第11話 悔い
例の嫌な男視点
俺の家はいわゆる極道で、それを暴対法と同時に廃業し、事業家として転身した。
親父はもともとこっちの方が向いていたらしく、バブルに乗り、バブルがはじけた後も、つぶれた泡のうまみを吸い上げ、更に大きくなった。
長男である俺の母親は、やはり極道の娘で、俺はばっちり、そちらの水があっていた。
それと同時に、数字を扱うのにも向いていた俺は、2人のいいとこどりだった。
事業にのめりこむ親父が一度だけ、一人の女に本気で恋をした。
フィリピンの女で、やがて親父の子供を身ごもり、娘を産んだ。
俺の母親は、親父になど、もともと愛情もなく、ホストなどの若いつばめを囲って同じように遊んでいたので、おやじが子供を引き取りたい、と言った時にも無関心に、好きにすれば、と言っただけだった。
俺が中学に入る頃、その赤ん坊がきた。
俺の家で誰にも関心が向けられぬ、唯一親父だけは別だったが、その頼りの親父も仕事に忙しく、俺もまた、悪い遊びを覚えはじめたばかりだったので、勿論顔さえみなかった。
あれはいつのことだろう。
俺が悪さをして深夜久しぶりに、ほとぼりが冷めるまで家で大人しくしよう、そう思って帰ってきた時、赤ん坊の泣き声がひどく耳に入ってきた。
俺が自分の部屋に入ろうとしたら原因がわかった。
雇われている乳母が、ドアを閉め忘れていたせいだった。
俺は何気にうるさいんで、そのドアを閉めようとした時、何故なのか、片親違いの妹とやらをみてやろう、そう思った。
大声でベビーベッドで泣く妹は、俺は名前さえ知らなかったんで、
「お前うるせーぞ。」
と言って近寄った。
そこで泣く生き物は、小さくて真っ赤に泣いていて、俺は戸惑った。
チッと舌打ちして、乳母のヤローは何してんだ!そう思い更に近くによった。
酒の勢いもあり、ドジを踏んでしばらく家にいなきゃならねぇ苛立ちもあり、たたきつけて殺してやろうか、そう物騒にさえ思った俺に、その赤ん坊は泣いて手を伸ばしてきた。
今思えば、泣いて手足をつっぱなしたって事だろうとわかるが、あの瞬間の俺はほうけてしまった。
何の打算もまして力のない赤ん坊が、俺に手を伸ばしたんだ。
俺は酒で回ってない頭のまま、おっかなびっくり、その赤ん坊の手を触った。
小さくて小さくて小さい手だった。
そのままどうしていいかわからなくなった俺に、声がかかった。
「まあ、坊ちゃん、すいません。おこしてしまいましたか?」
そう言った女は年配の乳母だった。
乳母の手に哺乳瓶があり、お湯を切らせてしまった、とか言ってきた。
そんなことより俺はこの手を離したくなかった。
俺は初めて困惑する、という感情を覚え、乳母を見た。
乳母はそんな俺を見て、クスクス笑い、坊ちゃん、ミルクあげてくれませんか?と言ってきた。
それからあれよあれよという間に、俺はひどく頼りない生き物を腕に抱え、乳母の指導の元、ミルクを飲ませていた。
「坊ちゃん、お上手ですよ、あらまあ、お酒の匂い。いけませんよ、まだ坊ちゃんは中学生になられたばかりですよ。体に悪いですよ。」
そういわれた俺は、俺を坊ちゃんと呼ぶ事も、その小言も自然と受け入れているのを知った。
ふだんであれば許すはずのない俺が。
それから、俺と乳母の澄江で妹の愛を可愛がって育てた。
俺は用事がない限り妹の部屋で過ごし、おむつもミルクも澄江にからかわれるほどにうまくなった。
妹の愛はその名前通り、俺に人を慈しむことを教えてくれた。
俺は妹を守るべく、力をつけようと、はじめて明確に思った瞬間でもある。
座ったとき、歩いた時、俺を「にい」と呼んだ時。
俺の全ての優しい感情は妹によってもたらされた。
妹を膝に抱き、澄江の故郷の話を聞きながら、幸せというものを知り、俺は守るべきものの為に、その牙を爪を頭を磨き始めた。
妹が5才になった時、大けがをして入院した。
俺はそれを家に帰ってから聞いた。
何故だ、何故すぐに俺に連絡を入れない。
俺は大学から帰ってすぐ妹の病院にすっとんでいった。
そこで何故俺に知らされなかったのかわかった。
妹は親父の子供じゃなかったのが、手術の為に調べて判明した。
そこからは、あれよあれよという間に、妹は俺の手から引き離されて、養女というていのいい厄介払いでアメリカにいかされた。
俺は最後に、最愛の妹に約束した。
幼いなりに傷ついた妹に。
「待ってろ、お前は俺にはたった一人の妹だ。血のつながりなんて関係ない。必ず迎えにいく。兄ちゃんを待ってろ!」と。
澄江だけは、何とか養女先にねじこんだ。
給金は俺が出すからと。
俺はそのころの株の全てのもうけを、澄江の給金として、その養女先の両親に送った。
日系人の両親もそれなりのよさそうな人間で、澄江からの報告を楽しみに、いつか、いつかと俺は必死に力をつけた。
あの掌を返した親父から、その力を奪う為に。
血のつながりなどクソくらえ!だ。
俺が信じるのは、あの小さな小さな柔らかな手。
俺を信じるあの瞳。
俺が守るべき最愛の妹。
それが一転したのは、澄江からの一本の電話だった。