4. 散策に日傘 〜リーゼロッテ〜
王城の庭園は、アンナが言っていた通りかなりの広さがあるようだった。
(庭と言うより森と野原ね)
塀が見えない。遠くの方に見えるあの鬱蒼とした森は、この庭園の敷地内なのか城の外の森なのかさっぱり区別がつかない。一体どこまで続いているのだろう。
私の隣に並んで歩いているのは、ヴィンフリート殿下ではなくユリウス。右手で私の肩に手を置き転ばないように支えながら、左手は日傘を持って私の方に傾けてくれている。
「リーゼロッテ様、暑くはないですか?」
「ええ平気よ。それにしても綺麗なお庭ねえ。……きゃっ」
「お足元が悪いのでお気をつけください」
「本当ね。怖いわ……ユリウス決して手を離さないでね」
「心得ております」
『世間知らず姫あるある十箇条』その二、御付きの者がいないと何もできない。
ごく簡単な打ち合わせだけで、後は完全にその場任せ。会話せずともユリウスとは目線を交わすだけで大体の意思疎通ができるから、頭の弱い王女と過保護な側近を息ぴったり見事に演じられている。
(なかなかの名俳優と名女優ぶりよね)
ユリウスの方に体を寄せながら、何だか楽しくなってきて声を押し殺して笑う。
ユリウスは、アンナが来る前に私の侍女を務めていたエラという女性の子どもで、幼い頃は兄妹のように仲良く遊び回っていた。エラが退職後は、代わりにユリウスが側近として私の警護に付くようになった。と言っても、実際にはアンナとユリウスの役割は逆。エラに似て手先が器用で要領が良いユリウスが私の身の回りのことを取り仕切り、表向きは侍女のアンナが潜入調査や護衛を担当している。
「お二人はいつもそうなのですか」
前を歩くディルクが怪訝そうにこちらを振り返った。その隣のヴィンフリート殿下もちらちら気になる目線を投げてきてはいる。
「そうって? 何かおかしなところでもあって?」
よし、ひっかかった! という本音を胸の奥深くにしまい込み、私はわざとらしく首を傾げながら悠然と微笑んだ。畳み掛けるように、ユリウスがそっと膝をつき恭しく私の手を太陽に掲げた。
「何もございませんよ。リーゼロッテ様のお美しさにお二人とも驚いていらっしゃるのです。明るい日差しの下でご覧になったのは初めてでしょうから」
「まあユリウスったら、うふふ」
そのまま主人を褒めちぎる側近と喜ぶ王女の会話を次々繰り出すと、ディルクは諦めたのか小さな溜息をついて再び歩き出した。
ゆっくりと後に続きながら、私はユリウスと目線を合わせた。
(まずまずな反応じゃない?)
(好感触ですね)
可憐に咲き誇る花々の間を、適宜転びそうな演技をしつつ抜けていくと、白亜の小さな建物が見えてきた。すぐ横には大きな屋根がありその下にはテーブルセットが置かれている。
(アンナがテラスって言ってたのは、あれのことかしら)
ヴィンフリート殿下とディルクは、その建物の方に真っ直ぐ歩いて行った。私とユリウスもそれに従いついていく。
用意されたテーブルに四人それぞれが座ると同時に、建物から侍女達が次々と出てきた。見る見るうちに、ティーセットやケーキなどアフタヌーンティーの準備が整えられていく。
「お疲れになったでしょう。ここでゆっくりお茶でも飲みながら、語らいませんか」
(語る? 一体何を?)
