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11. 空色の疑問 〜リーゼロッテ〜

 ちょっとした異変があったのは翌朝のこと。


「リゼ様申し訳ございません」


 妃殿下と二人で和気藹々と朝食を堪能した後、部屋に帰るなり待機していたユリウスが跪き深く頭を下げた。


「どうしたの? 何かあった?」

「午後の外出にご一緒できなくなりました。王子の公務に同行せよと」

「ディルクに言われたの? 何でまた」

「わかりません。王子の意向だそうです」

「ヴィンフリート殿下の……」


 この前の一件では、ユリウスに目立った失敗はなかった。どう見ても、王女に甘いだけの過保護な側近でしかなかった。怪しまれるようなことは何もなかったはず。

 けれど相手はリングエラ国の王子。鋭く光る、あの何事も見通されそうな強い瞳。ちょっとしたことで何か察したとしてもおかしくない。


(それともユリウスを私から引き離して、何か情報を引き出そうとしているのかも)


 私がディルクを利用しようとしているのと同じように、殿下もユリウスを自分の陣営に入れる予定だとしたら。

 目の前まで歩み寄ったユリウスが、不安そうに揺らいだ瞳を私に向けながら苦しげな声を絞り出した。

 

「替わりにアンナを護衛につけましょう」

「ほいきた」

「いいえ、それは出来ないわ。アンナはまだディルクには顔を知られたくないもの」

「はいさー」

「しかし」


 下唇を噛みながらユリウスが俯く。


「それではリゼ様が……」

「私は大丈夫。ディルクが私に危害を加えるとは考えにくいし、ディルクの他にも城の護衛官が何人か付くでしょうから」


 それに、宰相にまでなった相手に私達の演技がいつまでも通用するとは思えない。ごちゃごちゃ小技を繰り出すより、一対一でちゃんと話がしたい。


「殿下がわざわざユリウスを指名するからには何かお考えがあるんでしょう。どっちみち殿下の意向を無視はできないのだから、ユリウスはそちらに集中するように。アンナも隠れてユリウスに付いて行きなさい」

「リゼ様!」


 尚も何か言い募ろうとするユリウスを、片手を上げて制する。


「私は大丈夫だから心配しないで。ユリウスは演技じゃなく本当に過保護な側近になっちゃったのかしら。それは困るわ。聞き分けてくれるわね」


 納得していなさそうな表情ではあるものの、ユリウスは黙って頭を下げた。アンナがその背中をよしよしと撫でた。





 昼食を終えてすぐ、先に不満顔のユリウスが、少し遅れて黒い服に身を包んだアンナが部屋を出て行くのを見送った。私は私で、前ほど華美ではないけれど街へ下りるには少し華やかな装いを整える。

 着替えが終わり鏡を確認していたところで、扉のノック音が聞こえた。


「少し早かったでしょうか」

「いいえ、ちょうど良いくらいよ。行きましょう」


 にっこりと微笑んでディルクの腕にそっと手を乗せた。ディルクは全く表情を動かさないまま歩き始めた。その大きな歩幅に演技ではなく本当に転びそうになり、慌ててディルクの腕にしがみつく。


「失礼。女性と歩き慣れていないものでして」


 特に狼狽える様子もなくさらっと口にする様子は、随分と冷静で自分が試されているかのようだ。けれどディルクは今度は私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。


 城門の外はなだらかな下り坂で、周りは緑が生い茂る木々達で埋め尽くされている。しばらくしてその森を抜けると城下町に出る。

 ディルクと二人、馬車に揺られながら森の麓に見える城下町を指さした。


「見えてきたわ。部屋の窓から見るより案外近いのね」


 建物がすべて青い屋根と白い壁で統一されている城下町は、昼間見ると空との境目が曖昧で、その大きさがよくわからない。暗くなってくるとようやく煌々と灯る明かりのおかげで、どこまでが街なのか境界線がはっきりする。


「空に溶けちゃいそうね」


 太陽の光を反射し白く光る家々を眺めながら、私は呟いた。すると向かいで書物を手にしていたディルクが頁をめくる手を止め、窓の外を見やった。


「そう意図して作られた街ですから」


(見えにくくして外敵から身を守るためってこと?)


