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9. 命令 〜ヴィンフリート〜

 あの日以来、徐々に父上に付いて城を空けることが増えていった。貴族達の集まり、教会への訪問、騎士団の訓練視察など、多岐に渡る外出で父上はとかく俺を表に出させた。

 国民に顔を覚えてもらうためではない。名も顔も生まれた瞬間からとうに知られている。父上の目的はただ一つ、俺を試しているのだ。次期国王として問題ないか、貴族達に足元を掬われないか、一般市民に尊敬される存在であるか、国政への見識は如何程なのか。

 父上以上に俺を値踏みしようとしているのはディルクだ。次期国王として相応しいかどうかと同時に、自分がこの先仕えるに値する相手なのかどうかを注意深く見ている。

 事実、ディルクは俺の指示には完璧に従うものの、そこに忠誠心は感じられない。王子という立場に付き従っているだけで、ディルクが俺自身を認めているとはまだ言い難い状況だ。


「どうだ、ここ数日での感想は。思ったより大変だろう

「想像以上です」


 得意げに胸を張る父上に、俺は素直に同意した。そこは意地を張るようなところではない。学ぶべきことは星の数ほどある。


「徒らに権力を振りかざすだけではすぐに国は滅ぶ。国民の生活や命そのものが我々の一挙手一投足にかかっていることを忘れずに、日々地道に目の前の課題に取り組むことが肝要。表に出ること以上に裏で汗水垂らして馬車馬のように働くことだな。本来は王などいなくても国など回るのだから」

「痛感しております」


 鷹揚に微笑む初老間近の父上は、その見た目からは想像つかないほどの能力者だ。薄々感じてはいたものの、この数日で畏敬の念を抱かずにはいられない。


 リングエラの王座は代々一子相伝で受け継がれてきたわけではない。国民に支持され国王から任命されれば、血筋や階級に関係なく誰でも次王になれる。愚王が起った際は、それが先王の息子であろうと何者であろうと、国民によって討ち取られる。国民全員が身分に関係なく一丸となって、国が滅ぶ前に愚王から国を取り戻す。そうしてリングエラは途方もなく長い歴史を刻んできた。

 我が一族が王位を受け継ぐようになって、父上で六代目となる。親子で馴れ合い譲位したのではなく、いずれの王も傑物で長い治世を築いたとされている。そこに俺も七代目として名を連ねられるかどうか、というところだ。


「お前は幼い頃より人一倍国を想う心が強い。人を惹きつける力も持っている。普通はそれらを身に付けるのに苦労するんだが。生まれながらに王の資質が備わっていると言って良い。後は実務的な能力を鍛えていくことだな」


 国王としての威厳をちらりと見せた後、父上は一気にただの中年男の顔になり、目尻を下げて柔らかい笑みを浮かべた。


「時に、リーゼロッテ王女とは仲良くしているのか。噂には聞いていたが本当にお前には勿体ない程の美人だ」

「……王女とは三日ほど会っていません」


 罰が悪く小声でそう答えると、鋭い視線に責め立てられた。


「婚約者を三日も放っておくとは。何だ? 彼女が気に入らないのか」

「いえ、そういうわけでは」


 あの奇妙な茶会以来、城を空けることが多く食事の時間もずれることがほとんどで、王女とは全く顔を合わせていない。王女からディルクへの接触も一切ない。連絡はすべてディルクを通せ、とこちらから啖呵を切った手前、俺から会いに行ったりすることは憚られた。

 続く言葉が出てこない俺を見やり、父上は大きく溜息をついた。


「クレマチスはただの巨大国家ではない。オリバー殿と会って話してわかった。あの男はあんな飄々とした人畜無害そうな顔で、目的のためなら多少の犠牲も厭わない豪胆な人間だ。だから早々に手を結んでおこうと思った。王女は言わば人質も同然。だが実際に対面してみるととんでもない逸材ではないか。本当にお前には勿体ない」


 大袈裟に両手で顔を覆う父上の横で、俺はクレマチス国王を思い浮かべた。騎士出身とあって体つきは流石にしっかりしていたが、人の良さそうなあの笑顔。王女のことを甘やかし育てたであろう地上の王。


「リーゼロッテ王女は生まれてからほとんどクレマチスを出たことがないらしい。右も左も分からない天空に突然連れてこられてさぞ心細い思いでいることだろう。それを三日も放っておくとは」


