5話 オークの群れ
追放から一週間。
メアリーとリリアは、交易路沿いの小さな宿場の村、ミルクリークへ辿り着いた。
土壁の家々と、干し草の匂い。井戸端では女たちが世間話に花を咲かせ、行商人の荷車がきしみを上げて止まっている。
活気のある、穏やかな村だった。
「ようこそ、旅のお嬢さん方」
腰の曲がった老婆が、ふたりに声をかけてきた。
「ずいぶん顔色が悪いねえ。まあ、座りなさい」
「あ、ありがとうございます……」
老婆は湯気の立つ麦茶を差し出してくれた。
メアリーが受け取ると、その温かさに思わず涙が出そうになる。
追放されてから、こんなに優しくされたのは初めてだった。
「どこから来たんだい?」
「ビンセント王国から……クロムウェル王国を目指しています」
「ビンセントから! そりゃまた遠いところから」
老婆は目を丸くした。
「ずいぶん疲れてるようだけど、大丈夫かい? この先はもっと険しい道が続くよ」
「……大丈夫です。私たちには、目的がありますから」
リリアが力強く答える。
「ほう、目的ねえ」
老婆はふたりの顔を交互に見て、にっこりと笑った。
「若いっていうのは、いいもんだねえ」
井戸端で休んでいると、薬草を仕分けていた男が声をかけてきた。
「旅の方、何か物々交換できるものはありませんか? この村は小さいので、商人もあまり来ないんです」
「あ、では……」
リリアが背の荷から小瓶を取り出す。
「これ、スライムの粘液を煮沸したものです。何かと交換できませんか?」
「おお!」
薬師の男は目を輝かせた。
「これは上等な処理だ。血抜きも丁寧で、透明度も申し分ない」
「本当ですか?」
「ええ。これなら薬の材料にもなるし――」
男は老婆を振り返った。
「ばあさん、これなら《ゴルゴン様》も喜ぶんじゃないか?」
「ゴルゴン……!」
リリアの瞳がきらりと光る。
「ご存知なんですか?」
「ああ、知ってるとも」
老婆が嬉しそうに頷いた。
「ドラコニア連合王国の《魔獣料理シェフ》、ゴルゴン様さ。海竜の腱で麺を打ち、バジリスクの卵で菓子を焼くっていう、伝説の料理人だよ」
「私、父から話を聞いたことがあります!」
「そうかい。じゃあ知ってるかもしれないけど――」
老婆は声を潜めた。
「ゴルゴン様は、スライムの粘液をゼリーにして、旅人の疲れを癒やしてくれるんだ。それはもう、絶品でねえ」
「私たちも作りました!」
リリアが身を乗り出す。
「母が教えてくれたレシピで……本当に美味しくて、メアリー様の身体も少し楽になったんです」
「ほう、お母さんは料理人かい?」
「はい。冒険者の宿で働いていました」
「それなら、きっとゴルゴン様に会えたら、もっと色々教えてもらえるよ」
薬師の男が口を挟む。
「粘液は、きっちり煮沸して雑味を抜くのがコツでな。香草と酸味を足せば、軽くて腹持ちがいい。最近はクロムウェル王国でも真似する店があるそうだ」
「クロムウェルに……!」
メアリーは、昨夜のスライムゼリーを思い出した。
あの料理が、自分の魔力を少しずつ回復させてくれている。もしゴルゴンという料理人に会えたら――もっと強くなれるかもしれない。
「……本当に、料理で前に進めるのかしら」
メアリーがぽつりと呟くと、老婆はにっこり笑った。
「前に進もうと足掻く者には、食いもんは一番の味方になるもんさ」
その言葉が、メアリーの胸に染み込む。
「あんたたち、何か辛いことがあったんだろう?」
「……え?」
「見れば分かるさ。でもね、諦めずに歩き続けてる。それが一番大事なんだよ」
老婆は小さな手で、メアリーの手を包んだ。
