親ガチャ。-権利なき運命-
天界の果て。
霊魂が渦巻く、輪廻の大通り。
来世へと続く巨大な扉へ向かって、一人の子供が駆けていく。
「やった! ついに僕も生まれ変われるんだ!」
その片手には来世行きの切符が握られている。
彼には名前がない。356番という、無機質な番号で区別されているだけ。
最も、この天界で番号を与えられるのは、砂嵐のように渦巻く霊魂の中から選ばれた、人へと生まれ変わる資格を得たほんの一握りだけだが。
「人間ってどんな感じなんだろ」
霊魂に前世の記憶はない。
だが、生まれ変わるまで何千何万年にも感じられる年月を待ち続けている。
故に、人に生まれ変わるための切符を得た「番号持ち」は、一目散に扉へと駆けていく。
356番もまた、その一人であった。
霊魂に性別はない。年齢もない。
全員が性別不詳の10歳ほど身体に統一されている。
髪も服も、天界の空のように真っ白だ。
そんな彼らは、扉をくぐる前にガチャを引く。
通称、親ガチャ。
そこには、来世の自分の名前や性別、簡易な能力値、そして両親と生まれる環境について記されている。
「楽しみだな。僕のお母さんとお父さん!」
356番は自分につけられる名前に期待を馳せながら、来世おみくじの窓口前に辿り着く。
一列に並ぶ「番号持ち」たちの最後尾に並ぶと、ふと視界の端に一人の霊魂がうずくまっているのが見えた。
356番はその子が気になって列から外れて声をかけた。
「どうしたの? 何で並ばないの?」
「……生まれ変わりたくないんだ、人間に」
「どうして?」
「俺には前世の記憶があるんだ。多分、生まれ変わりのスパンが早かったからだと思う」
「へえ。すごいね! それで、どんな人生だったの?」
記憶のない356番は、人間の暮らしに興味を持った。
その無邪気な問いに彼ーー25番は、その鈍色の前世を粛々と語り始めた。
「ひどい人生だったよ。俺は虐待の絶えない家庭に生まれたんだ。暴力じゃなくて、精神的な虐待。親が自分の叶えられなかった夢を俺に押しつけるやつで、やりたいことなんてさせてもらえなかった。結局、耐えられなくて自殺したんだ。周りから天才だの神の子だのって言われて我が子に期待したんだろうな」
25番はそこまで言って、356番を気にかけた。
尋ねられたとは言え、来世に希望を持つ者にこんなことを言うのは少々残酷だと思ったのだ。
「悪い。どうか忘れてーー」
「うわあああん! つらかったねぇ! よしよしもう大丈夫だよ!」
356番は号泣しながら25番の頭を撫でる。
霊魂に喜怒哀楽は存在しない。
にも関わらず、356番は通常の何倍も感情が豊かだった。
「な、何すんだよ!?」
知ったような口を聞くなーーそんな言葉が出なかったのは、356番のその言葉が嘘偽りのない優しさだと感じたからだ。
「暑苦しい! ええい! 離れろ!」
「次は絶対に良い両親に巡り会えるよ!」
そんな何の根拠もない希望が、25番の心に僅かばかりのゆとりを生んだ。
「それじゃあ、一緒に行こっか!」
「……そうだな。いつまでもメソメソしてられないか」
25番は差し出された手を取り立ち上がる。
それから二人は手を繋ぎ、揃って列に並んだ。
一人、そしてまた一人と列が縮む度、二人の手のひらに汗が滲んでいく。
356番はどんな来世でも受け入れるつもりだったが、天才に生まれることを密かに期待し、25番は平凡な家庭に生まれることを願っていた。
「それでは次の方」
ついに順番が回ってきて、二人は一旦離れた。
356番は唾を飲み込み、切符を交換し、ガチャを引く。
注意書きに『他者との交換、または引き直しを固く禁じる』と書かれている。
転がってきたカプセルの中には、一枚の紙が入っている。
「名前は……『陽向』か。能力値は……だめだ。全部平均値を下回ってる。両親も生まれる家庭も平凡そうだな……しかも、お父さんいないんだ」
なんか期待外れだな、と陽向は独り言を漏らす。
