第7話 田中さんは良い匂い!
「なぁ、中山知ってるか?良い匂いだと感じる相手は運命の人らしいぜ」
三限の授業が終わって俺が教科書を片付けていると、突然友人の町田が現れてそんなことを言ってきた。
「急にどうした?」
いつにも増してテンションの高い友人を不思議に思った俺は何があったのか尋ねると、待ってましたとばかりに意気揚々と町田は話し始めた。
「いやぁ〜実は昨日たまたまネットで匂いについての記事を見てな。そんなことが書いてあったんだよ」
「はぁ〜なるほどな。どうせお前の好きな四季姫の誰から良い匂いがしたとかそんな話だろ」
「正解!今日春野さんと電車が一緒になった時、めっちゃ良い匂いがしたんだよ。つまり、春野さんは俺の運命の人ってことだよな!で、今日の放課後に告白してこようと思うんだけど、中山どこか良い感じにエモい場所知らね?」
どうやらネットの情報を鵜呑みして、春野が運命の人だと思って舞い上がっているらしい。
しかし、残念な事に春野はメインヒロイン。
海星に夢中なあの少女に今告白しても玉砕するのは火を見るように明らかだ。
「おい、待て。早まるな!たったそれだけで動くとか早計過ぎる。考え直せ、死ぬぞ!」
「うるせぇ!春野さんは運命の人なんだ。絶対行ける!ふん!お前に話を聞かせたのが間違いだった。告白スポットは俺で選ぶ。せいぜいお前は明日俺と春野さんが付き合ったのを聞いて悔しがるんだな」
「お、おい!」
俺は必死に考え直すよう言ったが、町田は聞く耳を持たず教室を出て行ってしまった。
(おいおい、アイツ死んだな)
「あの、町田君は大丈夫でしょうか?」
俺が呆れた目で町田が出て行ったドアを眺めていると、隣にいた田中さんが心配そうな声で話しかけてきた。
あんな単純馬鹿を心配するなんてやはり田中さんは天使で間違いない。
何故誰もこんな天使の田中さんを崇めたてまつらないのか甚だ疑問である。
そんな田中さんの魅力に気が付かない愚か者を止める義理はない。
「まぁ、放っておいていいだろ。これに懲りてネットの情報を鵜呑みにする危険性を学べば良い」
「意外と友人相手にも辛辣なんですね。中山君」
しかし、優しい田中さんから見て俺の反応はあまり好ましもので無かったらしく苦笑いをされてしまった。
これは不味い。
「そんなことないだろ。一応止めようとはしたし」
昨日に引き続いて好感度を下げたくない俺はすぐさま弁明すると「それもそうですね」と田中さんも思うところはあったのか理解してくれた。
何とか好感度を落とさずにすんだ俺は内心で安堵の息を付いていると、「そういえば」と田中さんが話を切り出してきた。
「先程の話ってどこまで信憑性があるのでしょうか?」
「どこまでって匂いの話か?」
「はい。良い匂いと感じた人とならお付き合いしやすいのでしょうか?」
どうやら年頃の女の子的には気になる話だったらしい。
可愛いかよ。
俺は田中さんが満足するまで全力で相手になることを決めた。
「しやすいとは思うぞ」
俺がさっそく持論を出すと、田中さんは不思議そうに首を傾げる。
「それは良い匂いだと初対面の印象が良いからですか?」
「それもある。だけど、多分この話の良い匂いってずっと嗅いでたくなる心地よい匂いのことを指してるはずだ。だから、出会った後もプラス材料として働き続ける。これってかなりのアドバンテージじゃね?」
「なるほど。それはかなり有利と言えますね」
田中さんからの質問に丁寧に答えると納得してもらえたようで、神妙な顔で何度も頷いてくれた。
「まぁ、自分は良い匂いだと思ってても結局相手が良い匂いだと思ってなかったら意味ないんだけどな」
ただ、俺が話したのは両者の相性が良い場合の話だと遠回しに町田を引き合いに出すと「アハハハ、それもそうですね」と、田中さんは乾いた笑みを溢した。
「あの、中山君はどんな匂いが嫌とかありますか?」
「嫌な匂いか。まぁ、腐敗臭とか汗の匂いは好きじゃないな。後は、めっちゃ匂いがキツイ芳香剤とか香水。あーいうの長いこと嗅いでると気分悪くなるんだよな」
