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デザイア・レトリック  作者: 倉永さな
手芸部の事件簿
2/3

《中編》

 七生夜が向かった先は、同じ一階にある、事務室だった。

 普段は学生にあふれかえっている事務室だが、授業が始まっているため、学生はほとんどいない。そのため、七生夜はすぐに目的の人物を視界に入れることができた。

 井波九郎いなみ くろう、七生夜と同じ年の事務員だ。

 黒くて硬そうな髪は短く切られているが、ぼさぼさで少し清潔さに欠ける。曲線の細めの眼鏡と猫背のせいで、いまいちぱっとしない見た目が損をしているよなと七生夜は常々思っているのだが、本人は気にしていないようだ。きちんと身なりを整えると驚くほどいい男になることを知っている七生夜は、それをいつも残念に思っている。

 七生夜は九郎に近寄った。

 九郎もすぐに七生夜に気が付き、いつも以上ににこやかな表情をしているのを見て、厄介ごとがやってきたことを知った。九郎は自分のところに近づいてきてほしくなくて、顔の前で腕をクロスさせ、大きく×の字を作って見せた。が、七生夜はそんなことに構わず、手首をつかむと有無を言わせぬ強さで椅子から立ち上がらせ、外に引っ張りだした。

「ちょっと待て。オレは今、仕事中だ」

「ふーん。パソコンでマインスイーパをするのが仕事なんだ」

「う……」

 七生夜が近づいて来る前に終了させたのだが、目ざとく見られた後だったようだ。

 九郎はつかまれていた手首を振り払い、よれよれのグレイのジャケットの襟を整え、七生夜を見た。

「厄介ごとはお断りだぞ」

「わかってる。ちょっと相談に乗ってほしいんだ」

「おい、聞いているかっ! オレは聞かないからな!」

「なぁに、ちょっとした世間話だよ」

 七生夜は九郎の背中を押し、半ば強制的に食堂へと移動した。

 隅の席を陣取り、七生夜は自動販売機で砂糖とミルクを増量したミルクココアとブラックのコーヒーを購入する。コーヒーの入った紙カップを七生夜の座る席に置き、渋い表情で座っている九郎の前には甘ったるいミルクココアを置いた。

「礼は言わないぞ」

「ああ、わかってる」

 九郎は湯気の立つ紙カップをにらみつけ、正面に座った七生夜に視線を向ける。

「せっかく、もう少しでクリアだったのに……」

 九郎の文句に、七生夜は苦笑する。

「仕事しろよ」

「してる。ほかの事務員が仕事をしてくれないから、オレは暇をしていただけだ」

 九郎の言い訳に、七生夜はそれならと口火を切った。

「さっき、保健室に手芸部という女学生が三人、来たんだ」

 七生夜は羽織っている白衣の襟を整え、かろうじて味と匂いが付いているコーヒーを口に含んだ。

「手芸部? ……ああ、あれか。部長の日泉のビーズ細工がすごいという」

「ビーズ細工って……」

 まるで竹細工などの工芸品のような言い様に、七生夜は少し、顔をしかめた。

「おまえ、日泉の作品を見たことがあるのか?」

「手芸部員がつけていた、ひまわりのストラップなら」

「すごいだろ?」

 まるで自分の手柄のような九郎の言葉に、七生夜は苦笑いを浮かべた。

「なんというか、立体的な造形ですごいとは思ったけど……」

 七生夜の正直な感想に、九郎は大きくため息を吐いた。

「だからおまえは、ダメなんだっ!」

 思った以上の強い言葉に、七生夜はむっとした表情を浮かべ、九郎を睨みつける。

「あの芸術性を解せないなんて、人生を損しているぞ」

 普段は無口でめんどくさがり屋な癖に、一度、スイッチが入ると途端に暴走する九郎を知っている七生夜は、今回は予想以上に早い段階でそこに触れることができたことを知ったが、今度は逆に、七生夜が引く番だった。

 まさかこんなに九郎が熱く語るとは思っていなかったのだ。こうなった彼を止められるのは、数名の人間しかいない。そして、残念なことに、七生夜は九郎の暴走を止めることができない人間なのだ。そのため、七生夜は九郎の気がおさまるまで、付き合わなくてはいけないことに気が付いた。自分が振った話題なので、仕方がないと早々に諦めた。

「ビーズというのはだな……最初に断っておくが、洗剤の名前でも、とある男性デュオでもないぞ」

 その断りに、七生夜はわかっているとしかつめらしい表情を浮かべて、うなずく。

「ビーズというのは、起源をさかのぼると、かなり古い時代から存在していた。紀元前二二五〇年ごろ、シリア・メソポタミアで本格的なアルカリ石灰ガラス製品が作られるようになり、製法がエジプトに伝わったのと同じくらいの時期に、ガラスでビーズが作られるようになったようだ。──トンボ玉というものを知っているか?」

 九郎の質問に、七生夜は首をかしげた。

「トンボ玉……? トンボの目玉のことか?」

「半分正解だ」

 九郎の楽しそうな笑みに、七生夜は心底、悔しく思う。ああ、こいつには勝てないなと思う瞬間だ。

「トンボの目のように見えるから、トンボ玉と名付けられたらしいから、あながち間違いではないんだが、あと一歩だったな。穴の開いた色とりどりのガラス玉を『トンボ玉』というんだ」

