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プロローグ

 澄み渡る青空の下でその日、天空都市国家リングエラの王子と、地上の巨大国家クレマチスの王女の婚約式が執り行われた。


「あれがヴィンフリート王子か」  

「なんて見目麗しい青年なんでしょう」


 濃紺のマントを翻し足早に登場した天空の王子に、列席者から感嘆の声が漏れる。

 雲一つない空を背景に、燃え盛る炎のように輝かしい赤髪、利発そうな切れ長の茶色い瞳、真っ直ぐに通った鼻筋、きめ細やかな肌、すらりと伸びた手足、鍛えられた肢体。

 何よりも、その全身から放たれる生まれながらの王者としての風格が、対峙したものすべてに強烈な畏怖を(いだ)かせる。


「あれが有名なリーゼロッテ王女ね」

「噂に(たが)わず美しい」


 王子の登場と同時に、対極の扉から地上の王女が姿を現し、またざわめきが起こった。

 緩やかにカーブを描く金髪が風に靡いて煌めいている。ぱっちりと大きな蒼い瞳、雪のように真っ白い肌にほんのり赤く染まった頰、ぷっくりと小さく上品な口元、細くしなやかな身体。

 可憐に咲き誇る花のように、見る者すべての心を溶かしてしまうような愛らしさである。


 中央に立つクレマチス国王は、二人を交互に見比べると満足そうに微笑んだ。そのすぐ隣でリングエラ国王も満足そうに頷く。


「両者、こちらへ」


 王子と王女は互いに中央まで歩を進めた。相手の顔がよく見えるくらいの距離まで来ると、王女がドレスの裾を軽く摘み膝をついた。王子は右腕を腹部の前で組み、頭を垂れた。


「これを以ってヴィンフリート王子とリーゼロッテ王女の婚約成立とする」


 クレマチス国王の宣言と共に、列席者全員から若い二人に向けて、大歓声と盛大な拍手が惜しみなく贈られた。

 かくして、天空と地上を結ぶ歴史的な婚約がここに結ばれた。






「冗談じゃない」


 婚約の儀式に続き盛大な宴会が催された後、ようやく執務室に戻ることができたヴィンフリートは、扉を閉めるなり背中のマントを剥ぎ取って床に投げ捨てた。


「何がそんなにめでたいのかさっぱりわからない。今時こんな政略結婚、時代錯誤にも程がある」


 忌々しげにブーツも脱ぎ捨て、胸の装飾品を次々と無造作に外してはベッドに投げ捨てる。そのままどかっと長椅子に腰掛け、長い両足をテーブルの上に投げ出した。


「こんな回りくどい方法を取らずとも、天空と地上どちらが勝っているのかなんぞ一目瞭然だろう」

「そうは仰いますが」


 熱心に書き物をしていた侍従長ディルクが、ピクリと眉を動かし顔を上げた。


「地上は今、急速に発展しつつあります。ここ数年でどれだけの国家が建設されたか。無駄な争いを避けるために地上の筆頭国であるクレマチスと同盟を結んでおくことは、最良の判断です」

「ふん、そのためにこの俺が身を捧げなければならないのか」

「何を乙女みたいなこと言ってるんですか」

「事実だろう。俺はこの世紀の同盟とやらの犠牲者だ」


 こんこん、とノックの音がして侍女が数名入ってきた。ヴィンフリートの脱ぎ捨てた衣装を手早くかき集め、水と小菓子をテーブルに置くとそのまま無言で出て行く。


「父上は一体何を考えておられるのか。何故こちらから奴等にわざわざ尻尾を振らなければならないのだ。俺には理解できない」

「そうは言っても、もう婚約は正式に成立しましたからね」

「婚約なんぞ所詮はただの約束事だ。状況次第でいくらでも反故にすることは可能だろう」


 ヴィンフリートは起き上がると、テーブルの水を一気に飲み干した。そして不敵に笑う。


「一ヶ月だ。一ヶ月であいつをここから追い出してやる!」

「あいつとは、クレマチスの王女のことで?」

「あの忌々しいクレマチス国王の言いなり女だ、どうせ大した教養もない世間知らずだろう。さっきだって、人形のように笑顔を貼り付けたまま黙って国王に寄り添っていただけのお飾りだ。天空の厳しさをしかと味わせてやれば、さっさと自分から地上に帰りたいと泣き出すだろう。そうなればこの婚約は終わりだ。今に見ているが良い」


 王子の自室に不気味な高笑いが響く。


「なるほど、ご自分からは婚約破棄なさらないと」

「当然だ。あの王女の我儘で破談になったという事実を是が非でも作り上げる。同盟を破ったのは地上側となれば、地上に堂々と付け入る大義名分になるだろう。父上が何を懸念されているのか知らんが、これで地上は恐るるに足らず」

「なかなか下衆いお考えですね」







 廊下で一人、耳を澄ましてこっそり話を立ち聞きしていた侍女は、さっと黒いメイド衣装を脱ぎ捨てると人目を避けながら全速力で駆けた。

 着いた先は、リーゼロッテの部屋である。


「姫様、無事に情報入手致しました」

「ご苦労様、アンナ。いつもありがとう」

「これくらい、姫様のためなら何てことありませんです」


 側近ユリウスに髪の手入れをしてもらいながら、リーゼロッテはアンナの報告に耳を傾けた。


「へえ……私のことを、大して教養のない世間知らずだと」

「あいつ、よくもそんなことを。リゼ様はあんな奴になんか勿体ない尊い方だと言うのに」


 肩を震わせるユリウスを、リーゼロッテがやんわりと宥める。


「この婚約に不服なのは私も同じ。できることなら今すぐにでもクレマチスに逃げ帰りたいところよ」

「こんな居心地の悪いところにリゼ様がいらっしゃるのは俺も不満です」


 ソファから立ち上がり、リーゼロッテは大きな鏡の前に立った。重たい衣装や厚い化粧を落とした、ありのままの自分がそこに映った。


「この婚約を私から破ることは出来ないわよね……」

「リゼ様から破談を申し出たとなれば、リングエラからの報復はもちろん、クレマチス国内からも一斉に批判の声が上がるでしょう。考えただけで恐ろしい」

「けれどこのまま、あの王子と結婚することなんて出来ないわ。ただでさえ気が進まない婚約なのに、私のことをそんな風に蔑んでいる相手となんて……無理。絶対無理」

 

 神妙な面持ちでアンナも大きく頷いた。


「姫様には既にお慕いしている方がいますしね」

「アンナそれは極秘事項だ」 

「え、そうなの? まあまあここには私達しかいないんだし大目に見てよー」

「問題を起こさず穏便に地上に帰るには、あの王子から婚約破棄させるしかないですね」

「え、無視?」


 リーゼロッテはゆっくりと後ろを振り返った。


「ヴィンフリート殿下は一ヶ月と仰ったのね。あちらがそのつもりなら、こちらも迎え撃つまでよ。この勝負受けて立つわ」


 リーゼロッテの足元に、忠実な臣下であるアンナとユリウスが深く跪いた。


「一ヶ月であちらから婚約破棄されるよう、私も全力を尽くすことにするわ。協力してくれるわね、アンナ、ユリウス」

「了解であります」

「すべて仰せのままに」





 こうして、天空の王子と地上の王女の、婚約破棄を巡る戦いが始まった。


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