臨界:終章Ⅲ 動き出す盤面
言われた場所には先生と先生の助手のナースの橘さんがいた。先生の手にはアタッシュケースが握られている。
「久しぶりだね。すまないが時間がない。一気にしゃべらせてもらうよ」
そう言うと、先生は本当に一気にしゃべりだした。
「僕とこの娘はもともと政府の生物兵器の研究室にいてね。僕はそれなりに偉い立場にいたんだ。でも、あの組織は腐ってる。強引なやり方に賛成できなかった僕は組織を抜けた。この娘はその時についてきたんだ。僕達はこれまでに培った知識を使って医者になった。それからしばらくして君の両親に出会ったんだ。その時にはすでにお腹には君がいた。だけどそれからしばらくした時、お母さんがゾンビに嚙まれたんだ。その状態でもウイルスに耐えながら君のお母さんは君を生んだんだ。念のため君の体を検査すると、君が一部ゾンビの特性に耐性があり、ゾンビの特性に似た特徴を持っていることが分かったんだ。その後は……君も大体知っているだろう?僕が話すべきだと思ったのはこれくらいだ」
ここまで話した先生は、ゆっくりと目を瞑った。
「先生は……ゾンビの研究をしていたんですか?」
「いや、僕達が研究をしていた時はまだまだ今のウイルスには及ばなかった。今のゾンビの特徴もほとんどない。僕も独自に調べてはいたが……いや、いい。僕が非人道的な研究を行っていたという事実に変わりはない。馬頭も暴力も甘んじて受けるよ」
「……」
俺は何も言うことが出来なかった。落胆?失望?どの言葉でも言い表せない複雑な感情がじわじわと心を犯していく。
「この前僕たちのところに研究所時代の同期が来てね。彼はかなり出世していたよ。彼から言われたんだ。戻って来いと。拒否はできない。拒否したら殺されるからね。今まで見つからなかったのが奇跡だったんだ。いや、もしかしたらとっくに見つかっていて泳がされていたのかもな。戻りたくないからただで死ぬ気はない。あの病院はすでに撤収済みだ。君達に関するデータもすでに処分してある。君に会うのも最後かもしれない。最後に会えてよかった」
「……」
なにも言葉が出てこない。実感がわかない。だが、頭では理解している。先生たちは死にに行こうとしているのだろう。
「ぁ……」
涙が一筋流れる。そこから、まるでダムが決壊したようにぼろぼろと涙が零れ落ちる。
これまでに先生たちと過ごした時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
もう会えないという事実が何度も頭の中で反響するように響く。
「これを。これしか……持ってこれなかった」
先生が渡してきたものは生まれたばかりの俺と両親の写真。唯一残された両親の写真。
突然のことに涙が止まる。
「これ……なんで……」
「今回のことはほぼ確実にZ部隊……いや、この国の政府が仕組んだものだ。奴らは素芽野市全体を爆破したりして完全に破壊するつもりだろう。本格的に動き出したんだ。君が見たゾンビ化の薬とかも全部政府の仕業だろう。いいか?気を付けるんだ。絶対に、無茶はするなよ。君は……君だけは守りたいんだ。罪滅ぼしというのもあるが……それが君の両親との……紅義と瑠璃との、約束だから」
「先生も……無茶しないでくださいね」
そう答えたのは、半ば機械的にだった。家がなくなる。それだけで心が闇に閉ざされたように何も考えられなくなった。涙も流れないほどに絶望の淵に叩き落された。俺は、ただもらった写真を抱きしめることしかできなかった。
「止められなくてすまない……。最後に、これを渡しておこう。役に立つはずだ。何度も言うが、無茶はするなよ。Z部隊と政府には気を付けるんだ。敵はこの国だが、生き残るんだ」
先生は、絶望のあまり膝をついて俯いている俺の前にアタッシュケースを置くと、俺に背を向けて歩き出そうとしていた。
「先生!」
無理にでも声を出し、立ち上がり、先生を呼び止める。今言わなければ、もう一生言えなくなるかもしれない。
感情はぐちゃぐちゃだけど、これまでのすべてを頭は理解して、目から涙を溢れさせる。
「ありがとうございました。先生、先生にはいつもいろいろなことを教えてくれました。橘さんもいつも気にかけてくれているの知ってました。ありがとうございました。二人のことはずっと忘れません。大好きでしたよ」
呼び止めた先生と橘さんは、泣いていた。俺も泣いている。笑わないと。最後の時は、最後の別れくらいは。
笑顔を作るが、泣いているせいでうまく笑えない。先生たちも泣き笑いのような笑顔を浮かべる。その表情は、これまでのことが全て報われたような、罪を許され天国へ行けると知ったような、最愛の人に向けるような、そんな、笑顔だった。
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