6話 アレン・クロムウェル
空気が、裂けた。
耳を劈く轟音とともに、砂塵が円を描いて弾け飛ぶ。
オークの巨体が次々と地面へ叩きつけられていく。
メアリーとリリアは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
男の戦斧が、風を切る。
一閃ごとに、オークの武器が砕け、巨体が倒れる。
圧倒的な力。
けれど、その動きには無駄がない。まるで踊るように、男はオークの群れを蹴散らしていく。
「グオオオッ!」
最後の一体が雄叫びを上げて突進する。
男は戦斧を肩に担いだまま、片足で地面を軽く蹴った。
舞い上がった石つぶてが刃のように走り、オークの手首を正確に穿つ。
握力を失った棍棒がぼとりと落ちる。
「終わりだ」
男の一撃――圧縮した風の刃がオークを遥か後方へと吹き飛ばした。
静寂が、戻る。
砂混じりの風が、破れた旗のように三人のマントを揺らしていた。
「……す、すごい」
リリアが呆然と呟く。
男は戦斧を地面に突き立てると、ふたりに向き直った。
「大丈夫ですか?」
低く、野太い声――かと思いきや、意外にも穏やかな口調だった。
「こんなところでモンスターの群れに襲われるなんて、運が悪かったですね」
近づいてくる男の顔を見て、メアリーは驚いた。
想像していたよりも若い。二十代前半だろうか。大柄な体躯に似合わない、どこか優しげな瞳をしている。
「あ……ありがとうございます」
メアリーが震える声で礼を言うと、男は柔らかく笑った。
「クロムウェル王国の者です。通りすがりなので、お気になさらず」
「クロムウェル……!」
リリアが目を輝かせる。
「私たち、まさにクロムウェルを目指していたんです!」
「そうなんですか。じゃあ、道案内しましょうか? この先は魔物が多いですし」
「本当ですか?」
「ええ。どうせ俺も帰るところですから」
男は肩をすくめる。
「それに――」
彼はメアリーを見つめた。
「お嬢さん、かなり疲れているようですね。魔力も乱れている」
「……分かるんですか?」
「ええ。俺も似たような経験があるので」
その言葉に、メアリーの心臓が跳ねる。
「似たような……?」
「まあ、詳しい話は後で。まずは安全な場所まで移動しましょう」
男に導かれて、ふたりは近くの洞窟へと移動した。
焚き火が燃え上がり、温かな光が洞窟を照らす。
「改めて自己紹介を」
男は焚き火の向こうから手を差し出した。
「俺はアレン・クロムウェル。冒険者をやっています」
「メアリー・グレイス・ニールセンです。こちらは親友のリリア」
「よろしく」
握手を交わす。その手は大きく、温かかった。
「それで――ビンセントから来たということですが、何か事情が?」
アレンの問いに、メアリーは俯いた。
言うべきか、言わざるべきか。
けれど――この人なら、もしかしたら。
「……私、追放されたんです」
「追放?」
「はい。ビンセント王国から――」
メアリーは、これまでの経緯を話した。
聖女だったこと。毒を盛られたこと。太ってしまったこと。婚約を破棄されたこと。そして、追放されたこと。
話している間、アレンは黙って聞いていた。
嘲笑も、同情も浮かべずに。
「……なるほど」
話を聞き終えると、アレンは深く息を吐いた。
「魔力食増幅草か」
「ご存知なんですか?」
「ええ。俺も――実は同じ目に遭ったことがあるんです」
「え……?」
メアリーとリリアは、目を見開いた。
「俺、この世界に転生してきたんですよ。異世界転生ってやつです」
「転生……!」
「最初は国防傭兵として働いていたんですが、政争に巻き込まれてね。あなたと同じように、魔力食増幅草を盛られて追放されました」
アレンは苦笑する。
「あの頃は地獄でしたよ。何を食べても満足できない。魔力は使えない。体重はどんどん増える――」
「……」
「でも、俺は運が良かった。ある料理人に出会えたんです」
