29-5.塩パン(29日目)
背中に陽を浴びながら、俺はランの横に近づく。
背後から声を掛けては驚かれる未来が見えたからだ。
「ランちゃん、ランちゃん。 何か小麦気になる事あったのかな?」
「っ! えっと・・・とうみ。。凄いです」
驚きはされたが、意外や意外。
すぐさま手の中の小麦に視線を戻して、俺と話してくれるようだ。
今しかないっ!
ここで距離を近付けずして、いつ仲良くなると言うんだっ!
俺は、遠慮して2人分の距離を開けてランと同じようにしゃがみこんだ。
ランの手の中には、籾殻を剥かれた小麦がいくつか。
その足元には、未成熟な小麦が落ちている。
真剣な眼差しで彼女はそれ等を見比べている。 更に籾殻を剥いてまで・・・
今は声を掛けるより口を開いてくれるのを待つべきか。
そうこうしてる内にアンが俺たちの間にしゃがみ込む。
「ラン、どうしたのよ?」
「アンちゃん、これ見て。。 これを使えばもっと良くなる・・・!」
「そ、それがどうしたのよ?」
珍しく押し気味のランが垣間見えた。
アンにも分からないんじゃ、俺にも分からなくても仕方無いか。
「何か嬉しい事あったのかな?」
「さ、サトシさんっ! わたし、アリスさんに聞きましたっ 私に教えて下さい!」
怯えながらも真剣な眼差しでランが、言ってきた。
何を教えれば良いのだろうか? 教えれる事ならやぶさかではないが・・・
再び珍しく興奮したランを、アンがなだめる状況となった。
要約すると、ランはパン作りに並々ならぬプライドがあったようだ。
ランの家では代々パン作りをしていたようだが、お手伝いレベルの事しか習えない内に両親と死別してしまったらしい。 アンが言うには、ランのパンは十分村の食料と遜色ないレベルで失敗なんてしていないと散々励ましていたようだ。
庭に収穫前の小麦が植わってて、我慢できずに収穫し、その一部をパンにしたようだ。 何度も謝ってきたが、元々収穫しようとしていた物だからむしろ助かった事を伝えて安心させておいた。
男子連中が居ないと思ったら、麦畑で労働させられていたのは言うまでもない。。。
「サトシさん、パンの作り方を教えて下さい!」
ランの熱意に圧されて、俺は頭を縦に振るしかなかった。
日没前には戻らなきゃな・・・
まずはアンが焼いていた、ランのパンだろう物を食べてみることにした。
今から俺のパンを作って食べてみるのも良いが、それでは教えるべきポイントが見えてこない。
ランはかなりパンに思い入れがあるようだし、中途半端な説明では納得させられないだろう。 何より、既に俺のパンより美味い可能性すらあるのだから。。
焼き立てのパンを、アンから受け取る。
「・・・。 2人とも、気になるのは分かるけど、そんなに凝視されたら食べ辛いんだが。。」
慌てて2人が俺から視線を外し、残りのパンの整理へと向かって行く。
「ふむ・・・」
ランのパンは、握り拳よりもひと回り程小ぶりの丸いパンだ。
焼き目はしっかり付いており、ハード系のパンである。 鼻を近付ければ小麦の香ばしい薫りが食欲をそそって来た。
「サトシっ! 私も食べたいな。。」
紅葉が足元にやって来てパンを求めてきた。
昼ご飯がカチカチパン1つだったので、俺もお腹は空いていた。 当然紅葉も同じなのだろう。 それに客観的に俺のパンと比べた感想も聞ける事を狙ってパンを半分に割ることに・・・
パリッとしたパンの表面に親指を突き立てて割っていく。 指が刺さると焼き立ての熱が指を襲うが、その中から白い柔らかな部分が現れて食欲が膨らんでいく。 間違いなく美味い!そう確信させる出来栄えだった。
「はい、半分こね? 熱いから気をつけてね」
「うんっ!」
紅葉を太ももに載せて、一緒にパンを頬張った。
いつもなら一口で食べてしまうところだが、小さく摘んで口へと運ぶ。
表面は予想通りしっかりと固く、噛むほどに・・・
ん? あれ? 何か物足りない・・・。
視線を落とすと、紅葉は熱さと戦闘中のようだが、特に感想は出ていない。
確実に昼頃に食べたエルフの村でのカチカチパンよりも、ランの焼き立てパンは美味いんだが、フランスパンのように見えて、これは何か旨味が感じられない。 小麦の香りはあるのだが、何故かそれを活かしきれていない。
二口、三口と咀嚼を繰り返して首をひねる・・・
「っ!! そうかっ!」
一口分を残し、頭の中に光が差した。
紅葉を降ろして、俺は部屋の台所へと向った。
ほんの少しの白い粉をまぶして、欠片となったパンを口に入れる。
さっきまでと違い、噛むほどに小麦の甘さや香りが口に広がった。 フランスパンに近づくにはこれか・・・!
