
そして、走っていた彼女は盛大にすっころびました。
「はうう………酷い目に遭いましたぁ……ねぇ、レベッカぁ? 聞いてますぅ?」
「うるさいわね、食事の時くらい絡まないで下さるかしら?」
高慢な態度で彼女を突っぱねたレベッカという女性。レベッカは彼女のメイド仲間でした。
メイドの中では唯一の同年齢。そういうところから彼女はレベッカをすごく頼りにしていました。
「えぇレベッカぁぁ……」
「…………なんですの、しつこいですわね……それより、命令された掃除は終わりましたの?」
こうやって実は話を聞いている辺りに、レベッカは実際の所そこまで迷惑に思っていないのだろうと彼女が思う原因はあります。
レベッカに言わせれば、嫌でも耳に入ってくる。なんて言われそうでしたが。
「勿論日が沈む頃には終わりましたよ?」
「いや、勿論って………いや……あなたにそれを言っても無駄でしたわね…。」
レベッカは遠い目で呟いた。
この館は随分と広い。普通なら一日がかりでも掃除しきれるわけが無いのです。
が、レベッカは知っています。
彼女はドジですが仕事の早さは異常なのです。ドジですが。
真面目ですから、サボることは無い。
「って、重要なことはそこだったじゃないですかぁ! 何一言で終わらしているんですか私ぃ!」
「知らないわよそんなこと。あなたが勝手に………」
そう言って夜の食事を摂る彼女達。
話は他の人に聞かせられないものへと移行していく。
「それでですね…」
「あなたは周りを少しは気にしなさいな。………その様子だと、また旦那様の様子がー、とかお嬢様逃がしたのはー、とか言うつもりでしょう?」
「だって、だってお嬢様………本当に辛そうでしたもの」
「あなたは少しくらいわきまえなさい。旦那様に知られたら、大変ですわよ。こんな廊下で話すことでは勿論ありませんし」
彼女は肩を落とす。
「だって、お嬢様、たまに外に出ては楽しそうにしているのに館では笑う事なんて一切無くて………旦那様にビクビク怯えて……」
「メイド長来たわよ」
「ひゃい!?」
彼女ははっとして目の前を見ると、確かにメイド長が向こう側から歩いてくるところでした。
「レベッカ……ここにいましたか。……フィアナはもう寝なさい。レベッカはついて来るように。」
彼女───フィアナはそう言われて元気良く返事をして、その場から歩き去ろうとしました。
そしてレベッカはメイド長について行く前にこう言ったのです。
「お休み…………フィ。」
フィとは彼女の愛称の様なものです。言いづらいと彼女自身は思うのですが、レベッカは頑として譲りませんでした。
一度立ち止まり、彼女はその挨拶に答え、レベッカを見送ります。
そして呟くのです。
「でも、まさか…フィーナ様が…奴隷商人の所に逃げ込むなんて思いも寄りませんでした……」
誰に聞かれることもない呟きを。
今日もまた、平和な街を窓から皮肉げに眺めながら。




