12. 希少な鉱石 〜リーゼロッテ〜
長身のディルクが真っ白いフリルのついた日傘を差しているのは、想像以上に滑稽な姿だった。隣を歩く私のために少し背中を丸めて猫背になり、必死にこちらに日傘を傾けているのも面白さが増して笑わずにはいられない。
「何か?」
「いいえ何でもないわ」
居心地悪そうに振り返られ、私は懸命に笑いを堪えた。あのディルクの仏頂面を少しだけ剥ぎ取れたかと思うと、胸がすうっとした。
ディルクに案内されてまずやって来たのは、店名の看板が掲げられただけの小さな宝飾店だった。
「ここが王室御用達のお店?」
「王室というよりは妃殿下の御用達ですね。普段使いできそうな品が豊富に取り揃えられているので、定期的に来店されています」
中に入ってみて納得した。所狭しと並べられたアクセサリーの数々。埋め込まれている宝石は小粒だけれど品質はどれもとても良い。指輪の裏側には一つ一つ微妙に異なる花の模様が彫られていて、細かい部分まで繊細に作られている。
「職人技ね。素敵だわ」
それほど広くもない店内をゆっくり時間をかけて回り、気に入ったものがあれば手に取って見てみる。店員は妙齢の女性が一人。特に声をかけるでもなくこちらの様子を黙って伺っている。
「お気に召すものがありましたか」
ディルクは入り口付近に立ったまま、私の動作をじっと観察している。
「そうねえ。どれも見てると欲しくなってきちゃって困るわ。でもディルク、さっきおすすめの店舗がいくつかあるって言ってたわよね。ひとまずそのお店を全部見てから考えようかしら。どう?」
ディルクの返答はなかった。不服なのが伝わってくる。けれど立場上あからさまに嫌だとも言えないはず。
次のお店の案内をお願い、と軽やかに口にしながら私は内心にやにやとほくそ笑んでいた。
『世間知らず姫あるある十箇条』その三、時間の使い方がわからない。
今日はディルクをとことん振り回す予定でいる。心身共に疲れ切って帰ったディルクを見て、ヴィンフリート殿下は私の我儘ぶりにますます幻滅するだろう、という予定。
二店目、三店目と回るごとに、嫌そうに日傘を差していたディルクは次第に慣れた手つきで私の歩みに合わせ、日傘をさっと開いたり閉じたりするようになった。機械的な動きだけど順応力は高い。
「こちらが最後の店舗です」
そう言われて連れてこられたお店は、明らかに前のお店とは違っていた。表通りの裏側にひっそりと隠れるように建てられた白亜の外観。入り口は重厚な二重扉で、そこを抜けると剣を携えた警備員が彫像のように仁王立ちして構えている。
「三代前の国王の頃から王室付きの宝飾店として使われています」
(なるほど、それでこの厳戒態勢なのね)
清涼な外観とは反対に店内の壁はすべて黒塗りで、窓もなく明かりは蝋燭だけ。真っ昼間だというのに薄暗く妖しげな雰囲気が漂う。
商品はどれもショーケースに収められ、店員に頼んで開けてもらう仕組みらしい。あちこちに黒の上下を纏った店員らしき人が配置されている。
試しに一番手近なショーケースを覗いてみると、前の数店と比べて桁違いに大きく透明度の高い宝石ばかりだった。
(希少価値の高いものばかり。天空にも大きな採掘場があるのかしら)
クレマチス北部にある鉱山は上質な石が取れることで有名だけれど、それでもここにある宝石と同じ質のものを同じ量見つけようと思うと、下手すれば百年近くかかるかもしれない。
注意深く一つ一つ見ながら奥へと進んで行くと、一際厳重に管理されている一角があった。ショーケースの両端に屈強な男が屹立している。
「これは……」
静かな店内で思わず声が漏れる。
中央に飾られている淡い青色の光彩を放つ指輪。近づいてみるとその美しさに魅せられる。
市場にはほとんど出回らないはずの希少な青い石。自然が生み出す神秘的で幻想的な至宝。必ず採れるわけではない、奇跡のような確率でしか採掘されない幻の宝石。それが指輪の外周を余すことなく埋めている。
(ブルーダイヤ……なんて贅沢な……)
口元を押さえて立ち止まった私に、すらりと背の高い女性が声をかけてきた。
「お気に召しましたか」
「ええ、あまりにも綺麗で……見惚れてしまいましたわ」
「ありがとうございます。こちらは一点ものとなっております」
(そりゃそうよ。こんなとんでもない品が二点もあったら驚きすぎて声も出せなくなるわ)
にこやかに話す女性に、心の中で強く言い返す。
まさか今回の外出でこんな珍しいものに出会えるとなんて……これはまさにチャンス。
『世間知らず姫あるある十箇条』その四、金銭感覚がない。今こそ発動の時。
入り口近くで待っているディルクを手招きして呼び寄せた。
「お決まりですか」
「ええ、こちらを」
目の前の指輪を指し示すと、ディルクはぴくりと眉を釣り上げた。
