婚約者の幼馴染の元カレが、俺をいじめた男だった
数分前の自分に言いたい。人の物を勝手に漁るなと。いくら気になるからといって、侵してはいけない領域に足を踏み入れるのは愚かなことだと。
俺――大岸直明には同棲中の彼女がいる。
彼女の名前は有賀文音。付き合って7年になる。
文音と俺は近々、籍を入れるつもりだった。だが俺は今、彼女と結婚すべきなのか思い悩んでいる……。
それは部屋の掃除をしている時のことだった。
「――――」
ふと目に入った。文音が元々住んでいたアパートから、持ってきていた小物入れが。
今日彼女は家にいない。女友達と独身最後の遊びに行っている。帰る時間も遅くなると聞いている。
だから小物入れの中身が、ついつい気になってしまった。別に中を見るなとは言われてはいないが、文音のいる前で見る気にはなれなかった。
引き出し型の小物入れには、スマホが入っていた。
恐らく彼女が過去に使っていたものだろう。長い間使い込まれていたのか、画面に少しだけヒビが入っていた。
当然だが電源は入っていない。電源ボタンを長押ししても、電池が切れているのか画面は一向に黒いままだ。
人のプライベートを勝手に覗くのは最低だとは思う。それでも、スマホの中にどんなデータが入っているのか確認したかった。
スマホに充電ケーブルを差し、起動ができるようになるまで待った。
「……」
たかだか数分待つだけなのに、そわそわして落ち着かない。
待っている時間が異様に長く感じられたのは、文音の過去に俺がコンプレックスを抱いているからなのかもしれない。
文音と俺の出会いは、幼稚園にまで遡る。
「なおあき、おはよ~」
幼い頃、俺と彼女はいつも一緒だった。毎朝ランドセルを並べて、2人で学校に通っていた。
ここまで言えばわかるだろう。俺と彼女は所謂幼馴染というやつだ。
小学3年の時、文音と俺が引き裂かれる――と言っていいのかは分からないが――事件が起こった。
端的に言えば、クラスのガキ大将に俺がいじめられた。
いじめたやつの顔と名前は今でもちゃんと覚えている。確か名前は、北川克己とか言ったか。正直思い出したくはないが……。
ひどいものだった。俺が文音と親しいからという理由で、暴力を振るわれた。靴には画鋲を入れられ、教科書は破かれた。
北川は俺と同じで、幼いながらに文音に惚れていたんだと思う。俺という存在が気に入らなかったが故のいじめ。俺としてはたまったもんじゃない
教師や親に相談してもいじめは止まず、結果として俺は転校する羽目になった。
そこから文音と大学で再会し、俺と付き合うようになるまでは、彼女がどんな青春を送っていたのか俺はあまり知らない。
一応断片的ではあるが、俺が転校した後のことは文音から聞いてはいる。彼女はそれなりに、楽しい学校生活を送っていたようだ。
文音に初めて彼氏ができたのは、高校生の時。そういった行為も高校時代に経験したそうだ。
ちなみに、俺と付き合うまでの元カレは初めての彼氏以外はいないとのこと。
「あの時は楽しかったなぁ……」
目を輝かせながら元カレとの思い出を語る文音を見た時、胸が苦しくなった。
俺はというと、いじめられたこともあって、小学、中学時代は引きこもりがちだった。
これではまずいと、猛勉強して高校に入ったものの、いきなり性格が変わるはずもなく、およそ青春と呼べるような出来事もないまま卒業した。
言うなれば空白。俺の過去には何もない。
文音のスマホには彼女の青春が詰まっている。その一端を感じられるかもしれない。例えその時、その場所に自分がいなくても。
――しかし、そんな甘い考えは待受画面見た瞬間にぶっ飛んだ。
「――ッ!」
声にならない叫びが出る。文音のスマホを叩き割りたい衝動に駆られる。
ナンバーロックは掛かっていなかった。いやむしろ、掛かっていて欲しかった。
スワイプするだけで、あっさりと待受画面に入れただけに不意打ちを喰らったに等しい。
後悔先に立たずとは正にこのことだ。見なければよかった。見るべきではなかった。俺は絶望の縁へと自ら足を運んでいた。
画面に写し出されていたのは2人の男女。1人は文音、そしてもう1人は……。
――北川だった
文音は俺の知らないところで、俺を苦しめた男と付き合っていた。北川は俺が転校した後も、虎視眈々と文音のことを狙っていたのだ。
恐らく文音は、北川――俺が恨んでいる男――と付き合ったことに何の罪悪感も抱いていない。
というのも、彼女は俺が北川にいじめられていたことを知らないからだ。文音は、親の仕事の都合で俺が転校したと思っている。
彼女からしたら、北川は頼もしいリーダーに見えただろう。やつはいつも、クラスの中心だった。
当時の俺は強がっていた。文音の前でいじめられている素振りは見せなかった。好きな女の子の前で情けない姿を晒したくなくて。
苦しい……。
頭の中に渦巻くモヤモヤとした感情。それが北川への怒りなのか、嫉妬なのか、羨望なのかはハッキリしない。
元カレ1人くらいなんだと思うかもしれない。人間生きていれば、付き合ったり別れたりするのは当然のこと。
それ自体は否定するつもりはない。だが、愛する人を憎むべき相手に奪われていたと知った時、同じことが言えるだろうか。
大切な人が手の届かないところで、嫌いな男と愛を育んでいる。これ以上に耐え難いことがあるのなら教えてほしい。
もはやどうしようもない。未来は変えることができても、過去は変えられない。
俺が唯一できるのは、スマホから北川と文音の青春の奇跡を辿ることだけだ。
1度認識してしまったら、もう止められない。男の本能的な衝動を、理性で押さえつけるなんてできない。
『大事な話があるから、放課後ちょっといいか?』