 エジプトからいきなりトンボ玉に飛び、七生夜は混乱する。

「それが、どう関係してくるんだ……?」

 疑問に思ったことを素直に口にすると、九郎は片眉を上げた。

「それがたぶん、世界で初めてのビーズだからだ」

 七生夜は感心したようにうなずいた。

 こういう、生活の上で知らなくてもどうでもいいことを、九郎はよく知っている。雑学王と言えば聞こえはいいが、関心のあることにしか興味が向かないので、知識にムラがありすぎるのが難だ。

「吉野ヶ里遺跡からもこのトンボ玉が発掘され、これはエジプトからやってきたものではないかと言われている。大規模な交易ルートがあったことを示す、物証だ」

「いわゆる『シルクロード』を通ってやってきたってヤツか?」

 ようやく自分でもわかるような話題が出てきたので、七生夜はそう口にしたが、九郎は口角を上げた。

「今はシルクロードを否定的にとらえる研究者もいるらしいが、世間一般的に認知されているシルクロードってのは、ローマ帝国と秦漢帝国時代のあたりの交易ルートをさすことが多いようだ。なので、このトンボ玉はそれよりはるか前の話だ」

「え? シルクロードってあの敦煌だとか……」

「ああ、そうだ。東西だけではなくて、南北も考えないのはおかしいという意見もあるみたいで……。今はシルクロードは関係ないから、それは置いといて」

 九郎は話が脱線したことに気が付き、軌道を修正した。

「後は、そろばん玉と呼ばれる植物や、陶器や粘土、動物の角や骨、真珠を使って作られていた」

 そこで九郎は言葉を区切り、慎重に目の前に置かれた砂糖とミルク増量のミルクココアに口をつけた。相変わらずな猫舌に、七生夜は思わず、にやりと笑う。

「ビーズと言われ始めたのはいつごろか。それはわからないようだが、本来はロザリオに使用される数珠玉のことをさしたらしい」

「ロザリオって……キリスト教のあれか?」

「そうだ。祈りを何度、唱えたのかを数えるために十字架にビーズを繋げてネックレス状にしたものだ。キリスト教徒ではないオレたちはつい、誤解してしまいがちだが、あれは首からかけてはいけないものなのだそうだ」

 なんとなく、ドラマや漫画などで首からかけている光景をよく見かけるのでそれが正しいと思っていたが、違うという。

「古代などはビーズは権力の象徴と見られていた節もある。身分の高い者が埋葬されたのを見ると、とても小さなビーズで作られたアクセサリをつけていたりする」

 ご察しの通り、と九郎は続ける。

「ガラス製品というのは、今でこそ簡単に手に入るが、昔は上層階級の、それも一部の者にしか手に入らない代物だった。それだけ貴重だったんだ」

 それに、と続ける。

「着飾るというのは、だれにでもできたわけではない。農作業をしたり、狩りをしたりするのに、アクセサリは邪魔だ。それに、それらは腹を満たしてくれない。食べるものに困らない層が権力を誇示するために身に着けるものだった。もちろん、庶民も身に着けるときはあった。それはお祭りなどの特別な時にのみ許されたんだ」

 とまあ、そんな歴史があるビーズなんだが、と九郎はミルクココアを大切そうに口に運び、テーブルに置いた。

「実はオレたちが思っている以上に歴史の古いビーズなんだが、日泉の作品は、本当にすごいんだ」

 ようやく、本来の場所に戻ってきて、七生夜はほっと溜息をついた。

「作品を見てみるか?」

 九郎の問いに、七生夜は無言でうなずいた。

 九郎はよれよれのジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、操作をしてなにかを画面に映し出した。

「日泉が開設しているブログだ。ここに作品が載っている」

 スマートフォンの画面を見せられ、七生夜は思わず、息を止めた。

 あの立体的なひまわりしか知らなかったため、予想以上のすごさに驚いたのだ。

 そこには、黒いバックに浮かび上がるようなユニコーンがいた。

「な、すごいだろ?」

 やっぱり、得意げな声の九郎に反論したいと思いながら、七生夜はしかし、素直にうなずいた。

 もちろんこれは、九郎の手柄ではない。それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかった。

「……すごいな、これ」

「だろ? これ、あのちっこいビーズを組み合わせて作った代物なんだぜ?」

 七生夜は画面を食い入るように見つめた。

 黒いバックは、ユニコーンの白を引き立てるためのものだろう。確かに、とても映えている。よくよくみると、それは白一色ではなく、きちんと濃淡があった。そのため、立体的に作られたユニコーンがますます、まるで生きているかのような躍動感あふれる作品へとなっていたのだ。

「このユニコーンは代表作だ。ほかは……」

 九郎は操作をして、次々と日泉の作品を画面に映し出していく。

 どれもこれも、思わず見とれてしまうほどの出来だ。

「あの三人組が言っていたこと、わかったよ」

 そしてそこで、七生夜はどうして九郎と話をしているのかを思い出した。


 

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