08 もやもやがうねうね
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私が提案したのは、マルセラ嬢の在宅中、お目覚めからお休みになるまでは私がそばにつくというスタイルだった。
新人が萎縮してしまっては育つものも育たない。だとしたらこの間にできる限りのことを覚えておいてもらったほうがいい。
ただ、これをやると朝が早く夜も遅い。拘束時間は正直言って長い。しかし、住み込みに即座に切り替えるには決め手に欠ける。あと、使用人の浴室の使用時間が限られていて、頻度は二日に一回、時間が十分だという。
……耐えられない。
お酒が飲めないのは問題ない。しかし汗をかかない気候とはいえお風呂は無理だ。長期潜入前提の任務ならまだ心を殺して耐えることはできる。ある意味戦場でもある。でも、でも今回はそうじゃない!
初日の勤務を終えて宿に戻りながら、この五日間が終わって住み込みが確定したらしばらくお風呂が遠ざかるかもしれない……と考えて遠い目をしてしまった。
お風呂の前に一度荷物を置こう、と宿に戻ると、フロントそばのソファにネスタさんが座っていた。
私の姿を見て立ち上がると、足早にこちらへ向かってくる。
「ミリィ!ひどいじゃない書き置きだけで出ていくなんて!」
「よく寝ていらしたじゃないですか、ネスタさん。今日は飲みに出なかったのですか?」
「週に一度は休肝日。これでも一応気を遣ってるのよ!」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「それで、どんな収穫があったの?」
「収穫?」
「目の輝きが違うわよ、昨日と」
あー。
「よくわかりましたね、ネスタさん」
「どーも。今日はどうすんの?もう寝るの?」
んー。
「お風呂に行きます」
「お風呂?」
「公衆浴場に」
「あたしも行っていい?」
えー?
「良いですけど……」
「じゃあ支度してここで待ち合わせね!」
ああ……
「行っちゃった……」
一人でのんびり浸かるつもりだったのに。まあ良いか。先に帰ってもらえば。
部屋に戻ってお風呂の準備を整え、ロビーに降りると、既にネスタさんが待っていた。
「早いですね」
「あんたは待っててって言ってもさっさと支度して先に行っちゃうタイプだからね」
「……よくおわかりで」
「じゃあ行こ、あそこの銭湯久しぶりなんだ」
夜もだいぶ更けてきた。街には酔っ払いが家路を急ぎ……たまに転がっていたりする。
「ネスタさんはお風呂入らないんですか?」
「あたしは専らシャワー。早く寝たいし」
「ネスタさんらしいですね」
「今日はどうだったの」
「実に豊作でしたよ。……おそらくクロです、あの家が」
「……へぇ」
「いくつか可能性が思い浮かんでいますが、杞憂であって欲しいと願う程度にはどれも悪い結論ですね。
カイリさんには次に納品の依頼が来たらのらりくらりかわしてくれと伝えてください。前回の納品者はもうこの街にいないとかなんとか言って」
「了解」
そうこう話している間に公衆浴場『ほどけ湯』に着いた。客はほとんどいなかった。
明日も早い。そそくさ服を脱いで身体を洗い、湯船に浸かる。
「はあー、たまにお風呂入ると良いね!」
広い湯船ですぐ隣に陣取ったネスタさんがわたしの顔を見て驚きの表情を浮かべた。
「……あんた、そんな幸せそうな顔できるのね」
「お風呂は格別です。広いお風呂は最高です」
そう答えて目を閉じる。ネスタさんがははっと笑った。
「なるほどお風呂がリフレッシュの場なのね。あたしは適当に出るから、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
「一緒に帰っても良い?」
「ええ」
やはり、この辺りは察してくれる人のようだ。助かる。
ネスタさんが湯船から出て行くと、肩の力を抜き、湯船に身を委ねた。
広い浴槽に私一人。自らを思考の海に浮かべ、意識を徐々に沈める。思考のフィールドを少しずつ、立体的に。
掴まなければならない証拠は多いけれど、おそらく集まるだろう。
あのご令嬢、不安定さが異常だった。
何か盛られている……もしくは家や学校に何か心を乱すものがある……脅されている、もあり得る。
