7 にじいろのはじまり
本日二回目。
前半、吉視点。後半、由夏視点です。
由夏に、初めて好きだと言ったのは、恐らく小学2年の頃。
クラスの女子の間で、「○○ちゃん好き」「わたしも」などと言い合うのが流行っていたので、真似てみたのが始まりだったと思う。
好きにも種類があるという事を知らなかった当時の俺は、気軽にその言葉を口にしてみた。小さな頃は仲の良い大事な友達として由夏の事が好きで、由夏も、恐らくは女友達のような感覚で俺と一緒にいたのだろう、躊躇いもなく俺に好きだと答えていた。
言った後、決まって由夏が嬉しそうに笑ってくれたので、それがまた嬉しくて、わりと頻繁に口にしていたと思う。好きの大安売り状態だった。
この頃は、友達以上の気持ちも持ち合わせていなかったので、好きというのは友情の再確認みたいなものだと俺は思っていた。
幼かった俺達は、当たり前のことだが日々成長し、少しづつ大人になってゆく。俺とそう変わらない筈の存在だった由夏が、年を重ねるにつれ段々、女の子らしくなっていく。
俺と由夏は違う、その事に気づいた頃から好きという言葉は言えなくなっていた。それでも、まだ異性の友達という認識の範囲内だった。
決定的に変わってしまったのが、小学5年の夏を過ぎた頃。それまではずっとショートヘアだった由夏が、なぜか髪を伸ばし始めたのだ。段々と伸びていく髪に俺の心もどんどん揺れ動き始め、サラサラの黒髪が肩を超えた頃にはもう、すっかり心を奪われてしまっていた。
誰だよ、これ。
長い髪の由夏は、俺の知らない可愛い女の子に見えた。
「由夏、好きだよ」
ドキドキしながら告げてみたその言葉は、もうすっかり俺の中では意味合いが変わっていた。
「私もよ、吉くん大好き」
にっこり笑って答えた由夏を見て、上手くいったと喜べたのはたったの数秒で。
由夏はすぐさま、俺の想いを打ち消すように言葉を続けた。
「久しぶりだね、吉くんがそう言ってくれるのって」
……駄目だ。伝わってない。
俺は大いに落胆した。勇気を出して告白したのに、まるで分かってもらえない。
すぐに昔の自分の言動を悔やんだ。安売りしすぎた言葉に、重みはまるでない事を知った。
どうすれば伝わるのだろうか。
その前に由夏は、俺の事をちゃんと男の子として意識しているのだろうか。
鏡に映る自分の姿を覗き見て、再び俺は落胆した。全然駄目だ。カッコいいというよりは、可愛いという言葉がよく似合う自分の風貌を目の当たりにし、成長してから仕切りなおす事を俺は決意した。
変わりたかった。
女の子らしく変わっていった由夏に惚れてしまった俺のように。
男らしく変わって、由夏を自分に惚れさせたかった。
それから月日がたち、俺達は中学生になった。
嬉しいことに、俺の背はどんどん伸び、いつしか由夏を見下ろすようになっていた。声も低くなり、頬もしまってきた。落胆したあの頃が嘘のように、男らしくなってきたと自分でも思っていたし、実際、女の子に告白される事も珍しくなくなってきた。
これで由夏も、俺を気にしてくれるはず。
はずなのに、おかしい。
由夏の俺を見る目が、どんどん寂しげなものに変わっていく。
試験前には勉強も教えた。登下校だって一緒にしている。由夏に一番近い位置にいる男は俺で、由夏だって決して俺の事嫌いではない筈だ。
あれから3年も経ったのだ。もうそろそろ、いけるんじゃないかな。
俺は変わった。
あの頃は本気にされなかったけれど、今の俺からなら、由夏もちゃんとその意味を理解してくれるのではないだろうか。
「吉くん、ぎゅってして」
そんな折に由夏にこんな事を言われて。
ドキドキしながらふわりと抱きしめた由夏からは、女の子のいい匂いがして。
もう黙ったままではいられなかった。
「俺、由夏のこと好きだよ」
しかし。
由夏の反応は、………3年前と同じだった。
激しく落胆する俺に、由夏は、追い討ちをかけるような言葉を投げつける。
「まるで男の子みたい…」
なんだよそれ。
俺の事、ちっとも男だと思ってなかったのかよ。
「吉くん、なんだか変わっちゃったね」
そうだよ。変わったよ。変わりたかったんだよ。
どうして、そんなに悲しそうに言うんだよ。
責めるようにそう言う由夏こそ、変わってしまったというのに。
長い髪を背に垂らし、制服姿に身を包む由夏は、もう既に、幼い頃一緒に遊んだ『子供』ではなくなっていた。
俺の想いは中々由夏には伝わらず。
それなのに、飯尾の想いはあっさりと伝わるなんて。
あいつのおかげで俺の想いに気付いて貰えたなんて、本当に悔しい。
