第17話 過去④
それからは少しずつ少しずつ、恐れながらも男に対して、私達は慣れていった。
もっぱら男と話すのは私だけで、男も話しかけるのは私だけだったけど。
相変わらず灯りのない部屋だけど、けれどもう連れていかれる子がいない、その事実だけが、私達を理屈ではなく本能で心からほっとさせた。
やがて残った私達はいつも身を寄せ合っては片隅で子猫のように、いつも団子のようにくっついているようになった。
前みたいにバラバラで片隅にいるのではなく、自分たちの意思で一緒にいた。
そうしてアニメの歌や話しをしながら、感覚がない長い1日を過ごしていった。
今思えば、幼い私達がアニメ以外はお互い口にしなかった、そのことこその異常さがわかる。
そうして、他の事は、例えば喉がかわいたとか、お腹がすいたとか、さびしい、熱いね、などの会話は、自然とボディランゲージで行われるようになっていた。
やがて時々男が来ては、いつの間にか外の広い庭に連れ出してくれるようになり、最初はそれも夜ばかりだったけど、暗闇になれていた私達には外の闇でさえ充分明るいもので、それをとても喜んだ。
男と何もするでなくボーッとしたりしていたけど、徐々に慣れ始めると、遊びたくなって、鬼ごっこしたりするようになった。
男は黙ってそれを見ていた。
そこでも男が話すのも、その相手をするのも私だけだったけど、他の子がたとえばトイレにいきたいなどのお願いをするのに、男には言えず、まして男の注意が自分に向けられるのが怖い他の子たちが、私に目で訴えてくるので、男がいる時には、いつしか私達は、アイコンタクトのみでやりとりするようになっていた。
そういう風に過ごしているうちに、1人の男の子がひっきりなしに腕をかくので、そこがひどくなったことがあった。
前ほど暑さに苦しんではいないけど私達はきたきり雀だったし、髪はおろかもはや自分から匂う悪臭にもなれてしまっていたが、やはりダニに喰われる痒さには、泣きたくなった。
私が同じように、そのかゆさにどんよりしてると、ある日男がそれを聞いてきた。
「かゆくて辛い。」
その答えを聞いた男は、驚いたように私を見て、私をかかえると私を連れてその広い庭を横切って、別の建物の前まで連れてきた。
他の子達もわけがわからぬまま、必死で男と私の後をついてきた。
今までいた倉庫みたいな建物でなく、そこは平屋の大きな建物だった。
今でも初めて見た、その屋根の赤茶色のペンキのはげかかった屋根の上のブリキの風見鶏は私の夢にいまだにでてくるくらいに印象深いものだった。
男は私の手を引いて、何のためらいもなくその家に入っていった。
私は私と男に必死でついてきたみんなを振り返り、アイコンタクトで大丈夫そうだと伝えた。
それに不安そうに遠巻きにしていたみんながほっとして、足早に私達においていかれまいとあわててかけよる。
そうして男に新しい場所に連れてこられた私達は、どのくらいぶりかのお風呂やシャワーをそこで浴びる事ができた。
はじめはこわごわとみんなでシャワーに入ったが、その今まで忘れていた熱いお湯を贅沢に浴びると、子供心にも歓喜の心がわきあがってきた。
やがて声を上げてわらいながら、そのお風呂の時間を楽しんだ。
脱いだ洋服はあとかたもなく処分されたが、人数分のバスタオルをまいて私達は風呂から出て、そこに立っていた。
自分たちで何の判断もできなかったから。
私達はそこここにともされている灯りに心を奪われていた。
私達の中から灯りという概念はとうに消えていたから。
だから久方ぶりに見るそれらの灯りは、まるで魔法の国にきたみたいな気分にさせられた。
気持ちがひどく高揚し、私達はただクスクスと笑い合った。
やがて男が私を呼び、みんなでそこにいくと、そこには焼きたてのハニートーストとミルクが人数分用意されていた。
男が促すので私達はバスタオルのまま、椅子に座るのももどかしく、そのハニートーストにかじりついた。
その1枚を必死に食べ終わり、指につく蜂蜜や口の周りをみなペロペロと子犬のようになめまわしていると、男がはじめて私を見て声を出して笑った。
何故か私達もクスクスと笑った。
その夜から、私達は普通にその家で暮らし始めた。