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貴都李の章

 虐待の表現が多少あります。

 この作品は、前回投稿した「ラプンツェルの接吻」のスピンオフです。

 多分、どちらから呼んでも、楽しめると思います。

 貴都李の章

    ードMー 

「また来てるよ。」

 放課後、学校祭間近の音楽室で、出し物のバンド演奏の練習をしている聖流(さとる)に、ベース担当の同級生、津積(つつみ)が話し掛けて来た。

 キーボードを弾いていた聖流が顔を上げると津積は眼を出入口の方に向けて示した。

 聖流は思い切り(さげす)んだ一瞥(いちべつ)を出入口にくれてやると、直ぐに津積に視線を戻した。

 一瞬見えたそいつは相変わらず見るからにひ弱そうな細い肢体を戸口の柱に預け、羨望(せんぼう)の眼差しでこちらを見詰めていた。

 聖流は鬱陶(うっとう)しさを隠そうともせず、そいつを無視し続けていた。

 聖流は密かにそいつをドMと呼んでいる。

 同じ学年だが別のクラスなので名前など解らない。

 名前など知れば、そいつに興味を示したことになる。

 聖流にとって、それは屈辱意外の何物でもない。

『そんなご褒美、くれてやってたまるか。』

聖流はそう思っていた。 

 だがドMはどれほど無視しようが、蔑んだ一瞥をくれてやろうが()りること無く、聖流の周囲に現れては遠くから聖流を見詰め続けた。

 津積達との帰りドMが校庭の木陰からまた聖流を見ていた。

 伸ばし放題の髪を横分けにして髪の間からキレイな二重を覗かせ夢見る様にこちらを見ている。

 好意を持たれているのは解るが、それなら話し掛けてくればいい。

 ドMのめめしい態度は聖流のS気質を刺激して尚の事無視してやりたくなるのだ。

 聖流は気付いていたが気付かない振りをしてドMの前を通り過ぎた。



    ー母親ー

 自宅に帰った聖流はリビングのドアを開けた。

 ドアの傍にある電話台に(もた)れ、九歳年下の弟、聖詞(さとし)(ひざ)を抱えたまま眠り込んでいた。

 聖詞とは母親が異なる。

 聖流の母、愛子は、聖流が三歳の時に乳癌で亡くなっていた。

 父の藤岡真聖(ふじおかまさと)は、愛子が亡くなって八年後に十歳年下の美菜子と再婚し一年後に聖詞が生まれた。

 だが真聖は根っからの仕事人間で、家庭を(かえり)みない。

 妻のあれこれを聞きいれるタイプでもなく、仕事をして経済的に不満が無ければ万事問題など起こり得ないと思っているような男だった。

 美菜子が思い描く結婚生活との余りの相違に苦しみ、三歳になった聖詞を置いて美菜子は失踪してしまった。

 聖詞は今年から小学校に通い始めた。

 聖流は眠りこける聖詞を見詰めながら、美菜子が出て行った時の事を思い出していた。

 三歳の聖詞と十二歳になった聖流を並べて美菜子は(かが)んで抱き締め言った。

「ごめんね、お母さん本当の愛が欲しいの。

 聖流と聖詞のお母さんにも、お父さんが望む妻にも、どうしてもなれないの。

 二人とも許してね、ごめんね。

 我慢できなくて、ごめんね。」

 美菜子は立ち上がると小さなバッグを持って玄関へ向かった。

「お母さん、お出掛け?

 僕も行く。」

 幼い聖詞が言うと美菜子は立ち止まった。

 美菜子は振り返らずに言った。

「ごめんね、聖詞。

 ごめんなさいね。」

 聖流は美菜子を追おうとする聖詞の腕をつかんでいた。

 子供心に美菜子の限界を理解していたからだ。

 毎晩の様に子供が寝静まったリビングで声を殺して泣いている美菜子の姿を何度も見掛けていた。

「お母さん、僕も行くう。」

 美菜子は靴を履くと逃げる様に出て行った。

「聖流、お母さん行っちゃうよ。

 お母さん!

 お母さん!

 僕も行く!

 お母さん!」

「駄目なんだ、聖詞!

 駄目なんだよ。」

「どうして、駄目なの?

 僕も行く。」

「駄目なんだよ、聖詞!

 お母さんは、この家に居ても幸せじゃないんだ。」

「お母さん、僕と聖流のこと嫌いになっちゃった?」

 聖流は涙を流し叫んだ。

「そうだよ!!」

 一瞬、聖詞は黙ったが、直ぐに玄関のドアに向かって(わめ)き出した。

「嫌だ!

 お母さん!

 お母さん!

 お母さん!

