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5. 殿下の条約 〜リーゼロッテ〜

「守っていただきたいこと……ですか?」


 わざとらしく首を傾げながら、私はユリウスと顔を見合わせた。ユリウスもきょとんとした表情を作って私を見てくる。


「よくわかりませんけれど、ここで生活していくのに必要なことなのでしたら、どうぞ仰ってください」


 ヴィンフリート殿下は軽く咳払いをし腕を組みながら、抑揚のない声で語り始めた。


「まず、私は婚約者だからと言って貴方と馴れ合う気はない。節度を持った距離で接したいと思っている。そのためにいくつかルールを設けたい」

「それは……私が気に入らないということでしょうか」


 ここで少しでも肯定ととれる言質が取れれば、こちらが一歩リードしたことになる。が、相手もそうそう馬鹿ではない。


「いえ、そういうことでは。貴方はまだ地上からこちらに来たばかりだ。慣れないことも多いだろうから、私との関係よりもまずはこちらでの生活に慣れていただきたい」


 思いやり溢れる優しい言葉で、にこやかに笑いかけられる。けれどその瞳に宿した激しさは変わらないどころが激しさを増しているように見える。


(そう簡単には勝てないか……名ばかりの王子ではなさそうね)


 胸中で毒づきながら、私もにっこりと微笑んだ。


「それを聞いて安心致しましたわ。てっきりもう嫌われてしまったのかと」

「まさか、そんなことはありませんよ。この婚約の意義は私も重々理解しています。むしろ相手が貴方のような女性で良かったと思ってますよ」


 どの口が言うんだ、どの口が、と怒鳴りたい衝動に駆られているであろうユリウスを、目線で何とか押し留める。


「それで、ルールとは?」

「ええ、いくつかあるのでまとめてきました。ディルク」


 それまで無関心そうだったディルクが、殿下の声にさっと一枚の紙をテーブルに広げた。そこには達筆な字で殿下の言うルールらしきものが箇条書きで記されていた。

 さっと目を走らせながら、私はユリウスの腕をそっと掴んだ。


「私、読み書きできなくて……ユリウス読んでくれる?」


 もちろん大嘘である。地上では王族はもちろん貴族階級ならば誰でも読み書きくらいできる。一般市民だって真面目な人は独学で習得している。けれどこの天空の王子は地上のことを小馬鹿にしているようなので、お望み通りの内容を咄嗟に盛り込んでみた。やはり殿下は特に驚く様子もない。むしろユリウスの方が軽くびっくりしているようだった。


「リーゼロッテ様それは……いえ何でもありません。ディルク殿、こちらは持ち帰っても?」

「ええ、構いません」

「ではリーゼロッテ様には後でお部屋の方でご説明致します」


 ユリウスが紙面にさっと目を通してから大切に懐にしまい込むのを待って、再び殿下が口を開いた。


「異論は認めないが、疑問があればすべてディルクに聞いてくれ。今後は彼がすべての窓口になる」


(要するに、私と直接の関わりは持ちたくないってことね)


 あの紙面をさっと見た限りでは、体良く私を突き放すような内容ばかりだった。

 意気揚々と天空にやってきてヴィンフリート殿下の容姿に見惚れてしまうようなお嬢さんだったら、がっかり失望してしまうような対応。このまま一方的に距離を取られ続けたら、女性としてのプライドが粉々に砕かれ、婚約破棄に至る可能性も考えられる。


(なかなかやるわね……)


 けれど敵の唯一にして最大の誤算は、私がそういった一般的なお嬢さんには当てはまらないこと。これくらいのことでめそめそ泣いて落ち込むほど彼に期待も恋心もない。

 ただ、向こうがこちらとの接触を避けるとなると困ったことになる。あれだけ苦労して練り上げた『世間知らず姫あるある十箇条』を実践する場がない。


(今夜また作戦会議しなきゃ)


「きっとこれから沢山お世話になるわね、よろしくねディルク」


 矛先を無表情に佇むディルクの方に向けてみた。彼は深々とこちらに向かって頭を下げた。


「不慣れ故にご無礼があるやもしれませんが」

「あら、そんなことがあるかしら」

「侍従長としてはまだ駆け出しなもので」

 

 城内を取り仕切る最高職の侍従長。下積みがあっての出世。けれど彼からは、床磨きだとか窓拭きだとか、所謂下っ端の侍従の仕事を経験してきたような雰囲気がない。どちらかというとヴィンフリート殿下のような、元から高い地位にいる人のような厳然とした印象を持つ。


「以前はどちらに?」

「……国政に携わっておりました」


 思いきって尋ねてみれば、短い沈黙の後に消え入りそうな微かな声で返事があった。

 