『ここじゃ言えないこと?』
『うん』
『わかった。部活終わった後でいい?』
『いいよ』
メッセージアプリの履歴に、こんなやり取りがあった。
どうやら告白は北川からしたようだ。
告白された時、一体文音はどんな顔をしていたのだろう。
俺が告白した時と同じ様に、目線を反らしながらも顔を赤らめ、チラチラと北川の顔を見ていたのだろうか。それとも、俺も知らない表情を浮かべていたのだろうか。
その時の文音の顔は、俺を傷つけた男だけが見ている。今の俺には何もできないのが、どうしようもなく悔しい。
『なんか恥ずかしい……』
『俺も』
『恥ずかしくて、いつ目を開けていいかわかんなかった』
『それな』
直後のやり取りから、北川が告白した時に何かがあったのはわかった。文面から察するに、口付けでもしたのだろう。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
煮えたぎる感情はどこにぶつけたらいいのか。
文音は何も悪くない。何も悪くないからこそ、感じるこのもどかしさ。
この感情を発散させる術はない。心の内に秘めておくしかできないのだ。
それ以降のメッセージアプリでのやり取りは、ある意味事務的なものばかりだった。
いついつに待ち合わせするだの、誕生日のプレゼントは何がいいだのと、といったメッセージしかなかった。
見なかったことにはもうできない。ここまで来たらとことん突き詰めるのみ。それが痛みが伴うものであろうと。
文章だけではもの足りない。動画だ、動画が見たい。
動画ファイルを漁っていると、『かつくんとチューしちゃった♥️』というショッキングなタイトルが目に付いた。
見ない方がいい。
僅かに残っていた理性が俺にそう告げる。しかし俺の意思とは裏腹に、指が再生ボタンへと引き寄せられてしまう。
『かつくん、ちゅ~♥️』
『ちゅ~』
ああ……。
画面の向こうで、北川と文音がキスをしていた。
文音は自分から、俺にキスをしようとはしてくれない。いつも俺から誘っている。
動画の中の彼女は、積極的に北川にキスをせがんでいた。それこそ、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに。
「…………」
本当に文音は俺のことを好きなんだろうか。愛してくれているのだろうか。そんな疑念が頭を擡げる。
いや、わかってはいる。彼女にとって今誰が一番なのか。そもそも俺より北川の方が大事なら、俺のプロポーズを受けたりしないはずだ。
「!?」
今度は衝撃的なサムネイルが目に付く。他の動画と違って、全体的に肌色が多い。
動画のタイトルは短い。他はかつくんと〇〇したとかなのに、その動画のタイトルはたった2文字――『好き』。
見なくても大体内容は察しがついた。しかし、どうしても見ずにはいられなかった。
『かつくん、好き……好き……好き……好き……』
文音が愛の言葉を口にしながら、ベッドで北川と激しく睦み合う姿が画面に写し出される。
こういうものは、大抵男が録画するものだと思っていたがどうやら違ったようだ。
彼女にとって、北川と身体を重ね合わせたことも大切な思い出。消さずに残しているということはそういうことなのだろう。
俺とする時は、文音はここまで情熱的じゃない。非常に淡白で、早く終わってほしいという感じがひしひしと伝わってくる。
行為の激しさ――それすなわち、愛情の深さではないのは理解している。だが、こんな形で露骨に差を見せつけられると、流石に心が痛い。
「うぅ……」
無理だ。
俺には受け止めきれそうにない。文音の過去を。
悔しくて涙が止まらない。北川が羨ましくて、憎くて仕方がない。
もし、文音の元カレが北川ではなく、俺の知らない赤の他人ならどうだっただろう。
恐らくなんとも――言いすぎかもしれないが――思わなかっただろう。
きっと動画を見ようとも思わなかったはず…………いや、そんなことを考えても仕方がない。
大事なのはこれからどうするかだ。文音とこのまま結婚するべきなのか、彼女と別れるべきなのか。
文音と一緒に過ごした7年間は幸せだった。結婚すれば、これからも幸せな日々を送ることができるだろう。
でもだからと言って、脳に焼き付いてしまった劣等感からは、簡単に逃れることはできない。
時間とともに薄れていくものなのだろうが、一体いつまで引きずることになるのかは想像がつかない。
わからない……。俺はどうしたらいい――。
「ただいまー」
「おかえり……」
気付いたら夜になっていた。文音が帰ってくるまでの間、答えを探し求めて頭を働かせたが、結論はでなかった。
「うっっ!」
幼馴染の顔を見た途端、急に吐き気が込み上げてきた。
「ちょっ! 大丈夫!?」
彼女が俺に近づけば近づくほど、吐き気は強くなる。
もう限界だ。文音が差し伸ばしてくれた手を俺は掴めそうにない。
「文音……ごめん……俺と別れてくれ……」
「え? え? え? いきなり何? 私何かした?」
彼女が戸惑うのも無理はない。だって昨日までそんな雰囲気ではなかったのだから。
「悪いことしたなら謝るから。ちゃんと話し合おう? いきなり訳わかんないよ」
「ごめん……ごめんよ……でももう無理なんだ……」
文音……ごめん。俺はこの劣等感に抗えそうにないんだよ。
君を見ると頭にチラつくんだ。俺を痛めつけて喜んでいた北川の醜い笑顔が。
今まで本当にありがとう。そしてさようなら。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
本作の続編を↓にリンクを貼っております。
是非読んでいだけると幸いです。