 お母さん………………!」

 聖流は必死にもがく聖詞を両腕で抱き締め聖詞の背中に頭を押し付け、幼い聖詞の為に泣いていた。

 あれから三年経った。

 六ヶ月前に無言電話が来た。

 その電話を取ったのは聖詞だった。

「もしもし、誰ですか?」

 応答がない。

「もしもし………。

 もしもし?」

 長い沈黙の後、受話器の向こう側で「聖詞…………。」と一言だけ言い残して切れた。

 それ以来、聖詞は学校が終わると、ピアノのレッスンが無い日はこうして電話の傍で電話が来るのを毎日、待っていた。

『放って置いてくれれば良かったのに。』

 と、聖流は思った。

 聖流は眠る聖詞を抱き(かか)えると二階の聖詞の部屋まで運びベッドに寝かせた。

 毛布を掛けてやると自分の部屋に籠った。



    ー真聖の誕生日ー

 聖流と聖詞は三歳になると真聖のクラシック好きが高じたエゴでピアノを習わされていた。

 真聖の誕生日が来ると二人の、日頃のレッスンの成果を真聖に聴かせるのが藤岡家の(なら)わしになっていた。

 その日は真聖の四十四回目の誕生日だった。

 聖流と聖詞はこの日の為にちょっとしたサプライズを用意して練習に励んでいた。

 家政婦の河合さんにケーキを焼いて貰い、色紙で作った鎖をリビングに飾って二人は真聖の帰りを待った。

 しかし真聖はまたも残業で帰りが遅い。

 聖詞は待ち草臥(くたび)れて、ソファーで居眠りをしていた。

 真聖が帰って来たのに気付いた聖流は聖詞を叩き起こし、クラッカーを握らせた。

 真聖がリビングに入って来るとクラッカーを引っ張り、二人は声を合わせて言った。

「お誕生日、おめでとー!」

 真聖は驚くが、直ぐに顔を(ほころ)ばせた。

 聖流はキッチンへ行くと冷蔵庫からケーキを持って来た。

「河合さんに無理言って焼いて貰ったんだ。」

 聖詞はぴょんぴょん跳ねて真聖の周りを飛び回った。

 テーブルにケーキを置くと聖流はろうそくに火を灯し、真聖はソファーに座った。

「聖詞、こんな遅くまで起きて眠くないのか?」

「うん、へーき。」

 聖詞はニコニコ笑って真聖がろうそくの火を吹き消すのを待った。

 真聖がろうそくを吹き消すと聖流はピアノでハッピーバースデーを弾き、聖詞が歌った。

 真聖は歌う聖詞の頭を撫でると抱き寄せて膝の上に載せた。

 歌い終わると真聖は言った。

「聖詞、また重くなったな。」

 聖詞は真聖の膝から降りると聖流の傍に駆け寄った。

 聖流と聖詞は二人並んでピアノの前に座り、連弾用にアレンジした「ねこふんじゃった」を弾き始めた。

 アレンジしたのは聖流である。

 この日までに聖流と聖詞はこっそり練習していたのだ。

 真聖は耳を澄ませ、可愛い息子たちの演奏を堪能した。

 演奏が終わると真聖は惜しみ無い拍手を息子たちに送った。

 聖流と聖詞はピアノの横に並んで立つと深々と丁寧にお辞儀をした。

 真聖は満足そうに笑った。



    ーSー

 聖流は学校の帰り道、川沿いを一人で歩いていた。

 河川敷(かせんじき)(たむろ)して揉め合っている三、四人の学生が見えた。

 聖流が通り過ぎようとした時、鞄を取り上げられ振り回されているのがドMなのに気付いた。

 無視して通り過ぎようとしたが、何故かムカムカと腹が立って来た。

 聖流は気付くと河川敷へと降り、学生達の方へと近寄っていた。

 五、六メートル前辺りから走り出し勢いをつけて、鞄を取り戻そうと躍起になっているドMの背中を目掛けて思い切り足で突き飛ばした。

 当然、ドMは飛ばされてバランスを崩し、地面に前倒しに転んで伏した。

 聖流はうつ伏せに倒れたドMの背中を足で踏みつけ言った。

「この野郎、他の奴になぶられて喜んでるな!

 お前をこけにしていいのはオレだけだ。」

 聖流はドMをおちょくっていた連中に鋭い一瞥をくれて言った。

「人の獲物にちょっかい出すな!」

 三人ほどいた連中は唖然としていたが、聖流のSぶりに、ドMの鞄を放り投げ一目散に駆けて、逃げて行った。

 聖流はドMを振り返りもせず歩き出した。

 道路まで駆け上がると家路を急いだ。

 ドMは急いで鞄を拾い上げると聖流の後を追い駆けた。

 速足で歩く聖流に、ドMは小走りでいつまでも付いて来た。

 か細い、見るからに体力が無さそうなドMにとって長時間の小走りはきつく、息があがっているのだろう、はあはあと云う呼吸の音が終始、後ろから聞こえていた。

 それでも間隔を空けず、とうとう聖流の家の前まで付いて来てしまった。

 聖流は立ち止まった。

「さっきから何の用なんだ?!」

 聖流は振り返り切り出した。

 ドMは膝に手を付いて、乱れた呼吸のまま言った。

「お………礼が……言いた………くて……………。」

「礼を言われる様なことをした憶えは無いが…………。」

「でも………さっき…………虐め……られてる………とこ……助けて………くれたから……………。」

「あれが助けたことになるのか?」

 聖流は半ば呆れて言った。

『やっぱ、こいつドMだ。』

「だって……あいつらいつも………しつこいから……………。」

「礼が言いたいなら、勝手に言えばいい、オレは帰る。」

 聖流は(きびす)を返そうとして再び振り返った。

 ドMの後ろにランドセルを背負った聖詞の姿を認めたからだった。

「聖詞どうした、こんな時間まで。

 とっくに帰っている時間だろ。」

「あ、聖流!」

 聖詞はランドセルをバコバコ言わせながら走って聖流に近寄った。

「途中で可愛い猫みつけたんだ。

 追い駆けてたら道に迷っちゃった。

 もう、喉カラカラ。」

 聖詞は屈託の無い笑顔を聖流に向けた。

 聖流はズボンのポケットから財布を取り出すと、それをドMに渡した。

「我が家の天使が飲み物をご所望だ。

 お前、買って来い。」

 そう言うと聖詞のランドセルを降ろさせた。

「どんな猫だったの?」

聖流はランドセルを持って、聖詞の背中に優しく手を添え、家の中に入って行った。

 ドMは聖流の猫なで声にたっぷり唖然としてから我に返り飲み物を買いに、今来た道を戻って行った。



    ー壁ドンー

 ドMが戻り、呼び鈴を鳴らすと中からバタバタと小さな足が駆けて来る音が聞こえて、ドアが開かれた。

「ありがとうお兄さん、僕のジュース買いに行ってくれて。」

 聖詞は満面の笑みをドMに向けて言った。

「疲れたでしょう?

 一緒にジュース飲も。」

 聖詞はジュースの入った袋を引っ張った。

 ドMはそれに従って入って行った。

 聖詞はリビングに入ると一人用のソファーに置いてあった本を持って座り、読み始めた。

 長椅子に寝転がっていた聖流は起き上がり人差し指でドMを呼んだ。

 ドMはそれに従った。

 ドMの手から袋を取り上げると、缶ジュースを一本ドMに渡した。

 ドMは遠慮がちに礼を言った。

 聖流はもう一本を開けて聖詞に渡した。

「ありがとう、聖流。

 それから、お兄さんも。」

 聖詞はジュースを一口飲むとまた本を読み始めた。

 ドMは聖流が寝ていた長椅子に座った。

 聖流が隣に座るとドMはずれて距離を取り聖流の方に身体を傾けて言った。

「あの、聖流君さっきは有り難う。」

「馴れ馴れしく名前で呼ぶな。」

 聖流は不機嫌そうにドMを見なかった。

「あ、ごめん……なさい。」

 ドMは傾けた身体を元に戻した。

 本を読んでいた聖詞が本を持ったままソファーから降り、ドMの前に寄って来て言った。

「お兄さん、これなんて読むの?」

「え?」

 ドMは思わず聖流の顔を見た。

 聖流は無視した。

「あ、えーとね。

 どれ?」

「この字だよ。」

 簡単な漢字が(まば)らに散りばめられた中から聖詞は赤と云う字を指した。

「あかって読むんだよ。

 キミ、お名前は?」

「藤岡聖詞です、お兄さんは?」

常磐貴都李(ときわきとり)だよ。」

「きとり?

 不思議な名前。」

 聖詞は小首を(かし)げた。

「聖詞君は難しいの読むんだねえ。

 本が好きなの?」

「大好き。

 読むのも好きだけど、夜寝る前に聖流に読んで貰うのも大好きだよ。」

 そう言うと聖詞は貴都李の隣に座って本を読み始めた。

「聖詞君のおか……………」

 突然聖流が貴都李の腕を掴んで廊下に引っ張って行った。

 廊下の壁に貴都李を押し付けると聖流は声を殺して言った。

「聖詞の前で母親と云うワードは絶対口にするな、いいか!」

 貴都李はこくこく(うなず)いた。

「わあ、聖流が貴都李さんに壁ドンしてるう。

 聖流、貴都李さんに告白してるの?」

 リビングの戸口まで出て来た聖詞が眼を丸くしていた。

「聖詞ぃ、告白は男女でするものだろぉ。」

「大丈夫だよ、聖流。

 同じクラスの亜未ちゃんのお母さんは男同士でキスしたりするマンガいっぱい持ってるって。」

「聖詞い……………。」

 聖流は頭を抱え込んだ。

「誰だよ、それ。

 目茶苦茶教育に悪いよ。」

 貴都李は(こら)えきれず、笑い出した。

「聖流君も聖詞君に掛かると形無しなんだ。」

「だから、馴れ馴れしく名前で呼ぶなって。」

 聖流は弱々しく言った。

 