 心細い……それはないだろう。あんなにも親密な側近がすぐそばに控えているのだから。

 俺の心意を他所に父上の演説は徐々にヒートアップしていく。


「このままでは王女の方から婚約破棄を申し渡されても何の文句も言えまい。何とかせねば。今日の午後の予定は……教会慰問か。急用ができたと言って明日に回せ。さあヴィン、急ぎ城に帰るぞ」


 まさにその婚約破棄が俺の目的なのだが、そうとは知らない父上にせっつかれ、午後の公務をすべてほっぽり出して城へ引き返すこととなった。






 正装を脱ぎ捨て普段着に着替えて執務室へ行くと、明日以降のスケジュール調整を終えたディルクもちょうどやって来たところだった。


「殿下、クレマチスの王女のところへは」

「誰が行くか。お前こそ例の調査はどうなった」


 扉を閉めるとディルクはいつものデスクではなくソファに腰掛けた。脇には書類の束が見える。


「ちょうどご報告差し上げようと思っていたところでした」

「ほう」


 何枚か抜き取りテーブルに並べ出したディルクの横に俺も腰を下ろす。


「あの側近、名をユリウスと言いましたか……元々は王女の乳兄妹のようです」

「乳兄妹?」

「王女が赤ん坊の頃から仕えていた侍女の息子です。幼い頃から兄妹同然に育ち、やがて家を出て騎士の養成学校へ入学。首席で卒業後、王女の元に戻り側近となったようです」

「騎士……そんな風にはとても見えなかったが」

「中には小柄な騎士というのもいるにはいます。腕力というよりは俊敏さや戦略に長けているのでしょう。あの見た目で屈強な同期をなぎ倒していく様が当時は話題になったと」


 ディルクがかき集めてきた資料は養成学校時代の成績表などで、ざっと見ただけでもあの男が優秀な人間であることは一目瞭然だった。


「ただの側近にしておくには惜しいな。騎士団から要請があってもおかしくない」

「実際にクレマチス国王から直々にそういう話もあったみたいですね。しかし本人たっての希望で王女に下ったとあります」


 どこでどう手に入れたのか、ディルクが指し示した内密文書の中にそういった記述が確かに見られる。


「あの王女にそこまでする価値が?」

「乳兄妹以上の感情があるかもしれません」 

「……それだ」

 

 ディルクの言葉に俺は思わず立ち上がった。


「あの側近の過保護さと警戒心の強さは異常だ。王女はよくわからないが、少なくとも側近の方は王女に懸想しているに違いない」

「あくまでも可能性の話ですが。いずれにしてもあの男にはこちらも充分警戒する必要があります」


 あの鋭い視線は、不審者ではなく俺やディルクを警戒していたのかもしれない。


(俺を敵視するのは勝手だが、俺と王女はもう婚約済みだ。仮に俺と王女の間に既に何かあったとしても、あの男に咎められる理由はない)


 しかし俺の思惑としては、俺と王女の婚約はいずれ無効になる予定だ。そうなると、王女はあの男と……?


 そこまで考えて、俺の思考は停止した。近頃こんなことが多い。クレマチスの王女のことを考えているうちに何を考えていたかわからなくなってくる。 


(何をやっているんだ俺は!)  


 柄にもなく髪をがしがしかき乱したところで、ディルクがデスクに戻りながら何気なくとんでもないことを口にした。


「もう一つご報告が。明日、王女と街へ出かけます」

「何だと?」


 何故もっと早く言わない、と詰め寄る俺に、ディルクは顔色一つ変えずしれっと答える。

 

「先程偶然ユリウスに遭遇しまして、そのように言われましたので。明日は教会慰問の後は別行動を取らせていただきます」

「それは構わないが。明日戻ったら必ず詳細を報告するように」

「承知致しました」


 あの城庭での一幕から三日。ようやくクレマチスの王女からお誘いがかかった。俺にではなくディルクにだが。


(あの男……ユリウスもおそらく一緒か)


 以前見た光景が頭の中にちらつき、どす黒いものが胸にこみ上げてくる。


「ディルク」

「いかがされました?」

「例えばなんだが……お前がクレマチスの王女と外出している間、代わりにユリウスを俺のそばに置くということは……可能か?」

「殿下の御命令とあれば、断る術はないかと」

 ほんの一時あの二人を引き離したからって何になる。どうせ四六時中一緒にいるのだから、それくらいどうってことないに違いない。わかってはいるが、この謎の苛立ちはどうにも抑えられない。

 それにあの男がどれほどなのか、この目で直接確かめてみたいという気持ちもある。


「では、そのように」


 思いの外響き渡った俺の言葉に、ディルクは静かに頭を下げた。


 


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