ガレット・デ・ロワ・オ・ポムな救出からの、新米師弟の“ごかいにかんぱい”言祝ぐ春休みのおわり
今の俺の身体である五歳児の背丈には窮屈ったすぎて、膝立ちになるのがやっとな犬用ゲージ。
その中で、半纏の裾から露わになっていた、剥き出しの膝小僧が、俺が身を捩った拍子に何かに触れた。
俺のEAP⋯⋯。
前がはだけないように、慎重に後ろ手へ回した、昴にとっての利き腕ではないポーリャの左手が、すっかり冷んやりとした銀色の筐体を掴み上げる。
⋯⋯内部焼損開始を示す“F451”のコードまでは到達してないと思うけど。
見た目にはなんの損傷も膨張もしていなさそうな、銀色の流線型デバイス。
丸みを帯びたその裏表に向かい、目を皿のようにして幾度も往復させた俺は、手のひらの感触まで駆使して、上と外からスマホ両面の無事を隅々まで確かめきったあとで、この時代に来てから一番に深い、最特大の嘆息を吐く。
狼の身体では、焼け焦げた匂いがしていない確証しか持てなかったせいで、本当は、ずっと不安だったのだ。
リンク断絶前後からは、ベッカちゃんの痛みを抑えるのにかかりっきりで、普段はほとんど欠かしたことのないEAPのモニタリングに回せる電池と気持ちの余裕すらなかったから、なおさらだった。
「キミってさ、やっぱりケータイ、大好きみたいね」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
尾を引くような、俺の長いため息が聞こえたのだろう。
檻の外で、こちらの身丈に合わせるみたいにしゃがみ込んだミフネが、いかにも日本人めいた黒い目と、十歳の子供らしからぬ揶揄い口調を手のなかのスマホへと投げ込んできた。途端、気恥ずかしくなって黙るしかない。
「悪いわね。べつに茶化したわけじゃないのよ? すごく大切なんでしょ、そのケータイ」
⋯⋯ケータイ、ねぇ。EAPは、そんな化石みたいな名前のデバイスじゃあねえんだけどなぁ。
二〇五〇年の世界では滅多に聞かない呼び方。何とも言えない違和感を覚えてしまう。それが顔に出ていたのかも知れない。
何秒かの沈黙を挟んだあとでミフネのやつ、言い訳するみたいな早口で、こう続けてきやがった。
「⋯⋯⋯⋯ほんとに悪かったってば。半纏の中のケーキも無事だから、腹に入れとくといいんじゃない? ゆきが来る前に私、おいとましなきゃだけど、キミも身バレには重々気をつけてね?」
「助けてくれるんじゃなかったの?」
「くれたでしょ? それとも素っ裸でお腹すかせたまま、檻の外のほうがよかった?」
⋯⋯いや、まあ、それはたしかにそうだけどさ。
思った俺の目の前で、ミフネは再び黒猫に姿を変えた。
ポーリャの《二つ身》とは違う、着衣をそこに残さない、「あなまほ」でも得体の知れなかった変身魔法。
「なあ。さっきのアレと今のソレ、なんて魔法なの?」
あえて口にした問いかけに、返事はなかった。
ちぇっ、また謎が増えちゃったし⋯⋯。あっという間に窓の向こうの甲南湖の森へと消えていったミフネの名前の字面と、彼女が使った二つの魔法――檻の中へ半纏ごとガレット・デ・ロワを届けた手品と、今しがたの変身――の名前。内心のぐるぐる渦が頭上に浮かんでるのが見えかねないくらいがっかりしながら、俺は頭をフル回転させる。
やかましく鳴り響いていた銃声は、とっくに静まり返っていた。リニア姉さまの反撃もおなじく。この分だと、猫攫いとのカタ自体はあっという間に付いたらしい。
フルオートじゃなくても、相手は鉛玉だろ? 若い頃のほうが、圧倒的に血の気多くね?