     ーお姫様ー

 次の日は開校記念日で、中学が休みだったので聖流は聖詞が学校から帰るまで受験勉強に励もうと机に向かった。

 暫くして時計を見ると十五時を過ぎていた。

 とうに帰っていてもおかしくない時間である。

 聖流は参考書とノートを閉じると玄関先に出た。

『また猫でも追い駆けて道に迷ったか?』

 途中あちこちの横道を覗きながら歩いたが、聖詞の姿は見当たらなかった。

 とうとう、聖詞が通う小学校に着いてしまった。

 聖流は小学校の中に入り教室や音楽室等を覗いたが、聖詞の姿は無かった。

 職員室で担任に帰ったことを確認すると仕方無くまた来た道を歩いた。

 帰っているかも知れないと思い、家路を急いだ。

 夕暮れの(あか)い光線が辺りを物悲しい朱色に染め始めていた。

 聖流は来た時と同じ様に横道を覗きながら歩いていると、遠くに子連れの影に眼を留めた。

「聖詞…………。」

 聖流は無意識に走り出していた。

 距離が近くなると聖詞と手を繋いで歩いているのが貴都李だと解った。

 聖詞がとぼとぼと貴都李に手を引かれているので、聖流は近付くと貴都李の胸ぐらを掴んだ。

「お前、聖詞に何をした!」

「ボクは何も…………。」

「聖流!

 聖流!

 暴力反対!

 暴力反対い!!」

「ああ、もう!」

 聖流は投げつける様に貴都李を離した。

 貴都李は尻餅をついた。

「聖詞君、学校でショックなことあって、この先の公園で沈み込んでいたんだ。」

「ショック?

 聖詞、学校で虐められでもしたか?」

 聖詞は眼を伏せて黙った。

「学芸会の演目で白雪姫をすることになって、五人の白雪姫の内、満場一致で聖詞君が白雪姫の一人に選ばれたんだ。」

 貴都李は立ち上がりお尻についた泥を叩き落としながら説明した。

「それがショックだったらしくて……………。」

「僕、小人がやりたかったんだ。

 男なのにお姫様なんておかしいよ。」

 聖詞は眼を伏せたまま言った。

「はあ。」

 聖流は腕を組んだ。

「それは見てくれの問題だろ。

 男なら、そんな小さなことで落ち込むな。

 男を主張したいなら、そのお姫様の役、命懸けでやり通せばいい。」

 聖詞は聖流の顔をじっと見上げて言った。

「解ったよ。」

 聖詞は笑った。

 聖流は聖詞の手を握って言った。

「解ったら、帰るよ。

 今日は家政婦の河合さんが法事で来れないから、オレ達でご飯作らないとなんないんだ。

 聖詞は何食べたい?」

「うーん………………。」

 聖詞は眉間に(しわ)を寄せて暫く考えた。

「コンビニのパスタ。」

「聖詞、それはオレの腕を信用してないってことか?」

「だってえ、聖流が作ると味が無いから。」

 貴都李が口に拳を当て笑った。

 聖流は貴都李を睨み付けた。

「光栄に思え。

 お前に聖詞の晩御飯を作らせてやる。」

「ボクぅ?」

 貴都李は眼を丸くした。



    ー招待ー

「聖流君無理だよ、料理なんてボクしたことも無いのに。」

 貴都李はスーパーの野菜売り場を、カートを押しながら切に訴えた。

「だから、馴れ馴れしく名前で呼ぶな。

 お前は鳥頭か?

 きとりのとりは鳥なのか?」

「大丈夫だよ、貴都李さん。

 聖流は素直じゃないんだ。

 貴都李さんを今日の晩御飯に招待したいだけだと思うよ。」

 聖詞はパプリカをカートに入れた。

「そうなの?」

「きっと間違っていないと思うよ。

 ねえ、聖流?」

 缶詰のマッシュルームをカートに入れながら聖流は貴都李の反対方向を向いて言った。

「さあな。」



    ーきずー

 キッチンのテーブルに買って来た材料をぶちまけて聖流は言った。

「さあ、パスタ作るよ、聖詞。」

「おーっ!」

 聖詞は元気よく片手を上げた。

「聖流君、ボクは……………」

「貴都李は風呂にでも入ってろ。

 料理したこと無い奴にうろうろされたら邪魔でしょうがない。

 風呂はこっちのドア出て左だ。」

「僕が案内してあげるよ。」

 貴都李を風呂場に案内すると聖詞はニッコリ笑い、ウィンクしてドアを閉めた。

 貴都李は暫くぼんやりとドアを見ていたが溜め息を一つつくと服を脱ぎ始めた。

「貴都李、バスタオル……………。」

 聖流が突然ドアを開けたので貴都李は振り返り慌てて自分の肩を抱いて身体を隠した。

 聖流は貴都李の痩せ細った全身に付いていた無数の傷痕を見ると、バスタオルを貴都李に投げつけドアを閉めた。

 聖流はドアに凭れ言った。

「できるまで時間掛かるから、ゆっくり入ってろよ。」

 中から貴都李の消え入りそうな声が聞こえた。

「ありがとう……………。」

 驚いて振り返り身体を隠そうとしても覆い切れなかった傷痕が妙に(なまめ)かしく鮮烈に聖流の脳裏に焼き付いた。

 聖流はキッチンに戻ると黙々と作業を進めた。




    ー聖詞のお料理ルーツー

 貴都李が風呂から上がってキッチンを覗くと茹で上がったパスタを聖流がバターで炒めてる処だった。

 聖詞は自分の顔よりも大きな皿を三枚、重そうに持って聖流の傍で待機していた。

 聖流はちらりと貴都李を見たが、それはいつも向けられる蔑みを含んでいなかった。

「あの、聖流君。

 下着とか袋、有り難う。」

「だから、馴れ馴れしく名前で呼ぶな。」

「貴都李さんの着てた服は紙袋に入れてリビングに置いてあるからね。」

「聖詞、皿置いて。」

 身長が低い聖詞は重い皿を置くのに苦労していたので、貴都李はそっと聖詞の手から皿を取り上げてテーブルに並べた。

「ありがとう。」

 聖詞はほっとして笑った。

 聖流は貴都李の髪から雫が垂れているのを見つけるとガスを止めて、貴都李の首に掛かっていたタオルを引っ()がし、頭に掛けてガシガシ拭き始めた。

「もっとちゃんと拭かないと風邪ひくぞ。

 聖詞より手の掛かる奴だな。」

 貴都李は困ったような顔で礼を言った。

 散々貴都李の髪を拭いて満足すると聖流はパスタを皿に盛り、ソースを掛けた。

「聖流、これ何て云うソースなの?」

「なんだろうな。

 挽き肉マッシュルーム玉ねぎパプリカホールトマトケチャップソース。」

「それ、材料を繋げただけだよ。」

「名前なんてどうでもいいだろ、食えれば。」

 貴都李はクスクス笑った。

 聖詞と聖流が手を合わせて「戴きます。」と言うと貴都李も(なら)って手を合わせた。

 一口食べた聖詞は眉間に皺を寄せた。

「聖流、味無い。」

 聖流は涼しい顔で言った。

「薄味は身体にいいんだよ、聖詞。

 生活習慣病にならない安全な食生活。

 よーぉく気を付けて食べれば素材の味が楽しめるんだ。」

「ボクは美味しいよ。」

 貴都李が言った。

「お前、どおゆう舌してるんだよ!

