AIRPORT ONE SHOT : 『先輩と後輩』
真夏の羽田空港_。
窓の外には陽炎が揺れ、滑走路の上を光が滑る。管制室の空気はいつも通り慌ただしいが、その一角で管制官の田辺勝彦は静かに空を眺めていた。
その姿を見つけ、部長の佐藤健一が声をかける。
「田辺さん、外なんか見て何をされているんですか?」
「ちょっと気分転換にな。」
そんな他愛もない会話から、ふたりの話題は自然と仲間たちのことへと移っていった。
自分たちが見守ってきた後輩たちの姿――。
変わりゆく時代の中で、それでも変わらずに流れ続ける“空”と“仕事”。
やがて田辺は、ふと寂しげに言葉を漏らした。
「俺も定年まで残りわずかだ。こうして空を見られる時間も限られている。」
その一言に、佐藤の胸に熱いものがこみ上げた。
「実はな、ひとつ頼みがあるんだ。」
そう言って田辺が静かに切り出した。
これは、空を守る者たちの"絆の話だ。
彼らが見つめるのは、飛行機ではなく、人の生 き方そのもの。
そしてその空の下には、どんな時代にも変わら ない「先輩」と「後輩」の姿があった。
あれから数日後、昼下がりの窓から差し込む夏の光が休憩室の机に反射していた。田辺勝彦は缶コーヒーを手に、静かに腰を下ろしている。そこへドアが開き、佐藤健一が入ってきた。
「お待たせしました、田辺さん。」
「いや、ちょうど来たところだ。」
田辺が微笑むと、佐藤は椅子を引いて腰を下ろした。空気にはわずかな緊張感が漂っていた。佐藤が口を開く。
「……田辺さん。仙台への異動の件、内々ですが決まりました。」
田辺は小さくうなずき、少し照れたように笑った。
「そうか。わざわざありがとうな。俺の頼みを聞いてもらって。」
「いえ。田辺さんが地元で定年を迎えたいとおっしゃったこと、私も納得しました。来月には正式な事例が下りると思います。」
「本当に悪いな。上に無理言って、掛け合ってもらったんだろ。」
「そんなことはありませんよ。でも、早いですね。もう4年ですか、田辺さんがここに来て。まさか羽田でまたお会いするとは思いませんでしたし、自分でも不思議な気持ちです。」
「そうだな。しかもお前は部長になっていたからな。」
二人は顔を見合わせ、軽く笑った。そして沈黙が落ちる。だがそれは不快なものではなく、長い付き合いの中で自然に共有される余白のようだった。
やがて田辺が懐かしそうに口を開いた。
「仙台か……思い出すな。お前が赴任してきた時のことを。」
佐藤はふっと笑みを漏らした。
「そうですね。俺が主幹管制官になって初めての赴任先でした。あの頃は……自分で言うのもなんですが、ギラギラしていました。出世のことしか考えていなくて。正直、地方勤務なんて不満しかなかったです。」
「そうだったな。俺は地元だから慣れていたが、お前の顔には『なぜここなんだ』って書いてあった。」
二人は声を立てて笑った。だが笑いながらも、佐藤の目は遠い記憶を見ていた。
「仙台での勤務は、最初は居心地が悪かったです。航空局に戻りたい気持ちばかりで……何とか結果を出さないとって焦っていました。でも、働いていくなかで、自分がどれだけ未熟だったか思い知らされました。」
田辺はうなずきながら、柔らかく笑った。
「あの頃のお前はなんだか焦っているように見えた。だが、少しずつ変わっていったのを俺は覚えている。」
佐藤は静かに息をついた。
「それから半年もしないうちでしたね、あの震災が起きたのは。」
田辺の声が低く落ちる。休憩室の空気が一瞬にして重くなった。
「地震が来て、そのあと津波が……。空港も町もすべて飲み込んだ。あの日のことは今も忘れられない。」
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2011年3月11日、仙台空港は地獄のような光景に包まれた。管制塔は大きく揺れ、モニターは暗転し、非常電源がかろうじて機能した。無線は雑音だらけになり、外を見ると滑走路の向こうから黒い壁のような水が押し寄せてきた。津波は駐機中の車両や荷物、そして建物までも押し流し、ターミナル一階は瞬く間に濁流に沈んだ。避難者たちは悲鳴を上げ、泣き叫ぶ子どもを抱えた家族が必死に屋上へ駆け上がっていった。
耳にはサイレンと混乱する人々の声、遠くから響くヘリのローター音が重なり、濁流の匂いと埃が空気を満たした。
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佐藤もその場面を思い返すように、ゆっくりとうなずいた。
「あの時は、自分がどうなるか本当に分からなかった。死ぬかもしれない、全て失うかもしれない……。でも、不思議と肩書きも出世もどうでもよくなった。ただ、目の前の人たちを助けたい、その一心でした。」
田辺は目を細めてうなずく。
「お前、あの時声を張り上げていただろう。『落ち着け、こっちが誘導する!』って。あの声にどれだけ救われた人がいたか分からん。」
佐藤は少し苦笑した。
「必死でしたよ。震える手を押さえて、声だけでも強く出さないと皆が混乱すると分かっていましたから。」
田辺は缶コーヒーを置き、まっすぐに佐藤を見つめた。
「だからこそ、お前は変わったんだ。」
佐藤は静かに笑った。
「はい。仙台で田辺さんと働きながら、一人では何もできないと痛感しました。空港を支えているのは派手な肩書きじゃなくて、仲間同士のつながりなんだって。あの経験がなければ私は今のようにはなれなかった。」
窓の外では夏の蝉が鳴いている。田辺は立ち上がり、軽く背伸びをした。
「佐藤、これからも大変だろうが……みんなを頼んだぞ。」
「はい。もちろんです。田辺さんから学んだことを、私はずっと忘れません。」
二人はしばし沈黙の中で視線を交わした。
羽田の夏の日差しの中、二人の会話は静かに終わりを迎えた。
かつては厳しくぶつかり合い、時に考え方も違った“先輩と後輩”。
しかし、長い年月を経て、肩書きや立場も変わる中、互いの背中に学び、支え合ってきた二人の姿は、
この空を守る全ての人々に通じるものがある。
人はいつか現場を去る。
だが、そこで過ごした時間、交わした言葉、積み重ねた日々の記憶は、
次の世代の誰かの中で生き続けていく。
田辺が見上げた空の先には、今日も新しい後輩たちがいる。
そしてその傍らには、かつての“自分”と同じように、
真っすぐに空を見つめる若者たちの姿があるのだろう。
――この空は、いつの時代も、誰かが受け継いでいく。