「それ私も凄く分かります。特に車につけるタイプのものが苦手です」
「分かる分かる。五分くらいしたら耐えきれなくなって窓開けるよな」
「ねぇねぇ、二人とも何の話しているの?」
その後、匂いの話題で盛り上がっていると興味を持ったのか法水さんが会話に混ざってきた。
「へぇ〜、匂いの相性ねぇ〜。たーちゃん。ちょっと嗅いでもいい?」
何の話をしていたのかを俺達が説明を聞き終えるやいなや、法水さんは田中さんに抱きつきそんなことを言った。
「えっ!?えっと、美琴ちゃんになら構いませんけど……」
突然の申し出に困惑する田中さん。
法水さんと俺の間でせわしなく視線を右往左往していることから、おそらく男の前でされるのが恥ずかしいのだろう。
「俺──」
「ホント!?じゃあ、失礼して。スンスン」
その意図を正しく汲み取った俺が行動を移そうとするよりも早く、法水さんが田中さんの髪に顔を埋め匂いを嗅ぐ。
「うーん。ローズみたいなフローラルで良い匂いがするぅ〜」
「えっ!?あっ」
その後、法水さんに感想を言われた田中さんの頬は熟れた林檎色に染まり、すぐさまそれを隠すように顔を両手で塞いでしまった。
(ごめん田中さん。でも、可愛い。可愛過ぎるかよ)
俺がもっとしっかりしていれば、田中さんが恥ずかしい思いをしなくて済んだことは本当に申し訳なく思っている。
だが、それ以上に田中さんの反応があまりにも可愛くて俺は心の中で手を合わせ法水さんに感謝した。
「もう、美琴ちゃん酷いです!中山君の前であんなことするなんて」
暫くして、ある程度落ち着きを取り戻した田中さんはまだ少し赤い顔のまま法水さんに説教をした。
「あーごめんごめん。どうしてもたーちゃんの匂いが気になってさ、つい。お詫びに私の匂い嗅いでいいから」
だが、法水さんは特に悪びれた様子もなく田中さんの顔を抱きしめる。
「別にそんなのいりません!」
「まぁまぁ、そうかっかしないで。で、私ってどんな匂い?」
「……スンスン。キャラメルみたいな甘い匂いがします」
田中さんは最初抵抗したが、法水さんも自分と同じ目に合わせたいのか最終的には言われるがままに匂いを嗅ぎ感想を溢した。
「ホント!じゃあ、私達相性抜群じゃん。たーちゃん結婚しよう!」
「こんな意地悪をしてくる人にはしません!」
だが、田中さんの目論見とは裏腹に法水さんは恥ずかしがるどころかむしろ嬉しがって頬擦りを始める始末。
法水さんに揶揄われて涙目になっている田中さんは本当に可愛く、俺は二人が作り出す素晴らしい百合空間を休憩時間が終わるまでたっぷりと堪能させてもらうのだった。
余談だが、この日の放課後に町田は見事玉砕し『もう二度とネットは信じねぇ!』と強い怒りの籠ったメッセージが俺のスマホに送られてきたのは言うまでもないだろう。
次の日の早朝。
「うげっ、マジかよ」
今日も今日とて自転車で学校へ向かおうとしたところで、前輪の空気が完全に抜けていることに気が付いた。
どうやら昨日の帰り道に何か尖ったものを轢いてしまったらしい。
確認してみると小豆程度の石がタイヤに突き刺さっていた。
「はぁ〜。しゃーない。今日は電車で行くか」
仕方なしに俺はタイヤから石を引く抜くと、籠に入れていた鞄を持って駆け出した。
駅に着くと通勤ラッシュの時間帯もあり人で溢れかえっている。
これがあるから電車は避けていたのだが、今日ばかりは贅沢なんて言っていられない。
財布の奥底で眠っていたICカードを引っ張り出し改札を通るのだった。
そして、ホームに降り人が一番少ない列に並ぶこと三分。電車が到着した。
(せまっ!)
何とか身体をねじ込み乗り込む事に成功したのだが、代わりに殆ど身動きが取れなってしまう。
これではスマホを使って暇を潰すことも出来ない。
すぐに俺はスマホを諦め、窓の外を眺めて時間を潰す事にした。
「……お婆様良ければそこ空いているので座ってください」
「……おや、いいのかい?」
「……はい、私はもうすぐ降りますので」
「……ありがとう。悪いねぇ」
(んっ?あれ、田中さんじゃないか?)