 明らかに不味いだろ、これ!」

 聖流が言った。

「やっぱり不味いんじゃないかあ!」 

 聖詞は身を乗り出して叫んだ。

 貴都李は抑えきれずゲラゲラ笑い出した。

 聖流は驚いて貴都李をまじまじと見詰めた。

「声出して笑えるんだな、初めて見た。」

「貴都李さんの笑った顔キレイ。」

「ボクはそんな……………。」

 貴都李は聖詞のその言葉に顔を赤らめ、下をむいた。

「とにかくだ、沢山食えよ。

 そんなガリガリだから、あんな連中に舐められるんだ。」



    ー貴都李ー

「あーあ、酷い目に遭った。

 お腹いっぱいにはなったけど。」

 食事が終わると聖詞は長椅子の端に座って本を読み始めた。

 聖詞の隣に聖流、聖流の隣に貴都李が座って暫くテレビを観た。

 気付くと聖詞は疲れていたのか聖流に凭れ、本を抱えたまま眠っていた。

 聖流は聖詞の頭を自分の膝に載せると長椅子の背もたれに掛かっていたブランケットを掛け、聖詞の頭を撫でながら言った。

「聖詞の母親は、こいつが三歳の時に家を出て行って行方知れずなんだ。

 親父は母親が出て行ったって解ると、写真や服やらを残らず処分して、聖詞の母親の痕跡を消した。

 オレの母親はオレが三歳の時病死してて、母親が居ない淋しさが痛いほど解るから、聖詞には、オレができることは何でもしてやりたいと思ってる。」

 貴都李は眠る聖詞を見詰めて言った。

「聖流君を見てたら、解るよ。

 凄く聖詞君を大事にしてること。」

「聖詞は自分のことを進んで他人に話したりしない。

 それを貴都李に話した。

 聖詞は、お前がそれに値する人間と見なしたんだろうな。」

 貴都李は足元に視線を落として言った。

「そうなら、嬉しいな。」

 貴都李は(かす)かに笑った。

 聖流はわざと無遠慮に言った。

「その身体の傷は親か。」

 貴都李は一瞬身体を強張らせ、それから膝を抱えて言った。

「母親の再婚相手と反りが合わなくて。」

「児童相談所とか行ったことは無いのか。」

「時々考えるけど………………なんだか面倒くさくて。」

「面倒くさいって、自分のことだろう。」

 聖流は貴都李を見詰めた。

「そんな価値、ボクにあるのかな。」

「価値が無い人間なんていないだろ。

 誰かと関わって生きていれば関わった人には意味があるんじゃないか?」

「どうだろ、勉強ができる訳でも、何か特技がある訳でも無いし。」

「オレはどうでもいいな、そんなこと。

 少なくても聖詞にはお前の存在は意味がある。」

 聖流は頭を背もたれに載せた。

 貴都李は暫く黙った。

 そして、膝の上に顎を載せておもむろに口を開いた。

「ボクにとって聖流君は憧れなんだ。

 去年の学校祭の時にキーボード弾いてる聖流君は本当にカッコ良くて、釘付けになった。

 いつも自信に溢れてて、主張したいことがはっきり言えて、そんな聖流君を見てるだけで、なんだか幸せな気持ちになれるんだ。」

 貴都李の洗いたてのサラサラな髪が、綺麗な二重と長い睫毛に振り掛かり真っ直ぐに伸びた鼻筋とピンク色の丸い口唇を、見え隠れさせた。

 その横顔が何処か女性的に聖流には見えた。

「ボク、帰るよ。」

 貴都李は立ち上がった。

「あのさ…………。」

 聖流は寝ている聖詞の頭をそっと膝から降ろすと立ち上がり、言いずらそうに腰を手で(こす)り、貴都李を見ずに言った。

「聖詞のこと、有り難うな。」

「Sの聖流君にお礼言われると、何だか怖いね。」

「お前、結構言うね。

 オレが珍しく礼を言ったんだ、有り難く貰っとけ。」

 貴都李は聖流に向き直ると言った。

「今日は本当に有り難う。

 美味しかったよ、本当に。

 それに凄く楽しかった。」

 貴都李はぼんやりした笑顔で言った。

「友達か、聖流。」

 声の方に振り返ると戸口に父親の真聖が帰っていた。

「親父、お帰り。」

「こんばんは、お邪魔しています。」

 貴都李はペコリと頭を下げた。

「ゆっくりして行くといい。」

「親父、パスタあるよ。」

「聖流の手作りか。」

「そうだけど。」

「今日は胃の調子が思わしく無い。」

 そう言うと真聖は寝室に消えた。

「逃げたな。」

 聖流は片眉を上げた。

 貴都李はクスクス笑った。

「笑ったってことは、やっぱり不味かったんだろ。」

「そんなこと無いよ。

 美味しかったよ、本当に。」

 貴都李は慌てて否定した。

「正直に言え、不味かったんだよな。

 だから、笑ったんだ。」

 貴都李は興奮してオーバーアクションになった。

「違うよ!

 本当に美味しかったってば!」

 聖流は吹き出して笑った。

「面白っ。

 そんなにムキになるような事じゃ無いだろ。

 (いじ)りがいのある奴だよな。」

 貴都李はほっと溜め息をついた。

「本気で怒ってるのかと思った。」

「オレはそんな下らないことで本気で怒ったりしない。」

 貴都李は一瞬泣きそうな顔になった。

「どうした?」

「何でも無いよ。」

 貴都李は聖流から顔を背けた。

「帰るよ。」

 貴都李は電話台の横に置かれた紙袋を持った。

 聖流は貴都李の背中に言った。

「着てる服はやるよ。」

 貴都李は(うつむ)いて礼を言うとリビングを出た。

 聖流は玄関先まで貴都李を見送った。

「気を付けて帰れよ。

 お前、なんかぼおっとしてるから見てて危なっかしいんだよ。」

「大丈夫だよ。」

 貴都李はぼんやりと笑い、足早に歩き出した。

 聖流が家に入るのを見届けると、貴都李の眼から涙が伝った。

『こんな幸せなことってあるんだ。』



    ーブンブンこくこくー

 学校祭の日、貴都李を見掛けて、聖流は声を掛けた。

「貴都李!」

 貴都李は驚いてオドオドしながら聖流に近付いて来た。

「これから、オレ達が演奏するから、必ず見に来い。」

「わ、解ったよ。」

 貴都李は顔をひきつらせ笑った。

「じゃあな。」

 聖流が手を振ると貴都李は遠慮がちに手を小さく振って返した。

 聖流達の演奏が始まると、貴都李は相変わらず体育館の解放された出入口の柱に寄り添い聖流を見詰めていた。


 ある朝、聖流が教室の自分の席に座ると津積が机に腰掛け、話し掛けて来た。

「おはよ。

 最近B組の常磐と話してるけど。」

 聖流は教材を机にしまいながら言った。

「それがどうかした?」

「聖流、前は嫌ってたよな。

 どう云う心境の変化?」

「あれはあれで付き合ってみると面白い奴だよ、弄りがいがある。」

「相変わらずSだねえ。」

 津積は教室に入って来た梅沢に気付いてそっちの方に行った。


 教室の移動中に廊下で貴都李を見掛け、聖流は声を掛けた。

「貴都李!」

 貴都李は周りを気にしながら寄って来た。

「学校ではあまりボクに話し掛けない方がいいんじゃない?」

「下らないな。

 それより今週の日曜日、聖詞の学芸会があるんだ。

 一緒に行かないか?」

「え?」

 貴都李は驚いていた。

「行くよな。」

 聖流は軽くすごんだ。

「え?

