AIRPORT ONE SHOT : 『NO MAN'S LAND』
2023年12月22日――。
クリスマス直前の金曜日。冬の日差しに包まれた空港は、旅行客と帰省客で賑わい、誰もが穏やかな週末の到来を信じて疑わなかった。
――バチッ。
突如として羽田空港全体の照明が落ち、機器が一斉に沈黙した。暗闇を切り裂くように非常灯が点滅し、出発ロビーの巨大スクリーンには翼を広げた「LIBERATOR」の紋章が赤く浮かび上がる。
「どうした!?」
「電源が落ちました!」
騒然とする管制室の中で、片山は冷静な声で指示を飛ばした。
「全便、手動管理に切り替えろ! 」
ヘッドセット越しに、真奈美や鈴木が航空機と交信を続ける。
システムが沈黙した空の下、ただ人の声と判断だけが航空機を導いていた。
一方その頃、空港内では公安部刑事の倉木をはじめとした捜査員が必死の追跡を続けていた。
「押さえろ! 逃がすな!」
捜査員が飛びかかり、ノートパソコンを操作していた黒いキャップの男を取り押さえる。解析の結果、この男がウイルスの拡散元であることが判明する。
伊藤が叫んだ。
「ウイルスの拡散を食い止めました! システムの一部が回復しています!」
その報告は、すぐに管制室にも届いた。
片山が受話器を取った。
「倉木だ! リベレーターの一味を確保し、システムも一部復旧した!」
歓声も安堵の声もなかった。ただ、誰もが静かに息を吐き、再び空と向き合った。
片山がすぐさま指示を出す。
「よし、通常システムへの移行を開始する! 遅れを取り戻すぞ!」
――あの夜、羽田の空は“人の意志”によって守られた。
だが、この事件は終わりではなかった。むしろ、すべての始まりにすぎない。
乾いた空気の中、東京タワーのライトアップが都市全体を冷たく照らし出している。高層ビル群は青白い光を放ち、不気味な輪郭を夜空に浮かび上がらせていた。渋谷スクランブル交差点の巨大ビジョンが鋭く輝き、ニュースキャスターの硬い声が重く降り注いでいた。
「昨日発生した、羽田空港での大規模な停電。原因はシステムの一時的な障害によるものであると発表がありました……」
画面に映るテロップには〈羽田空港で大規模なシステム障害〉とだけ表示され、サイバーテロという言葉は一切出てこない。報道は意図的に矮小化され、真実は深く覆い隠されていた。
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警視庁本部の取調室。鏡越しに、手錠をかけられた若い男の姿が映っていた。倉木和男は無精髭に険しい目つきで、分厚い腕を組み、その姿を鋭く睨みつけていた。隣に立つ公安部長の薪は、白髪混じりの短髪と深い皺を刻んだ顔で、長身ながら落ち着いた佇まいを見せ、深いため息をついた。
「倉木。取調べはお前に任せる。奴はそう簡単には口を割らんだろう。だが、どこまで踏み込むかはお前の判断だ。ただし……」
「分かってます。」
倉木は無精髭を撫でながら答えた。
「だが、ここで引くわけにはいかない。俺は遠慮するつもりはありません。」
薪は目を細め、ミラーの向こうを見た。
「覚悟はいいんだな。」
「当然です。」
倉木の声には一切の迷いがなかった。薪は重くうなずくと、観察室を後にした。残された倉木は深呼吸を一つし、取調室へと足を踏み入れた。
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「……やるぞ。」
倉木の低い声が、取調室に響いた。無機質な蛍光灯が白い壁を照らし、記録用レコーダーの赤いランプが点滅している。向かいには、空港襲撃を企てた「リベレーター」の一味とされる容疑者が座っていた。
初めは静かに笑うだけだったその男は、頬に走る切り傷を指でなぞりながら、わざとらしく血を舐め取った。乾いた唇が濡れるたび、口角が歪み、内側に潜む異様さが垣間見える。
「刑事さん、思ったより簡素な部屋だな。」
男は小さく笑った。
「あんたら公安だろ。もっと派手なことでもするかと思ったよ。」
倉木は書類を机に置き、目を逸らさなかった。
「お前の挑発に付き合う気はない。」
「挑発? いや、事実だ。」
男は爪を噛み、割れた爪の隙間から赤黒い汚れを見せつける。
「これで終わったと思うな、ただのテストさ。」
「テスト?」
倉木の目が細くなる。
「じゃあ本番はどこでやるつもりだ。」
「近いうちだ。また暗闇が訪れる。今度はもっと長く、もっと暗く。光も声も消える夜だ。」
男の声は次第に湿り気を帯び、笑みは狂気を孕んでいった。椅子に背を預けると、喉の奥から低い笑いが漏れ、唾液が顎を伝って机に落ちた。
「お前らの狙いはなんだ、国家か。」
倉木が問いただす。
「全てだよ。」
男は目をぎらつかせた。
「国境も秩序も全部壊す。血が流れ、悲鳴が街を覆うだろうな。」
倉木の拳が机を叩いた。
「それがお前らの言う“解放”か。」
「そうさ。」
男の声は低く湿っていた。
「それは誰のものでもない聖域……ノー・マンズ・ランド。そこでは叫び声も祈りもすべて無意味だ。」