(なるほど、何かしらの理由で部署異動があったのね)


 国政なんて随分とぼやかした言い方だ。神経質そうな見た目から推測するに、司法関係か財務関係か。どちらにしてもそこから侍従長への異動なんて変わっているどころじゃない。畑違いも良いところ、せっかく積み上げたであろうキャリアが台無しだ。


(これは何か裏があるかもしれないわ)


 後でアンナにお願いして調べてもらおう。彼の経歴や素性が今後のヒントになるかも。


「こちらで生活するにあたって他に何か注意するべきことがあれば教えていただきたい。リーゼロッテ様はクレマチスから出るのはこれが初めてでして」

「左様ですか。私も地上に直接行ったことはないので何とも言えませんが、それほど変わらないという話ですよ。何か気づいたことがあればすぐお知らせします」

「それなら良かったです。リーゼロッテ様には出来るだけ今までと変わりない生活をしていただきたいので」

「同感です」


 ディルクとユリウスの話が終わるのを待ってヴィンフリート殿下が席を立ち、その場はお開きとなった。表面上だけは紳士として振る舞う殿下は、私を部屋の前まで送ってくれた。


「今日はお誘いいただきありがとうございました。とても楽しかったですわ。次の機会を楽しみにお待ちしてます」


 恭しく頭を下げる私も表面的なら、それに相槌を返す殿下も表面的。どこまでも上辺だけの関係の私達。

 さっと踵を返し立ち去るヴィンフリート殿下に、ディルクが何か囁いている。それを見送りながらユリウスが部屋の扉を閉めた。もちろん施錠も忘れない。


「お帰りなさい、どうでした? 王子ぶったまげてました?」

「ああ、ものすごく驚いてた。とりあえず話は後にしてリゼ様の着替えを」


 うきうきと近寄ってきたアンナにユリウスが日傘を渡し、どかっとソファに座り込んだ。あいあいさー、とアンナが日傘を振り回しながら私の着替えを取りに走る。


「お疲れね、ユリウス」

「そりゃそうですよ。リゼ様が打ち合わせにないアドリブ入れまくるから、こっちは合わせるのに必死で。何ですか最後の読み書きできないって。あれはさすがに嘘だと気づかれたんじゃないかと冷や冷やしました」

「あら、その割には余裕綽々に見えたわよ。ユリウスもなかなかの演技派ね。ヴィンフリート殿下は私が読み書きできないって言っても何とも思ってなさそうだったわね」

「そのようですね。本気でリゼ様が読み書きできないと思ってるんだったら、どんだけ馬鹿にしてるんだって話ですけどね。疑われなくて良かったのか悪かったのか」


 戻ってきたアンナに手伝ってもらって普段着に着替え、リビングのテーブルに集まった。ユリウスが先程の紙面をテーブルの上に広げる。アンナが身を乗り出して紙面に顔を近づけた。


「何ですかこれ」

「敵からの挑戦状」

「何とまあ」


 改めて中身を熟読する。


『一、連絡はすべてディルクを通すこと。

 一、私室への出入りは禁止。

 一、外出時はディルクを同伴させること。

 一、欲しいものはすべて王室づけで買うことを許す。ただしすべてディルクに報告すること。

 一、礼儀作法をひととおり身に付けること。

 一、公式な場への欠席はいかなる理由でも許さない。』


 アンナはわあきゃあ小さく叫びながら、ユリウスは何やらぶつぶつ呟きながら、それぞれ食い入るように紙面に目を通している。


「国際条約みたいな仰々しい書き方ですね」

「それだけリゼ様を遠ざけて心折ろうとしてるってことだろう」

「どうでも良い話ですが、あの王子見た目に似合わずものすごい達筆ですね」

「本当にどうでも良い話だな」 

「だって意外じゃないですか。もっと角ばった読みにくい字を書くのかと」


 何度も目を皿のようにして読み返し、うーんと唸りながら三人同時にソファに深く沈み込んだ。

 ヴィンフリート殿下との接触はほとんど遮断されたと言って良い。この状況を何とかするとしたら。


「ディルクとの接触を増やして、そこで何か事を起こすしかないですね」

「ディルクの言動はどれほど殿下に影響するのかしら。彼の経歴が気になるわ」

「はいはい、さっそく調べましょうかね」

「この礼儀作法がどうのっていうの、腹立たしいことこの上ないな。リゼ様を何だと思ってるんだ」

「逆に利用できるかもしれないわ」


 控えの侍女が夕食に呼びに来るまで、私達はあれこれ意見を出し合い、今後の対策を考えた。ひとまずはこの『殿下条約』に則りディルクを連れて外出する予定を立てようということになった。



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