 あ…………

 うん。」

 貴都李はこくこく頷いた。

 聖流が納得して去ると、貴都李は緊張を解いて肩を下げた。

 聖流が急に思い付いて振り返ると貴都李は慌てて背筋を伸ばした。

「今日、何か用事あるか?」

 貴都李は髪が乱れるほどブンブン横に振った。

「じゃあ今日、家に来い。

 一緒に帰るからな、教室で待ってろ。」

 貴都李は首をこくこく縦に振った。


 放課後、貴都李は教室で聖流が来るのを待った。

「貴都李、帰るよ。」

 聖流は言葉通り貴都李を迎えに来た。

 貴都李は慌てて立ち上がり、机の角に太ももを打った。

「………ってぇ………………。」

 貴都李がびっこを引いて近付いて来ると、聖流は呆れて言った。

「ほんと、ぼおっとした奴だなあ。」

 廊下を歩いていると、以前河川敷で貴都李を虐めていた奴らとすれ違った。

 連中は貴都李に気付いていたが聖流を見ると知らん顔で通り過ぎて行った。

「最近、聖流君のお陰で虐められないんだ。」

 貴都李は少し背筋を伸ばした。

「だからあ、慣れ慣れしく名前で呼ぶなって。

 オレはオレの所有物に手を出されたら許さない。

 それだけだ。」

「嬉しいよ。

 聖流君の所有物になれて。」

「うわっ、すっごいドM発言!

 て言うか、ドM通り越して変態の域に達してる!」

 聖流はふざけて女の子の様に指を胸の前で組んだ。

 貴都李は思い切り引いた。

「それ、聖流君のキャラに合わないよ。」

「だろうな。」

 聖流はふざけたことを後悔した。


 聖流の家に着くと聖詞がバタバタと玄関に駆けて来た。

「やったあ!

 貴都李さんだあ!」

「何故か聖詞は貴都李がお気に入りらしい。」

「そう………なんだ………………。」

 貴都李は嬉しそうに微笑んだ。

「だって、貴都李さんは僕を邪魔扱いしないもん。」

「誰が聖詞を邪魔扱いしたんだ?」

「言わないよ。

 言ったら聖流、その人にサドになるから。」

「サドなんて言葉何処から憶えた!」

「言わなーい。」

 聖詞は貴都李の手を引いて逃げた。

 貴都李は引かれるまま家に上がってリビングへと連れ込まれた。

「ったく…………。」

 聖流は溜め息をついて笑いながら靴を脱いだ。

 聖詞は、聖流と貴都李をソファーの前に座らせるとソファーの上に立って白雪姫を熱演して見せた。

 台詞はたった二つだったが聖流はスタンディングオベイションで褒めちぎり、貴都李は聖流のブラコン振りに半ば呆れて、それに倣った。

 聖詞はソファーから飛び降りると聖流に抱き付いた。

「聖流君は本当に重度のブラコンだね。」

「聖詞は我が家の天使だからな。

 なあ、聖詞。」

 聖流は聖詞を抱き上げると自分を軸にくるくる回った。

 聖詞の身体が遠心力で浮き上がって回転し聖詞は声を上げて笑った。

「聖詞、また大きくなったんじゃないか?

 重い!」

 聖流はぜーぜー言って聖詞を降ろし、よろけながらソファーに座り込んだ。

 学校では決して見せない聖流の一面を自分だけが知っていることに、貴都李は幸せな気持ちになった。



     ー親莫迦(ばか)

 体育館に用意された椅子はほぼ満席で不快指数百パーセントの中、白雪姫は始まった。

「人口密度高くて気分悪くなって来た。」

 聖流は手の甲を口に当てた。

「凄いね。

 親莫迦大会だ。」

 貴都李は、我が子の晴れ姿を取り逃すまいとスマホ片手に舞台に見いっている観客を眺めて言った。

 聖詞が出るのは、白雪姫が王子様のキスで目覚めるシーンだった。

 舞台が明るくなって棺にドレス姿の聖詞が横たわっていた。

「聖詞がこれを機に女装に目覚めたらどうしよう……………。」

「大丈夫だよ、聖流君。」

 王子様が聖詞のおでこにキスをした。

「やめろー、聖詞がいけない世界に目覚めたらどうするんだ。」

「大丈夫だよ、聖流君。」

「あんの餓鬼、聖詞にキスなんて十万年早い!

 後でガッツリ、シバイテやる!」

 貴都李は大きく溜め息をついた。

 聖詞が起き上がると歓声が沸いた。

 白雪姫は皆、口紅を()していて、聖詞も口紅を注していた。

 あちこちから可愛いと言う声が聞こえた。

「当たり前だ、オレの聖詞だ。」

 貴都李は今更ながら呆れて聖流を見詰めた。

「王子様、ありがとう。

 わたしをお嫁さんにして下さい。」

 と台詞を言うと、聖詞は王子様に手を引かれ棺から出て来た。

「聖詞、名演技だ。」

 聖流は感動しているようだった。

 貴都李は思った。

『聖流君が一番酷い親莫迦だ…………。』


 学芸会が終わり、聖詞を真ん中に貴都李と聖流は手を繋いで家路に着いた。

「聖詞、名演技だったよ。」

「偉いね、聖詞君。

 とっても上手だったよ。」

「ありがとう聖流、貴都李さん。」

 聖詞はニコニコして繋いだ手を揺らした。

 聖流は急に思い付いた様に貴都李に言った。

「良かったら今週の日曜日、海に行かないか?

 聖詞が海行きたいって(うるさ)いんだ。」

 貴都李は遠慮がちに聖流を見詰めた。

「ボクでいいの?」

「いいから誘ってる。」

「嬉しいよ、きっと行く。」

 貴都李の眼がキラキラ輝いていた。

「わーい、貴都李さんと海だあ。」

「よし!

 じゃあ、八時に駅前で集合だ。」



    ー海ー

 聖流と聖詞、貴都李の三人は汽車に二時間揺られて海のある街に着いた。

 汽車から降りると潮風に包まれた。

 天気予報通り快晴に恵まれ、日差しが暑く降り注ぐ中、三人はのんびりと海辺目指して歩いた。

 海水浴のシーズンはとうに過ぎていたが、街の店屋にはまだビーチサンダルや浮き輪が並んでいる。

 海辺に着くと海の家は閉まっていたが、人影はまばらで(ほとん)ど貸し切り状態である。

 聖詞は大急ぎで靴と靴下を脱ぐと全速力で砂浜を駆け出し、水の中に足を浸した。

 聖流はビニールシートを

敷くと途中で拾った石ころを端に置いてビニールシートが風に飛ばされないようにした。

 貴都李は荷物を持たされたまま、はしゃぐ聖詞を見ていた。

「貴都李が持ってる荷物はサンドイッチが入ってるんだ。

 家政婦の河合さんが、今日海に行くって言ったら作ってくれた。

 と言うことで、お昼はサンドイッチ。」

 振り返った貴都李は手をかざして笑って見せた。

 聖流は何気無く辺りを360度見回した。

 閉まっている海の家の横にスコップが立て掛けてあるのを見て、聖流は邪悪な笑みを浮かべた。

「貴都李!

