大黒さまとナイフ先輩
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、これ子供の時のおまもりだ。
懐かしいな、ランドセルに入れっぱにしていて、そのままだったよ。
我が家だと毎年、お守りを買って、個々人が持つのが恒例行事になっていてね。年のはじめに全員に配られるんだよ。
僕も律義に、これらを持ち歩いていた。当時は、携帯電話がまだまだ縁遠くて、何か連絡をとるときは公衆電話のイメージだったからね。お守り袋の中に10円玉を数枚しのばせておく、というのは当時の子供にはよくあったんじゃないか。
どれ、今も残っているかなあ、と……て、あ! これ「大黒さま」じゃん!
ああ、こーちゃんは聞いたことなかったかな。
大黒さまというのは、お守りをはじめとした、まじないに関する現象のひとつでね。念じた思いに対して、黒一封。
つまり黒々と染めあげることで、その効果をなくしたり、別の効果へとねじ曲げたりしてしまうんだ。ほら、お守りの中に入っている紙片、真っ黒になっているだろ?
見た目には人の手のいたずらにも思える、大黒さまのシンプルな仕業。でも、いじられたお守りを持っていると、分かりやすい不幸から、理解しがたい現象まで、さまざまなことに出会ってしまうという。
僕も、子供のころに不思議な体験をしたことはいくつかあるけど、それもこの大黒さま状態に気づけなかったせいもあるのかな?
そのときのひとつ、聞いてみないか?
「学区外れの公衆電話に、『712381』が通じるぜ」
そんなうわさが、クラスへ持ち込まれたのは夏休み前だった。
712381は、当時人気だった怪談噺のいちジャンル、魔法ダイヤルのひとつだった。
電話の特定の番号を通じ、巻き起こる現象に焦点を当てた話。必ずしも不幸になる結末ばかりではないので、僕らは魔法と呼称していた。
その中で712381は、とある生き物を呼び寄せる番号とされている。
僕たちはその数字の並びをもじり、「ナイフ参拝」あるいは「ナイフ先輩」と話していたっけね。
ここではその生き物を、ナイフ先輩としておこうか。
ナイフ先輩はかまいたちに近いが、仲間ではない、とされる
かまいたちは痛みを伴わない深い傷を残すと伝わるが、ナイフ先輩は容赦なくざっくりと、痛みを伴う傷をつけてくるのだとか。
このナイフ先輩、ただダイヤルをすればいいというものではなく、手順がある。
まず、先に話した「大黒さま」を用意すること。お守り袋に入っている中身を、黒々と染めたものを、かける電話の脇に置く。
次に午後7時12分ジャストに、公衆電話を「712」とダイヤルし、受話器を外して垂らす。
どのようにバランスが悪くても、手を添えるなどしてフォローしてはいけない。そのまま垂れ下がるに任せるんだ。
そして381秒を数えたのち、そのままの状態でダイヤルを381と押す。
このとき、外した受話器から「ギイイ……」と蝶番のさびついたドアが開くような音がすれば、ナイフ先輩を呼ぶことに成功した証だ。
ナイフ先輩はその電話ボックスから、半径1キロ以内にあらわれて、どこかしらや、なにかしらに、大きな切り傷をこさえていく。
その正体は判然としない。
人のようであったとか、四本足の動物であったとか、翼を広げた大鳥だったとか、もっとおかしなものだったとか、目撃情報が合致しないんだ。
そして傷をつけた直後は、脱兎のごとく逃げ去ってしまう。いまだかつて、その逃げた輩をとらえた者はいない。
ただもたらされた被害でもって、ナイフ先輩であった、という結論に至るしかないわけだ。
実際、話を持ってきた当人の案内で、ナイフ先輩がこさえた切り傷を拝見しに行く。
自動車専用道路を支える脚の一本だったね。土へ深々と埋まっている身体の、地上数メートルあたりに、横一文字の切り傷がついている。
浅くとも、はっきりと口の開いたそれは、並の道具でこさえることが難しいのは、子供にも一目瞭然。そして、昨日まではこのような傷は存在していなかったんだ。
ナイフ先輩でもなければ、できない芸当と、居合わせた僕たちは判断したよ。
それからしばらく、ナイフ先輩の召喚を試みる子はちらほら出たよ。
時間の関係上、トライできるのは一日にひとりだけ。しかも、必ず成功するとは限らないと来ている。
ほぼ連日の午後7時12分に、くだんの電話ボックスは子供たちで埋まっていたのを覚えているよ。
しかし、ナイフ先輩を呼び出せたという話は聞けなかった。
手順を踏んだうえでのラスト、垂らした受話器からドアを開くような音が、漏れ聞こえてはこなかったとのこと。
そうやって失敗者が増えていくと、成功例に関してはどんどん箔がついていく。「なんてすごいことをやり遂げたんだ」といった具合にね。
それを見て面白くないとも思うし、自分もちやほやされる側に回りたいとも思う。
そうして魔が差しちゃったんだなあ、僕は。
習い事の帰り際だったちょうどいい時間に、通りがかった例の電話ボックスが空っぽであるのを目にしちゃったんだ。
以前に、一度は試そうとしていたから、大黒さまの用意はしてある。
年始に家族へ配られるものとは別に、自腹で買ってこしらえたものだ。
緑色をした電話機の横へ置き、腕時計を確認する。
7時12分を差したの見て、流れるように712をダイヤルし、受話器を垂らした。
以前はとぐろをまいていた受話器のコードも、多くの子から垂らしを受けたことによって、ほぼぴんと伸びてしまっていた。
残りの6分あまりを、このボックス内で数えていく。
そうして350秒が過ぎたあたりだった。
ふと、ボックスの天井で軽い音がしたかと思うと、ほどなくガラス越しの目の前の地面へ降り立つものがあった。
猫だ。
すでに夜も濃さを増そうとしている中、不自然なほどに目立つ白い毛並みをしていた。
そのお腹は、僕にも分かるほどでっぷりと太っている。自分でバランスを取るのも難しいのか、着地からほどなく、ゴロンと横になって「ふう、ふう」と息を荒げる始末。
でも、それを悠長に見てはいられない。
僕は残り30秒足らずをカウントし、381をダイヤルしたんだ。
しばしの沈黙。そこへ外の猫の、苦し気な声がくわわったとき。
ギイイ……。
受話器から漏れる音は、すぐさまドアが開いたと判断するに十分な、重厚さを持っていた。
ナイフ先輩が来た、ということだ。
どこに来るのか、何で出るのか。
期待とともに浮かぶとっさの疑問に、すぐさま景色がこたえてくれた。
横向いて倒れている、ガラス越しの白猫。
そのお腹からピュッと、音を立てそうな勢いで刃先が飛び出したのだから。
10センチほどの銀色をした刃は、そのまま猫のお腹を真っすぐに走り、切り開いていく。
そうして口を開いた傷から、ころりと出てきたのは、その白猫とうり二つの子猫の姿だったよ。
耳を打つ、新たな鳴き声。
けれども、僕の目は引き続き親猫へ向いていたよ。
さっと刃が母猫のうちへ引っ込むや、ぱっくり開いた腹の傷はたちまち閉じあってしまったのだから。
ほどなく、母猫は立ち上がると、子猫の首後ろをくわえるや、とととっとこの場を後にしていく。僕はそれを黙って見送るよりなかった。
ひょっとしてナイフ先輩、あのままだと出産が困難だった母猫を助けるために、この場へ降り立ってくれたのかもしれないな。