「ヴィンフリート殿下のお約束には、欲しいものは何でも買って良いっていうのが確かあったわよね」
「ええ、ございましたね」
「だったら問題ないわね」
念押しすると、ディルクは諦めたように店員の女性に声をかけ始めた。
(あえて値段は聞かないようにしよう。目が飛び出るほどの金額なのはわかり切ってるもの)
そうっとその場を離れ購入手続きが済むのを待っている間、隣のショーケースに目を向けた。こちらもなかなか希少価値の高そうな商品が揃っている。
「あら、これは?」
独り言のようにぽつりと漏らした言葉を、隣に張り付いた女性は聞き漏らさなかった。
「こちらはまだ加工前のものでございます」
黒い台座に置かれた真紅の石。白い手袋をした女性はショーケースからその石を出すと、入口からわずかに漏れる陽光の前に翳して見せた。
それまで鮮やかな赤色をしていた石が、ぱっと美しく爽やかな青緑色に変わった。
「太陽の光に照らすと色が変化して見える、大変希少価値の高い石です」
色が変化する石、アレキサンドライト。店員の女性があえて言わなかったその宝石の名前を、私は知っている。本で見たことがある。けれど実際に目にするのは初めてだった。こんなに綺麗なものだなんて。
そっと手に乗せられたそれを、入り口側に向けたり店内側に戻したりして何度もその色の変化を確認した。
「別物に瞬時にすり替わってるみたい。不思議ね。クレマチスでは見たことがないわ」
太陽の光に照らされた時の鮮やかな青緑がリングエラなら、蝋燭の下で煌めく深い赤はヴィンフリート殿下のようだった。
「リングエラでもそう頻繁に見られるものではないです」
振り返ると、購入を終えたのかディルクがすぐ後ろに立って私の手元を覗き込んでいた。
「それに目を付けられるとは……王女は目敏くていらっしゃる」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
改めて手の中の石に見入る。指先で摘めるほどの小ささなのに、溜息が出るほど美しい。さっき購入した青い指輪より、おそらくこちらの方がずっと高価に違いない。金額はやっぱり深く考えないことにする。
「これも指輪にすることはできるの?」
「はい、ご希望のデザインはございますか」
「さっきの指輪と同じで。見劣りしないように他の石も沢山使って。種類は任せるわ」
店員と話を詰め出すと、すかさずディルクが割って入った。
「こちらもご購入されるのですか」
「そうね。でも私のではないわ」
「どういうことです?」
悪戯っぽく笑うと、ディルクはますます眉を顰めた。
「ヴィンフリート殿下への贈り物よ。なかなかお会いできないから、それくらい良いでしょう?」
贈り物と言っても代金はすべて王室から支払われるのだから、良いも何もない。頭の弱い王女の盛大な無駄遣いと、好意の押し付け。
「殿下は指輪は付けられません」
「あらそうなの。じゃあこれは貴方に贈ろうかしら。今日のお礼に」
「そのような高価な物は受け取れません」
「残念ね。じゃあやっぱりこれは殿下への贈り物にしましょう」
こそこそと小声で言い合い、勝利した私は上機嫌で店員の女性に向き直った。
「完成したら、さっきの指輪と一緒に届けて下さる?」
「かしこまりました」
お買い上げありがとうございます、と深々と頭を下げる女性に、ディルクが憮然とした態度でまた購入手続きを始めた。
「気に入るものが見つかって良かったです」
宝飾店を出た後、嫌味まじりにそう言われても私はまだまだ追撃の手を緩めない。
「誰も一つしかいらないなんて言ってないわ。最初の妃殿下お気に入りのお店、やっぱり気になるからもう一度連れて行って?」
ディルクは一瞬目を大きく見開いた後、がくりと肩を落とした。
「ディルク、貴方女性の買い物に付き合ったことないの?」
「王女ほど時間をかけられる方は初めてです」
「そう、それは嬉しいわ」
皮肉たっぷりに返すと、諦めたように日傘がこちらに差し向けられた。
「王女は私を試しておられるのですか?」
「試す? とんでもない」
笑みを浮かべながら私は周りの様子をさっと確認した。
ここから最初のお店までの道は覚えている。表通りをしばらく真っ直ぐ進み、五本目の角を右に曲がったところ。それなりに距離がある。あのお店が気になるのも本当だけど、時間を多く取るためにあえて指定した。
表通りは人や馬車の往来が多く、あちこちで物売りが呼び込みをしていたり、楽器を手に高らかに歌う若者がいたりする。少し距離をとってついてきている護衛の者には、私達の会話までは聞き取れないはず。
「ディルク、日が当たるからもう少し傘をこっちに向けてくれる? そう、それで良いわ……貴方に折り入って話があるの」




