選挙とキメラとユートピア
文章の上とはいえ、彼を呼び捨てにするのは忍びない。政治とは滅私奉公の職分であるから、現役の地方議会議員であり、これからも地域に密着した議員であり続けんとする彼には敬意を払い、X氏と呼ぶことにしよう。
X氏は情け深い人柄である。困っている人がいれば真っ先に駆けつける行動力を持ち、モットーは現場最優先、議論を深めるより一人一人の声を集めて奔走する。弱者の願いを叶えるために苦心惨憺たる努力を惜しまない、まさに聖人なのである。
その人柄が愛され、つねに活力に満ちている彼の実績は、通算三期、十二年に渡って政治家であり続けられたことが何より雄弁に物語っている。すでに三回も過去の選挙で選ばれているのだ。議員としての経験は豊富で、今回の立候補者の中では誰よりもベテランで頼りになる。政治にあまり関心のない人でも、X氏に投票すれば安牌と考えるのが自明である。だから四度目の選挙でも彼が当選するのは当たり前のことなのだ。
公約は守る。
給料はいらない。
政治資金パーティーはしようとも思わない。
まさにいま苦しんでいる人々の生活を改善するため、各家庭に一律五万円を支援する。他の議員や首長と協力し合い、円滑な議会、即行の政治を心掛ける。税金を減らすよう国に呼びかける。障がい者に寄りそう。高齢者に寄りそう。医療や介護のデジタル移行を推進する。教員の手取りを増やして子供に質の高い教育を提供する。女性が悩まない社会をつくる。子育て家庭を支援する。労働者の賃金を上げる。新たな産業を創出する。潤沢な財源を有効に活用する。未来の子供たちのため環境保全に注力する。クリーンな交通手段である空飛ぶ絨毯の普及に向けて、必要な条例をみんなで考える。
万博で話題をさらった空飛ぶ絨毯が一般家庭に普及するのは五年後か、あるいは十年後と言われている。だからそれまでには社会を混乱させないための条例をつくっておかなければなるまい。とにかく議員としてやるべき仕事は山ほどあり、多くの期待を背負うX氏にとって四年という期間は短すぎる。X氏は支持者の期待に応えるために誠実を貫き、次の選挙も、さらに次の選挙も必ず当選しなければならない。
彼は自分が地方議会の議員でいられることに誇りを持っている。これほどまでに、やりがいを感じられる仕事が他にあるだろうか。
X氏は皆の意見を汲みあげる。皆の夢を実現する。
皆の税金を大切に扱う。皆の負担を軽減する。
高齢者に手を差し伸べる。少子化を憂う。
首長選挙より議員選挙。協調を重んじ、他者を尊重し、理解し、皆の身近な存在であり続ける──。
筆者は、X氏の思想を美しいものと思う。
だが一つ困ったことにこの文章をジャンル分けするに際して、これはホラーか、はたまたミステリーか、見極めるのに大変難儀した。これほど美しい幻想はないと思い至り、さしずめファンタジーに分類するのが最適と決定した次第である。
私にとっていま大事なことは、明日が投票日であること。そして深夜0時以降の選挙活動が御法度であること。ただこの二点に尽きる。