 聖詞のビーチサンダル持って来るの忘れた。

 街まで行って買って来い。」

 聖流が財布を渡すと貴都李は今来た道を戻って行った。

 貴都李の姿が見えなくなると聖流は聖詞を呼び戻した。

 貴都李がビーチサンダルをぶら下げて帰って来ると、聖詞は敷物の端に座り、海水を入れた小さなバケツに砂を入れて遊んでいた。

 隣に座っていた聖流が振り返り言った。

「悪かったな。

 疲れたろ、座って休めよ。」

 貴都李は言われるまま、敷物に座った。

 次の瞬間、空がダイレクトに広がりビニールシートが(かぶ)さった。

 自分が落とし穴にはまったと理解するまで暫く掛かった。

 聖詞と聖流が満面の笑みを浮かべて穴の中でひっくり返っている貴都李を覗き込んだ。

「大成功!」

 聖流と聖詞はハイタッチして喜び合っている。

 貴都李はゲラゲラと笑いながら立ち上がり、聖流に手を伸ばした。

 聖流が貴都李を引っ張り上げようと手を握ると貴都李は思い切り聖流を引っ張った。

 聖流は奇声を上げて落とし穴に落ち、聖詞は更に笑った。

「面白く無い!

 聖詞も堕ちろ!」

 聖流は笑う聖詞の腕を引っ張った。

 聖詞は聖流を下敷きにして堕ちた。

 三人は穴に堕ちたまま、いつまでも笑っていた。

 こんな大きな穴を放置したら他人様に迷惑と云うことで三人して穴を埋めた。

 海の水で手に付いた砂を落とすと三人はサンドイッチを食べた。

 聖詞と貴都李が楽しそうにしているのを見て聖流は満足気に笑った。

 午後からは、三人は岩場に居る、ウニやカニなどの小さな生き物を捕まえ始めた。

 聖詞がバケツの中を覗くと、ウニが五個と小さなカニが二匹、周りを警戒しているのかじっとしていた。

 聖詞は岩場の先端に行くと水の中を覗き込んだ。

 澄んだ水の波間に魚が泳いでいるのが見える。

 聖詞は水面に触れようと手を伸ばした。

 履いていたビーチサンダルが滑って聖詞は海の中に堕ちてしまった。

 聖詞は立ち上がろうとしたが思ったよりも水底は深く、足が届かない。

 近くの砂浜まで泳ごうとしたが、今度は脚がつってしまい、痛みにパニックを起こしてじたばたした。

 じたばたすればするほど身体は沈んで行く。

 波が容赦なく聖詞を岸から遠ざける。

「さと…………!」

 必死に助けを呼ぼうとするが口の中に水が入るだけだった。

 聖流は異変に気付いて振り返った。

 聖詞の姿が見えない。

「聖詞ーーっ!!」

 岩場の先端に行くと聖詞が溺れているのが見えた。

 聖流は海の中に飛び込んだ。

 泳いで聖詞の傍まで来ると聖詞は聖流の身体にしがみ付いて来た。

 だがそれが仇となって聖流は上手く泳ぐことができず、意に反して二人の身体は沈んで行った。

 遠くなる水面を感じながら、それでも聖詞だけはと聖詞の身体を引き離そうとするが渾身の力を込めてしがみついている腕はびくともしなかった。

『せめて聖詞だけでも。』

 聖流は必死に脚をばたつかせたが思うように進まなかった。

 息が苦しく、気を抜くと意識が遠退いた。

『このままでは二人とも溺れてしまう!