盗聴用の魔道具は一式持ってきた。部屋数が多いけれど仕掛ける部屋を絞れば問題ない。
映像音声一体型の記録魔道具は今回二つしか用意できなかった。基本は使い捨てで値段が張るのだ。メルセオンは初めてで伝手がない。ああでも、設置済のものの傍受もできるか。傍受対策されているか次第だけど……あの家令の居丈高な感じ、対策してる感じはしない。
商会には、この五日間が終わってからにでも潜り込もう。急がなくても良いはずだ。督促されたら知らせてくれるようにカイリさんにお願いはしておく。
しかしあの侍女長の感じ……何か引っかかる。それこそ杞憂であれば良いのだけれど。
ドアが開く音がして我に返った。
「ミリィのぼせてない!?かなり経つけど!」
「ああ、ありがとうございます!今上がります」
思ったよりも潜りすぎてしまったようだ。あとは部屋で考えよう。
急いで立ち上がると一瞬意識が遠くなった。やはり温まりすぎたらしい。
洗い場で水を浴びる。最初は足だけ、徐々に心臓に近く、最後は頭から。
太く短く息を吐き、今日のお風呂を後にした。
「いつもあんなに長湯なの?」
「いいえ、考え事をしていました」
湯上がりのビールを飲んでいるネスタさんの質問に答える。
「ネスタさん、今日は休肝日なのでは」
「いやあ久々にお風呂入っちゃったらさ!飲みたくなっちゃって!また誘ってぇ、一緒に来ようー」
「良いですよ」
苦笑しつつ答えると、ネスタさんが「やったね」と笑った。
「なかなか『同業者』と仲良くなる機会ないじゃない?嬉しくて」
「……確かに、そうですね」
この時間の果実水は朝方のブレンドに近く、ハーブが多めのものらしい。あと何回楽しめるのか、と感慨にひたりながら飲んでいると、持ち帰り用の水筒が売られているのが目に入る。
「これ、ください」
この水筒に限らず、入れ物があれば持ち帰ることができるらしい。次も忘れずに持ってこようと心に決めて、果実水で満たした水筒を片手に帰路についた。
「……そんなわけでカイリさんには極力焦らすようにお願いしてください」
「了解。明日顔を出したついでに伝えとく」
「そういえばネスタさん」
「ん?何」
「この件についてファクトリアへの報告ってしてるんですか?」
「いいやしてない。そもそもスベリンゴの納品依頼が非公開でしょ?一番初めに依頼があった時に報告したきりだな。実際あたしに受託の打診はなかったから」
「なるほど。ネスタさん」
「ん?」
「逃げる準備、しておいてくださいね」
ネスタさんが一瞬きょとんとした後、穏やかな顔でうなずいた。
「……わかってる。そこは抜かりないよ。ありがとね、ミリィ」
宿に戻ると明日の支度、とともに、殿下への報告。
あの方は私が報告をするまでお休みにならない。この時間であれば、おまたせし過ぎということはないはずだ。
「遅くなりました、ミリィです」
『遅くまでご苦労。……どうだった』
今日のことを報告しながら身体を伸ばす。昨日走った疲れが少し身体に残っているから、軽くしておかないと。
「宰相補佐の方には伝言も残せるということだったので、この後報告をしておきます。まずは残り四日間ですね……何事もなければ良いなとは思います」
『ああ、そうだな。……くれぐれも気をつけろ』
「御意。遅くまでありがとうございました、殿下。おやすみなさいませ、良い夢を」
『……ああ。おやすみ、ミリィ』
通信を切り、首をぐるりと回す。
髪から落ちてきた精霊が、床をコロンと転がった。
つかれたねぇ
「そうね、疲れたわ。あなたもお疲れ様。明日はどうする?ここにいても良いわよ?」
ミリィまもるからついてくー
「……でも、あまり空気が良くないんでしょ?」
そうー、なんかやなかんじー
「嫌な感じ、ね」
邸の中で精霊がしきりに言っていたのは、モヤモヤとした何かを感じる、良くない、ということだった。
「お嬢様の状態が良くなかったじゃない?あれ、どう思う?」
もやもやがうねうねしてる
「うねうね?くっついてるってこと?」
なかからでてくるー
「……中から、出てくる?」
しゃべるともやもやー
「わかったありがとう。……だとすると私は気付けないわ。ここは森じゃないから、無理はしないでね」
またろーびーたべたい
「わかったわ。必ず」




