平成の余韻の中で
数年後。バブルの面影も完全に消え、世間は新しい世紀へ向かおうとしていた。
遥は会社を辞め、駿作の税理士事務所の事務として働いていた。彼の事務所は順調に拡大していたが、彼の生活は以前のように派手なものではなかった。
駿作は、まだ遥の手を握る際、時折戸惑いを見せる。遥もまた、男性のクライアントと接する際には緊張が解けない。
二人のトラウマは、完全に消えたわけではない。
しかし、夜。仕事が終わった事務所で、二人は向き合ってコーヒーを飲むのが日課だった。
遥は、駿作が自分のために用意してくれた、蓋をきちんと閉めたミネラルウォーターのペットボトルを、安心して手に取った。彼はもう、親切を装って「蓋を緩める」ことはしない。それは、遥のトラウマを尊重し、「私を信じろ」と強要しない彼の愛の形だった。
駿作は、リモートバッグの中に、遥がそっと入れた高級なハンカチを見つけ、口元に微かな笑みを浮かべる。それは、裏切りの憎しみではなく、受け入れられた温もりを知る穏やかな笑みだった。
「川北、今週の顧問先の資料、完璧だ。だが、私の『唯一の味方』という表現は、撤回する」
「えっ…」
駿作は立ち上がり、遥の隣に座ります。そして、ゆっくりと、しかし確信をもって遥の手を握りました。彼の目は、もう過去の影を映してはいません。
「私は、もう『味方』など必要ない。…川北遥。私の、『唯一の信頼』だ」
遥は、その言葉が、「裏切りの恐怖」を抱き続けた駿作にとって、「愛している」という言葉よりも重い、人生最大の告白であることを知っていた。
二人は、まだ不器用で、傷だらけのままだった。しかし、裏切りと恐怖を共有し、乗り越えようとする二人の間には、平成の喧騒から切り離された、唯一無二の静かな愛が確かに芽生えていた。