ディルクの言葉に警戒心が芽生えるものの、すぐに私はにっこりと無邪気な笑みを浮かべた。
「まあ嬉しい。実は少し足が痛くなってきたところだったの」
「それはいけません。仰っていただけましたら、私がここまでお連れしましたのに」
「あら、ありがとうユリウス。でももう大丈夫よ」
すかさずユリウスが私の演技に被せてくる。もしかしなくとも悪のりしてきている気がする。
ちなみに城を出てからまだいくらも経っていない。後ろを振り返れば、さっき出てきた城の入り口がまだ小さく見えているくらい。婚約式の後の宴の方が、挨拶やらダンスやらでよっぽど忙しなく動き回っていた。
ディルクの労いは完全なる社交辞令、またはこの席につくための口実なのに、それを真に受けたおめでたい王女、という構図。
それにしても、ヴィンフリート殿下はさっきから一言も話さない。こうして同じテーブルで向かい合っても、目すら合わせようとしない。
(これだけお望み通りの世間知らず姫を演出してるんだから、少しは面と向かって非難されるかと思ってたのに。拍子抜けだわ)
それとも、目の前の王女があまりにもお馬鹿さんだから呆れて何も言う気にならないとか……。あり得るわね。さっきこの格好見ただけびっくりしてかちこちに固まってたものね。そうなると、これはもう私の勝ち? 晴れて婚約破棄されて、明日にはもうクレマチスに帰れるのかしら。
ヴィンフリート殿下の様子をティーカップ越しにそっと観察した。澄み渡る青空の下、爽やかな緑の中で、殿下の色鮮やかな赤髪が異彩を放っている。茶色い切れ長の瞳はよく見れば少し垂れ目なのに、王族らしい威厳に満ちている。剣術が趣味だという体は、それなりに鍛えられているようでユリウスより一回りほど大きい。
ただ紅茶を飲んでいるだけなのに、カップを握る指先まで美しく隙のない洗練された動き、滲み出る風格。圧倒されると同時に思わず見惚れてしまう。
(……いけないいけない、私の心の恋人はオリバー様ただお一人よ)
そう確認したところでもう一度ヴィンフリート殿下をじっくり観察してみるものの、やはりその顔からは何の感情も読み取れない。ちらっと隣のユリウスを窺うと、同じように考えあぐねているようだった。
「ユリウス、貴方も遠慮なくいただいたら?」
「いえ、私は……」
「たまには良いじゃない、ね?」
「では少しだけ」
細かい演技を二人で重ねながら、相手の出方を待つ。
ディルクは私達を一瞥してから、懐から何やら古臭そうな書物を取り出してそれを読み始めた。以降、周りのことは一切気にならないといった様子で完全別世界。ヴィンフリート殿下は遠くの森を眺めながらやはり黙り込んだまま静かに紅茶に口をつけ始めた。
(何これ、二人とも私達のことは無視?)
(想定外の事態ですね)
(どうしたら良いのかしら。そもそも何で突然今日ここに連れて来られたのかもわからないし)
(いっそこちらから問いただしてみますか)
(いいえ、それは駄目。もう少しだけ相手の出方を見ましょう)
きゃっきゃっと適度にはしゃいだ声を上げながら、目線だけでユリウスと協議する。
ヴィンフリート殿下が一向にこちらを見ないまま、そよそよと吹く風の音とディルクが書物の頁をめくる音だけが耳をくすぐる。
どれくらいの時間が経っただろう。そろそろ演技のネタも切れようかという頃になって、ようやくディルクがぱたんと書物を閉じテーブルに置いた。
「殿下」
凛とした声で呼ばれ、ヴィンフリート殿下も緩慢な手つきでティーカップをテーブルに戻した。そしてようやく、向かいに座る私に目を向けた。
夕暮れ時を思わせる赤みがかった茶色い瞳に、急に恐ろしいほどの気迫と激しさが宿る。負けじと私もその瞳を真っ直ぐに見つめ返し、朗らかに見えるように柔らかく微笑んだ。
「クレマチスの王女。私との婚約に際し、貴方にはいくつか守っていただきたいことがある」
地を這うように低く硬い声音。そういえば彼がまともに喋るのを聞くのはこれが初めてだ。容姿からは想像もつかない、こんなに背筋にぞくぞくくる声だったのね、なんて感想はこの際後回しにして。
(ついに始まった……)
ほんの少しだけ椅子から身を乗り出し、私も臨戦態勢に入った。