ロウ家でも札付きの「聞き耳ずきん」の名は伊達じゃねえってことだな。クワバラクワバラ⋯⋯。まあ、怖えといえば、母さんもだけどさ。
あの人がここに来るなら、大怪我した仔狼と半纏一枚きりな五歳の女の子、どっちの姿で居たほうがよりマシなんだろうって。
そんな風に思考を巡らせる俺とは裏腹に、内心に閉じ込められっぱなしでいたレベッカは、現金なもので、痛みしかなかった狼の身体から解放された次の瞬間には丸一日分の空腹を満たすことで頭がいっぱいになっているらしかった。
リンゴ入りのガレット・デ・ロワと約束を引き合いに、腹の底に陣取ったみたいに大騒ぎする彼女の「お腹すいた」の大合唱に、俺は折れた。
これって半分こと、ちょっと違うような気がするけどなぁ。
思いながら、俺もクレームダマンドだけのよりこっちのほうが昔から好きだったっけ。
火入れ済みのリンゴから滲み出た、沁み入るような滋味と甘さを、スマホなしでは指先ひとつ動かせないレベッカに代わって、黙々と口へと運びながら、俺は、安堵感よりも強烈な懐かしさを不思議と噛み締めていた。
俺がリンゴ入りのガレットを好きなのは、小鳥の得意レシピがそっちだったから、だよな⋯⋯⋯⋯?
◇
口の端に、パイ生地の破片を張り付けて一心不乱にもぐもぐしている、檻の中のポーリャ・カントリー・ロードを目にした宮代ゆきのへたり込みっぷりと来たら、少なくとも未来から来た年上の息子がどうこう言えるようなシロモノでは全然なかった。
それに先立つ、勇ましさあふれる薙刀片手の登場シーンもおなじく。
隣に、赤いスマホと鉄釘バット装備の先生を従えていたせいなのかは定かではないけどさ。
ちなみに、先生が右手に提げていたバットにはナゾの赤いシミがベッタリと塗りたくられているのが丸見えで⋯⋯何も、見なかったことにする。俺は何も見ていない。ベッカちゃんにもそういうことにしておこうと胸中で再々々確認。
「ショウ兄ちゃま⋯⋯!」
いかにもポーリャ然とした感極まっている短い一言とともに、頬を檻の柵に押し付けるくらい右腕をぐんと伸ばして、電池切れになっていた俺のスマホを先生に受け取ってもらう。
悪いけど、EAPに魔力を貸して! 傷が痛すぎてあんまり寝れてなくてさ! ベッカちゃんも俺も、結構ギリギリなんだ⋯⋯!
琥珀色の双眸にどうにか力を込めて、色素の薄い彼の瞳をじっと見詰め上げた。
彼は何も言わなかった。けれど、俺の願いを「読んで」答えてくれたのは間違いなかった。
――“リンク確立“。
ずっと馴染みだったはずのテキストイメージが脳内で瞬くと同時に、ハッカ油のスプレーを思い切り嗅がされたような、なんとも独特でユージュアルな冷たさを帯びた灼熱感。
肺の奥深くから体の隅々まで一斉に散らばっていくそいつをレベッカと一緒に感じとりながら、俺は、笙真先生の魔力頼みで強制的に再起動させたスマホ上で、たったの二つの魔法アプリ――《ドヴォルザーク》と《チル・メイカー》――だけを走らせる。
ポーリャとスマホ。その両方を、なんの変哲もなく装うために必要な最低限度の手立てとなったEAPを軽く握る以外には、魔力を吸われる不快感をまるで気取らせないような取り澄ました顔で、先生がゆきに頷く。
ぎいぎいうるさいくらいの錆び切った軋み音とともに、ゆきの手で開け放たれた檻の扉。
半纏の身頃の合わせ目を両手でぎゅっと握りしめたまま、心の奥に引っ込んだ俺と同じくらい固まってしまうレベッカ。
そんな俺たちの前で片膝をついて腕を伸ばしたきた先生の口から、彼女の耳元へと寄せられた小声。
「小さい子のくせに色々考えすぎ。だいぶ不自然に見えるよ、今のポーリャちゃんってさ。⋯⋯⋯⋯まあ、ほとんど昴のせいだけどね」
ギリギリまでボリュームを抑え込んだ変声期前のボーイソプラノ。有無を言わさず抱き上げられてしまった身体の背中と腰と膝裏あたりを、器用に両手で支え直した先生が、少しだけ音量のある潜めボイスで尋ねてきた。
「――泣かないの? こういう時は、普通、大泣きが相場でしょ?」
そんなふうに言い切られたら、逆に泣けないってこと、先生こそ学ぶべきだと思うんだけど⋯⋯。思い浮かべると、ものすごく、困った顔をされてしまった。
ひそひそ声とのギャップ著しい、眉尻の下がりきった笙真先生の表情は、彼女からしたら、相当おかしく思えたらしい。