家柄も才能も両親も、良くも悪くも「普通」だ。
しかし、生まれ変われるだけマシだと妥協する。
「そうだ。あの子はーー」
陽向は辺りを見渡す。
するとすぐに、立ち尽くす25番を見つけた。
「どうしたんだろう……」
様子が気になった陽向は、列をかき分け25番の元に駆け寄った。
そして悪いなと内心思いながら、虚ろな目で見続けているガチャ結果の内容を覗いた。
「名前……『騎士斗』? カッコイイ名前だね。それに、凄っ! 全部の能力値がすごく高いじゃん! それに家柄もいいんだって!」
「ああ……すごいな」
「――? じゃあ、どうして泣くの? 僕なんて全部の能力値が平均以下なんだよ。能力にも家柄にも恵まれて、幸せでしょ?」
霊魂は嘘をつかない。
他人を慮る感情がないから、つく理由がない。
あまりにも純粋で、素朴な疑問点。
その無神経さが、糸一本で塞き止めていた感情を決壊させた。
「ふざけるな! 何が幸せだよ!?」
滂沱の涙を流しながら、騎士斗は陽向の胸倉を掴んだ。
暴力は振るわないが、苦しそうに陽向を睨みつけた。
その紙には、ある一文が記されていた。
『親 : プライドが高く、英才教育に力を入れる。』
たったその漠然とした一文と異彩を放つ「名前」が、25番――騎士斗の心に不安という陰を落とした。
「いいか! 能力や才能があったって、裕福な家庭に産まれたって、親が理想を押し付けるようなやつなら、子供は幸せにはなれないんだよ!」
叫ぶ騎士斗の目は弱々しく、陽向に縋るように崩れ落ちる。
生まれたばかりの子供にとって、親は世界の全てだ。
間違ったことを教われば、それが『正しい』のだと思い込むし、一人で生きていくことができないから、親の言いなりになるしかない。
親は望んだ子供に教育する権利がある。
しかし子供には、親を選ぶ権利はない。
その紙切れに人生を決められ、それを破棄することも変更することも許されない。
霊魂は定められた来世を受け入れる。
しかし前世の記憶を持った騎士斗は、それがいかに残酷で、恐ろしいことなのか知っていた。
「俺だって……平凡に生きたい。何もかもを与えられた天才なんかより、努力して結果を掴み取る秀才でいたい。それができるお前は、恵まれた幸せ者だよ。陽向」
騎士斗は陽向の足元に涙の雫を落とす。
努力しても結果が伴わない凡人に言わせれば、才能に恵まれた天才こそ幸せ者で、彼の言い分は自慢と受け取られかねない。
「才能があることと、本当にやりたいことが一致することは稀なんだよ」
かつてこんな少年がいた。
小さい頃から野球選手に憧れ、野球が心の底から好きだった少年。
しかし彼は身体が弱く、どれだけ練習しても上手くはならなかった。
少年はピアノを習っていた。
やりたくは無かったが、親に言われて嫌々練習していた。
しかし才能があった。
そのことに気づいた両親は、ピアノの教育に力を入れ、日々クラシックを聞かせ、音楽的な耳を養わせた。
進路も強制的に決め、音楽大学に通わせた。
『あなたのためよ。音楽の才能があるんだから』
指に怪我をしてはいけないからと、野球をすることは許されず、野球を見る暇があるなら練習しろと、テレビを消された。
『あなたのためよ。もっと上手くなりたいでしょ』
ある時から少年は行き詰まった。
音楽を聞くのが苦でしかなくなって、楽譜を見ると吐き気を催すようになったからだ。
それでも親の指導はヒートアップし、体罰にも似たスパルタな特訓を続けた。
『あなたのためよ。コンクールが近いんだから』
毎夜毎夜、哀しい音が響いた。
上手く弾けなければ殴られ、寝ることも、食べることも、休憩することも許されず、少年は練習し、練習し、練習し、練習し――練習し続けた。
そんなある日、少年は子供たちが野球を楽しんでいるのを見て、自分の本当にしたかったことを思い出した。
そういえば、俺は野球選手になりたかったんだ――。
少年の荒んだ心に、一筋の希望が差し込んだ。