電車に揺られながらぼんやりと外を見ていると、窓ガラスの反射から田中さんと思わしき美少女がお婆さんに席を譲っているところが見えた。
チラッと視線をそちらに向けてみれば間違いない俺が好きな田中さんだった。
(くそっ、一発で見抜けないとは情けねぇ!でも、やっぱ田中さんって良い子だよな。今日は体育と習字が重なって荷物重いのに)
あいも変わらず田中さんの天使っぷりは健在で癒される。
良い物を見せてくれたお礼に荷物を持って上げたいのだが、いかんせん距離が離れ過ぎていて難しい。
(近くに来てくれねぇかなぁ)
ぼんやりとそんなことを考えていると駅に着いた。
といっても、学校の最寄りの駅ではなくその二つ前。
人の入れ替わりの邪魔にならないよう端に寄せてドアが閉まるのを待っていると「……中山君」と隣から名前を呼ばれる。
「っ!?」
完全に不意を突かれる形だったため俺は体を大きく仰け反らせ、声のした方を向くと田中さんがいた。
「……田中さんか。マジびっくりしたぁ」
「……ふふっ、中山君がいるのを見かけたのでつい。ドッキリ大成功ですね」
素直に驚いたことを白状すると、田中さんはまるで悪戯が成功した子供のようにはにかんだ。
その破壊力は凄まじく思わず鼻血が出そうになったが、上を向くことで何とか耐える。
「かはっ!?こほっこほっ」
「うわあっ……だ、大丈夫ですか!?中山君」
「大丈夫だ。こほっ、ちょっと咽せただけだから」
しかし、そのせいで血が気管支に入ってしまい盛大に咽せてしまった。
(情けねぇ)
不甲斐ない姿を田中さんの前に晒してしまった事にやるせない気持ちを抱えたまま、口元を拭っていると電車が動き出す。
それに伴い、電車が大きく揺れる。
「っ!?」
壁にもたれかかっていたおかげで俺は何とも無かったが、田中さんは違った。
俺の心配をしていたせいで吊り革から手を離しており、その場で大きくつんのめった。
「あっぶ!?」
このままだと田中さんが誰かとぶつかって頭を打つかもしれない。
そう思った俺は咄嗟に田中さんの背中に手を回し引き寄せる。
その結果、田中さんが俺の胸に飛び込んできて胸の辺りでむにゅっと何か柔らかいものが潰れる。
身体は当然硬直した。
何故なら好きな子と不可抗力とはいえ抱きしめ合っているのだから。
「「………」」
俺達の間に静寂が流れ、周囲の人の身動きする音や電車が揺れる音だけが響く。
しかし、俺に聞こえているのはそれだけではなく爆発的に加速している心臓の鼓動が嫌なほど聞こえていた。
正直、田中さんに聞かれていないか不安で仕方ない。
でも、こんな幸運は二度と来ないかもしれないと思うと中々動き出せなくて。
暫く固まっていると「……あ、ありがとうございます」と、ようやく田中さんの方が口を開いた。
「……い、いやお礼を言われるほどのことでは。というか、すまん。こんなことになってしまって。嫌だったよな。すぐ離れる」
それを皮切りに俺の方もようやく動けるようになり、すぐさま謝罪し田中さんから離れた。
「あっ。……いえ、その、別に嫌だったとは思ってないです。私のために動いてくれたことは分かってますから」
田中さんは俺のことを許してくれたが、目が少し泳いでいて本心から言っているのかは分からなかった。
これはまだ何か謝った方が良いことがあるかもしれない。
「……いや、でも汗臭かっただろ。駅まで走ってきたばっかだから結構かいてるし。本当ごめん」
「……そんなことは。むしろ、石鹸みたいなの良い匂いがして、あっ、えっと、とにかく不快では無かったです。はい」
「……そうか。なら良かった」
不安に駆られた俺は再度謝ると、予期せぬ返しが飛んできて俺はまた身体が熱くなるのを感じてそっぽを向くと再び静寂が訪れる。
それは次の駅もその次も続き、学校の最寄駅に着いてからも変わらなかった。
その間の記憶は曖昧で、正直殆どなにも覚えていなかったが、たった一つ覚えていたのは法水さんが昨日行っていた通り田中さんは薔薇のような甘くフローラルな良い匂いをしているということだけ。
『良い匂いだと感じる相手は運命の人らしいぜ?
『まぁ、自分は良い匂いだと思ってても結局相手が良い匂いだと思ってなかったら意味ないんだけどな』
『……そんなことは。むしろ、石鹸みたいなの良い匂いがして、あっ、えっと、とにかく不快では無かったです。はい』
「っ〜〜!?」
学校へ向かう道すがら脳裏に昨日した話の内容と先程の田中さんの発言を思い出し、俺が悶絶したのは言うまでもないだろう。
◇
「あっ、たーちゃん!おはよう!今日は凄くご機嫌だけど何かあったの?」
「ふぇっ!?べ、別に何もなかったですよ」
「ぷっ、その反応絶対何あったやつでしょ」
「うん、すごく分かりやすいね。たーちゃんは」
「ううっ、本当に何も無かったんですってばぁ〜〜。……ふふっ」
「……だから隠せてないって」
「……普段しっかり者だけど意外とポンコツだよね、たーちゃん。これは当分このままかな」