 聖詞!!』

 何かが聖流の手首を掴んで引っ張って行く。

 聖流はも朦朧(もうろう)とした意識の中で眼を開くと、貴都李が聖流の手を引っ張って泳いでいた。

 聖流は貴都李の手首を掴み、力を振り絞って脚をばたつかせた。

 浅瀬に着くと貴都李は聖詞を抱き上げて砂の上に寝かせた。

 聖流は自力で這い上がろうとするが思う様に身体に力が入らず波に呑まれそうになった。

 貴都李は聖流の処に急いで行き、聖流の胸に腕を回して、このか細い身体の何処にこんな力が出るのかと思うほどの力強さで聖流を砂浜まで引き摺った。

 聖流を安全な場所まで引き摺ると貴都李はその場にへたり込んで寝転がった。

 聖流は這って聖詞の処まで行くと聖詞の呼吸を確かめた。

「聖詞、聖詞…………!」

 聖流がぺちぺちと聖詞の頬を軽く叩くと聖詞はごぼっと音を立てて水を吐き出し、胸と腹が膨らむほど思い切り息を吸い込んだ。

 聖流はそれを見届けると、そのまま気絶するように眠ってしまった。

 どれくらい時が経ったのか、眼を覚ますと聖詞が心配そうに聖流の顔を覗き込んでいた。

 聖流は突かれた様に飛び起きた。

「聖詞、何処か怪我してないか?」

 聖流は聖詞の身体を調べた。

「うん、大丈夫。」

 聖詞はケロッとして言った。

「でも、貴都李さんが……………。」

「貴都李!」

 聖流は慌てて仰向けに寝転がっている貴都李の傍に駆け寄った。

「貴都李!」

 聖流は貴都李の身体を揺すった。

 貴都李はゆっくり眼を開けた。

 聖流に気付くと微笑んだ。

「良かった……………。」

 聖流は貴都李の手を握って額に当てた。

「有り難う、有り難う貴都李。」

 貴都李はじっと虚ろな眼で聖流を見詰めた。

「そんなことされたら胸が苦しいよ。

 だって、ボク、聖流君が好きだから…………。」

「え?」

 聖流は顔を上げると貴都李を見詰めた。

 二人は暫く無言で見詰め合った。

 そおっと近付く聖詞に貴都李は気付いた。

 聖詞は人差し指を口に当てて微笑み、聖流の真後ろまで来ると、聖流の頭に昆布の塊を載せて叫んだ。

「昆布ウィッグぅ!」

 聖流は頭からビロビロと昆布を垂れ下げて静止した。

 貴都李は堪えきれず吹き出し、声を上げて笑い出した。

「さぁとぉしーぃ。

 こいつ、こらっ!」

 聖流は逃げ回る聖詞を追い駆け回し、捕まえると聖詞の胸や腹をくすぐった。

 聖詞はキャーキャー言って足をじたばたさせた。

 貴都李は起き上がると、眩しそうに、その様子を眺めていた。

 帰りの汽車の中で、疲れきった三人は人目も(はばか)らず寝まくり、危うく降りる駅を乗り過ごす処だった。

 駅からでると夕陽が(あか)い色を伸ばし、雲を彩っていた。

 聖詞を真ん中に手を繋いで歩いたが、聖詞は数メートル歩いただけで居眠りしていた。

 それに気付いた聖流は手を離して屈んだ。

「ほら、聖詞。」

 聖詞は眼を擦りながら聖流の後ろに立つと聖流におぶさった。

「貴都李、お前を下僕から友達に昇格してやるよ。」

 聖流は聖詞を背負い上げて言った。

「命の恩人だからな、敬意を払って異例の昇格だ。

 有り難く思え。」

「とても敬意を払った言い方とは思えないけど嬉しいよ。」

 貴都李は笑った。

「お前がオレにどんな感情を持とうが勝手だが、オレはそれには答えられない。」

「解ってるよ、そんなこと。」

 貴都李は聖流を見ずに言った。

 その後二人は無言で歩いた。

 だが、貴都李は幸せだった。

 好きな人と一日中海で遊び、好きな人が自分を認識して一緒に歩いている。

 貴都李の儚い恋心は、それだけで充分満たされた。

 分かれ道に差し掛かると聖流は貴都李に向き直った。

「今日は本当に有り難う。

 お前が居なかったら、今日がオレと聖詞の命日になる処だった。

 オレは性格はSだけど恩には篤い男だからな、この恩は必ず返すよ。」

「ボクこそ有り難う。

 こんなに楽しかったのは何年振りかだよ。」

「じゃあ、オレこっちだから。」

 聖流が歩き出すと、貴都李は聖詞をおぶるその後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、深い溜め息をついて歩き出した。



    ー眠れない夜ー

 家に着くと聖詞は元気を取り戻し、風呂場までダッシュした。

 家政婦の河合さんは夕食の用意をして帰った後だった。

 聖流は荷物を降ろすと聖詞の後に続いた。

「身体中ジャリジャリ。」

 聖詞は服を脱ぐとバスルームに駆け込んだ。

 聖詞はシャワーを浴びて聖流が来るのを待たずに頭を洗い始めた。

 風呂から上がるとパジャマ姿で夕食を食べ、聖流は聖詞の部屋で、眠るまで本を読んでやり、聖詞が眠ると自分の部屋に戻ってベッドに入った。

『そんなことされたら胸が苦しいよ。

 だって、ボク、聖流君が好きだから。』

 そう言った貴都李は、熟れた果実の様に口唇を紅く輝かせ、乱れた髪の隙間から覗く眼が艶かしく見えた。

 疲れている(はず)なのに、眠りの壁は厚く聖流を中々眠らせてはくれない。

 やっと、うとうとしかけた頃、玄関のチャイムが鳴った。

 父の真聖が鍵を持ち忘れたのかと思い部屋を出て階段を降りた。

 だが、パジャマ姿の真聖がリビングの戸口に立って玄関の様子を見ている。

「こんな時間に誰だろうね。」

 聖流が言うと真聖は首を傾げて見せた。

「どちら様ですか?」

「聖流君……………。」

 貴都李の消え入る様な声が聞こえた。

「貴都李!」

 聖流は玄関のドアを開けた。

 そこには傷だらけの貴都李が立っていた。

 貴都李は聖流の顔を見ると安心した笑みを浮かべ、崩れる様にその場に倒れた。

「貴都李!」

 着ている服に何ヵ所も血が滲んでいる。

「親父か?!

 親父に遣られたのか?!」

 聖流は貴都李の肩を掴んで揺すった。

「くそお、ぶっ殺してやる!!」

 聖流が駆け出そうとすると真聖が怒鳴った。

「聖流、止めなさい!