『ねえ。母さん。コンクールで賞をとったらさ、一つだけ我儘を聞いてくれない?』
少年は母親にそう言い残し、宣言通り賞を勝ち取った。
母親は寛大な心で、その一日だけ全てを許すと言った。
そしてその夜。少年は重ねた楽譜を踏み台に、自室で首を吊った。
「才能があることと、本当にやりたいことが一致することは稀なんだよ」
騎士斗の目から光が失われた。
才能があるからといって、それを強制されるわけでも、家柄が良いから親に人生を決められる訳でもない。
だが『親 : プライドが高く、英才教育に力を入れる。』の一文が、どれだけ彼を不安に陥れただろうか。
『まもなく来世の扉が開きます! 「名前」を獲得した霊魂は集まってください!』
狐の面をした天界の番人が、霊魂に向かって号令をかける。
その奥に控える巨大な扉が、ゆっくりと開扉していく。
祝福の鐘が鳴り、扉の奥から奇怪な白光が溢れ出した。
「……ほら、行かないと。生まれ変われないよ」
「俺はいい。俺はここに残る。たとえ永遠に霊魂として渦巻くことになっても」
それは、何千年何万年という話ではない。
生まれ変わりの権利を持ちながら扉を潜らなかったものは、霊魂として永遠に終止符を打ってしまう。
そのことを霊魂は本能で理解している。
『それは困りますね。アナタたちに「生まれない」という選択肢はないのですから』
その場に留まっていると、狐の面をした大人が小さな二人を見下ろしていた。
「子は自らの意思で生まれてくるのではありません。親が望んだから生まれるのです。だからアナタたちに親を選ぶ権利などありません」
「だからって親の理想のままに生きなきゃいけないわけじゃない!」
「……仕方ありません。強引にでも連れていきます」
騎士斗にすうっと伸ばされた腕を、陽向は必死に掴んだ。
「待ってください! 必ず一緒に行きますから! もうちょっとだけ待っててください!」
天界の番人は陽向の行動に興味を示した。
記憶のない霊魂がここまで強い意志を示すことは珍しい。
だから、暫く傍観に回ることにした。
「ダメだよ。一緒に行こうよ、騎士斗くん」
「なんでお前は俺に構うんだ? 霊魂には感情はないはずだろ。それなのになんでお前はそんなに悲しい目をするんだよ」
「分かんない……でも、君をこのままにしちゃいけない気がする」
そう言って陽向は騎士斗に手を差し伸べる。
しかしその手が掴まれることは無い。
騎士斗は膝立ちで深く俯いたまま、顔を上げようとしない。
「……嫌だ。ここは居心地いい。みんな同じ顔で、能力に差はない。性別も、年齢も、名前もない。みんな一緒だから、価値観を押し付け合うことも無い。みんな同じ心を共有してるみたいで、何も考えずにいられる」
もし誰もが同じ能力を持っているなら、競い合うことは無い。
もし誰もが同じ考えを持っているのなら、争いは生まれない。
もし誰もが同じ身体を持てば、コンプレックスを抱えることは無い。
もし誰もが同じなら、他人との違いに苦しまずにいられる。
しかしガチャを引いた途端、その美学は崩壊する。
霊魂はオリジナルの個体として『個性』を獲得する。
それが騎士斗にとっては、耐え難い苦痛なのだ。
「『個性』なんていらない。みんな同じでいい」
「…………僕は、嫌だな。みんな同じなんて。僕は僕だよ。それに君も君なんだ。一緒なはずないんだよ」
優しく、諭すように陽向が言う。
どんな没個性でも、どれだけちっぽけな存在でも、それが世界で二人といない唯一人の存在であることに変わりない。
「それに僕はきっと特別な人間にはなれないけど、誰かにとって特別な存在にはなれると思うんだ。でもみんな同じなら、僕は誰かにとっての特別にすらなれないよ」
「…………」
「きっと……きっと僕が、君を救うから。生まれ変わりたくないなんて、そんな悲しいこと言わないでよ」
生きていればいずれいいことかがある。
なんて、生きたことのない霊魂には言えない。
だからこそ、ただ一縷の不安もない純朴な希望をぶつけた。