 この婚約の件と言い、おかしな話だ。リングエラは何をそんなに怯えているのだろう。今現在地上に存在する国々の中に、遥か遠く天空に位置するリングエラを敵対視する国なんてある筈がない。戦い以前に、天空人の力を借りずにここに来ることすら出来ないのだから。

 リングエラは天空の国。それは誰もが知っている常識だけれど、具体的に天上のどこに存在するのかは判然としない。天空人が操る飛行船に乗せてもらうことでしか、私達地上人はここに行き着くことができない。

 だからこそ天空の世界は地上人にとって憧れであり夢の楽園と言われる。決して侵すことのできない聖域のような存在。


「あんなに空と見分けが付かなかったら、間違って飛行船がぶつかったりしないの?」

「それはありませんね。飛行船は視界で操作するのではなく風の流れに乗って操る乗り物です」

「風の流れ……風が吹いている方向に飛んでいくってこと? でも街にだって風は吹くでしょう?」

「まあ、そよ風くらいは吹くでしょうが。飛行船を乗せる風はもっと巨大な、天空と地上を結ぶ大気の流れです」

「大気の流れねえ……」


 今いちピンと来ない。風は草花の種子や雨滴を運び、動力を生み出す力にもなるけれど、人がその流れを読み操るなんて。


「天空の人達はみんな風の動きが読めるの?」

「得意不得意はありますが、まったくわからないと言う人は聞いたことがありません」


 ディルクは手元の本をぱたんと閉じ、今日初めて私を正面から視界に入れてくれた。


「地上で生まれた方には理解できない感覚のようです。クレマチス国王も同じ質問をされて、同じようなお顔をされていました」

「まあそうなの。それは光栄なこと」


(オリバー様が……)


 似ていると言われたようで素直に嬉しい。口元が緩むのを抑えられず、誤魔化すように微笑むと慌てて話を逸らした。


「先日いただいたあの書面、随分と達筆な字だと私の侍女が絶賛してましたわ。あれはヴィンフリート殿下が?」

「ええ、あれはすべて殿下がお一人で作られたものです」

「そうなの。殿下はあのように麗しい容姿をお持ちな上に字も綺麗だなんて、完璧すぎて隣に並ぶのは気後れしてしまうわ」

「あの書面の内容はご理解いただけたのですか?」

「ええ。最初はびっくりしたけれど、これも殿下の深いお心遣いなのだろうと思うことに致しましたの」


 これくらいで私が泣いて引き下がると思ったら大間違いよ。という気持ちを込めて、私は背筋を伸ばしディルクを正面から見据える。


「殿下にお伝えいただけるかしら。リーゼロッテは殿下のご厚情に深く感謝しております、と」


 ものすごく婉曲的な、私から殿下への宣戦布告。


「……たしかに承りました」


 伝わったのかどうかはわからないけれど、ディルクは大きな溜息をつくとそれきり黙り込んだ。


 やがて馬車の揺れが徐々に小さくなった。森の小道から城下町の舗装された道に変わったようだ。

 青空に紛れてひっそりと佇む外観とは違い、町全体は活気に溢れていた。人通りが多く、そこかしこから楽しそうな鼻歌や子ども達の陽気な会話が聞こえてくる。賑やかな喧騒に、ディルクの硬い表情も心なしか少し緩んできたように見える。

 大きな広場のような場所に出ると、馬車は停車した。ここが街の中心なんだろうか。大きな噴水の周りでは、食事や昼寝など思い思いの時間を過ごす人達がちらほら見受けられる。


「王女は本日は買い物をご希望とお伺い致しましたが」


 先に馬車を降りたディルクが降りやすいように手を差し出してくれた。意外と角ばっているその手を掴みながら、私も外の世界へと降り立つ。


「そう。新しい指輪が欲しいの。お気に入りの物は全部地上に置いてきてしまって。取り寄せても良いんだけど、せっかくだからリングエラの物を見てみたいの。どこか良いお店があれば教えて欲しいわ」

「そういうことでしたら、王室御用達の店舗がいくつかございます」


 案内しようと足を踏み出したディルクの腕を引っ張り引き留める。


「今日はユリウスがいないから、貴方が差して下さる?」


 そう言ってもう片方の手にあった日傘を彼に向ける。苦虫を噛み潰したような顔をして、思った通り嫌がられた。


「私が道案内をしますので、これは護衛の者に持たせましょう」

「あら何で? 私は貴方が良いの。不服かしら?」


 そう食い下がれば、彼は多分断れない。実情はどうあれ、今の私は、彼の主人の婚約者なのだから。


 

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