ため息のクリスマス
こんなクリスマスもあっていい?
シャイーナは盛大なため息を心の中だけで吐いた。
当然のことだろう。シャイーナが開く酒場は決して女厳禁というわけではないが、安酒しか飲まないくせに小うるさい女が、カウンター席を陣取り、一人文句ばかり叫んでいるのである。相当に酔っているらしく、叫ぶだけでは飽き足らないのか、両手を大きく上げたと思ったら次の瞬間突っ伏すし、豪快に喚いたと思ったら、ちびちびと酒を飲み始める。
とはいえ、酒癖の悪い客とは何度も会ってきているのでこれだけであれば、耐えられる。
シェイーナのため息の原因は、この女の悩みがこれまた馬鹿らしいことにある。
今もまた盃を大きく振り上げて、女、ラヴェンナが大きな声を上げる。
「あいつったら、クリスマスが何たるかを知らないのよ!」
ラヴェンナの話では、こうだ。数年前から付き合い始めた相手がいる。その男が、どうもとんでもない朴念仁らしい。デートの一つも中々誘ってこないという。そんな状態だから、ラヴェンナからそれとなく声を掛けているそうだ。
だが、さすがにクリスマスぐらいは誘ってくるだろうと、そう踏んでいた。声もかけたそうだ。
ところが肝心な相手は、これまたどういうわけか、クリスマスそのものに感心がなかったようで、「何のことだ?」と言ってのけたのだという。
話が長くなるので割愛するが、要するに、ラヴェンナはできたばかりの男への愚痴を晴らすべく、酒を飲みにやってきたのだ。
どこの酒場に、女の彼氏の愚痴を延々と叫び続ける客がいるものだろう。そもそもシャイーナの店は、仕事終わりの男たちが酒を飲みに来ることが多いのである。女も来るには来るが、同じような仕事終わりに愚痴を吐きに来る者が大半だ。
だから、ラヴェンナの話のような内容は女子会でも開いて、せめて余所でやってほしいと思うのだ。
おかげさまでそれを聞いた客たちが、そそくさと切り上げて逃げていっている。大変良い迷惑である。冬のこの時期は掻きいれ時なのだから、察してほしい。
ちなみに、シャイーナは散々聞いたから知っている。相手は同じギルドで働く男だ。名前までは言わなかったが、それなりに固い男らしい。
正直なところクリスマスを知らないのではなく振りたい言い訳ではないかと思ったが、どうも本気で知らないようだ。さすがに言葉の意味ぐらいは知っているが、賑やかな時期だ程度の認識でしかいないらしい。街にはこれでもかというほどカップルがうろつき、子どもたちはプレゼントをもらってはしゃいでいるだろうというのに、一体どういう生活をしていたら、そんなことになるのだろう。夜の街で働くシャイーナなど、前者は特に、鬱陶しいほど目にしているというのにだ。
そこまで考えたシェイーナは鬱々として目の前の女を見下ろし、ため息をついた。若いのだから、こんなところで時間を潰すのはどうであろう。
「全く、ほら。いい加減、宿に戻んな」
「うぅ、シャイーナさんのいけず……。冷たくされると、私溶けるんだから」
「あんたは雪だるまか何かかい。全く意味がわからないよ」
普段は、誰もがはっとするほどの美女だと言うのに、今のこの姿は見るに堪えない。シャイーナは再びため息をついた。
翌朝、結局朝まで飲みふけたラヴェンナを追い出したシャイーナは、仮眠をとった後すぐに店の支度を始めた。
シャイーナの活動は、夕方から始まる。すっかり夕暮れに染まった街は、観光客の喧騒が少しずつ収まってくる頃でもある。子供連れの客たちが一斉に宿に戻るのだ。逆に夜になると、若者たちが表にやってきて一気に賑やかになる。シャイーナのいる桜花園の見どころは何といっても桜だ。夜桜を堪能するという名目の下、日ごろの鬱憤を晴らしに多くの若者たちが駆け込んでくるのである。シャイーナは、もっぱらその客に酒をふるまうのが仕事だ。
だが、夜桜のある外で酒をふるまうにはそれなりの掟がある。一つに、店を構えていることが条件だ。シャイーナも小さいがどうにか店として成立するだけの一戸建てを借りて暮らしている。そして二つ目の条件が、週に一度だけしか外で酒を振舞ってはいけないというものである。
簡単な話だ。一人の人間が酒を売っては、その人間が大きな富を持つことになる。交代という条件にすれば、売り上げは七分の一だ。独占を防ぐ目的があるのである。
街の掟に、シャイーナも文句を言うつもりはない。むしろ公平だとすら感じている。更には、毎日店の顔ぶれが変わるわけだから、客としても飽きがこない。どうしてもその店の味が懐かしければ、夜桜は諦めて直接店にこればいい。そこまでしてもらえる店になれば、商売はぐんと繁盛するだろう。
トントン……
仕込みをしているシャイーナの元に、遠慮がちなノック音が響く。
「はいりよ」
シャイーナが声を掛けると、扉が開いた。
黒い服を着た痩せた男が入ってくる。毛むくじゃらの髪の、地味な男だ。顔つきの割に、実は若いことをシャイーナは知っている。
「いつものことながら、ご苦労さん。そこに置いておいてくれ」
シャイーナが首だけで指示すると、男は手に持った積み荷をそこまで運ぶ。中に入っているのは酒だ。今日は夜桜の客が主となるため、多めに頼んでいた。
「うん、数は問題ないみたいだね」
シャイーナは手早く商品を検める。商売人としては当然の確認だ。
その間、男は黙っている。別に無口と言うわけではない。シャイーナが話せばきちんと答える。特に、店の外ならば問題ない。昔から――男が成人をする少し前から、そうなのだ。この男は、酒を運んでくるくせに酒の匂いの漂うこの店が苦手なのである。