「サトシー? 何か気づいたの?」
紅葉がついて来ていたようだ。
「あぁ、今のパンをもっと美味しくできると思うぞ」
「カチカチなのよりは良かったけど、もっと美味しくなるの? でも、サトシの作ってくれるパンのが良さそう。。」
多分、紅葉は肉いっぱいの肉じゃがパンを求めている気がする。 あれは・・・普通に美味かったもんな。。
何はともあれ、早速ランに今のパンの作り方を確認しておこう。 パンに塩を掛けて食べる日がくるとは思わなかったが、たったそれだけの事で味に変化が生まれた。
ただ、俺が美味しいと思う物を彼女らも美味しいとは限らない。 まぁ、アリアという実績を考えれば、問題ないとは思うが試す価値はあるな。。
塩を持ってランたちの元へと向かった。
「あっ、サトシさん! パン・・・どうでしたか?」
俺を見るなり、ランが駆け寄ってきた。 今までならこんな風にはならなかったが、パンという共通の接点でここまで変わるか・・・
ランにはオタクとしての素質を垣間見たが、今後も活かす機会は無いだろう。
「昼にエルフの村でもパンを食べたけど、焼き立ての強みはあるけどランのパンのがずっと美味しかったよ」
「ホントですかっ!?」
「あぁ、ほんとだよ。 アンの言うとおり村一番のパンだね」
視線の横でアンが胸を張っているが、アンの功績はどこにあるのだろうか? 一先ず無視しておく事にした。
「そうそう、ランのぱんだけど・・・材料は何を使ってるか教えてもらえるかな?」
ランは快く、パンの材料や作り方を説明してくれた。
やはり塩は使っていない。
いや、予想はしていたが、塩どころか酵母すら使っていないようだった。
小麦粉と水のみ・・・極限にまで材料を削ぎ落としたパンだったのだ。
だからこその工夫を垣間見た。 捏ねた生地を乾かないように器に入れて、蓋をして日の当たるところに放置するようだ。
酵母は入れなくてもその菌は空気中にあるし、人の手にだって付いている。 糖を餌として発酵する菌・・・だが、それがこの世界にもあるとは思ってもみなかった。 だから俺は重曹で無理矢理に膨らませていたのだから。
この世界には、この空気中には酵母菌が居る。
それが、ランから聞けた大きな認識の変化だった。
さて・・・本題はこれからか。
「ラン、一口作ったパンを食べてみてくれないか?」
「わたしの作ったこれをですか?」
「そうそう、それね」
「わたしも食べるわっ!」
アンも参加してパンを一口食べた。 アンは絶賛しているが、ランは焼き加減に若干物言いたげではあった。。。
「今度は、これを食べてくれないか?」
次は、ほんの少しだけ塩を掛けたパンの切れ端を渡す。
2人とも渡したパンより俺が持っている塩の方が気になるようだ。
「サトシさん、パンにかけた物は・・・」
「毒じゃ無いから安心してね? 食べた感想を聞いてから説明するよ」
渋々といったかたちでランはパンを口に運ぶ。
アンは既に食べ終わっていたようで神妙にこちらを見つめいる。
紅葉はというと、温かいかまどの前で丸まっているようだった。
空を見上げると澄んだ冬の空に、少しずつ雲が増え始めている。 日が暮れる前には戻る約束だからな・・・
って・・・いくらなんでも反応が遅いな!?と、ランを見ていると未だに咀嚼を繰り返していた。
俯いていても、挫折を感じているようには見え無い。
握りしめられた手からは、必死に先ほどとの違いを味覚から感じとろうとしているようだった。
声をかけにくいな・・・
そして、これだけ咀嚼してたら、もうパンは唾液とドロドロに・・・
(うっ・・・想像してはいけなかった。。)
再びランが落ち着くのを待つ為に、俺は紅葉の寝ているかまど前に腰掛けるのだった。