ほんと、失敗した。もしも過去に戻れるのなら、幼かった俺に文句を言ってやりたい。
好きなんて言葉は、もっと大事にとっておけ、と――。
吉沢蒼。中学2年生。
俺は未だに、子供の頃の言動を、後悔してばかりいる。
「よお」
屋上でぼんやり空を眺めていると、見知った顔の奴がやってきた。
「これ、飲むか?」
「いらない」
差し出されたレモンジュースを丁重に断る。
こんなものを飲んだら、口の中に激痛が走ると分かっていて勧めるんだから、本当に嫌な奴だ。じろりと睨むと、愉快そうな顔をして、俺の隣に座りこんだ。
「相変わらずもてるね~。浮気するならチクってやろうかと期待して眺めてたのに、つっまんねーの」
「お前、そんな事のためにわざわざここにいたの?」
「まさか。気持ちよく昼寝してたら、お前らが告白タイムし始めたんだよ」
金色の髪をわしゃわしゃと掻き上げながら、隣に座る男は眠たそうに欠伸をし始めた。
「顔。全然腫れてねーじゃん。面白くねえな」
「お陰様で、口の中が面白いことになってるよ」
「やっぱり、これ飲め」
口元に押し当ててきた缶を奪い取り、逆さにして底に残る液体を辺りにぶちまけてやった。悪態をつく隣人を冷笑する。
「それにしても、あんな事でよく、あっさり由夏を諦める気になれたね。もっと本気かと思っていたけど」
隣の奴が、ぶすっとした顔をして、俺からあからさまに顔を背けた。耳元のピアスが日に当たりキラリと光る。
「…あいつ、俺に迫られてお前の名前叫ぶんだぜ? あんなのもう、諦める以外に何があんだよ……」
「それはそれはご愁傷さまで」
「うるせーな。ほんとむかつく奴だな、お前」
「俺も、お前なんて大嫌いだよ」
にやりと笑うグレーの瞳に、にっこりと穏やかに微笑んでみせた。
「あの2人になにがあったの………」
屋上に続く扉を、私はそっと閉めた。
昼休み。職員室の方へ向かう吉くんの姿を見かけたので、杉田さんの時と同じようなことが起きるのかと気になり、後をつけてみた。覗き見しようとするも勇気が出ず、まごついていると、泣きながら下級生と思しき女生徒が駆け出してきた。
そおっと、扉を開け屋上を覗く。
吉くんが飯尾君の隣に座り、2人仲良さそうに話し込んでいる。
なに、これ。
昨日、飯尾君に殴られたばかりだというのに。吉くんの態度は、私の理解をたくさん超える……。
すっかり変わったと思っていた吉くんの姿は、実はまだまだ変化の最中だったようで。
あれからもどんどん変わっていった。
日々、変わりゆく彼の姿を、隣を歩きながら折にふれ気づいてゆく。
新しい関係になった私に、吉くんはどんどん距離を詰めてくる。
一緒の部屋で過ごしながら、唇を重ねてくる。頭を撫でる代わりに、腕を肩に回してくる。急速に近づく距離感に私は戸惑ってばかりいる。
この間なんて、胸を触ろうとしてきたので、慌てて抵抗した。
昔とは変わりすぎていて、たまに、ついていけない時がある。
飯尾君の言った通りだな、と、焦りながら謝る吉くんの姿を思い出し、軽く笑った。
「本当に私、夢を見ていたんだなあ………」
吉くんも、普通の男の子だったのだ。
記憶の切れ端に残る、少女のような幼い彼の姿を思い出す。
あのころの天使のような笑顔は、今ではもうすっかり、影も形も消えてしまった。
それでも。
穏やかに微笑む綺麗な瞳は、やっぱり吉くんで。私は吉くんの隣にいるのだと思わせられる。
頭のいい吉くんと普通の私は、高校も、大学も別々になった。地元にとどまり続けている私とは違い、優秀な吉くんは都会へ行き、一人暮らしをし始めた。
私たちは離れ離れになったけれど、毎日電話をして声を聴き、たまの休日には会いに行く。会うたびに吉くんは少しずつ変化を遂げていて、それでも、私はその変化に不安を感じることは無くなっていた。
昨年、大学を卒業と共に私は地元を離れ、吉くんのいる街へと引っ越した。就職をし一人暮らしを始め、そして来春には籍を入れる予定だ。
もうすぐ、吉くんと2人の生活が始まる。
吉くんはこれからもどんどん、変化した姿を私に見せ続けるのだろう。
私は、幸せに思いながら吉くんの隣を歩き続ける。
「どうしたの、由夏。マリッジブルー?」
不意に。
ざわつく街中で。湯船に浸かり自分の身体を朧気に眺めた瞬間。川沿いの道のりをゆっくりと歩いている中、通り過ぎる子供たちの声を聞きながら。
「ううん、少し昔を………思い出していただけ」
指先に溜まる雫が一滴、ぽたりと水面に落ちるように。
時折、こうして私は涙を零す。
戻れない、あの頃を想って。
終