「料理人?」
「ええ。その人が教えてくれたんです。『食べ方を変えれば、身体は変わる』って」
アレンは焚き火の炎を見つめる。
「モンスター素材を使った料理。低脂肪で高タンパク、それでいて満足感がある――そういう食事を続けたら、少しずつ体重が落ちて、魔力も戻ってきたんです」
「本当に……?」
メアリーの声が震える。
「本当です。今の俺がその証拠」
アレンは胸を叩いた。
「だから、あなたにも同じことができる。絶対に」
「でも、私……もう聖女じゃなくて……」
「聖女かどうかなんて関係ない」
アレンはメアリーを真っ直ぐ見つめた。
「あなたは、前に進もうとしている。それが一番大事なんです」
その言葉が、胸に響く。
ミルクリーク村の老婆も、同じことを言っていた。
「……私、変われますか?」
「変われます。俺が手伝いますから」
「どうして……どうしてそこまで……」
メアリーの目に涙が浮かぶ。
「困ってる人を放っておけない性分なんです」
アレンは照れくさそうに笑った。
「それに――」
「それに?」
「相変わらず、ビンセントの貴族は陰湿で反吐が出る。同じ目に遭った人を、放っておけるわけがないでしょう」
その言葉に、メアリーは思わず笑った。
追放されてから、初めて心から笑った気がした。
「じゃあ、早速始めましょうか」
アレンが立ち上がる。
「え? 今から?」
「はい。まずは食事から」
アレンは倒したオークの肉を取り出した。
「オーク肉は脂肪分が多いですが、部位によっては良質なタンパク源になります」
手際よく肉を切り分け、串に刺していく。
「リリアさん、何か香草はありますか?」
「あ、はい!」
リリアが荷物から香草を取り出す。
「ローズマリーに似たやつですね。完璧です」
アレンは香草と岩塩を振りかけ、じっくりと焼き上げる。
ジュージューという音と香ばしい匂いが、洞窟を満たした。
「はい、どうぞ」
「いただきます……」
メアリーが一口食べると、その美味しさに目を見開いた。
「美味しい……!」
「でしょう? 焼き方と味付けで、オーク肉もこんなに美味しくなるんです」
アレンは嬉しそうに笑う。
「これから、色々な料理を教えますよ。美味しく食べて、少しずつ身体を変えていきましょう」
「……はい」
メアリーは頷いた。
まだ不安はある。
本当に変われるのか、自分でも分からない。
けれど――この人となら、前に進める気がした。
焚き火が静かに燃えている。
アレンは串を手に、ふと呟いた。
「そういえば、まだ大事なことを言ってなかったですね」
「何ですか?」
「魔力食増幅草による異常な食欲は――長くても約二ヶ月で収まります」
「え……?」
メアリーは息を呑んだ。
「本来は病後の回復に使う薬草なんです。悪用されると地獄ですが、効果には限界がある」
アレンは確信を込めて頷く。
「俺の経験でも、二ヶ月が目安でした。誤差はせいぜい二週間。つまり――」
「つまり……?」
「今は嵐でも、やがて凪は来る。その嵐を乗り切る手伝いを、俺たちにさせてください」
「二ヶ月……」
その言葉に、メアリーの瞳に小さな炎が灯った。
「やってみたいです。私の魔力を……私自身を、取り戻したい」
「よし、決まりですね」
アレンは拳を掲げた。
「じゃあ、明日からグルメダイエット開始です!」
「グルメダイエット?」
「ええ。美味しく食べて、健康的に痩せる――それが俺の提案です」
リリアが目を輝かせる。
「素敵です! 私もお手伝いします!」
「頼もしい。じゃあ、三人でパーティを組みましょうか」
「パーティ……」
メアリーは、ふたりの顔を見た。
リリアの笑顔。アレンの力強い眼差し。
もう一人じゃない。
ふたりが――仲間がいる。
「はい。よろしくお願いします」
メアリーは、初めて心から笑顔を浮かべた。
焚き火の光が、三人を照らしている。
新しい旅が――今、始まった。