 人様の家の内情に首を突っ込むんじゃ無い。」

 聖流はギリギリして右足でじだんだを思い切り踏んだ。

「とにかく、怪我の手当てをしてあげなさい。」

 聖流は怒りに呼吸を荒くして、貴都李の腕を自分の肩に回して立たせた。

 リビングの長椅子に座らせると、真聖が救急箱を持って来た。

 貴都李が着ているシャツをそっと脱がせると血が傷口から流れ出していた。

 聖流は綿棒に消毒液を染み込ませて傷口を静かに拭いた。

 だが血は止まること無く次々と流れた。

 (あざ)と傷だらけの身体を見ているだけで聖流は歯を食い縛らなければならないほど怒りが込み上げた。

「救急車を呼んだ方がいいかも知れないな。」

 真聖は傷の様子を見て言った。

 着替えて聖流が家の前の道路で待っていると救急車は直ぐに来た。

 救急隊員達が車を降りると、その内の一人が聖流に事の成り行きを訊いて来た。

 聖流は貴都李が養父に虐待を受けていること等を話した。

 ストレッチャーで貴都李を救急車に乗せると聖流が付き添いとして付いて行った。

 救急車の中で貴都李は聖流に頻りに謝っていた。

「聖流君ごめん。

 迷惑掛けてごめん……………。」

 聖流は怒りで何も言うことができなかった。

 貴都李は近くの病院の救急治療室に運ばれた。

 救急隊員が看護婦と話していると聖流の耳に児相、警察と言う単語が聞き取れた。

 聖流が待合室で椅子に座っていると、貴都李の養父と母親とおぼしき男女が来て、母親が看護婦に色々質問されている間、養父は椅子に座ってイライラと足で床を鳴らしていた。

 母親は看護婦に何度も頭を下げて、聖流に気付くと聖流の傍に来て、お世話を掛けて申し訳ないと何度も頭を下げた。

 聖流は返事をする気にもなれなかった。

 母親が養父の処に戻ると、養父は忌々しそうに言った。

「なんで俺が、あんな餓鬼の為にこんな処に居なきゃなんないんだ。」

 聖流はその言葉に怒りが爆発しそうになった。

 立ち上がると聖流は養父の前に進み出て、養父を睨み付けて言った。

「貴都李の身体を見て医者が児童相談所と警察に連絡したみたいだ。 

 あんたが貴都李にしてきたことは立派な傷害罪だ。

 楽しみだよ、あんたみたいな奴に罰がくだるのは。」

「なんだと、この餓鬼!」

 養父が聖流に掴みかかった。

 胸ぐらを捕まれても聖流は顔色一つ変えず養父を睨み付けた。

 母親がしがみついて言った。

「よそ様の子供に手を出したら大変な事になる。」

 養父は舌打ちして聖流を離した。

 聖流は踵を返すと病院を出た。



    ー最初で最後の恋ー

 二、三日経って落ち着いた頃を見計らって、学校帰りの聖流は大量のお菓子を買って貴都李のいる病院に寄った。

 総合案内で貴都李が入院している病室を訊いてエレベーターを待ちながら院内地図を見ていた。

 何故か怪我で入院している筈の貴都李は内科病棟に入院していた。

 病室に行くと個室で、聖流の姿を見た貴都李は嬉しそうに笑った。

「起きてて大丈夫なの?」

「ごめんね。

 家から閉め出されて、気が付いたら、聖流君の家に来てたんだ。」

「気にするな。」

 聖流は貴都李に、お菓子が入った袋を渡した。

「こんなに?」

 貴都李は眼を丸くした。

「有り難う。」

 貴都李は袋の中を覗くとポテチを一つ取り出して開け、聖流に勧めた。

 聖流は置いてある丸椅子をベッドの傍に置いて座り、ポテチを一枚取るとパリパリと良い音を立てて食べた。

「海に行った時…………………。」

 貴都李は俯いて話始めた。

「嬉しかったんだ、ボクにも誰かの役に立てるんだって、そう思えて。」

 聖流は俯く貴都李の男にしては紅過ぎる丸い口唇を見ていた。

「最近ずっといい事尽くめだったんだ。

 聖流君に虐められてるとこ助けて貰ったり、一緒にご飯食べたり、海に行けたり。

 凄く幸せな事が次々起こって……………。

 浮かれてたら、罰が降りた……………。

 ボク白血病なんだって。」

 聖流は驚きに眼を見開き、貴都李を見詰めた。

 白血球が異常に減少し、ちょっとした怪我でも血が止まらなくなる血液の癌、それくらいの知識は聖流にもあった。

「早期発見なら治るんだろ?」

「ちゃんと治療すれば治るからとは言われたけど。

 死ぬから治療しましょうとは言わないだろ?」

 貴都李は笑った。

 聖流はどう言葉を掛けていいか思い浮かばなかった。

 貴都李は楽しそうに話した。

「誰かに恋するって凄いね。

 聖流君を見てるだけで幸せだった。

 学校で虐められるの解ってても、聖流君に逢えるから耐えられた。

 養父に殴られても聖流君を想い浮かべるだけで痛みが和らぐんだ。」

 貴都李の細い背中や首が、今にも壊れそうに儚く見えた。

「聖流君………………お願いがあるんだ……………。」

 貴都李は初めて聖流の顔を見て言った。

「キス……………して……………………。」

 思いも依らない言葉に聖流は一瞬頭が真っ白になった。

「その想い出を持って逝くから……………。」

 懇願する眼差しに耐えきれず聖流は立ち上がった。

「莫迦言うな!

 そんなことできる訳無いだろ!」

 貴都李は聖流の手を掴んだ。

 貴都李の眼からは涙が溢れていた。

「ボクの初めての恋なんだ…………。

 最初で最後の恋なんだ。」

 貴都李は握った手に力を込めてかぶりを振った。

「死にたくない!

 死にたくない!

 死にたくない!

 死にたくないよ………………。」

 貴都李はしがみつく様に聖流の服の袖を掴み言った。

「独人で死ぬのが恐い。

 たった一人で何処へ行くの?」

 貴都李は聖流の腕を抱き締めた。

「一緒に死んで。

 どんな死に方でもいい、聖流君と死ねるなら怖く無い。」

 聖流は貴都李から眼を逸らした。

「それは…………できない……………。

 オレは聖詞を守らなきゃならない。」

 貴都李の眼から涙が次々と溢れた。

 貴都李の手から力が抜けてほどけ、聖流から手を離した。

「ごめん、聖流君。

 ボク、どうかしてたんだ。

 今のことは忘れて………………………。」

 貴都李は掛け布団を握り締めて震えていた。

 聖流は身体を折ると貴都李の口唇に口唇を重ねた。

 貴都李は驚いて、眼を見開いた。

 西陽が殺風景な病室を朱く照らしていた。

 それは口唇が触れるだけの淡いキスだった。

 聖流は口唇を離すと病室を飛び出して行った。

 病院を出た聖流は速足で歩いた。

 家に着くと聖詞が声を掛けても答えもせず自分の部屋に籠った。

 口唇で触れた貴都李の口唇の冷たくて柔らかい感触がいつまでもまとわりついた。

 聖流はその日から貴都李の見舞いに行くことができなかった。

 二ヶ月の月日が流れ、聖流は貴都李の訃報を学校で知る事になる。



    ー死に顔ー

 聖流は葬儀に出席した。

 聖流には信じられ無かった。

 ちょっと前まで一緒に聖詞の学芸会に行き、海に行って笑い合っていたのだ。

 死とはなんだろう?

 霊前に立って遺影を見上げた。

 いつ頃の写真なのか貴都李はあの綺麗な顔で輝く様に笑っていた。

 香を供養し手を合わせた。

 聖流はどうしても貴都李の死に顔が見たかった。

 そうしなければ貴都李の死を受け入れられない気がした。

 聖流は、貴都李の母親の前に立つと言った。

「貴都李君と生前仲良くさせて貰ってました。

 最期のお別れをさせて貰ってもいいですか?」

 母親は目頭に、頻りにハンカチを押さえながら言った。

「そうですか、是非逢ってやって下さい。」

 母親は棺の小窓を開いて下がった。

 聖流は小窓を覗き込んだ。

 花に埋もれ、痩せ細って眼を閉じた貴都李は、貴都李であって貴都李では無い気がした。

 聖流はいけないと思いながら抑えることがてきず、貴都李の口唇に触れた。

 貴都李の口唇は硬く氷の様に冷たい。

 まるで別の物体になっていた。

 聖流は急に大声をあげそうになって口を押さえ後退(あとずさ)りした。

 そして、霊前から遠ざかると、急いで靴を履き葬儀場から駆け出していた。

 そのまま駆けて家に帰った。

 階段を駆け上がり自分の部屋に飛び込むとドアに背中を擦りつけて座り込んだ。

 頭を手で覆い号泣した。

 自分でもどうすることもできない感情に聖流はただ、泣くことしかできなかった。



    ー遠くー

 聖流は一週間の間、殆どを部屋に籠り、誰とも顔を合わせる事ができなかった。

 聖詞が心配して声を掛けても返事すらできない。

 何故貴都李にムカついたのか。

 何故貴都李に声を掛けたのか。

 何故貴都李にキスをしたのか。

 さまざまな出来事に答えを探した。

 そしてそれは、後々まで答えが出ることは無かった。

 八日目の午後、聖流はフラフラしながらリビングに降りた。

「聖流!」

 学校から帰っていた聖詞が駆け寄って来た。

「大丈夫なの?」

「聖詞、ごめんな。

 心配したよな。」

「今、ご飯持って来るから。」

 聖詞はキッチンに飛んで行った。

 聖流はソファーに座った。

 リビングを眺めていると、何処かずっと遠くから帰ったような安堵が湧いた。

 聖詞が大きなどんぶりにご飯を山盛りにして持って来た。

「一週間も何も食べて無いよ。

 お腹が凄く空いてるよね。

 いっぱい食べなくちゃ。」

 聖詞の優しさが身体に染み入る気がした。

 聖流は笑った。

 笑うと云う感情が懐かしい。

「有り難う、聖詞。

 でもこんなに食べたら、お腹パンクしちゃうなあ。」

 家政婦の河合さんが買い物から帰って来た。

 聖流の姿を見ると笑顔で言った。

「まあ、聖流さん、良かった。

 今、何か作りましょうね。」

 河合さんは聖詞の手から山盛りご飯を取り上げた。

「聖詞さん、こんなに食べたら逆に吐いちゃいますよ。

 もっと柔らかい物から食べないと。」

 河合さんは雑炊を作って聖流に出した。

 聖流がキッチンで雑炊を食べていると聖詞が寄って来て言った。

「貴都李さん、ずっと来ないね。」

 聖流は胸が撃ち抜かれた様に痛み、思わず眼を閉じた。

 眼を開けると聖流は優しく言った。

「聖詞、貴都李は家族の都合で遠くへ行っちゃったんだ。」

「そうなんだ……………。

 お別れも言えなかった。」

 聖詞はしゅんとした。

「そうだね…………………………。」

 聖流は遠くを見ていた。


    貴都李の章   fin





 ここまで読んで戴き有り難うございます。

 貴都李の章

 聖詞の章

 央の章

 の三章あります。

 娘に勧められて書いたのですが、この作品を書けたのは、とても嬉しかったです。

 楽しんで戴ければ幸いです。

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