男は喉の奥からぞっとするような笑い声をあげた。倉木の堪忍袋の緒が切れた。椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、机越しに男の胸ぐらを掴み上げる。レコーダーが机から落ち、赤いランプが転がりながら点滅を続けた。
「ふざけるな……!」
倉木の怒号が取調室に響く。
男は首元を締め上げられながらも、かすれた笑い声を漏らした。
「ああ……その顔だ。必死だな……ほんと最高だ。」
倉木はさらに力を込めかけたが、すぐに自制し男を突き放した。荒い呼吸を整えながら、 鋭い目で相手を昵みつける。
沈黙が落ちた。時計の針の音だけが響く。
「羽田の件は、ただの氷山の一角なんだろ。お前たちは何を隠してる?」
倉木は低く言った。
「隠してるのは、あんたらの方じゃないのか?」
男は舌で唇を舐め、唾を飲み込んだ。
「全部知ってるふりをして、本当は 核心に触れられない。俺たちはそれを"外側"から 突き崩す。」
「誰が糸を引いている。」
倉木の声が一段低くなる。
「俺が言うと思うか。 」
男は笑い、指先を噛んで血の味を確かめた。
「だがこれだけは言える。これは、まだまだ序章にすぎない。その“聖域”には、お前の想像もつかない闇が待っている。」
倉木は資料を閉じ、再び身を乗り出した。
「お前らの聖域というのはどこにある。」
「ノーコメントだ。」
男は血で汚れた舌をちら つかせ、不適に笑った。
「だが一度足を踏み入れたら、もう戻れないぞ。」
取調室の空気が一層張り詰める。倉木は机想し に男を見据え、低く咳いた。
「......踏み込んでみせる。そして真実を明らかにする。」
赤いランプが無機質に瞬き続ける中、二人の視 線は鋼のようにぶつかり合った。
その時、天井のスピーカーから薪の声が低く響いた。
「倉木、そこまでだ。取調べを中断しろ。」
倉木は顔を上げた。
「なぜです……なぜ止めるんですか。」
スピーカー越しに薪の声が冷たく落ちる。
「いいからやめるんだ。今はそれ以上踏み込むな。」
倉木は苛立ちを隠せぬまま扉を押し開け、取調室を出ようとした。その背に、再び男のかすれた声が突き刺さった。
「……おい、お前の“親父さん”も、結局は同じ道で消えたんだろう?」
一瞬、倉木の足が止まった。振り返ると、男は血のついた唇で嗤っていた。
「正義を掲げても、結局は呑まれる。」
倉木の拳が震えた。血が逆流するような感覚に、思わず再び掴みかかりそうになる。だが、かろうじて怒りを押し殺し、低くうなるように声を漏らした。
「どういう意味だ……親父のことを、なぜ知ってる。」
男は椅子に背を預け、喉の奥で嗤った。
「ふふ……やっぱり食いついたな。」
倉木の視線が鋭く突き刺さる。
「何を知ってる。」
「教えてほしいか? だったら……もっと深くまで来い。聖域で会おうじゃないか。」
直後、天井のスピーカーから薪の声が再び鋭く響いた。
「おい倉木、聞くな!今すぐ部屋を出ろ!」
倉木は歯を食いしばり、唇を強く噛んだ。だが結局、無言のまま取調室を後にした。
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観察室に戻ると、薪が腕を組み、険しい表情で待ち構えていた。
「……なぜ止めたんですか。」
倉木は低く問いただした。
「今、奴の本性が出かかっていた。」
薪は静かに答えた。
「だからだ。あそこで続ければ、お前自身が呑まれる。情報はまだ引き出せる。だが、やり方を誤ればお前が先に壊れる。」
「それに部長……さっきのあいつの言葉、どういうことですか。俺の親父のこと、まるで知っているような口ぶりだった。」
薪はしばらく沈黙し、鋭い目を倉木に向けたまま答えない。
「何か隠してるんじゃないんですか。」
倉木が一歩踏み出す。
薪は低く短く言った。
「……倉木、これ以上は聞くな。今はその時じゃない。」
その声には、いつも以上の硬さと、どこか切実さがにじんでいた。
倉木は黙り込み、拳を握り締めた。しかし同時に、薪の落ち着き払った態度の奥に、微かな違和感を覚えた。——まるで薪は何かを隠している。奴の言葉を制したのは倉木を守るためだけではない。背後に、まだ語られていない“別の真実”があるのではないか。倉木の胸の奥に、不吉な直感が静かに芽生えていた。
その後、倉木はふと観察室のミラーに視線を向けた。鏡越しに映るのは、不敵な笑みを浮かべる男の姿があった。
取調室で交わされた言葉は、ただの“幕引き”ではなく、むしろ“序章”であることを告げていた。
「また暗闇が訪れる。今度はもっと長く、もっと暗く。」
「それは誰のものでもない聖域――ノー・マンズ・ランド。」
あの男の不気味な言葉は、単なる脅しでも、負け惜しみでもなかった。公安の記録にも存在しない“別の計画”、倉木の過去と繋がる何か、そして国家の根幹すら揺るがす陰謀の匂い――すべてが静かに動き出している。
まだ誰も知らない巨大な影が、ゆっくりと姿を現そうとしていた。
この先、もっと深く、もっと危険な“闇”が待ち受けている。
そしてその中心にある「ノー・マンズ・ランド」へ、倉木は踏み込むことになる――たとえ、それが戻れぬ場所だとしても。




