第21話:へたれ秋馬
「河瀬、大丈夫?」
とりあえず声をかけてみた
なんだかさほど落ち込んではいなさそうだけど、まぁ失恋っぽいし
「うん。全然大丈夫」
想像以上に河瀬は元気だった
「うふふふふ……」
そして、なんだか怖い笑みを浮かべていた
河瀬ってこんなキャラだったんだ……
こうなると……どうなるんだろう
放課後
空手部の活動が始まる
武道場へと向かう僕と秋馬と夏帆と春香の4人についてくる人がいた
「どうしたの河瀬?」
「入部届け」
そう言って河瀬が僕に1枚の紙を渡してきた
言葉の通り入部届けだ。しかしなぜ僕に? 部長ですらないんだけど
「あの……顧問に渡してくれる?」
「え!? あの人にですか」
なるほど、トメさんのことが嫌いらしい……
その気持ちは激しく分かる
「河瀬」
「は、はいぃ!」
秋馬に名前を呼ばれた河瀬が不自然に飛び上がった
実にわかりやすいリアクションだが、もちろん秋馬が気持ちに気付いたりする気配もない
「いいか、新入部員はトメさんを倒すことから始めるんだ」
……なんですと?
初めて聞いた。確かに初日に秋馬はトメさんと組み手をしたけど……それから一度も勝ってないよね
「勝てれば、俺が直々に相手をしよう」
「ほっ本当ですか!」
「もちろんだ」
何の相手をするのかは不明だ。まさか組み手なのか?
「がんばりまーす!」
河瀬は走って消えてしまった
何の相手なのかがどう伝わったのかも不明だ……
「あんなこと言って良いの?」
「どうせ勝てやしないって」
そこじゃないよ
最初の話を忘れてるよね
それから4人で鍵を取りに行った。しかし、鍵がない
先生が言うには、女子生徒が走って取りに来て、鍵をとると走り去ってしまったらしい
「……トメさんもいない。まさかねぇ」
夏帆は半笑いの顔で言う。不安や心配の反面少し楽しそうだ
秋馬はずっと笑っている。すごく楽しそうだ。そして春香はまず今何について僕らが考えているのかさえも分かっていそうにない
僕はというと、不安と心配しかない
河瀬の教室での不吉な笑みが頭から離れない
道場までやって来た
扉を開けると……
「秋馬さん!」
後輩の叫ぶ声が聞こえた
道場の真ん中には、制服の上から空手の道着を羽織った小柄な女生徒。そのすぐ横には今まさに倒れようとしているトメさんがいた
「ヤバイのが来ました!」
「……」
秋馬は口を半開きになって固まっていた。
こんな顔見たことない。藤井が何をやらかしたときにもここまで驚いたことはなかった
「あっ! 秋馬くーん」
「ひぃっ」
秋馬が半歩下がった
なるほど、秋馬の中ではこれからトメさんを倒すほどの奴と組み手をするということになってるんだよね……
笑顔で走ってくる河瀬に対して秋馬は恐怖していた
「(こいつに勝てば……早乙女超えだよな)」
小声で秋馬が言った
なんだか勘違いがどんどん進んでいるな。多分河瀬は秋馬を倒そうなんて思ってないよ
「いや秋馬。河瀬は多分
「来い!」
説明しようとしたが遮られた
河瀬は意味が分からないという顔をしている。そりゃそうだよね
仮にも好きになった男に拳を向けられてるわけだから……
でも、なにかを理解したみたいだ
なんだろう、分け分からないけど河瀬も構えた
「秋馬くんを……手に入れる!」
さり気に恐ろしいこと言ったよ……
秋馬が先に仕掛けていった
距離を詰めて容赦なく上段蹴りを放ったが、河瀬は片腕でそれを止めた
秋馬の蹴りは今まで何人もの力自慢の不良を打ち倒してきたはずなのになぁ
「強いね、あの子」
夏帆は笑顔に変わっていた
もやもやがとれてスッキリ、みたいな顔してるけどめちゃくちゃ大変な方向に進んでるよ?
「そうだね……でも夏帆の方が強いんじゃない?」
「……」
無言。どうしたんだろう。前もこんな事あったよね
「うっ!」
秋馬が床に倒れていた
河瀬の床すれすれをかすめ取るような回し蹴りが、一発で秋馬の両足を宙に浮かしたみたいだ
河瀬は秋馬の上に乗っかった。馬乗り、というよりもマウントポジションを取ったって感じだ
……秋馬マジで負けそう
「じゃあ……いっしっし」
「ま、待て! ちょっと待て!」
そのまま河瀬が秋馬に頭突き……じゃなくて
思いっきり……キ……キスをした。何してんの!?
というか春香は!?
……道場の外を眺めていた
とりあえず秋馬の方を見ないように、僕は春香の方に向かう
「あ、UFO」
「え? ど、どこ?」
春香は道場の外をよりいっそう真剣に見始めた
必死になって空に未確認飛行物体を探しているようだ
秋馬は、どうなったかなぁ
よし、なんとか河瀬を上からどかせたみたいだ。というかどいて貰ったみたいだ
「はぁ、はぁ。くそ……」
こんな秋馬は初めて見るな
でもそれを見てる河瀬は満足そうに笑っている。なんだか純粋な笑顔過ぎて怖い……
それから少しして、目を覚ましたトメさんに入部届を提出した河瀬は正式に空手部の部員となった。トメさんを倒したということもあり、その実力は全員にすぐに認められ、夏帆と一緒に大会出場も決まった
だけど1人
どうしても嫌そうな顔をしている秋馬がいた
「ちくしょう。ぜってぇにいつか勝ってやる」
「まぁ……がんばってよ」
「おーい秋馬くーん!」
「ひっ!」
秋馬は肩をびくつかせて、走って逃げていった