「ゴルゴン様に会えりゃ、あんたたちももっと学べるだろうねえ。きっと、道は開けるよ」
「……ありがとうございます」
メアリーの目に、涙が滲む。
結局、小瓶は一週間分の麦粉と干し肉、火打石用の綿布と交換になった。
日が傾き始める頃、ふたりは村を後にする。
「いい人たちだったわね」
「はい。あんなに優しくしてもらえるなんて……」
リリアの声が震える。
「メアリー様、私たちまだ捨てたもんじゃないですよ」
「……そうね」
メアリーは空を見上げた。
「ゴルゴンさんに会えたら、ゼリー以外も教えてもらいましょう。きっと私たちのレシピが増えますよ!」
「ええ。私も、覚えたい。――私が、強くなるために」
メアリーの瞳に、確かな決意が宿っていた。
それから三日。
クロムウェル王国への道は、ここからが正念場だった。
村で手に入れた食料のおかげで、ふたりの体力は幾分か回復していた。
メアリーの魔力も、少しずつだが安定してきている。
けれど――油断は禁物だった。
「メアリー様、気をつけてください。この辺りは魔物の出没が多い地域です」
「分かってるわ」
砂礫の荒野が続く。風が強く、視界が悪い。
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……
大地が揺れる。
「この音……!」
リリアが剣を抜く。
メアリーも杖を構えた。
砂埃の向こうから、黒い影が近づいてくる。
一体、二体――いや、もっとだ。
「まさか……」
風が止んだ瞬間、その姿が露わになった。
――巨大なオークの群れ。
獣臭と血の匂いが混じり合い、風に乗って鼻を突く。粗雑な鉄斧、継ぎはぎの革鎧、そして牙をむき出しにした咆哮。
太い脚が大地を踏み鳴らすたび、胸の奥にまで衝撃が響いた。
「十体以上……!」
リリアの声が震える。
「メアリー様、逃げましょう!」
「で、でも……!」
背を向けて逃げれば、追いつかれる。
かといって、この数を相手に戦えるのか――。
「グオオオオオッ!」
先頭のオークが雄叫びを上げる。
それを合図に、群れが一斉に襲いかかってきた。
「は……はぁ……!」
メアリーは震える手で杖を構える。
けれど、重くなった身体と乱れる呼吸が術式を阻む。放たれる魔法は、狙いが定まらない。
喉が焼け、視界の端が暗く滲んでいく。
「聖光の矢ホーリーアロー!」
光の矢が一体のオークに命中する――が、その巨体を倒すには至らない。
「くそっ……!」
「メアリー様、下がって!」
リリアは短剣を逆手に構え、最前の一体の膝裏を狙って滑り込んだ。
刃が腱を裂き、巨体がよろめく。
だが、振り下ろされた棍棒が地面を砕き、飛び散った石礫が彼女の頬をかすめる。
「くっ……!」
あと数歩で届く、殺意の壁。
リリア一人では、長くはもたない。
「私が……聖女なのに……!」
無力な自分への絶望。
唯一の友を失う恐怖。
「このままでは、リリアが……!」
メアリーの手が震える。
杖を握る力が、消えかけた。
――その時だった。
「おいおい、レディたちが困ってるじゃねえか」
低く、野太い声が響いた。
砂埃の向こうから、ひとつの影が現れる。
大柄な体躯。肩に担いだ巨大な戦斧。そして――獰猛な笑み。
「俺の獲物を横取りしようってのか? オーク風情が」
男は戦斧を振るった。
一閃。
風を切る音と共に、先頭のオークの首が宙を舞う。
「な……!」
メアリーとリリアは、言葉を失った。
男は振り返り、ニヤリと笑う。
「嬢ちゃんたち、ちょっと下がってな。ここからは俺のショータイムだ」
その言葉と共に、男はオークの群れへと突進していった。