だから少しでも息を吸わないよう、口を閉じているのだ。
それが分かったときには笑いが止まらなくなってしまいしこたまからかったものだが、それ以降暫く店に酒を運んでこなくなってしまったので、自重するようにしていた。再び戻ってきたとき、酒癖の悪い父のせいで酒嫌いになったという話を聞いて、シャイーナなりに後悔したのは言うまでもない。
酒代代わりに親に売られギルドで働く孤児がいることを、シャイーナは知識として知っていた。この男もその類いの人間だったのだろう。
「シャイーナ、相談があるんだが」
ところがどういう風の吹き回しか、今日は男から声を掛けてきた。
「何か良い仕事を知っていないか」
ギルドに聞かずに、シャイーナに直接聞くのだ。余程実入りの良い仕事を探しているのかもしれない。
「なんだい、金に困っているのかい?」
男は返事をしない。だんまりで通そうとしているのではなく、何を言うべきか悩んだ顔をしているから、答える気はあるようだ。
だが、深く追求するのはやめておいた。
「隣国に物を届ける仕事なら、パスタの爺さんが出してくれそうだけどねぇ」
「いや、ここから離れるつもりはない。すぐ戻ってこられる範囲のものだ」
それならば、余計にシャイーナが知る術はない。
「悪いけど、知らないねぇ。魔物に困っているって話ならあるけど、それをあんたに頼むのは違うだろうし」
金目になるものは大抵危険が伴う。男は見る限り、ギルドで配達の仕事を主で引き取っているのだろう。それならば、頼むのはお門違いだ。
「いや」
そう思っていたシャイーナは、否定されて戸惑った。
「それでいい。詳しく教えてくれ」
正直、儲けどころではなかった。
言われるまま教えてしまったが、果たして大丈夫なのだろうか。そうした不安に駆られたままに、酒を売りさばく。顔こそ繕っていたものの内心の不安は消せなかったらしい。いつもより大きく下がった売上を見て、シャイーナは落ち込んだ。その頃には男への不安どころではなくなっていたが、代わりに自身への虚しさでいっぱいになっていた。
全く世間はクリスマスムードだというのに、昨晩からろくな目に遭っていないのだ。明日はクリスマスイブだというのが嘘のようである。サンタから儲けという名のプレゼントが欲しいぐらいだ。
仕方なく店に戻ったシャイーナは、死んだように眠ったのだった。
次の日、今日もまた夕方から仕込みを始めたシャイーナは、ノック音に「はいりよ」と声を掛けた。扉の向こうで見知った男が入ってくるのを見て、そっと胸をなでおろす。クリスマスイブのときに知り合いの死体を見る羽目になるのはやはりごめんだったのだ。
「あぁ、良かった。魔物退治はやめたんだね」
ところが、男に戸惑いの表情を浮かべられる。
「何を言って……。いや、それよりも、相談があるんだが」
別の儲け話が欲しいとでも言うのだろうか。そう考えていたから、予想外の言葉に聞き間違いかと疑った。
「この店を今晩貸しきりにしてくれないか」
暫くは返答できずにいた。目の前にチャリンチャリンと並べられたコインを見て、ようやく我に返る。男は、このために金を欲したのだ。
「あんた。酒は嫌いだったんじゃなかったかい?」
「俺はそうだが、あいつは違うから」
その言葉に、ため息が出掛けた。クリスマスに相手のために場所を貸しきりにするのだ。それも、どこかぎこちない態度から、緊張が伺える。答えは一つだろう。
「あんたもそのクチかい」
少し前のラヴェンナを思い出して、最近はカップルだらけだと呆れ果てる。とはいえ、ラヴェンナのときとは違い、この男の場合はほっとしてしまう面のほうが大きい。どうにもこの男は、誰かみている人がいないと消えてしまいそうな不安があったのである。
「うちはいいけどさ、あんた。ただの居酒屋でクリスマスを過ごすつもりかい?」
「いや、すまない。違うのか、クリスマスというものは」
その反応にぴんとくるものがあった。符合があってしまった。
「まさかあんた」
シャイーナがそう聞くより先に、男、ルインは尋ねたのである。
「いつもこの時期は一人で狩りにいくことが多いせいか、クリスマスをよく知らないんだが。それで相手の機嫌を損ねてしまって、正直なところ困っている」
どんな暮らしをしていたら、クリスマスを知らないのか。それは幼い頃から、ギルドで働いているような孤児ならばあり得ない話ではないのである。特にろくでもない親のもとで育った子供なら満足にプレゼントも与えられたことがなかったのだろう。
「しかたない。今から用意してあげるから手伝いな」
来る相手は察していたから、好みのものを用意するのはお茶の子さいさいというものである。
そして、シャイーナの予想通り、男が連れてきたのはラヴェンナだった。
「行きつけの店に招待された私の気持ちが分かる?」
「その行きつけの店の店主になにいってんだい、あんたはさ」
いじけるラヴェンナに居酒屋にふさわしくないクリスマスケーキなどだしながら、シャイーナはこっそりと心のなかでため息をつく。
「全くあんたたちには付き合いきれないね」
夫婦喧嘩犬も食わないというが、シャイーナは知らず知らず付き合わされてしまったようなものなのだ。
だがケーキを前にすっかり機嫌を直したラヴェンナと、酒臭い恋人に耐えられない顔をしながらも付き合うルインを見ると、不思議と和んだ。たまにはこんなクリスマスがあっても良いかと思うのである。
シャイーナのため息はだから、少しだけ安堵の意味合いがあった。