あー・・・コーヒーでも飲みたいな。。
「あ、あれっ!? サトシさん!? あっ!」
「ふぁ〜。 ラン、味に違いはあったかな?」
肩を上下させながら走ってきたランへ、俺は問いかけた。 やっと・・・か。 眠くなってきてしまったよ・・・気持ち良さそうに寝続ける紅葉が羨ましい。
「全然違いました! 同じパンなのにっ! 甘くて・・・味が濃かったです! どんな魔法の粉なんですか!? それを使ったら私のパンはもっと美味しくなりますよね!? 分けてもらえませんか!? どこに行ったら採集できますか!?」
気圧された俺は、しばらくランの勢いに飲まれてしまった。 たった塩ひとつまみ。 されど、人の舌はそこから麦の甘さや風味をより強く感じる。
「これは、塩って言うんだけど、この辺りでは採集できる場所はまだ見つけていないな。。 悪いんだけど、今はこれだけなんだ。。」
俺は嘘をついている。
台所の下には、1kgの塩袋がほとんど使っていない状態で放置されている。
だが、小瓶に入った精製塩は使い勝手が良いのと、採集方法が見つかっていないのは本当なので貴重だったからだ。
肩を落とすランに、俺は言葉を掛けた。
「これは、ランに渡しとくよ」
そう言ってテーブルソルトの小瓶をランの手に握らせる。
「えっ!? でもこれはっ・・・」
「ランのパンがもっと美味しくなるだろ? 帰ってきた時に美味しいパンが食べたいしさ。 気にせず使ってくれないか?」
喜び抱きついて来たランは、年相応に可愛い。
警戒心が解ければ、この子の本質はこっちなのだろう。
俺がランとのスキンシップを心底楽しんでいると横から邪魔が入った。
「ランっ! せっかくだから早速作ってみましょうよ! 悔しいけど、それ美味しいわ。 それを使えば、村のパンなんて目じゃないわっ!」
「うんっ! 私頑張るねっ! サトシさん、まだ時間ありますか?」
日没まではまだ余裕があった。
気になるのは雲行きだが、雪が降ろうとも敷地の中なら邪魔されることもない。
なら、村に帰る時のお土産にと先に帰る俺たちの分を優先して作ってもらうよう頼んだ。
ランの手際は流石で、教える事など殆ど無かった。。
少年たちは畑で収穫,唐箕での選別と休む暇なくアン監督の下、働かされて今は地面で仰向けに眠っている。
驚いた事としては、粉挽きは石臼を使わずしてランの魔法によって微粉砕された小麦粉があっという間に生まれてしまった。
一度にたくさんの麦を粉に変えた為、足取りがおぼつかなくなっていたが、すぐに生地作りに取り掛かったランの精神力は目を見張るものがある。
彼女のパンに対する気持ちは、は並々ならぬ物を感じる。 きっと、次に帰ってくる頃にはより美味しいパンが出来ているだろう。
かまどで小粒のパンを焼き、4人と1匹で味わう・・・
「さっきと全く違うっ♪ ラン、これすっごく美味しいわ!」
「ァ、アンちゃん慌て過ぎっ・・・っ! ほんとだ、すごく美味しいー♪」
紅葉にも、冷ましたパンを与えたがこちらもさっきより食いつきが良い。
動物って塩分ダメだった気がするけどなぁ・・・より味の濃い肉じゃがパン食べるくらいだから問題ないのか。。
焼き立てのパンは、口の中に小麦の甘さを柔らかく伝えてきた。 後塩では無く、生地に練り込まれているからジャリジャリとした食感も無い。 惜しむべくはスープが欲しいところか。。 ポトフを作れば良いが、そろそろ帰るべきだろう。
黙々と食べていたリンに声を掛け、夕日に染まる空へと飛び立つのだった。
現在進行形で結石継続中です。
いやぁ・・・恐ろしい病気ですよ、マジで。。。(泣)
これにて本話は完成とします。
さーて、エルフの村に戻らなくては。。