「ふざけんなよ……ッ」
救う。なんて、どれほど安っぽい言葉だろうか。
誰も騎士斗を救えないし、心の闇を晴らせない。
ましてその絶望を理解できない陽向には、綺麗事を並べて苛立たせることしかできなかった。
「馬鹿か、お前。生まれ変わったら記憶も残らないし、出会うことだってないんだぞ」
「そんなことないよ! 僕たちはきっと出会う! そしてきっと……ううん。絶対――僕が君を救うから!」
本質をまるで理解していない。
無邪気ゆえの、的はずれな言葉。
陽向はどこまでも純粋で、希望しか知らない。
「クソ……なんだよ、それ。そんなこと言われたらさ」
希望を抱いたわけじゃない。不安を拭えたわけじゃない。
ただ騎士斗は、この穢れのない魂を――現実を知らない無邪気な心を、汚したくないと思ってしまった。
サンタを信じる子供に、夢を見せてあげる父親のように。
陽向には世界に幻滅して欲しくないと、そう思ってしまった。
「……本当に、助けてくれるんだろうな」
「うん! 絶対に! 約束する!」
「…………そっか。なら、生まれ変わって気長に待つとするよ」
この、何でもできるって心の底から思ってるおめでたい奴に、来世を賭けてみよう。
「一緒に行こっか」
「……そうだな」
騎士斗は陽向の手を取って立ち上がる。
そして満足気に微笑んだ陽向を見て、照れくさそうに微笑み返した。
『まもなく、来世への扉が閉まります!』
天界に号令が響き渡る。
二人は手を繋いだまま、急かされるように光へと駆けていく。
巨大な扉の前で一度足を止めると、二人は再び顔を見合せた。
「……絶対、約束だからな」
「うん。分かってる。絶対だよ」
二人は呼吸を整えて、同時に足を踏み出す。
眩いほどの光に包まれて、新しい命が生まれる。
祝福の鐘は、二人が無事に転生するまで鳴り続けていた。
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春の温かな風が、桜の花びらが攫う。
都内に建てられた保育園には、子供たちが元気よくはしゃぐ声が響いている。
「はい! 捕まえた!」
「うへぇ。ひなたくんって足速いね」
「よくママとかけっこしてるからね!」
彼は同世代の中で最も立ち上がるのが遅く、母親や周りの大人たちから心配されていた。
そんな彼が、かけっこで誰よりも速く走っているのは、母親の献身的なサポートのおかげだった。
そして彼は人気者だった。
人との接し方、コミュニケーションの大切さを、母親が口を酸っぱくして教えているからだ。
他人を見下さない。されて嫌なことはしない。間違いを認める。他人の間違いを許す。自分自身を愛す。
そんな当たり前でとても難しいことが、彼には備わっていた。
「……あれ?」
彼はふと、視界の端に一人で砂場で遊ぶ少年を見つけた。
「あの子は?」
「ああ。ないとくんだよ。話しかけても全然反応しないんだぁ」
「ふーん。一緒に遊んだ方が楽しいのに」
陽向は常に母親の言葉を守っている。
一人でいる子に優しくすることも大切だと教わった。
「ほっときなよ。きっと一人でいるのが好きなんだよ」
しかし、他人が嫌がることをしないのもまた、母親の教えだ。
二つの考えが拮抗した結果、陽向は無視して駆け出した。
『絶対――僕が君を救ってみせるから』
その直後、春の風に乗って誰かの声が聞こえてきた。
自身でもよく分からないある衝動が、心の中で渦巻いた。
「ひなたくん?」
「……ごめん! ちょっと話しかけてくるよ!」
陽向は騎士斗に向かって駆け出した。
いつかの約束を果たすべく。
「ねえ! 一緒に遊ぼ!」
たったその一言で、彼は救われるのかもしれない。
※この作品は『子供ガチャ。-愛なき世界-』との二部構成になっています。よければそちらの作品も併せて読んでいただけると幸いです。
追記
騎士斗の前世を深堀した『その部屋からもう、ピアノの音はしない。』を投稿しました。
これでこのシリーズは完結です。