心の表にひとり立たされていたレベッカのポーリャは一頻りくすくす笑ったあとで、やっぱりちょっとのあいだ泣いて、初めて弟子を取ったばかりの十四歳になりたてな「未来の大魔法使い」を読んで字のごとく大いに戸惑わせまくるっていう、「史上まれに見る偉業の第一回目」を、ゆきや俺に加えて、御近所からの通報により、現場に到着した県警の警官六名と彼らに猫攫いを引き渡したリニア姉さまのお立ち会いのもと、弟子入りからものの数日で、見事に達成してみせたのだった。
【エピローグ:新学期前日・午前九時】
そして、ベッカちゃんにとって、何よりも肝心要なあの件――先生から出されていた、星のかたちをした彼女のしるしを懸けた例の課題についてなんだけど⋯⋯。
「⋯⋯うう、疲れた⋯⋯。明日から新学期だってのに、容赦なさすぎて踏んだり蹴ったりなんですけど、師匠の顧問先の皆さん」
「現場にいた魔法使いの中で、未登録じゃないのは笙真だけだったんだから仕方ないじゃない。けど、まあ、いくら法務局届出済みの登録魔法使い《トマホーク》だからって、中学生相手に行き過ぎた取り調べだったのは否めないわよねぇ。あんたが絞られてる間に、本家経由で月見里の明かしの総意って名目で嫌みを送ってもらえることになったし、次があれば日が変わる前には帰してもらえると思うわよ?」
「次なんて考えたくもないんですけど⋯⋯」
そんな相当ド物騒なやりとりとともに、知恵さんに伴われて川向こうの警察から甲南湖の出水邸に朝帰りして来た先生は、いつもの三倍くらい(つまりは、俺のよく知っている四十歳の笙真先生よりかは多少悪くない程度の)、疲労困憊モードに見えた。
「ショウ兄ちゃま! おかえりなさい」
「先生、お疲れ。コーラと温かいミルクコーヒーとどっちにする?」
「⋯⋯ホット・ポウがいいな」
「温めた前足? それってまさか、こういう――」「ことよね! ポーリャ、ちゃんとわかるんだから!?」
《ドヴォルザーク》越しに、俺の心を汲んで、我が意を得たり! そう勢いづくまま、銀灰色の仔狼に姿を変えた彼女が、半纏やその中に着ていた生成色のワンピースドレスごと、後ろ足で立ち上がった。
先生のジーンズの膝上のあたりに桃色の灰黒の混ざる柔らかそうな肉球を押し付け、ピンク色の舌を器用に犬歯脇に寄せて、ふーふー。絶妙に温くて湿った息を吹きかける。
「そうじゃなくて、ホットポー! 濃いめに淹れた温かいスポドリのことだけど、知らない?」
「あれ、ちがってた?」「⋯⋯みたいだね。ごめんな、ベッカちゃん」「別にいいもん。それよりショウ兄ちゃま! 今のみたよね? ポーリャはちゃんとおおかみの《二つ身》できるようになったのよ!? ショウ兄ちゃまが、がっこうにいってきますしちゃうまえに、にんげんに戻るほうもできるようになって、ベッカのほしを返してくれるきもちになるまで、こんやはねかさないんだから!」
どこまでも勝つ気しかない琥珀金の両目を煌めかせて、こちらを見下ろしてくる新学期前夜の少年へと、ある意味、最高に破壊力抜群の果たし状兼血判状を、キュートな言葉と見た目スプラッタな左右の前足の両方で以て、力いっぱいベッカちゃんは、叩きつけた。
⋯⋯挑戦の結果? そんなの超予想外な二徹目を可愛い新弟子から迫られて、課題達成まで律儀に付き合ってやった挙句、顔パックお楽しみ中のリニア姉さまが言い放った、「いまから寝ても遅刻確定だからそのまま行ってきなさいよね、たかだか半日なんでしょ?」という目茶苦茶無慈悲な鶴の一言にトドメをさされて、返ってきたばかりの星を手に、速攻で寝落ちした弟子本人を膝に乗せてのカラスの行水みたいなごく短いうたた寝を挟んだだけで、コーラ片手に学ランでふらふらチャリ登校していく羽目を余儀なくされた、笙真先生の完敗に決まってんじゃん。たりまえだろ?
ね、ベッカちゃん――。
――魔法使い使いたちの//クロスロード Ver.C
第一部は、これにておしまい⭐️ いくつかの挿話を挟んで第二部に続く!
ペア作品のver.Dはコチラ➜https://ncode.syosetu.com/n9427jl/
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